気が付いたら恐竜が好き。首長竜(くびながりゅう)の研究で猿橋(さるはし)賞を受賞
- 佐藤 たまきさん/古生物学者
- 1972年東京都生まれ。東京大学理学部地学科、シンシナティ大学大学院修士課程を経て、カルガリー大学大学院博士課程修了、博士号を取得。カナダ・王立ティレル古生物学博物館、北海道大学、カナダ自然博物館、国立科学博物館での博士研究員を経て、2007年に東京学芸大学助教に着任、2008年より准教授、現在に至る。1968年に福島県で発見された首長竜「フタバスズキリュウ」の化石を調べて2006年に新種と解明した業績などが評価され、2016年猿橋賞を授与された。
幼稚園からブレなかった将来の夢
私は東京の江戸川区で育ったのですが、当時はまだ周りに畑も少しあり、家には庭もあったので東京とはいっても自然に親しめる環境でした。
家族は、両親と2歳違いの姉の4人。父は大学で化学を教えていました。母は子どもが生まれてからは専業主婦になりましたが、それまでは父の研究室で技官として父の研究を支えていたようです。
家には昆虫や動物、植物、宇宙、とにかくいろいろな図鑑があってそれを読んで育ちました。動物は全般的に好きでしたね。私の一番のお気に入りは、もちろん恐竜図鑑。恐竜のお人形というかフィギュアもたくさん持っていて、お人形さん遊びというより、恐竜人形遊びをしている子どもでした。「恐竜のどんなところに惹かれたのですか?」とよく聞かれるのですが、何かインパクトのあるものを見たとか体験したとか、そういうきっかけみたいなものは一切ありません。気が付いたら好きでした。今も昔も恐竜は子どもに人気がありますが、恐竜が好きな理由を聞いてみれば、おそらく「大きいから」とか「カッコイイから」と答えると思います。私もそれと一緒。「チョコレートが好き」とか、そういうのと同じレベルの話です(笑)。
姉は、同じ両親から生まれたのに全然性格が違います。よく覚えているのは、子どものころ家族皆で恐竜展を見に行ったとき、姉は入り口で恐竜の骨格を見ただけで泣き出してしまいました。怖かったのでしょうね。いわゆる女の子らしさは全部姉のほうにいってしまって、私には恐竜しか残っていなかったのかも(笑)。
恐竜の研究者になることを最初に意識したのは、幼稚園のときです。論文を書いたり、出張で学会に行ったり、父の研究者としての生活を間近に見ていたから、職業としてなじみがあったのでしょうね。
ものすごく勉強した東大受験
私は小学校4年生くらいから塾に行き始めて中学受験をしましたが、滑り止めを含めて全部落ちました。高校受験では、第一志望にまた見事につるんと落ちて。
というのも、私の成績は完全な私立文系タイプだったのです。小学生のときから算数が苦手だということは自覚していましたが、恐竜(古生物)の勉強ができる大学というのは非常に限られていて、調べていくと自宅から通える範囲では東大の理学部くらいしかない。理系である以上、どんなに苦手でも数学を避けて通ることはできないのですよ。それが分かっていましたから、東大を受験するときはとにかくひたすら勉強しました。
大学には現役で合格できたのですが、自分に投資した最大のエネルギーが報われた気がしました。きっと落ちたに違いないと、浪人生活に備えて予備校の入学書類もそろえていたくらいなので、本当によく受かったと思います。
私の場合、進路に関しての希望は幼稚園のときからまったく変わりませんでした。やりたいことが決まっていて、今それができているから「めでたし、めでたし」とハッピーストーリーとして語れますけど、もし大学受験に失敗していたら、「ああ、やっぱりちゃんと文系でやればよかった」と思ったかもしれませんよね(笑)。
大学に入学するとすぐに古生物学の先生を自分から訪ね、ゼミなどに関係なく非公式でずっと教えを受けていました。そうやって一人の先生とつながりができると、「じゃあこれはこういう先生がいるから会いに行ってごらん」とか、研究室の先輩たちから「こういう勉強会があるから来てごらん」と声をかけていただくなど、どんどんネットワークが広がっていきました。
2016年に、猿橋賞(毎年1名、自然科学の分野における女性科学者に対して贈られる栄誉ある賞)を頂く理由になった首長竜(くびながりゅう)の研究は、大学の卒業研究のとき、研究室で「ティラノサウルスとかトリケラトプスはないけれど、首長竜なら標本がある」と言われ、たまたま選んで面白かったからです。
卒業後、大学院生になると本格的にいろいろな博物館を回って標本を見て勉強するようになります。どうしてもその場所に行かないと話になりませんから、この分野は研究費に占める旅費の割合がとても高いのです。
奨学金を取ったり助成金を取ったり、親に頼ったりアルバイトしたりして、みんな必死になってお金をかき集めて、旅費を工面していました。だから大学院生のときは貧乏生活でしたね。
でも、その時期の経験があって今があるのですから、お金を払って貧乏をしたかいがあったと思っています。
苦しい時期もあった留学時代
大学院生の修士課程でアメリカに留学しましたが、生活になじむのにすごく時間がかかってしまいました。ホームシックになり2年で終わるべきところが留年しちゃって、最後の1年は結構つらかったですね。
指導教員との意思疎通が難しかったこともあります。私はちゃんとやっているつもりだったけれど、「それでは足りない」と厳しいダメ出し。それまで勉強に関してはほとんど挫折したことがありませんでしたから、自分ではちゃんとやっているつもりが全然できていなかったのが悲しかったですね。
それに留学先で率直に話し合えるような友達もあまりいなくて。でも、最終的には、時間をかけて完成できてよかったと思います。
その後、博士課程を終わってから海外の研究機関を含め4カ所で働きましたが、採用はすべて公募でした。公募というのは「いつ、どこのどんな雑誌にどんな論文を出しました」という業績リストを論文に添えて提出する競争です。
私は幸いなことに仕事が取れていたので無収入の時期はありませんでしたが、35歳で東京学芸大学に勤務するまで、短いときで半年、長くても2~3年の契約雇用のような形が続きました。
やっぱり、来年の今ごろの自分がどこで何をしているかまったく分からないというのは不安ですよね。でも、当時もそんな不安より好きな研究ができている満足感の方が上回っていたと思います。
研究者に必要な資質とは
どんな分野もそうだと思いますが、研究対象に興味を持てること、そしてその好奇心を持ち続けられることですね。
「モチベーションを高いレベルで維持するのは大変ですね」と言われることもありますが、好奇心を維持することが特別なことだという意識はあんまりなくて、特にそのために努力をしたこともないですね(笑)。
研究者というのは「なんとなく成り行きでなっちゃった」という職業ではなくて、「なりたい人たちとの競争の中で、たたいてもつぶれない人がなる」というなかなか厳しい世界です。
だから好きなことができているというだけで幸せですね。結局、煎じ詰めれば「好きだから」ということに尽きるでしょうね。好きなことをやって、社会人として生きていけるのがうれしい。人に褒められるからとか、お金がいっぱい稼げるとか、そういうことがうれしいわけではありません。
女性と研究ということについて言えば、昔に比べて生物学の分野は女性研究者がだいぶ増えましたが、理科全体で見ると今もやっぱり圧倒的に少ないです。だから、よくも悪くも目立ちますね。目立って良いこともありますし、逆に何をやっても「女だからうんぬん」と言われてイヤだな、ということも多少はあります。でも、昔に比べればだいぶ減ってきたと思います。
研究って実は肉体労働だったりもしますが、これまで大きな病気もけがもしたことがありません。だから特に健康のために気を付けていることはないのですが、食事は朝昼晩3食きちんと、あまり偏らないようにバランスよく食べるように心掛けています。
私、甘いものがすごく好きでおやつをよく食べます(笑)。だからせめて食事ではご飯とタンパク質と野菜をバランス良く取るように意識しています。
古生物の研究は研究室の中だけではできません。やはり出張は多いですね。年によってけっこうバラつきはありますが野外調査で1~2週間、各地の博物館を回って標本を見たり、学会発表もあったり、なんだかんだで1年のうち1~2カ月は出掛けています。健康でいることも研究者には大切だと思います。
爪先立ちの恐竜たち
「博物館で恐竜展示を見るとき、どうやって見ると面白いですか?」と聞かれると意外と答えにくいのですが、コツを一つ。
ティラノサウルスなど恐竜たちは踵(かかと)をつけないで立っています。われわれ人間は踵を地面につけて立っていますが、あんなに体重が重く巨体の彼らはいつも背伸びをしたような状態です。恐竜の「足跡」と言いますが、人間の脚で考えれば「指跡」です。
骨盤から足が生えている動物は人間も含めどんな動物でも、骨盤の次に曲がる場所が膝、その次に曲がるところが足首です。
展覧会などで地面に近い指先側から見ていくと、指の骨は形がいろいろ違うのでどこまでが指なのかが分かりにくい。指先と踵がすごく離れていることもあります。でも、腰から順に見おろしていくと、(1)股関節があって(2)膝があって(3)踵がある、その順番は人間も恐竜でも鳥でも同じです。博物館などの展示で恐竜を見るときには、「踵」を探しながら見ていくと、案外面白いかもしれませんよ。
(東京学芸大学の研究室にて)
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