人と鷹はパートナーであり相棒。鷹は自分を映す鏡のような存在です
- 大塚 紀子さん/諏訪流鷹匠
- 1971年千葉県生まれ。95年、早稲田大学人間科学部卒業。卒業論文「鷹狩と日本文化」をきっかけに鷹匠の世界に興味を持ち、諏訪流鷹匠(第17代宗家)田籠善次郎氏に弟子入り。ハヤブサ等を飼育、放鷹術を学び始める。2004年、UAEの「国際狩猟と馬術の展示会」に招待され、海外の鷹狩文化に触れる。アブダビでは放鷹術が社会に生かされていることを学び、日本でも放鷹術を伝承し保存する重要性を実感。国内外で日本の鷹狩文化を伝え残す活動をしている。15年、田籠氏より第18代を允許(いんきょ)される。
出会いは卒業論文のテーマ
現在、私が鷹匠をつとめる諏訪流(諏訪流放鷹(ほうよう)術保存会)には門下生が15、6人いますが、半数以上が女性。まったくの素人から始める方がほとんどです。最年少は中学校1年生で、鷹匠を目指している高校生の女の子もいます。
鷹との出会いは大学生のとき。鷹狩文化の卒業論文を書くため、ある新聞で東京にも伝統的な鷹匠がまだいらっしゃるという記事を見て、お話を聞きに行きました。そこで鷹匠から、「鷹匠は鷹を人間よりも上に見て付き合うもの」ということを聞き、「これは他の動物とは違う面白い関わり方だな」と思いました。そして実際に訓練を見せてもらうと、鷹の飛ぶ姿がとても美しくて感動しました。
鷹の高貴さに憧れて
中央アジアで4000年以上前に発祥したといわれる鷹狩り(放鷹)は、人と鷹が協力し合う最も古い伝統猟法の一つです。人間が鷹を訓練することはできますが、それは、あくまで獲物を捕獲したり、音を聞き分けたりする鷹の本能を利用したコミュニケーションです。
鷹が狩りで獲物を捕るのは人間のためではなく、自分のため。決して人に奉仕しているわけではありません。鷹は「神の化身」といわれ、手なずけられない動物とされてきました。たとえ王様でも頭を下げなければならないくらいの高貴さを持っています。そういう鷹の毅然とした態度が古今東西の王侯貴族たちに愛された理由なんだと思います。王様もきっと自分にこびない存在が欲しかったのでしょうね。
中東では今も鷹狩りが盛んで、アブダビ(アラブ首長国連邦)では毎年、「国際狩猟と馬術の展示会」が開かれていて、中東やヨーロッパなど世界中から狩猟や馬術の関係者が集まります。私たちも2004年から参加して日本の鷹狩文化を紹介しています。
ちなみに狩りで使われる鷹は主にメス。理由は、メスの方が体が大きく、力も度胸もあって大物が獲れるからです。
鷹は自分だけでもエサが獲れますが、人間と協力して一緒に狩りができるということを知っています。「人鷹一体」といいますが、人と鷹はパートナーであり相棒です。お互いに尊敬できる距離感を持った付き合いを大切にしたいと思っています。また、そういう距離感を保てることが鷹匠の技術でもあります。
もちろん鷹をかわいいと思うこともありますが、私にとって鷹は対等かそれ以上の存在ですし、鷹にもそうあってほしいと思っています。鷹に教えているようで鷹から教わることは本当に多く、私にとって鷹は自分を映す鏡のような存在です。
ごくふつうの学生が鷹狩りと出会うまで
生まれは千葉で、両親と兄と弟がいる3人きょうだいの真ん中で育ちました。父の仕事の関係で転勤が多く、小さいころは関西で過ごし、小学校1年生の途中で千葉に戻ってきました。関西で暮らしていたときは、周りには空き地もあって兄弟と野球をしたりザリガニを捕ったりして遊んでいました。千葉に移ってからは動物が飼えるようになったので、ジュウシマツとインコ、あとは犬を飼っていました。でも、特別動物好きな子どもというわけでもなかったです。世話はもっぱら母がしていましたから(笑)。
小学校のときはピアノと書道を習っていてクラブ活動は陸上。中学校では軟式テニス部に入りました。運動神経は、まずまずの方だったと思います。高校では大学受験第一で部活にも入らず、静かに無口に過ごした3年間でした(笑)。
文学部を目指して勉強していたとき、早稲田大学の「人間科学部」という学部が目に留まりました。創設間もない学部で、そこには「文系・理系にとらわれない新しい人間の研究をする学部」とあって、面白いかなと思い、そこに進みました。
私が選んだゼミは「スポーツを文化人類学の視点で捉える」という、当時まだ新しいアメリカで作られた学問領域の研究をしていました。例えば、縄跳びとか綱引きのような伝統的な遊芸や伝統芸能もスポーツと捉えます。それで卒論を書くときになって、昔、千葉の家で飼っていたジュウシマツを自転車のかごに乗せて一緒に遊んだことを思い出しました。そのときは無意識に遊んでいましたが、私は鳥とどうやってコミュニケーションをとっていたのだろう?ということがふと気になり「日本の伝統的な動物との遊び」というテーマが思い浮かびました。
鷹狩文化をテーマにした卒論は無事提出できましたが、就職活動には苦労しました。当時は就職氷河期の真っただ中。ほとんど試験に通らなくて、骨とう品を扱う小さい会社に採用されて入社したものの、半年もしないうちに退職してしまいました。
弟子入り
実は大学を卒業してからもやっぱり鷹のことが気になっていました。それで卒論でお話を伺った師匠(諏訪流第17代宗家・田籠善次郎氏)のところに行って「勉強したいのですが」とお願いしてみたところ「いいですよ」と快諾してくださったので、その後はアルバイトや派遣社員をしながら、師匠のところに通いました。師匠はオープンな方で、女性だからといって差別や偏見はありませんでした。
そのころは「好きなことができればいいな」くらいの感じで鷹匠になるつもりはありませんでした。鷹匠というのは別に国家資格でもありませんし、ペットショップで鷹を買ってきてその日に「鷹匠です」と言ってもいいわけです。でも私の中では、鷹匠というのは、戦前まで宮内省(現宮内庁)の公職で、歴史や文化を残す責任の重い肩書きだから、それにふさわしい人がなるべきで、自分には敷居が高いと思っていました。
転機となった海外体験
師匠の元に通い始めて3年たった1998年、ハヤブサの仲間の長元坊という種の鷹を譲り受けて飼い始めました。ちょうどその年、運輸省(現国交省)の依頼で航空機と野鳥の衝突防除実験が四国でありました。飛行機が鳥を巻き込んで起きる事故を防ぐため鷹を使って鳥を追い払う「バード・コントロール」は海外ではすでに行われていました。それが日本でも可能かどうかの実証実験に私も参加することになり、長元坊を飛ばさせてもらいました。
それが私にとって初めての仕事でした。「鷹匠の技術を生かせる場があるんだ」ということを初めて知って、もっとうまくなりたいと思いました。とはいえ、鷹匠が仕事になるのか、その先どうするのか…、5、6年するとまた迷いが出てきて。
そんな中、2004年にアブダビの「国際狩猟と馬術の展示会」に師匠が初めて招待され、私も同行することに。そこで初めて海外の鷹狩文化や鷹匠に接し、いろいろな社会活動に鷹狩りが生かされていることを知りました。でも、日本の鷹狩文化は全然知られていませんでした。「日本にも鷹匠がいるのか」という程度。それで私も「鷹匠です」と堂々と言って、もっと日本の文化を発信しなければという気になって。それからは迷いも消え、3年後の07年に諏訪流の鷹匠認定試験に合格することができました。
鷹狩文化を残し伝えたい
昔の資料を調べると、鷹狩りにはいろいろな役職があったことが分かります。独特の「鷹詞」があったり、道具の作り方や所作にも細かいしきたりがあったりします。それだけに、鷹狩りはさまざまな切り口のある面白い文化です。
江戸時代も後半になってくると、鷹狩りが趣味だった家康のころとは違って、殿様がだんだん狩りの素人になってきます。それで鷹匠の人たちがいろいろセッティングしました。鷹の調整はもちろん、お殿様が転ぶと大変ですから足元の草も刈って、獲物が隠れる場所も決めて。段取りを全て整えて、「演出された遊び場」として鷹狩文化の完成度を高めていきました。私はそういったことも含めて鷹狩文化だと思っています。やはり大切なものは残さなければいけないという意識がありますね。
より分かりやすく間口は広く
鷹匠の技術は「聞くより見て覚えろ」という職人の世界。もちろんそこから得られるものが大切なのはよく分かっていますが、私のような素人だと分かりにくいところもあって、最初のころは師匠に「言葉で説明してくれないと分かりません」と言ったこともあります。師匠はそれが結構ショックだったようで、「そんなふうに言われたことはなかった」って(笑)。男同士だったら言わないんでしょうね。でも、私以上に今の人たちはそういう「見て盗め」ということは苦手でしょうから、今は、どうやったらもっと分かりやすく鷹狩りの技術を教えられるか、人を育てられるか、ということに心配りしながら、自分を高めているところです。
また、鷹狩りはほとんどが歩きですから、いかに2時間3時間をしっかり歩けるかも大切です。講習会では里山を歩きますが、それ自体が大変という人も多くいます。門下生にも転んで骨折した人が2人います。そんなこともあって最近、体幹を意識したウオーキングやストレッチを始めました。まず自分が身につけてから教えようかなと思って。現代人はまず体づくりから始めないといけないのかもしれませんね。
鷹の世界も以前は一部の特別な人たちがやるものという感じでしたが、最近は「鷹カフェ」なんていうものができ、ずいぶん間口が広がったと思います。中学校や高校で講演することもありますし、狩場を歩く「体験会」というのを企業さんから頼まれてやったこともあります。狩場を歩いて鷹をちょっと飛ばして「お狩場料理」を食べて帰るというプチ体験。本当の狩りではありませんが、興味を持っていただけるのであれば、間口はどこからでもいいと思います。私が宗家を襲名したことも、女性が入りやすい環境作りのお役に立てているなら、うれしいですね。
(新宿区にある喫茶室にて)
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