Ms Wendy

2015年12月掲載

さんざん笑って「あー気持ちよかった」

夏井 いつきさん/俳人

夏井 いつきさん/俳人
1957年生まれ。松山市在住。8年間の中学校国語教諭の後、俳人へ転身。「第8回俳壇賞」受賞など。俳句集団「いつき組」組長。創作活動&指導に加え、俳句の授業〈句会ライブ〉、全国高等学校俳句選手権大会「俳句甲子園」の創設にも携わるなど幅広く活動中。テレビラジオのレギュラー出演、MBS「プレバト!!」俳句コーナー出演中。2015年、俳都松山大使に就任。句集「伊月集 梟」(マルコボ.コム)、句集「伊月集 龍」(朝日出版社)、「100年俳句計画」(そうえん社)、「子規365日」(朝日新書)、「絶滅寸前季語辞典」(ちくま文庫)など著書多数。
生家は愛媛の特定郵便局

生まれは、愛媛県といっても高知県との県境に近い愛南(あいなん)町というところです。前が海で後ろが段々畑。もともと半農半漁の村で、素朴というか「明るくて人が良くて、よく酒を飲む」みたいな土地柄でした。

生家は明治のころから「家業」として郵便局をする特定郵便局でした。四角の巨大な箱のような家で、住まいと郵便局が一体化した造りになっていて、妹と両親の家族四人と、祖父母が同居していました。

祖父は私が育った地区では名付け親で、生まれた赤ん坊は「名前を付けてください」とうちに連れて来られていました。私の名前も祖父が付けました。伊予のお月様のようにきれいな女の子になるように「伊月(いつき)」、というのが表向きの理由ですが、大学生になったころ、近所のおばちゃんに「いつきちゃんみたいに芸者の名前を付けられる子もおるんやけんね」ってポロッと言われたことがありました。そのとき初めて、「伊月」というのは、祖父が囲っていた芸者さんの名前だったということを知りました(笑)。

昭和3年生まれの父は、カメラやギターが趣味のとても物静かな人でした。本当はエンジニアになりたかったと言っていましたが、地元にそういう仕事はなく、家業を継ぐという形で郵便局の仕事に就いたようです。

郵便局が5時に終わると毎日父と二人で釣りに行くのが子どものころの楽しみでした。まずエサにする小さなエビを捕ってから、伝馬船(てんません)という小さな船に乗って糸一本で鯛を釣ったりメバルを釣ったり。今でも釣りは体が覚えているから、漁師さんが驚くくらいうまいですよ。父が出張でいないときには友達とそこら辺で遊んでいました。冬は山で、夏は海で遊びまわって育ちました。

中学校ではバレーボール部に入りました。もっぱら運動ばっかりしている子でした。

高校はバスで2時間ほどかかる宇和島東高校へ毎朝6時に家を出て通いました。朝ごはんと昼ごはんで、毎日お弁当を2つ持って行き、みんなが教室に入ってくるころに1つ目の弁当をいつも食べていたので「早弁の女王」と言われていました。正確には「早弁」じゃなくて「1つ目」なんですけどね(笑)。

天職に出合った母校での教育実習

古典が好きだったので大学は国文学部に進み、京都に4年間住みました。古典の物語の舞台を体験したくて行った、という感じでしょうか。

大学4年になって就職の時期になり、何か言葉に関係する仕事、ライターや編集など出版系もいいなと思っていましたが、地元で仕事を見つけるのは困難な時代でした。私は愛媛県以外で暮らすのはいやだなと思っていたので、ひとまず教職の免許の単位を取っておこうと母校の中学校に教育実習に行きました。

その学校には国語専門の先生が一人もいなくて、違う教科の先生が兼任で国語を教えていました。正直イヤイヤだったのでしょう。そこに国語専門の私が行ったものだから、先生たちは大歓迎でした。

授業って、50分で演じる自作自演の劇みたいなものだと思います。教師は授業の目標や具体的な教授方法、時間の配分などを記した「教案」を作るんですが、教案は私が演じる台本ですね。観客である子どもたちを飽きさせず、国語を楽しいと思わせるにはどうしたらいいか。私がこう投げかけたら観客はこう反応するから、このタイミングでこうしよう、個性が違うクラスごとに違ったアプローチをしようと、観客を一緒に巻き込んだ舞台の演出を考えるのが本当に楽しいのです。

「国語を教えるって、こんなに面白いんだ!私の天職は先生しかない」と思いました。それから教員採用試験まで1カ月ちょっとしかなかったと思いますが「こんなに勉強したことはない」というくらい必死で勉強して何とか採用試験に受かりました。

教員時代は、いろいろ「やらかして」ばっかりでしたよ。「台風警報が出たら休校」と聞いて生徒と一緒に学校を休んでしまったり、夏の夜に無断で学校のプールで泳いで不審者通報されたり。校長室に呼ばれて何度も怒られていましたね(笑)。

宴会の「俳句くじ」がきっかけで

教師になりたてのころ最初に与えられた仕事が飲み会の幹事でした。その時、席順を決めるのに「俳句くじ」を作りました。栞(しおり)くらいの大きさの紙の表に絵、裏に俳句を書いて。最初は有名な句を書きましたが皆さんがまあまあ楽しんでくれたので、次はもっとウケを狙おうと職員室の楽屋ネタや飲み会用の色っぽい句を自作したんです。ひと晩で30句以上作って「俳句って、楽勝〜」と完全に俳句をナメきっていました(笑)。それが私と俳句の出合いです。

それから「俳句って面白いな」と思うようになって、本を読んだり俳句雑誌に投稿したりするようになりました。わずか17音という俳句の「短さ」が性に合ったのだと思います。

ある時、たまたま雑誌で見た黒田杏子(ももこ)さんの俳句に衝撃を受け、勝手に「私はこの人の弟子になる!」と決めました。俳句を真剣にやり始めたのはそれからです。その後、黒田先生の選句欄に選んでもらって雑誌に掲載され、さらに直筆のお葉書をいただいた時にはびっくり仰天。「本人が見てくれたんや〜!」と感動しました。それが黒田先生とのつながりの始まりです。

救ってくれた「俳都・松山」

当時私はすでに結婚していて子どもが2人いました。夫の父の病気、死、夫の母の体調不良などによって同居を余儀なくされました。さらに学校では役職がつき、仕事と家庭の両立が難しくなっていました。私が教員を辞めるのがいちばんいいのは誰の目にも明らかでしたが、仕事がとても好きだったので、自分自身を納得させるために「私は俳人になる」と言い放って学校を辞めました。

ところがほどなく、まさかの離婚。夫の給料を当てにしつつ、ゆっくり俳句の仕事を探すつもりだったのに、子ども2人と病気の実母を抱えて一挙に追い詰められました。講師の口をお世話してくれる人もいたのですが、「俳人になる」なんて偉そうな口をきいて学校を辞めておきながら、元の世界に戻るなんてできませんでした。「そんなカッコ悪いこと、ようせん!這ってでも俳句の仕事をする」って、お断りしていました(笑)。とはいえ、俳句の仕事なんて入らない。いきなり崖っぷちから突き落とされた感じでした。

そこから救ってくれたのが松山の町でした。私は今年から「俳都松山大使」を拝命していますが、松山は正岡子規や高浜虚子をはじめ俳人の数がハンパじゃなく多い町なので、「俳句の都」と名乗ることに異論を唱える方はまずおられないですよね。「松山からの文化発信といえば、俳句だ」という思いが松山の人にはあります。

当時、ラジオやテレビで俳句番組をやろうという機運が高まり、「俳句をやっている若い人」という理由で番組に出演させていただいたり、新聞のコラムを書かせてもらったり、カルチャーセンターの俳句講座をさせてもらったり、ちょっとずつ俳句の仕事が入るようになっていきました。

当時は本当に大変でした。お父さん(仕事)とお母さん(子育て)と娘(介護)とをいっぺんにやるので、何でも早くやるというのはそのころ培われた習慣です。お弁当を作りながら、あれをしながらこれをしながら、バババーッと一挙に片付ける。ある時高校生の息子から「弁当に愛情が入っているのは重々分かっているけど、塩だけはかけてくれ」って言われたことがありました。味付けするのを忘れていたんです(笑)。それから息子は用心して袋に入れた塩をいつも持っていたようです。

とにかく生活に必死だったから、いろいろな意味で子どもたちは私に気を使ってくれていたのだと思います。2人とも優しすぎるくらい優しい大人に育ちました。

俳句は難しくない俳句は笑える

20年ほど前から全国の小中学校(たまに高校)で「句会ライブ」をやっていますが、今、すごい勢いで大人たちの「句会ライブ」の仕事が増えてきました。

「句会ライブ」というのはまず私が「5分で作れる簡単な俳句の作り方」を教え、「よーいドン!」で全員が俳句を作ります。次にそのなかから、私が選んだ上位ベスト5句とか10句とかを大きな紙に書いて会場の人たちと一緒に1位を決めていきます。

「どの句がいちばん好き?」とマイクを向けると「私はこれが好き」と参加者が語り出します。これが「俳句を使った言葉とコミュニケーション」であり、たった今作った句を即時に皆で議論し合うのが、まさに「ライブ」の醍醐味です。

俳句は短いので、パッと見れば良しあしはすぐに分かります。いちばん多いときで3000人のホールでやったことがあります。こうなると選句の時間を作るための工夫が必要になりますが、学校くらいの人数ならトイレ休憩の10分か15分で選べます。

テレビ番組「プレバト!!(※)」に出演することになったのは私が全国で「句会ライブ」をやっていることや、「バラエティーが声をかけても怒りそうもない俳人」ということで番組のスタッフが俳句番組のVTRを片っ端から見て探した結果と聞いています。

番組で私は「毒舌キャラ」ということになっていますけど、あれは私がふだんの句会でやっていることとまったく同じで、こちらのスタイルは何ひとつ変わっていません。ただ、着物は衣装ですけど(笑)。「プレバト!!」を見て「俳句って難しそう、ややこしそう」っていう思い込みが破壊されて、「俳句って笑えるものなんだ」ということが俳句に特別関心がなかった人たちにも伝わっているならうれしいですね。「いつき組」の句会もさんざん笑って「あー気持ちよかった」と言って帰れる句会です。

ところでこの新聞(Wendy)、うちのマンションにも配られているからよく見ていますよ。こんなに大きく写真が出たら、マンションの人が「あの階のおばちゃんや!」って、びっくりするだろうなあ(笑)。

(東京都渋谷区にて取材)


※『プレバト!!』:さまざまなジャンルで芸能人の才能のあり・なしを査定しランキングで発表するバラエティー番組。夏井いつきさんは「俳句の才能査定ランキング」で出演中。
  • 生まれ育った自宅兼郵便局

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  • 父、母、妹と

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  • 厨(くりや)の前で。祖父の釣った魚

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  • 中学生のころ。バレー部にて。前列右から2人目が夏井いつきさん

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  • 中学校の先生をしていたころ。前列左から3人目の白い帽子をかぶっている女性が夏井いつきさん

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  • 「プレバト!!」の収録中

    「プレバト!!」の収録中

  • 夏井 いつきさん

(無断転載禁ず)

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