Ms Wendy

2015年8月掲載

山岳医として知識や技術を広く伝え、安全な登山を啓発していきたい

大城 和恵さん/国際山岳医

大城 和恵さん/国際山岳医
1967年長野県生まれ。日本大学医学部卒業後、同附属病院第1内科に入局。2002年に北海道札幌市へ移転し、心臓血管センター北海道大野病院に勤務。循環器内科医として働く傍ら、10年に日本人初の国際山岳医の資格を取得。同年12月、心臓血管センター北海道大野病院と附属駅前クリニックで山岳外来を開始。11年、北海道警察山岳遭難救助アドバイザー医師に就任し、13年には三浦雄一郎氏のエベレスト遠征隊のチームドクターとして参加。現在も、全国各地にて山と登山に関する講演や講習を行っている。
三浦雄一郎氏のエベレスト登頂遠征にドクターとして参加

2013年に、冒険家・三浦雄一郎さん(当時80歳)のエベレスト遠征チームのチームドクターとして同行しました。これは、私にとって非常に貴重な経験でした。

私の役割は医者として、三浦さんをはじめ、チームや現地の仲間も含め、健康管理をすることでした。三浦さんは2006年から13年までに4度にわたる不整脈の手術をされており、再発のリスクを抱えていました。その一方で、三浦さんは、それまでにも70歳、75歳のときにエベレストに登頂されましたが、高山病にはかかっていませんでした。さらに前年秋に行った標高約6100メートルのヒマラヤ山脈のロブチェ東峰への予備遠征でも高所に関する問題はありませんでしたが、不整脈発作が続き、急いで帰国し、手術を行いました。手術は成功しましたが、その他に狭心症の既往もありましたので、心臓に対するケアを重視しました。心臓へのリスクを減らすために脱水や塩分不足には十分に注意し、さらに1日の移動距離を短く休憩を長くしてゆっくり休む、酸素の投与を工夫するなど、地道に実行したことが良い結果につながったと感じています。

私は、標高6500メートル地点のキャンプまでの同行でしたので、8848メートルの山頂へのアタックや下山の間は待機して無事を祈るだけでしたが、学ぶことが多くありました。一つは、80歳という高齢者が山に登ることのリスクと可能性です。もう一つは、遠征というのは、登山という目的を果たすと同時に2カ月にも及ぶ長期の生活になるので、お互いに敬意を持てる関係性が大切だということです。そんなチームを三浦さんがお頭として率いられていたことが、遠征を成功に導いたのだと思います。三浦さんの常に前向きでバイタリティー溢れる、それでいてマイペースでかわいい面もある、自己肯定感や安心感を与えてくれるお人柄に触れたことは、私の財産になりました。

母との病院通いが医者の道へのキッカケ

私は、長野市の善光寺の近くで生まれ育ちました。両親は「人の目を見て話を聞きなさい」「戸を閉めなさい」「靴をそろえなさい」など、しつけに厳しかったのですが、そのおかげで社会人になってから役に立つことも多く、ありがたく思いました。姉と弟の3人姉弟でしたが、私は「親の言うことを守らなければ」と思うような子どもだったので、親に叱られても、あっけらかんとした性格の姉と弟がうらやましかったのを覚えています(笑)。

小学校低学年のころ、リウマチを患っていた母の病院通いによく一緒に行っていました。行くたびに母の痛みが軽減されていくのを見て“人の役に立つ仕事をしたい”と憧れて、医者を志すようになりました。全身が診られる医者になりたいと思うようになりました。

大学を卒業してすぐ、正統で堅実なイメージがあった大学附属病院の第1内科に入局しました。第1内科は、呼吸器科・血液免疫科などがある全身に関わる科でしたが、当時は研修制度がなく、いきなり医局に入ることに。勉強はたくさんしてきたつもりでしたが、ハッキリ言って現場ではまるで役に立たない(笑)。まだ何もできないと痛感したのが最初の1年でしたね。ただ、仕事は楽しくて夢中で働いていました。

専門分野の資格も取ったのですが、“全身を診ることのできる医者になりたい”という最終目標へのステップとして、北海道に移ってからは循環器系の勉強を始めました。

気が付けば、山はいつも身近にあった

幼いころから自然が身近にありました。冬は家族でスキーに行ったり、友達と裏山へ遊びに行ったり、と。自然の中で育ちました。また、1歳になるかならないかのころから父に山登りへ連れて行ってもらっていました。ただ、本格的に山登りを始めたのは大学に入ってから。私はバイクが好きで、休みになるとカナダやオーストラリアにバイク旅行に出かけていました。でも、バイクは苦労しなくても移動できます。そのうち、登山のように自分の足でだからこそ行ける自然や山を楽しみたいと思うようになりました。

あるとき、北アルプスの涸沢(からさわ)の写真を見てその美しさに感激し、すぐに涸沢へ出かけました。素晴らしかったですね。それ以来登山の魅力にハマってしまって。

今は日常の中に登山があるという感じです。スキーが好きなので、北海道のパウダースノーは長野生まれの私からしたら最高!今も冬になるとスキーに行っていますが、ゲレンデで滑るのではなく、山スキーといって、山頂まで行って滑って下りてくるような…山そのものを滑っている感じですね。オンシーズンには、予定が空いていれば、週末を利用して滑っています。

知識と知恵で患者を救うのが山岳医

プライベートで山に登っているときでも病気の人に会うことがあります。実際、以前プライベートでネパールへトレッキングに行ったときに、高山病にかかった方に会いました。でも、そのとき「呼吸をしっかりしなさい」とか「水を飲みなさい」と言うことしかできなくて。後で「正しい指示ができただろうか。もっと病気のことを知って自信を持って対処できたら良かったのに」と悔やみました。

高山病は下山したら治ることも多いし、山でしか見られない病気もあります。そこで、高山病のように山登りによって起こる病気について、もっと専門的に勉強したくなり、2009年に渡英して英国中部にある英国国立レスター大学附属のコースで学びました。

当時は日本には山岳医療を系統立てて学べる制度や資格がありませんでした。その後、日本でも国際カリキュラムに沿った制度が作られ、資格も取れるようになりましたが。

実際に山岳医について知識と技能を身に付けてみると、それまで自分が学んできた医療とは発想を180度変えるようなものでした。通常の医療は、病院のように治療する道具も整った環境で治療しますが、そういった医療器具がない環境で患者を処置するのが山岳医です。山の診療所であればまだいいのですが、偶然遭遇した場合には治療具がないわけです。できることが限られるし、そこにある物で工夫をするしかない。例えば、低体温症になっている患者の体温の低下を抑えるために、炭水化物を取ると体温が上がるので炭水化物を与えるとか、体を温めるための湯たんぽ替わりに使うなら円柱の水筒ではなく、登山用の折り畳み式の水筒の方がより効果的に体を温められるとか、やっていることはすごく原始的。医学の原理に基づいて、知恵を使って対処する、そんな感じです。同じ道具を持っていても、知っていれば助かる、知らなければ助からない。知恵を働かせて、そのときに持っている道具をどう使い医療具替わりにするのかという応用法を考えるのが面白いし、大変勉強になりました。

予防の啓発を

「山岳医は遭難現場に駆けつける医者」というイメージを持っている方が多くいます。でも、医者が現場に行っても救命率は上がらないことが報告されています。山岳医が救助ヘリコプターで遭難現場へ駆けつけ、起こった遭難に対処しているだけでは遭難は減りません。遭難を起こさないように予防の啓発をしていくことが大切です。

山でのケガ人や遭難者を助けられるのは、医者ではなく救助隊や一緒に登っている仲間など身近な人たちです。私は、講演や講習を通じて、一般登山者の方々には、まず自分の身を守ること、自分が病気にならないことを教えて、次に人が病気になった場合にどう助けるかを話しています。救助隊の方には、遭難者をどうやって助けるか、助けに行って自分たちがケガをしないためにはどうしたらよいかといったことを話します。遭難を減らすことに医療面から貢献していきたいと思い取り組んでいます。

トラブルの予防を目的にした山岳外来

基本的には、山でのトラブルの予防を目的としているのが山岳外来です。今、日本の山での三大死因は、外傷・低体温症・心臓突然死です。

低体温症は、正しい知識を持つことで、防ぐことができます。転倒滑落などによる外傷は、対処するためのスキルや体力などが必要です。

心臓に関しては、事前に検診を受けること、知識を得ることでリスクを減らすことができます。実は山での病死ではこの心臓突然死が非常に多いのです。主に心筋梗塞によります。山で心筋梗塞になったらほぼ助かりません。だから、山へ行く前にちゃんと病院で検診を受けておくことをお勧めします。病院では、心臓の検査をして、心臓の病気の有無を確認しています。動脈硬化が心筋梗塞を起こすので、動脈硬化を起こしやすい体質はないか。あったらきちんと治療をするようにしています。ただ、心臓に病気がある人でも登山のできる人は多くおられます。もちろん、医師の指示を受ける必要はありますが。

“全身を診られる医者”山岳医として体現

山岳医になったときは、日本に山岳医の資格を取得しているのが私しかいなかったので、何をやったらいいのか分からなかったのが正直な気持ちでした。でも自分が何をしていいか分からないということは、何をやってもいいのだ、自分がいいと思ったことをしようと思い直しました。

とはいえ、実際に行動してみても「これをやっていて世の中に認められるのか?」「5年後、10年後にどうなっているのか?」と不安になりました。そんなとき「続けることが大事だよ。人のためになることをやっているんでしょ。だったら続けていけば、ちゃんと答えが出てくるから」と言ってくれる人がいて、励まされました。

それに、自分がなりたかった“全身を診られる医者”を、今、山岳医として実現、体現できています。好きな山で好きな仕事ができて、こんなありがたいことはありません。私も高山病や軽い凍傷など、痛い目に遭ったこともありますが、その経験を予防教育に生かしています。

たくさんの人に助けてもらい、教えてもらいますが、自分にとって一番の先生は患者さんです。患者さんの話を聞いたり、診察したりすることで一つ一つ病気を勉強できます。そういう意味では、山に行ったときには登山者が私の先生になりますし、遠征に行けば遠征隊のメンバーが、救助の際は救助隊の人たちが私の先生になります。

今まで病院内だけの人間関係だったのが、救助隊の方や講演会では登山家の皆さんといった、病院の外の社会ともつながりができてきました。これからは山岳医として知識や技術を広く伝え、もっともっと登山者に安全な登山を啓発していきたいと思っています。

(心臓血管センター北海道大野病院にて取材)

  • 長野市の自宅の庭にて

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  • 山登りが好きだった父と。浅間山にて

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  • 大学生のころ。紅葉を見に出かけた日本アルプス上高地にて

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  • 雪渓が残る、初夏の白馬岳登山。左側が大城さん

    雪渓が残る、初夏の白馬岳登山。左側が大城さん

  • エベレストベースキャンプで、シェルパの診察にあたる

    エベレストベースキャンプで、シェルパの診察にあたる

  • ヨーロッパでの登攀(とはん)トレーニング

    ヨーロッパでの登攀(とはん)トレーニング

  • 大城 和恵さん

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