『マッサン』のヒロイン シャーロットさんとの素敵な出会い
- 奈良橋 陽子さん/キャスティング・ディレクター
- 1947年生まれ。キャスティング・ディレクター、演出家。父の仕事に伴い5歳からカナダで過ごす。大学卒業後ニューヨークで演劇を学ぶ。『ラストサムライ』『SAYURI』など話題作を手掛け、特攻隊をテーマにした『THE WINDS OF GOD』で国連芸術賞、日本映画批評家大賞受賞。初の外国人主演で話題となったNHK連続テレビ小説『マッサン』のヒロイン、シャーロット・ケイト・フォックスを紹介したことでも知られる。俳優養成所アップスアカデミー主宰、英会話スクールMLS会長、著書に『ハリウッドと日本をつなぐ』がある。
『マッサン』のヒロイン シャーロットさんとの出会い
私の仕事である「キャスティング・ディレクター」は、プロデューサーや監督が映画やドラマに出演する俳優を決定するのを助ける仕事です。これまでにハリウッド映画に日本人俳優をキャスティングしてきましたが、今年3月まで放映されていたNHK連続テレビ小説『マッサン』では、番組担当者からの依頼を受けて、アメリカでのヒロイン探しをお手伝いしました。
アメリカでは、俳優が出演した作品のビデオクリップがキャスティング・ディレクター用にネット上に公開されていて、一度に多くの映像を見ることができます。それを見れば俳優の力量が分かるのですが、今回そこで目に留まったのがシャーロット・ケイト・フォックスさん(ヒロインのエリーを演じた女優)でした。
彼女の演技はとても素晴らしいものでした。そして履歴書を見ると、彼女がアメリカで演劇を学んでいた先生が、私の演劇学校の先輩だったことが分かりました。私はさっそく彼女がどんな人なのか、演劇学校の先輩に電話で聞いてみました。すると「シャーロットは芯があって強い人。どんな困難にも絶対に打ち勝つわ!」と推薦してくれました。そしてその言葉どおり、彼女は素晴らしいヒロインを演じ、多くの人の心に感動を与えました。
『マッサン』の撮影が終わってから、シャーロットさんとニューヨークで一度会いましたが、彼女は最後までやり遂げたことに感激して泣いていましたね。今回の役は彼女のキャリアに大きな影響を与えたと思いますし、私にとっても素敵な出会いになりました。
真冬の流れ星
出会いといえば、こんなことがありました。私はいま2人の孫と一緒なのですが、ある冬の寒い日曜日の夜、孫が「アイスクリームが食べたい」と言うので、4歳の男の子と6歳の女の子の2人を連れて、すぐ近くのお店に買いに行くことにしました。コートを着させて手袋をはめさせて、支度に30分ぐらいかかってようやく外に出ると、ものすごく星のきれいな夜でした。
私は自然が大好きなので、普段から「あれが北極星よ」などと教えていました。それでいつものように3人で空を見上げたら、大きな流れ星がスーッと横切りました。みんなで目を見合わせて「オーマイゴッド!」と大興奮。「偶然」と言ってしまえばそれまでですが、興味を持って空を見上げていたから、流れ星と出会えたんです。
心を開いて、好奇心を持って探究しようとするとき、そこに出会いが訪れる。誰かに出会うというのも流れ星の出会いと一緒で、それが誰であっても、それだけで一つの奇跡ですよね。シャーロットさんとの出会いも、その一つだったのかなと思います。
女優を夢見た少女時代
キャスティング・ディレクターには演技の知識や経験も重要です。私は若いころ女優を目指していたこともあって、演技も大好きです。
5歳で『風と共に去りぬ』を見て感動して「絶対に役者になりたい!」と思っていました。当時、私たち一家は外交官だった父の転勤に伴ってカナダに移り、私はおてんばで自由奔放に育ちました。
外交官というのは意外とエンターテイナーです。外交官がむっつりしていたら、交渉事もできないでしょうからね。子どものころ、大きなテーブルに座ったいろいろな国のお客さまを、父がジョークで笑わせていたのを覚えています。
両親は小さいころから「ああしなさい、こうしなさい」ではなく「どうしたいの?」と質問する人でした。子どもが自然に自分で考え、決断できるように、うまく誘導してくれていたのだと思います。
私は両親がケンカしているところを見たことがありません。でも後から知ったのは、いろいろなことがあっても、夫婦ゲンカを子どもたちに見せないようにしていたのだということ。夫婦が連携して、とてもうまくやっていたんですね。
単身渡米と子育て
16歳で帰国してからは、日本語を習って日本で女優になろうと思っていました。当時憧れていたのは、おしとやかで日本女性らしい若尾文子さん。でも、カナダの大自然の中で木にぶら下がったりして育った私とは、あまりにも違う。彼女を見て「ムリだ」と思いました。乱暴だし、優雅じゃないし(笑)。
だったらアメリカで演劇の勉強をしようと、大学時代に知り合った婚約者を日本に残して単身ニューヨークへ。
その後、23歳で結婚、子どもを2人育てながら英会話学校を共同設立し、作詞をし、全てを同時にやっていましたが、いま振り返ってみても、いったいどう時間をやりくりしていたのだろうと思います(笑)。
とにかく全てに対して無我夢中でした。仕事場の近くにアパートを借りて、仕事が終わるとすぐに帰って食事を作る。上の息子が高校生のときには朝5時半に起きてお弁当作り。とにかく時間がなくて「いま、この時間しかない!」と思うからできたんでしょうね。それでも体が動いたのは、カナダで毎年スキーをしていたからかなと思います。いい空気の中で運動して食べて、健康に育ったのが良かったのでしょうね。
子どもの「心の声」を聞く
アメリカの「効果的な親になる訓練」というメソッドの中に「子どもにはオープン・クエスチョンで質問しましょう」というものがあります。子どもが自分から話したくなる聞き方をしましょう、ということです。
「今日、学校はどうだった?ママに聞かせて」と、親が形だけでなく本心から知ろうとして聞けば子どもは話してくれるし、そこにいろいろな発見があります。
大人が「子どものことは何でも知っている」という固定観念で接すると、子どもは何も話したくなくなります。大人はどうしても「ああしなさい、こうしなさい」と上から言ってしまいがち。だから会話が「どうせ宿題していないんでしょ!」「うるせーなー」になってしまう(笑)。だからこそ「自分は子どものことを何も知らない」と思って接することが大切です。子どもの心が何を言わんとしているのか、聞いてあげられるといいなと思います。
孫との時間は宝物
でも、これは私に孫ができて、おばあちゃんになったから言えることかもしれませんね。
いまの私にとって、孫たちと一緒にいる時間は財産です。孫がコートをパーッと広げて風を受けて遊んでいる姿なんて、映画のワンシーンのようにドラマチックで感動的です。
日本のお父さんは子どもと一緒にいる時間がほとんどないから、素晴らしいシーンをたくさん見逃していると思います。とてももったいないことだなと思います。子どもたちは仕事にもいい影響を与えてくれる宝物です。
「イッツ・オッケー!」の精神で
1998年に立ち上げた俳優養成所〈アップスアカデミー〉は今年で18年になります。
ところが当時、開校目前の12月の段階になっても、応募者は数人しか来ませんでした。そのときは「この学校は必要とされていないのかな。でも、応募がなかったらなかったでいいよね。ゼロからスタートするだけだし、大丈夫、大丈夫、イッツ・オッケー!」とスタッフと話していました。
インタビューなどで、「どん底から這(は)い上がったご経験は?」みたいなことを聞かれると、私も何かそういうことをお話ししたいと思っていますが(笑)、それがないんですよ。
結局そのときも年が明けてみたら、ドサッと応募が来て、いまに至っています。
いま、養成所の若い人たちを見ていると、スマホなどがあって常に何かを同時並行してやる人が多いので、一つのことに気持ちを集中しにくくなっているのかな、と思いますね。早く結果が欲しいのは俳優を目指す人に限ったことではありませんが、じっくり腰を据えて待つことが難しい時代だと感じます。演技に関しても一つの問いに対してたくさんの答えが出てきます。その中から選択する力を持っていればいいのですが、そこが弱いと迷います。
人には必ず「これがしたい、こうしたい」という「心の声」がありますから、迷っている人には、そこをとことん探って指導します。人や自分の心の声を聞く力に優れ、それに瞬時に反応して動けるのが良い役者さんの共通点ですね。
新作へのチャレンジ
〈アップスアカデミー〉設立以前から、長くお付き合いが続いている方の一人に、俳優の今井雅之さんがいます。今井さんとは彼が学生時代に出会いました。今年は、彼の『手をつないでかえろうよ』という舞台の映画化作品を演出します。
次に監督するのは「親子」がテーマの映画です。今、シナリオを英語で書いているので、早々に日本語に訳して動き始めたいと思っています。これは私の長年の夢で、10年くらいずっとやりたいと思ってきた作品。舞台は児童養護施設です。外国では養子縁組は比較的簡単にできますが、日本では非常に難しい。この作品は児童養護施設をめぐる問題を通じて親と子、生と死、子どもの未来を考えるものにしたいと思っています。
私は昨年出版した著書『ハリウッドと日本をつなぐ』の中で「玉三郎さんの三蔵法師で西遊記を撮るのが夢」と書きましたが、実はこの映画の中に彼をイメージした役があります。玉三郎さんには以前ミュージカルで美術デザインを担当していただいたご縁もあるので、日本語の台本ができたらすぐにオファーしようと思っています。
よく「どうしてそんなにエネルギッシュに行動できるの?」と聞かれます。「変化したい人は動く」と言いますし、「これではいけない、これを変えたい」という問題意識を持つ人も、それに対して動こうとします。
私がこの映画を作るのも日本人の意識を「変えたい」という思いから。自分の心の声を聞いているから動けるんです。
私たちは日々忙しく目の前のことに追われがちですが、心を開いて心臓の音を聞くように注意深く耳を傾ければ、誰でも自分の心の声を聞くことができると思っています。
(都内のスタジオにて取材)
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