体も気持ちもベストコンディションで。舞台に対して常に誠実でありたい
- 大地 真央さん/女優
- 兵庫県生まれ。宝塚音楽学校卒業後、宝塚歌劇団に入団し『花かげろう』で初舞台。すっきりした目鼻立ちとコミカルな演技もできる明るさで注目され、82年、月組トップスターに就任。85年、退団後は女優として活躍。代表作は『風と共に去りぬ』『クレオパトラ』『ローマの休日』『ガブリエル・シャネル』など。文化庁芸術祭大賞、菊田一夫演劇賞特別賞など受賞多数。最新作は『コンダーさんの恋~鹿鳴館騒動記~』(明治座/2014年1月2日より)。衣装提供 KEITA MARUYAMA
お姫様ごっことチャンバラごっこに明け暮れた少女時代
私は三人姉妹の末っ子なんですが、上の姉と10歳離れているせいか、一人っ子のようなところもあって、甘ったれているような、でもしっかりしているような、その両面を持った女の子でしたね。
外では活発でおてんば。今で言うロッククライミングのように裏山を登ったり、男の子たちとチャンバラごっこをしたり。私は淡路島の出身で、海辺で育ったので、小学校の夏休みは毎日海で泳いで、真っ黒に日焼けしていました。
その一方で、家の中では完全に女の子。タオルケットをドレスのように巻きつけてお姫様ごっこをしたり、母のタイツをかぶってロングヘアになったり(笑)。
でも、小さいころから「舞妓さんになりたい」とか、「お客さんの前で歌うバスガイドさんが憧れ」とか、「テレビで歌手の後ろで踊るダンサーになりたい」とか…やっぱり芸事にはずっと関心があったんですね。
中学生になって、「将来は女優になりたい」と言ったとき、職業軍人だった父は最初、猛反対。
ところが、父の戦友が大の宝塚ファンで、「宝塚音楽学校なら軍隊並みに規律が厳しいから、安心して預けられる」と進言してくださり、「どうしてもやりたいなら、宝塚を受けてみるか?」と。
それまで宝塚の舞台を見たこともありませんでしたが、芸能界の夢が近づいたことがうれしくて、そこから4カ月弱、クラシックバレエと声楽の猛レッスンを受け、何とか1年目で合格することができました。
同期生は一生の宝物
よく言われる「宝塚音楽学校の規則」ですが、私は寮生活だったので寮の規則もあり、とにかく1年間は規則を守るだけで終わってしまったという感じですね。
上下関係の厳しさは体育会以上で、例えば、阪急電車が目の前を通るたび、上級生が乗っているかもしれないので、失礼にならないよう電車に向かってお辞儀をするんです。また、自分が乗るときは、上級生より前の車両に乗ってはいけません。だから、予科生(1年生)のときはとにかく最後の車両の一番後ろに乗っていました。
寮では洗濯機も使えません。洗濯機は上級生のもの。予科生は洗濯板を使って手で洗うんですよ。日本舞踊の足袋なんかはブラシを手に死に物狂いで汚れを落としていましたね。
でも、そういう1年があったからこそ、物を大事にする心や礼儀作法を学ぶことができたんです。何より同期は一生の宝物。共に泣き、共に笑い、共に悩んだ仲間と出会えて本当に良かった。厳しかったけれど、何一つ無駄だったものはありません。
「男」になるには時間がかかる!?
男役になろうと決めたのは、入学して初めて宝塚の舞台を見たときです。「なんて華麗で美しい、夢のある世界なんだろう! ここに私もいずれ立つことになるの? でも、そうだとしたら…やっぱり男役がいい!!」と思いました。
ただ、「男役10年」と言われるように、もともと女の子ですからね、娘役と違って男になるには時間がかかるんです(笑)。
でも、女性でありながら男の人生を生きるというのは、大変だけど面白い。そういう研究心や好奇心がないとダメなんでしょうね。もっともっと工夫を重ねて、自分なりの男役像を目指した結果、驚くほど早くトップにしてくださいました。
トップにいた約3年間は、自分が若かった分、上級生もたくさんいらっしゃって、みなさんからとてもかわいがっていただき、恵まれていたなあと思います。
ありえないことですが、サヨナラ公演のとき、私が階段を下りてくる両側で、組長さん以下全員が、私のために羽を振ってくれたんです。普通ならそこまでやってくれるのはせいぜい1年上ぐらいまで。それを「大地やからなあ、やったるでえ!」って。同期生もお芝居やダンスをきっちり固めてくれ、下級生たちも慕ってくれて、本当に幸せでした。
それも私があんまり優等生じゃなかったから。二番手、三番手ぐらいまでは失敗もしょっちゅうで、袴の片方に両足を突っ込んで舞台に出てしまったり、靴をオーケストラボックスに飛ばしたり、カツラが取れてセンターパーツのおかしな髪型が見えてしまったり(笑)。きっと、放っとけなかったんじゃないかな?と思います。
自分にしかできない男役を目指して
宝塚時代は、伝統を引き継ぎながらも、その時代の風を感じて、新しい、オリジナリティーのある男役像をつくりたいと考えていて、当時としては斬新な髪型を取り入れたり、メイクアップ法なんかもずいぶん研究しましたね。
演技に関しては、二枚目でカッコいいだけじゃなく、ダメなところ、悪っぽいところも出したいと。ナイスガイではなく、人間を演じたかったんです。それで、マーロン・ブランドやジェームス・ディーンの古い映画を見て、ちょっとしたしぐさや上着の扱い方を取り入れたりもしました。
衣装にもこだわって、『ディーン』(ジェームス・ディーン役)のときは半分ぐらい自前で、古着屋さんまで服を探しに行きましたね。
でも、宝塚歌劇団100年の歴史の中で、自前の衣装を持っていたのは三人ぐらいらしいです。基本的には劇団が用意した衣装をちょっとだけアレンジして代々使い回していくんです。ネームタグが何枚も重ねられていて、誰が身につけた衣装かそれを見れば分かる。憧れの上級生の衣装を身につけることも、下級生にとってはすごくうれしいことなんですよ。
たまたま来年、そうした衣装を展示するイベントが開かれるので、興味のある方はぜひご覧になってくださいね。
男役から女優へ華麗なる転身
1985年の8月に宝塚を退団し、翌年の3月にミュージカル『プリンセス・モリー』で女優デビューしました。
皆さんから、「男役から女優になるのは大変だったでしょう?」と言われますが、プリンセスといっても、男の子みたいに育った女の子の役で、タイタニック号に乗り合わせながら助かり、救助活動で有名になった実在の女性がモデルだったので、男っぽさがあっても問題ありませんでした。2作目は野田秀樹さんの『十二夜』で、これも男と女の双子役(一人二役)、しかも女は男装する設定だったので、無理せず演じることができました。
3作目の『王子と踊り子』でやっと女性らしい女性役をいただいたんですが、一瞬で180度イメージを変えるのではなく、男役の衣をゆっくりと脱いでいくように徐々に女に戻っていったので、それほど苦労はなかったですね。
マイ・フェア・レディ20年間で615回!
初舞台から40年、舞台を中心に演じ続けてきた中でも、特に思い出深い作品といえば、やはり『マイ・フェア・レディ』でしょうか。まさか20年間も同じ舞台をやらせていただくとは思っていませんでしたが、2010年、615回を達成し、無事卒業となりました。
でも、一回一回、真剣勝負で挑戦してきましたから、飽きるなんてことはなかったですね。もともと凝り性で、これは他の舞台でも同じですが、毎公演、舞台での歌を録音して、チェックしているんです。
私は舞台に対していつも誠実でありたい。ベストを尽くした舞台であっても反省点は必ずあります。それを重ねていく中で、ワインが熟成していくように、演技にも少しずついい味わいが出てきたんじゃないかしら。
あとは、再演が決まると、前の台本を持ってきて、自分の書き込みを見ながら感覚を戻される方もいらっしゃいますが、私の場合は、そこをなぞりたくないというか、まっさらな台本で一から取り組みたいんですね。毎回が初演というつもりでやってきたから、20年も新鮮な気持ちで続けられたのかなあと思います。
夫の優しさに感謝!
ちょっとうれしかったのは、『マイ・フェア・レディ』の550回記念公演のとき、主人(森田恭通氏)が550本の白いバラを舞台に届けてくれたことです。
とても抱えきれない量なので、半分にして舞台装置のように並べ、その間から私が登場するという趣向を凝らしてくれました。なかなかやりますよね~(笑)。
彼の優しさにはとても助けられています。いい意味で放っておいてくれるんですよ。明日は朝が早いときは、違う部屋で寝てくれて、彼自身が次の日早いときも、違う部屋で寝てくれる。結局、私のペースに合わせてくれるの(笑)。
精神のベストコンディションを保つことも、舞台で主役を務める上で大事な要素。彼には本当に感謝しています。
食事と水にこだわり美は健康あってのもの
仕事柄、普段から口にするものにはこだわっていますね。特に朝食にフルーツは欠かしません。今はグリーンスムージーに凝っていまして、小松菜やルッコラの他に、季節のフルーツを6種類ぐらい入れますね。リンゴ、バナナ、柿、キウイ、オレンジ、梨など。それもなるべくオーガニックなものを選ぶようにしています。
あとはお水。今は白神山地で生まれ育ったナチュラルウォーターをこまめに補給しています。午前中は冷たいお水で、午後からは常温、夜は白湯で飲むんです。やはり女性の美しさは健康あってのもの。内臓に負担をかけずに新陳代謝を良くすること、規則正しい生活を心掛けていますね。
公演中ともなると、その生活も全て分刻み。朝起きる時間はもちろん、湯船に漬かる時間、そこからストレッチをして、シャワーを浴びて、何分にお風呂を出て、何分までに朝食を食べ終え、着替えて、楽屋に入って、何分から発声練習をして…と、開演5分前まで全てやることが決まっているんです。準備を怠らず、綿密にスケジュール管理をすることで、全力で本番に入れると思っています。
来年はお正月の2日から『コンダーさんの恋~鹿鳴館騒動記~』で、またそんな生活が始まりますが、舞台人としてはお正月から公演させていただけるのは本当にありがたいこと。また、縁起もいいですし、2014年は、すごくいいスタートを切らせていただけそうです。
コメディーですが、笑えるだけではなく、感動あり、涙ありの楽しい舞台。皆さまも、どうぞ楽しみにしていてくださいね。劇場でお待ちしています。
(東京都中央区の日本橋三越にて取材)
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