Ms Wendy

2013年9月掲載

夢中になれることを見つけて、 人生を豊かに

有馬 稲子 さん/女優

有馬 稲子 さん/女優
1932年大阪府池田市生まれ。幼年時代を釜山で過ごし戦後引き揚げ、49年宝塚歌劇団入団。53年映画界に転身、小津安二郎監督『東京暮色』などの名作に出演、出演総数は70数本を数える。舞台では東宝『奇跡の人』などに出演、宇野重吉の劇団民藝に参加。80年ライフワークとなる『はなれ瞽女おりん』と出合い684回の旅公演を重ねた。2008年には全国各地で『源氏物語』を朗読、人気を集めた。
釜山での幼少時代と命懸けの引き揚げ

昭和7年、大阪に生まれた私は、4歳で当時韓国に住んでいた伯父伯母夫婦の元へ養女として引き取られ、釜山で幼少時代を過ごし、13歳で終戦を迎えました。

私の実の父は組合運動を熱心にやっていたことで、警察ににらまれる暮らしをしていたようです。そんな父母が乳飲み子の私を抱えて大阪市内を転々とするのを見兼ねて、当時釜山に住んでいた父の姉夫婦が私を養女に引き取ることになり、伯父伯母夫婦が私の事実上の両親、パパとママになりました。

新しいパパは家庭用品の問屋を経営し、商工会議所の議長などもやっていた、いわば市の名士、ママは弟子が40人くらいいる踊りの師匠でした。女中さんがいて、おんば日傘のような優雅な暮らしでした。

ところが私が九歳のときにパパが亡くなると、何不自由なかった暮らしは突然消え、戦争があらゆるものを容赦なく飲み込んでいきました。

私はやがて釜山高女に入学しましたが、学徒勤労動員で授業よりは軍服のボタン付け作業ばかり。そしてママは軍隊の慰問に出掛けることになり、13歳の私はママと別れて京城(日本支配期のソウル)に住むママの妹の家に預けられ、そこで終戦を迎えました。そのとき慰問に出たママは行方がわかりませんでしたが、命懸けの逃避行の末、奇跡的に叔母の家に帰ってきました。

こうして再会した私とママは、何とか釜山の家まで帰り着き、ママが話をつけた小さなイワシ船に乗って、命からがら下関に帰り着いたんです。

宝塚を選んだ理由

仕事柄、いろいろな質問をされますが、私が最も困るのは「どうして宝塚に入ったのですか?」という質問です。

私が宝塚音楽学校に入ったのは昭和23年。戦前に一度廃止されていた星組も復活していましたから、私が宝塚への道を選んだのも、その華やかな世界に憧れて…と思われるでしょうけれど、実は私は、誰にも信じてはもらえない理由で宝塚を選んだんです。

釜山から密航船で命からがら引き揚げてきたママと私ですが、何が何でも祖国に着けさえすればいい、という航海で、その先の計画など何もありません。身寄りといっても思い当たるのは大阪にいるママの弟、つまり、4歳で別れた実父だけでした。

10年ぶりに会ったその人は、いきなり大きな手で私の頭を強く押さえると「いいか、今日からお前は私の言いつけを守るのだ、俺を怒らせるな」と、脅かすように言い放ちました。父とは思えないその人に連れられて向かった大阪の家。その人は野菜を扱う仕事をしていたようで、がっちりした造りの、それなりの二階家でした。その人はいつもイライラ不機嫌でした。粗暴で気性が荒く、思う通りにならないことがあると、妻や子どもに暴力をふるったのです。

私はその家の近くにあった夕陽丘高女(昭和23年に男女共学の夕陽丘高校に改編)に、1年の3学期から転校を許されて通うようになりましたが、そんなある日、仲のいい友人が「ね、タカラヅカ、受けへん。音楽学校が生徒募集してるわ、あんたやったら受かるんちゃうか」と、私に声を掛けました。そう言われても、実は、宝塚への知識はまったくなく、ただ駅でよく美しいポスターを見掛けるぐらいだったのですが、このひと言が私の背中をぐいっと押しました。「これはあの家から抜け出す手掛かりになるのでは…」と思ったんです。

DV(家庭内暴力)や虐待という忌まわしい言葉が、ごく普通に使われるようになっていますが、あのとき私の家で行われていたことは、まさに今で言うDV以外の何ものでもありません。そして、その被害者が避難する場所は「シェルター」といわれますが、私はまさにDVからのシェルターとして宝塚を選んだように思えるのです。

宝塚・映画・舞台そして朗読

その宝塚をスタートに、映画、舞台と活動の場を広げてきました。そしてライフワークともいえる舞台『はなれ瞽女おりん(※)』に巡り合ったのが、昭和55年のことでした。盲目の旅芸人・おりんを演じたこの舞台は、それから24年、平成16年まで、日本全国、684回の公演を重ねました。

そうした活動と並行して、朗読に巡り合ったのは平成11年のことでした。

瀬戸内寂聴先生の『源氏物語』を10人ほどの女優さんと一緒に読み、私はそのとき六条御息所を読みました。この作品で、私はすっかり朗読の魅力にハマってしまい、それ以来もう14年になります。

朗読は何かを表現するという意味では女優と同じですが、方法が全然違います。全ての登場人物の心理をよく勉強しないとお客さまには伝わらないので、普通の芝居よりもずっと大変です。それでも続けられるのは、やっぱりそれだけ朗読が好きだからでしょうね。

充実のマンションライフ

私は平成19年に、今住んでいる中高年向けの分譲マンションに引っ越してきました。

ここは、420世帯、500人くらいの方が住まわれているので、ロビーでもエレベーターでも、ちょっと歩いただけで皆さんにお目にかかります。

それに、ここには愛好会のようなサークルがたくさんあって、皆さんとっても活動的です。コーラスにダンス、テニス、囲碁将棋、俳句、和歌…、全部で確か36くらい。映画の上映会もあって、私の映画もずいぶんやっていただきました。

私は「モネコガーデン」というガーデニングの会をやっています。皆さんが集まるのは週に1回ですけれど、私は前日にお花を買ってきて準備して、皆さんと一緒に季節のお花を植えて育てています。

それから、ここでは何か困ったことがあると、例えばちょっとお友達になった方に「こういう状態なんだけど、どこのお医者さんに行ったらいいかしら」なんてことを相談したりすると、いいお医者さんを紹介してくださったり。先輩方や皆さんが、いろいろ教えてくださるのもうれしいですね。

ウオーキングと読書が元気の秘訣

さすがにこの歳になりますと、やっぱり体のあちこちに故障は出てきます。でも、それをいかにカバーして、本番当日、例えば朗読なら朗読の日に自分のコンディションを最良の状態に持っていくかが大事になってきます。

食事にも気を付けていますが、やっぱり頭がしっかり活動するためには歩くのが一番だと思います。1年365日のうち、おそらく300日以上は歩いていると思いますよ。

マンションの周りには公園が七つも連なっていて、その林の中を散歩するのがとても気持ちいいんです。だから、歩こうと思えばいくらでも歩けるんですけど、万歩計でだいたい7、8000歩くらいでストップしています。私の片足には人工関節が入っているので、それ以上歩くと反対側の足に負担がかかると、お医者さんから止められているんです。だから歩き過ぎないように気を付けています。そうした長い距離でなくても、歩かないという日はないですね。

それから、勉強になると思うのはやっぱり読書。最近は、これまで読んだことがなかった古い作品を読んでいます。

今読んでいるのは夏目漱石の『それから』。これがすごく面白くて。昔の大文豪の作品というのは、言葉遣いから何から、昔の日本が克明に描写されています。良き時代が感じられて、ものすごく勉強になりますね。

夢中になれるものを見つけて

このマンションに引っ越してから、楽しい仲間を作って、さまざまな趣味や行事に生きがいを見いだしている方々にたくさん巡り会うことができました。

ここで私は初めて、他人同士であっても、人間の絆や思いやりがいかに心を和ませ、暮らしを豊かにするかを、数限りなく実感しました。

これは高齢者に限ったことではありませんが、特に高齢者は、ただのんびりと生きているだけじゃなくて、「自分の好きなものを見つけて、これだけは日本一になってやろう! くらいの気持ちで勉強しましょうよ」と申し上げたいんです。

何かに夢中になっていると、体の痛さも、イヤなことも忘れますよ。何もすることがないから、足が痛いとか、頭が痛いとか、不平不満が出てくる。それで「痛い」と思ったら、今度はそればっかり気になっちゃって「自分はもう歳だからダメなんだ…」と、余計に落ち込んでしまう。

私だって少々体調が悪くても、朗読の勉強を始めたら2、3時間は一生懸命夢中になって読んでいます。それで後になって「あ、そういえば頭が痛かったんだわ」なんて思い出したりしますけど、そのときはすっかり忘れていますもの。

最後の瞬間まで煌めいていたい

皆さんとの時間を楽しく過ごす。でも、部屋に帰れば一人になれるから、自分の時間がしっかり確保できます。それがいいんですよ。

自分のことは自分でする、それが大事だと思います。ご夫婦仲が良いのはいいけれど、リタイアした旦那さまがお茶ひとついれないで、奥さまに「オーイ」なんて言っている、あれは絶対ダメです(笑)。

ご夫婦でもお互いに独立して、好きなことをする。奥さまに頼らないでいると、頭が活性化しますよ。もっと自分のことは自分でやって、頭も体も元気になれば、高齢者に対する医療費も少なくて済むでしょう?

私は100歳まで生きたいとは思わないけれど、あと4、5年は、朗読や講演などの活動を続けていきたいですね。もちろん、頭と体がイキイキと動くように努力はしています。でも、努力していても人生どうなるかはわかりません。

だから、死ぬ瞬間に「ああ、生きていて良かった」と思いたいし、最後の瞬間まで煌めいていたいですね。

(横浜市のマンションの談話室にて取材)


(※)『はなれ瞽女おりん』…盲目の旅芸人・おりんと、警察や憲兵隊に追われる男・平太郎との愛を美しい自然の中に描いた作品。(作=水上勉、演出=木村光一)
  • 初めての着物姿(昭和12年)

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  • 5歳のころ、パパとママのアイドル(昭和12年)

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  • 6歳の春、鳶奴を踊る(昭和13年)

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  • 宝塚時代(昭和25年)

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  • 舞台「はなれ瞽女おりん」(昭和56年初演)

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  • 有馬 稲子 さん

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