手話通訳は、言葉を伝えるだけではない、心を届けることができる仕事です
- 中野 佐世子さん/NHK手話ニュースキャスター
- 1963年東京生まれ。大学で幼児教育(障害児保育)を専攻。90年にスタートしたNHK教育テレビ『手話ニュース』のキャスターとなり、現在も出演中(昼の手話ニュース・金曜日/手話ニュース・日曜日)。現在、幼児・高齢者・障がい者との共生を目指す街づくりのため、各地で講演・研修を行う。大銀座落語祭(2004~08年)では、3年にわたって出演し、手話落語の指導や司会を務めた。00、03年、『手話ソングブック』(1)(2)を出版。06年には『手話ゲームブック』を出版し、手話との新しい出会い方、楽しくすぐに覚えられる方法などを提唱している。
「佐世子」は「世の中を助ける子」にという親の願いが込められた名前
赤ちゃんのときに先天性の股関節脱臼と診断され、1歳ぐらいまではギプスを装着していました。その姿を両親がふびんに思い、赤ちゃんのころの写真はほとんどないんです。でも、4キログラムの私を抱いて毎日病院に通ってくれた母と、おとなしく付き合ってくれた姉のおかげで、普通に歩けるようになりました。
「佐世子」は父がつけてくれた名前です。字がちょっと珍しくて、「佐」はその一文字で「助ける」という意味があり、「世の中」の「世」に「子」で、「世の中の助けになるような子に」という思いが込められているそうです。それを子どものころから刷り込まれていたからか、何となく高校生ぐらいから、将来は福祉の仕事がしたい、できれば知的障害児の施設で働きたいと思っていたんです。
手話に出会ったのは高校三年生
ボランティアで知的障害児の施設に時々通っていたのですが、「この子と遊んでくれる?」と紹介された男の子が、耳が聞こえなかったんですね。それで意思の疎通を図るためには手話の勉強をしたらいいのかなと思ったのが手話を始めたきっかけです。
今でこそ手話はポピュラーになり、官房長官の隣でも手話通訳士がつくようになりましたが、当時は手話を勉強する人なんてとっても珍しかった。
それがなぜ、高校生の私が「手話」を思いついたかというと、テレビドラマ『名もなく貧しく美しく』を見ていた影響なんです(笑)。ろう者夫婦の物語を東野英心さんと島かおりさんが演じていて、手話があるって知っていたんですね。
また、これは偶然ですが、私の通っていた高校から駅までの間に全日本ろうあ連盟の事務所があり、そこに行って教本を手に入れ、独学で覚え始めたのが最初です。大学に入ってから本格的に手話を勉強するようになって、今年で33年目になります。
手話は「手」を通して 相手に心を届ける仕事
手話通訳を一生の仕事にしたいと思ったのは大学生のときです。
小さな手話サークルで勉強していたのですが、当時、私のことを一番かわいがってくれた耳の聞こえない男性が結婚することになり、私が通訳を務めることになりました。
昔は手話通訳をつけるお式なんてほとんどなくて、主役にもかかわらず新郎新婦に祝辞の内容が伝わらない。がまんしてニコニコしているしかなかったのが一般的でした。でも、自分たちの結婚式なのにそれはおかしいよねって、手話通訳をつけることになったのです。
式が始まり、お嫁さんのろう学校時代の恩師がスピーチに立たれました。
ところが、その学校では手話ではなく「口話法」といって、相手の唇を読みとる方法で会話をしていたため、先生は手話がおできになりません。「今日、あなたの結婚式を見ていたら、みんながとても楽しそうに手話をしていて、でも、私は「おめでとう」と手話で言うこともできなくて、ごめんなさいね」とおっしゃった。それを私が手話で伝えたところ、お嫁さんがスーッと涙を流したんです。
そのときに、よかった、先生のお気持ちが私の手を通してちゃんと彼女の心に伝わったんだと思いました。手話通訳は、言葉を伝えるだけでなく、心を届けることができる、すばらしい仕事なんだと感じたことが、今の私の原点になっています。
戸惑いの連続! 手話ニュースの舞台裏
その後、ライフワークとして大学卒業後も手話通訳を続ける中で、1990年、NHKの手話ニュースが一週間に一度の放送から毎日に拡大されることになり、「オーディションを受けませんか?」と声をかけてくださった方がいて、NHK手話ニュースのキャスターという肩書きをいただくことになりました。
しかし、ニュース素人が生放送のニュース番組をやることがこれほど大変とは、正直、思いませんでした(笑)。
本番3時間前にスタジオに入っても、原稿が上がってくるのは早くて1時間半前。放送直前になって事故や災害の一報を伝える原稿が飛び込んでくることもあります。ところが、これを手話にするためには膨大な下調べが必要なのです。
たとえば、アメリカ南部のテキサス州で工場爆発事故があったとして、テキサス州はどこか?というところから始まるんです。場所もすべて手で表しますので、正確に伝えるためにまずは世界地図を開く。そして、爆発したのは建物なのかタンクなのか、爆発した薬品は固形か液体か、亡くなった方は男か女か。手で形を見せるものは、原稿を書いた記者の方にいちいち伺って、それでも分からなければ調べていただいて、ということを今も変わらずやっています。
また、各分野の専門用語などが出てきたら、それをまた調べて、合間にその日の新聞やニュースにも目を通して、リハーサルを行って…とやっていると、本番までは本当にあっという間。生放送の舞台裏では、日々こんなドタバタのドラマが繰り返されているんです。
誰かに優しいものはみんなに優しい
ところで、手話ニュースでは画面に大きな文字が出ますが、漢字すべてに「るび」がふってあるのをご存じですか?
耳が聞こえないということは、当然ながら音の情報がありませんので、「るび」がないと正しく読めないことがあります。
たとえば、私たちが北海道や沖縄に行くと、読めない地名っていっぱいありますよね。人の名前でも難しい読み方はいくらでもあります。
手話ニュースが始まって数カ月たったときに難聴の女性からそのようなお手紙をいただいて、その日から手話ニュースでは字幕にるびをふるようになったんですね。
ところが思わぬ福音がありました。お年寄りや小さいお子さん、外国の方からも「るびをふってくれて良かった!」と言っていただくようになったんです。なぜ外国の方が?と思われるかもしれませんが、日本語を覚えようとしている人にとって、漢字にるびがあると、とても勉強しやすいのだそうです。
そういう意味では、耳の聞こえない人にとって優しい番組は、たくさんの人にとって優しい番組になるんだなと思います。
不自由な人を見たらまずは声をかけてみる
障がい者が日ごろ街を歩いてどう感じているのか、生の声を届けるため、全国で講演活動もさせていただいています。
そこでよく質問されるのが、「障がいを持っている方にどういう配慮をすればいいでしょう?」というものです。
みなさんは、電車で席を譲ろうとして断られた経験はありませんか?
たとえば、私の友人で杖をついて歩く肢体不自由の方がいます。その方は筋力が弱く、いったん座ってしまうとなかなか立てないので、席を譲られると困ってしまうことがあるそうです。
お断りをしながら彼が心配しているのは、この人が不快な思いをしたら、二度と席を譲らなくなってしまうことだといいます。本当に座りたい障がい者やお年寄りに自分が迷惑をかけることになるからです。
それで彼は、ドアが開いたら、誰とも目を合わせないようにして、入口の棒にしがみついてじっと下を向いて立っているんだそうです。顔を上げると目が合ってしまいますから。そういう障がい者の気持ちを知っている人は少ないと思います。
私が申し上げたいのは、声をかけて断られても、どうぞ気にしないでくださいということです。だって、断るのには必ず理由があるのですから。
だからこそ、「気になったら、誰にでも声をかけてみてください」とお答えしています。目の見えない人も、遠くまで行くなら、座りたいはずです。声をかけていただいたらうれしいはずです。「分からないから声をかけない」のではなく、自然に話しかけて、直接本人に聞いてくださればいいのです。
みなさんへの三つのお願い
今、バスに乗ると電光掲示板で停留所の案内が出ますよね。あれは、耳の聞こえない人たちの運動の成果なんです。あれって、私たちにもすごく便利でしょう?街を歩けば同じように、障がいのある人たちが一生懸命声をあげたことで私たちが恩恵を受けていることもたくさんあります。
たとえばトイレもそうで、車いすのマークだけでなく、乳幼児用のおむつ替えのマークや高齢者のマークなどがつくようになりました。最近では、人工肛門を使っている人が安心して入れるオストメイトマークも見かけるようになりました。ハード面ではどんどん使いやすい街づくりが進んでいるように思います。
あと必要なのは、使う側の意識です。見た目には分からなくても、内部障がいを抱えていらっしゃる方は大勢います。そういう方は健常者よりトイレが長い場合があります。また、左の手足にマヒのある人は、通勤ラッシュの時間帯でもエスカレーターの右側に立つしかありません。それを知らずに腹を立てる前に、「この人には何か理由があるかもしれない」と考えてみてほしいのです。
みなさんにお願いしたいことは次の三つです。
一つは、障がい者のことを正しく知ってください。二つ目は、想像力を持ってください。そして三つ目、大人として、未来をつくる子どもたちに障がいについて正しく伝える技術を身につけてくださいということです。
目が見えない人は何も見ることができないかわいそうな人なのでしょうか、指先で本を読めてしまうすてきな人なのでしょうか。大人がプラスの言葉で語れば、子どもの受け止め方は必ず違ってきます。
誰もが暮らしやすい社会のために、私たちができることはまだまだたくさんあると思います。
オフの楽しみは歌と旅行!
プライベートで好きなのは、歌うこと。それから旅行です。夏は毎年、北海道と沖縄に行っています。旅の楽しみは、食べること、飲むこと、大自然の景色に浸ること!去年は北海道の天売島と焼尻島に渡って、起伏の激しいところを自転車で走りまわり、そこに行かなければ味わえない景色を堪能してきました。
もちろん紫外線対策はしっかり。女性にとって美肌は永遠のテーマですもの(笑)。20歳を過ぎてから、日焼けには特に気をつけています。
自分のしたいことができること、自分の好きな仕事ができていること、またそれを評価してくださる方がいらっしゃることが、今の私の幸せです。
(渋谷区の喫茶店にて取材)
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