試練を乗り越え夢に向かって頑張れば、苦しさも喜びに変わる
- 吉田 沙保里さん/レスリング選手
- 1982年、三重県津市生まれ。3人兄妹の末っ子。ALSOK所属。女子レスリング55kg級金メダリスト。2002年の世界選手権優勝後、2012年まで世界選手権10連覇および世界大会(五輪+世界選手権)13大会連続優勝。アテネ、北京、ロンドンオリンピックで3連覇達成。ロンドンオリンピックでは開会式・閉会式の旗手も務めた。2012年11月7日に国民栄誉賞を授与される。
父の「やれ」の一言でレスリングの道へ
父(元レスリング全日本選手権優勝の吉田栄勝氏)が自宅で道場を開いていたので、私も3歳のときからレスリングを始めました。2人の兄もレスリングをしていたので、自然の流れでしたね。
母は、テニスの元国体選手というスポーツ一家です。でも、なぜか女の子の私に、テニスとかバレーボールといった選択肢はなく、当然のようにレスリングをすることに。
自分としても疑問も持たず、当たり前のことと思っていました。面白いとか楽しいとか、自分に向いているかなんて考える間もなくやらされていました。父の言うことは絶対で、父が「やれ」と言う限りやめることなんて許されなかったんです。
やめたかったし遊びたかったので、母に何度も「やめたい」と泣いて訴えたこともありましたが、「お父さんに言いなさい」と。じゃあ頑張るしかない(笑)。
私は生まれたときから負けず嫌いなんです。5歳のときに初めて出た試合で負けて、私に勝った子が金メダルをもらったのがうらやましくて悔しくて、「私も欲しい」と泣いたら、父に「あれはスーパーやコンビニには売ってないから、頑張った子しかもらえないんだよ」と諭されて。
そのときから「よし、頑張って金メダルをもらうぞ!」と決意したんです。
父は厳しかったですね。高校までは父が指導者でしたから、技をどういうふうにするのかとか、タックルとかたくさんのことを教えてくれました。レスリングには数え切れないくらいの技があるんですよ。技は財産です。試合のときには相手も守ってきますし、ほとんど出せないのですが、小さいときから父に叩き込まれてきたことが染みついているので、試合のときは本能的に動きますね。
"やらされて"始めたレスリングですが、勝ったときはすごくうれしいし、日ごろ練習している技が試合でかかったときの気持ち良さはなんとも言えません。そんな経験が染みついて「私にはレスリングしかないんだ!」と思えるようになっていったんです。小さいときのこの貯金があったから"勝てる"今の自分があるんだと思います。
ロンドンオリンピックの試合前にも父が「小さいときからやってきたレスリングを思い出せ。自分の体が覚えているはずだから、自信を持ってやれ」と送り出してくれて。その言葉で緊張がほぐれて、気持ちがグッと引き締まりました。
柔道の谷亮子選手の試合を見て、オリンピックが夢に
本気で世界を目指したい、と思うようになったのは、中学生のときにアトランタオリンピックで柔道の谷(当時田村)亮子選手が銀メダルを取った試合を、テレビで見てからです。
そのときは、女子レスリングはまだオリンピック競技ではなかったんですが「いつか私もオリンピックに出たい!」と憧れましたね。自分自身の"夢"が明確になったときに、それに向かって頑張ろうと思うようになりました。今は"自分からやっている"という感じです。レスリングが楽しいんですよ。
高校生のころは街でカップルを見ると「いいなあ」なんて思いましたが、私にはレスリングで勝つという夢がある。だから、大学生になったらまったくうらやましいと思わなくなりましたね。「やっぱりオリンピックの方が私には大事だ」と。
オリンピック、といっても、まずは世界選手権で日本代表にならなければならない。そのためには全日本で優勝しないと。自分より強い選手はたくさんいましたから、まずはその選手たちを倒すために頑張りました。
2001年に女子レスリングがオリンピック競技となり、自分も全日本で1位になって。そこで、 "夢"が"目標"に近づいたというか。もっと頑張らなくちゃ、と奮起しました。
しっかり食事をし、体力をつけたことで勝てるように
うちは父が帰ってくるまで、食事は待っている、という家だったので、それまでにお腹が空くと、お菓子を食べていたんです。で、お腹がいっぱいになってしまって、食事はあまり入らなくて。人に言えないですね、全然体に良い食事をしてなくて(笑)。
高校まではそれでも結構勝てていたのですが、大学に入って体力がないと力が出ないことが分かってきました。栄(和人)監督と出会って、お菓子禁止令が出されました。
その後、しっかりご飯を食べて厳しい練習をするにつれて、体も締まってきて体力もついてきました。そのおかげでライバルだった山本聖子選手に勝てるようになり、食事の大切さや睡眠・休養のバランスの取れた生活の大切さが分かってきました。
それでも、ロンドンオリンピックの前、身体測定で貧血が発覚しました。血液中のヘモグロビンが基準値以下だということで、激しい運動は無理だと。このままでは五輪3連覇は無理だろうと思われました。本当に勝てるかどうか心配で。こんなことは初めてでした。
体質を改善するために、鉄分を多く含むレシピを監督の奥さんが考えて、食べさせてくれて。でも、もともと食が細いから食べられない。「食べろ」「もう食べられない」の戦いでした。最後は泣きながら食べましたよ。
栄監督は唯一"師匠"と呼べる存在
大学のレスリング部のみんなは、最初は監督が大嫌いだったんですが(笑)、私たちを勝たせるために、自分の時間を割いてでも選手のために情熱を傾けて指導してくれているんだ、ということが分かってきたんですね。熱心に勝たせたいと思ってくれている、と感じたし、信頼できたんです。やはり選手と監督の気持ちが一つになったときは、強くなるチャンスだと思いました。
自分に期待されてたくさん声をかけてもらったときはすごくうれしくて頑張れたし、幸せでしたね。
アテネオリンピックで金メダルを取ったとき、それまでの感謝を込めて監督を肩車してしまいました。
北京では監督が私を肩車してくれて。ロンドンではセコンドに付いてくれるコーチである父を肩車したい、と宣言。そのためには3連覇するしかない。
ところが、ロンドンオリンピック前は不調で、得意のタックルもうまくいかず、どん底に落ち毎日不安で悩んでいました。
監督や父にアドバイスをいただいたりして、徐々に自分のペースを取り戻していきました。それを試合で発揮できたことが金メダルに繋がったのだと思います。
今までの試合は「絶対勝つ!」という強い気持ちで臨めたんですが、ロンドンでは「負けるかも…」と弱気に。それをはねのけて取った金メダルですから、それだけ重みがありますね。念願の「父を肩車」も実現することができました。栄監督も試合終了からずっと泣いていました。
名誉ある旗手も務めたのですが、「女性旗手=勝てない」というジンクスもはね飛ばしました。
プレッシャーに打ち勝つには自分を信じること
今、世界選手権10連覇、オリンピックも合わせると、世界大会13連覇中です。
勝ち続けるということは、確かにプレッシャーはあるし、勝たないといけないという使命感はあります。でも、自分もやるからには負けたくない。勝ちたいですから。期待してもらえることはうれしいし、頑張ろうという励みになります。
勝ちたいと思うほど人間は緊張するけれど、その緊張感は相手も一緒。覚悟を決めるしかないですね。プレッシャーに打ち勝ち、目標を達成するには、日ごろ練習してきた自分を信じること、かな。
あと、周りの方の励ましは本当に力になるんです。たくさんの方が声をかけてくださったり、手紙や電話やメールで激励してくださったり。ありがたいですね。感謝してます。もちろん家族にも。試合には必ず家族で駆けつけて応援してくれます。その愛情には本当に支えられていますし、力になっています。
私は勝つためには、センスも必要だと思っています。言われたことをすぐに実行できる判断力と決断力ですね。運動神経が良く、センスがあったら強い。毎日練習したからいいというわけではないんです。でも、運動神経が悪くても努力で強くなる人もいるし、時間をかけてやればできる人もいる。要は自分がどれだけ頑張れるか、ということです。
新たな夢を見つけて頑張れば、喜びが出てくる
年齢、職業、性別を問わず、誰にでも悩みや挫折などの試練は何回も訪れます。その試練に打ち勝ったときに、人間は成長できると思うんですよ。みなさんも試練を乗り越えて、楽しみに変えられるように頑張ってほしい。もし、夢や目標が破れてしまっても、新たな夢を見つけて、それに向かって頑張れば、また新しい楽しさや喜びが出てくると思うんです。
何事も自分次第。自分がどうしたいかで変わってきますから。私はマイナスに考えない、絶対プラスに考える性格なんですよ。
ロンドンオリンピック前のワールドカップで、4年ぶりに負けを味わいました。悩み苦しみましたが、負けて強くなりました。25歳のとき、敗れて119連勝でストップしたときも、この負けから多くのことを学びました。それで今の私があるんです。
引退後は保母さんになりたい
子どもが大好きなので、引退したら保母さんになりたいと思ってるんです。
教員免許は持っているんですが、保育士の免許を持っていないので、これから資格を取らないといけないのですが。
子どもにレスリングを教えたら?と言われたこともありますが、私は指導者向きじゃないんです。教えるのは苦手(笑)。
幸せな家庭も築きたいですね。そんな普通のことが私には難しいんです。恋愛は連敗中ですから(笑)。私は押していくタイプで、追いかけられるとだめなんです。でも、これからは少し立ち止まって考えてみようかな。もう30歳ですからね。
次はリオデジャネイロ、とも言われていますが、まだ分かりません。1日1日努力を積み重ねてたどり着いているかもしれないし。ミセスになってリオに行くかも?
兄2人には3人ずつ子どもがいるんですが、母は娘の子どもを抱っこしたい、という夢があるみたい。父も、兄の子にレスリングをやらせ、私の子どもにも「やらせる」と言ってます。今度は孫を強くするという夢があるみたい。その両親の夢も叶えさせてあげたいですね。
(ALSOK本社にて取材)
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