Ms Wendy

2012年11月掲載

心をやわらかくして向き合えば、題材のほうから何かを語りかけてくれます

新川 和江さん/詩人

新川 和江さん/詩人
昭和4年、茨城県生まれ。県立結城高等女学校(旧制)卒。在学中に西条八十に師事。小学館文学賞、室生犀星詩人賞、現代詩人賞、産経児童出版文化賞JR賞など受賞。58年、吉原幸子と共に女性詩人を中心とした季刊詩誌『現代詩ラ・メール』を創刊、10年間、編集と新人の育成に携わる。産経新聞「朝の詩」選者。日本現代詩人会理事長などを務めた。平成12年、勲四等瑞宝章を受章。ゆうき図書館名誉館長。
100歳詩人・柴田トヨさんの詩には、不思議なうまさがあります

産経新聞に連日掲載の「朝の詩」の選者を務めて、30年になります。

今、大変評判になっている、100歳の詩人、柴田トヨさんもこの欄からデビューなさいました。トヨさんが詩作を始めたのは90歳を超えてからでした。

彼女の詩には、不思議なうまさがあります。私が初めてトヨさんの詩を選びましてから、その後の数年間で30作くらいになりますが、息子さんが掲載作品だけを集めて、自費出版で小さな詩集を出しておあげになったのです。

それをご覧になった出版社の女性が、もともと「朝の詩」のトヨさんの詩のファンだったらしいのですが、トヨさんのお顔を見て「これならいける」って思われたらしいんですね。武家育ちのような品格と優しさを備えたお顔なのです。『くじけないで』というタイトルもよかったし、2冊目の『百歳』も加えて、200万部もの大ヒット。

世界7カ国で翻訳もされ、出版されました。昨日は私のところへもイタリアから送られてきました。90歳で花開く人生もあるのだと、関係者一同驚いています。

今の時代は、「くじけないで」と元気づけてくれるものを、皆さん求めていらっしゃるんだと思います。

童謡の本を見ながら、漢字を覚えました

私が生まれたのは昭和4年、結城紬で知られている、茨城の結城市です。この年は世界的な大恐慌が起こった年。家業は桑の苗木を生産しており、最盛期は80人もの従業員を抱えていたそうですが、その恐慌が家業にも影響を及ぼしました。仕事が暇になり、私が物心ついたときには、父は魚釣りばかりしていました(笑)。たくさん釣れた時は隣近所にも小筒に入れて配るのが私の役目でした。一度、たらいからはみ出すくらいの大きな鯉が網にかかりましたが、この鯉は川の主だからと、そのまま川に戻しました。その鯉の大きさ、うろこの色、もう70年以上昔に見たものなのに、今でも鮮明に覚えています。

私が漢字を覚えたのは、5~6歳のころ。童謡が大好きで、歌詞が書かれた本を見ながら聴いていたら、昔は総ルビでしたから、いつしか覚えてしまったようです。「カラス、なぜ鳴くの」で始まる童謡『七つの子』の歌に、「七つの子があるからよ」という部分を、私は7羽ではなく7歳だと思い込み、ああ、山には私と同い年のカラスの子がいるのね、と大好きになりました。

私は昔からおっとりしてるというか、スローモーというか、小学校に上がってからはしょっちゅう遅刻をしますので、「のろま」なんて周囲に言われたものでした(笑)。

国語はとてもよくできたんですが、算数がもうからきしダメで。小学校4年で完全に理解不能に陥り、それですっかり諦めました。先生は、国語はよくできるのになぜ算数がまったくできないのか、と首をひねられていましたねえ。

運動も苦手で、外に出て遊ぶことはあまりない、家の中で本を読んだりお絵描きしているのが好きな子どもでした。今でもそれは変わってない、やはり家にいるのが好きですね(笑)。

母がよく言っていたのですが、「人を使う者は、使われる者よりも、3粒余計に涙をこぼさなければいけないよ」と。

人を使う者は威張っていたんじゃだめ、そういうことなのですが、私の場合は人を使うよりも自分でやってしまうから、母から「体がもたないわよ」と、よく心配されていました。

それに、むしろ使うより使われる方が気持ち的にラクなんです。さすがに今はできなくなりましたが、若いころは夜中でもお掃除がしたくなると、ガバと跳ね起きて…(笑)。

少女のころは、なんでも七五調で書く、“七五調娘”

幼いころ、家族で行うお正月行事に、カルタ取りがありました。読み手は、東京育ちの母。百人一首を読み上げるその七五調のリズムに、幼いながらも心を奪われました。なんて美しい響きなんだ、と思いましたね。その心地よいリズムは、周りの人たちのおしゃべりとは違う。茨城弁はちょっと乱暴な言葉ですから、よけいにその言葉のリズムに惹かれたんです。それからは、何でも七五調で表現するようになりました。

戦争が終わって上京し、少女雑誌や学習雑誌にものを書くようになってからは、その七五調が、大いに役立ちました。詩物語というジャンルがあって、七五調でストーリーを語ってゆくのです。楽しい仕事でした。

昭和35年に、学研の中学生雑誌に連載していた時に、小学館文学賞が与えられ、それからは詩の注文がたくさん来るようになりました。

「ゆっくリズム」でこなしたラジオやテレビの仕事

小学6年生のころ、母が読んでいた婦人雑誌の記事が、その後の私に大きな影響を与えました。内容は、ドイツの婦人はどんなにお金持ちでも自分の収入に見合ったぜいたくしかしない、というもの。強い感銘を受け、まず経済的に自立することが、女が自由を獲得するための大事な条件だということを深く胸に刻み込まれました。

生涯の仕事は詩と決めていましたが、詩だけでは生計は立てられませんので、詩を支えるために、いろいろなお仕事を引き受けました。

面白いお仕事に、NHKのテレビとラジオのお仕事がありました。「あなたのメロディー」の審査員や、報道番組の「カメラ・リポート」のリポーター。

ラジオの「マイク・リポート」では、「あなたが見たことを、聴取者にも見えるように語ってください」、と言われまして。ラジオでは数秒の沈黙もご法度。友人には「あなたみたいなゆっくりした喋り方の人は報道番組には向いてない。黒柳徹子さんのように早口で喋る人じゃないと」と言われ、最初、お断りを担当のディレクターに申し出たのですが、「そうじゃない、むしろあなたのゆっくり喋るところを買っているんです。万事にせかせかした時代だから、この番組は、ゆっくリズムを取り入れたいんです」と仰っていただいて。

女の詩人が2人で編集する雑誌『ラ・メール』を立ち上げ

『現代詩ラ・メール』という女性のための詩の雑誌を吉原幸子さんと立ち上げたのは昭和58年。当時は活躍しているのは男性詩人がほとんどで、女性詩人の発表の場が少なかったのです。ですから、女性の価値観で選んだ女性の詩を主体にして、そこに男性の詩も少しちりばめようと、既存の詩雑誌とまるきり反対のことを目指しました。

銀座のバーを借りきって、創刊記者会見をやりましたが、女の詩人が2人で編集する誌の雑誌は世界でも珍しいということで、50人ほど集まってくれました。その場で、「年4回発行で、きっちり10年は続けます」と発表しました。

この雑誌から、素晴らしい詩人たちを輩出した、とよく言われますけれど、それは決して私たちが育てたのではなく、いい感性と才能を持った女性たちが集まってくれたからだと思います。

編集会議の様子も面白かったですよ。内容をどうしようなんて最中に今夜のレシピの話なんかも出たりしましてね(笑)。女性たちだけの会議だったとも言えますね。この『ラ・メール』に関わった10年が、私にとって一番生きがいを満喫できた時代だった、と言えるでしょうね。

1つの言葉を1日かけて探すときもあります

これまでの著書は数十冊にのぼりますが、子ども向きの詩集も数冊書いています。自分も子どもになって書けますので、とても楽しい。今の、いわゆる現代詩というのは気難しいところがありますからね。現代詩が難解になったのは、それなりの理由があってのことですが。

私は、頭ではなく体全体で書くことをモットーにしているのですけれど、「あなたは頭ではなく体で詩を書くと言っているが、頭で書いてる詩もあるではないか」なんてご意見が来るんですよ。いえいえ、私は頭も体の一部だと思っております、とご回答申し上げましたが(笑)。

詩を書くときに大切にしているのは、言葉の選び方。1つの言葉を1日かけて探すときもあります。昨日も、ある原稿を完成させ送ろうと、封をしていたのですが、1文字を変えたいとどうしても気になって、わざわざ封をはがして、原稿を1文字直して投函しました。

原稿を書くのは大体、台所。家にいるのが大好きで、台所が落ち着くんです。火と水のそばにいるのが好き。すぐにお茶を沸かして飲めるでしょ。煮物の番もできますし。それで、書斎で撮影したいという依頼は困っちゃうの。一応書斎もあるんですが、やはり台所の食卓が一番落ち着くんですよ。

頭がよすぎると、詩を書くのは難しいかもしれない

今、詩の教室を地元で持っています。生徒さんは20名ほど。持ち寄った詩について感想を言い合うんですが、最近は生徒さんにお話をしてもらって、生徒さんの席でそれを聞いたりもしています。

詩作するには、いろんな人の詩を読むことも大事。そうしないと他の詩を真似ていても気づかないという困ったことが起きてきます。

また、自分の個性を創り出すためにも、たくさん読むことが必要です。古典がおすすめですね。リルケなど、一番すぐれた翻訳詩を読むのも、栄養がつきますね。

それと、頭がよすぎると詩は書けないかもしれない。大切なことは、ハートと、ものを見る目の優しさでしょうか。そのものになりきる、そういった想像力が大事です。

女性には40歳からの出発を勧めたい

昔は、40歳を過ぎて大振り袖を着ると、「40女の大振り袖」と笑われたものですが、今は60歳でも着たければ着られる。女性が生きやすい時代になったと思います。

私は、女性には40歳からの出発を勧めたい。30代までは子育てで忙しい。再出発するのは、それを終えてからでも決して遅くないんです。平均寿命が80歳としてあと半分も人生が残ってるんですもの。あくせくしないでゆったり子どもを育て、その後子どもから離れて自分の道を切り開く、それで十分間に合います。子どものために一生を捧げるなんて、子どもにとってはいい迷惑ですよね(笑)。

私には息子が1人いますが、子どもは、おふくろが仕事を持っててくれてよかった、と今は思っていると思います。子どもにおんぶしませんから。彼は音楽関係ですが、私のことはライバルだと思ってるみたい。ジャンルは違うけれど、私が仕事に向かう姿を見て、負けるものかと、高校のころからね。

大切なのは、自立すること。そして、大き過ぎる夢は持たないこと。大きな希望を持ちすぎるとそこに到達しづらいから。

白石奈緒美さんとおっしゃる、とても華やかな女優さんが、世界中のやかんの研究をなさって、それで賞をおもらいになったことがありました。こんな風に、地に足をつけて、身近にあるものに興味を持つことで、大きな世界につながることもあります。

家庭の中にあるものに興味を持って、それをとことん掘り下げるというのも面白いでしょうね。こうしたテーマでも、立派に博士になれるんですよ。虹をつかむようなことは考えないほうがよろしいのでは、と思います。

(世田谷区・お気に入りの蕎麦屋にて取材)

  • 昭和5年、満1歳

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  • 長男(5歳)、母と。昭和35年ごろ

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  • 昭和35年から20年間、ほぼ和服で通した時代

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  • 『現代詩ラ・メール』創刊記念パーティーにて

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  • ゆうき図書館・新川和江コレクションにて

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  • 新川 和江さん

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