Ms Wendy

2012年4月掲載

故郷の有田で培われた「もてなし」の心

江上 栄子さん/料理研究家

江上 栄子さん/料理研究家
1935年生まれ。江上料理学院 院長。佐賀県有田焼の窯元「香蘭社」の深川家出身。青山学院大学文学部米英文学科卒業。「食を通じて幸せ作りのお手伝い」をモットーに、日本の家庭の味の向上に貢献。テレビ、雑誌、新聞など、多数のメディアで活躍する他、外食産業や食品会社の顧問、フードコンサルタント、日本伝統文化の講師などとしても幅広く活動。諸外国との関わりも深く、フランスチーズ鑑評騎士の会理事長を務め、2002年3月、フランス政府より農事功労章を受勲。
実家は有田焼窯元の香蘭社

私の実家は佐賀県有田焼の窯元、香蘭社です。栄子という名は、襲名し深川栄左衛門の名を持つ父から1文字もらったもの。女の子ばかりの姉妹の5女に生まれましたが、父は出産予定日にゴルフに出掛けたくらいで、「また女の子か」と、勢いで「エイッ」と付けたから「栄子」という名前だと言われてもいました(笑)。

来客が多い家でしたから、ひとりひとりばあやがついてくれていたのですが、私のばあやが、息子さんの戦死の報せを受け熊本の実家に帰ることに。私もそれについて行ってしまいました。さあ大変、と熊本・八代に住んでいた母の姉(伯母)が、ばあやの家に私を迎えに来たのですが、その伯母が母そっくりで、私は母と勘違いしちゃったんです。母と思って駆け寄る私に、女の子がいなかった伯母は、すっかり情が移り、私も伯母が気に入りそのまま伯母の家に居ついてしまったのです(笑)。結局、3歳から小学5年生までずっと伯母の家に。

子煩悩な父が、度々私の様子を見に八代まで人を向けたんですが、私はその度に床の下まで逃げ回って、帰ろうとしない。結局、5年生のときに、夏休みの間だけ佐賀に、と周りの大人に騙されて実家に戻ることに。あの時は、熊本に帰りたくて夢遊病になっちゃったほどでしたね。

「家付き娘」として中学生で他人家族と同居

中学校が実家から遠かったので、1番上の姉の新居に居候。ところが、姉がお産で亡くなってしまったんです。新婚だった義兄も失意の末、お酒の飲みすぎで入院。中学生の娘がお手伝いの人と2人だけで住んでいるのは良くない、じゃあ、私込みで家を貸しに出そうという風になりました。銀行の支店長とその家族や、新婚ほやほやの夫婦。いろんな家族の中に、私がそこに居候みたいにいるという、ちょっと不思議な同居でしたが、そんな風に他人と暮らすのは全く平気でした。私は昔から何があっても動じないんです。しかしやはりこの環境も良くないと、中3のときに私の親友のご一家が引き取ってくださったのです。

そして高校は、福岡で3年間の厳しい寮生活。もう本当に他人の中で、もまれっ放しです(笑)。大学は東京の青山学院に入り、またもや寮生活でした。この6年間の寮生活と3つの部活で得た多くの友人が、私の財産です。今もお付き合いがあって、その存在に励まされます。生き方を教えられたり教えたりで、楽しさに心も豊かになり、感謝です。

校舎補修の費用稼ぎに、級友たちと、せっけんの実演販売

当時は女の子が進む学校は、大体決まっていたんです。私の姉たちも皆その道を進みました。でも私はそれが嫌で中学も新しい学校を選びました。新設校で先輩がいないからのびのびできるだろうという、よからぬ心で(笑)。新設校といっても戦争直後だから床は穴が開いているし壁はぼろぼろ。それで私たち生徒が何をしたかっていうと、補修のお金を作るためにせっけんを手作りして、駅前で実演販売するの(笑)。粗悪なせっけんなんだけど、さもいいせっけんのように洗ってみせて。でも品が良くないから、洗った布もすぐぼろぼろになっちゃってそれを見られないよう、下に押し込んで(笑)。中学生がやってるから大人たちは買ってくれるんです。まあ、今考えたらすごい中学生よね(笑)。先生にそうしなさと言われたわけじゃないんですよ。「私たちがやらないと窓にガラスも入らない」と思い、自発的に。私は何事も、即行動に移すタイプ。すぐに体が動くし、それが全く苦にならないんです。

生まれ育った有田は「もてなし」の町

「伊万里の着道楽、有田の食道楽」という言葉があります。どちらも窯元を擁する土地ですが、昔は、伊万里に商人が宿泊して有田に買い出しに行くルートが一般的でした。伊万里は船の出入りも盛んだったし、商家の奥さまたちは伊万里焼が売れたお金できれいなお洋服を買える。ですが有田は、器に料理を盛ってこそその良さが分かるという考え方ですから、客人のもてなしは商家で行っていました。

例えば、魚の煮つけを大鉢に盛ってお出しする、そうすると「鯛が盛られたあの大皿は使えそうだ、よし仕入れよう」となるわけ。おいしいものを出さないと喜んでいただけないし、器の良さも分かっていただけない。だから、有田は各家庭でおいしいものを作り、「もてなす」ことを大切にしている町です。この町で育った私も「もてなす」ということはごくごく当たり前のこととして考えていました。ちなみに、有田にはいまだに宿屋がないんですよ。

実家、香蘭社も多くの方々をおもてなししました。昭和天皇をはじめ、多くの宮家の皆さまや文人、財界、政界の方々のお名前が御芳名録に残っています。

料理研究家の草分けだった義母、江上トミ

私が「江上料理学院」を継いで33年ですが、この学院はそもそも義母のトミが家庭料理の普及のために立ち上げた学院でした。義母は、放送草創期より活躍した料理番組講師の草分けであり、日本の「料理研究家」の元祖。NHK『きょうの料理』や日本テレビ『奥様お料理メモ』などで顔を見知っていただきました。

トミの主人の実家と私の母の実家の関係が遠い親戚でもあったという縁で、お料理を習いたいという私に里の母が、「江上に行ったら」と勧めたんです。江上家のひとり息子とは、お稽古の帰りにお宅に寄るなどして仲良くなり、大学を卒業した年に結婚しました。

そのころから義母はものすごく忙しかった。もともと私は料理学院を継ぐ約束もなかったし、義母は嫌ならやらなくていい、と鷹揚でした。でも義母が忙しければやはり手伝いたくなる、そうしているうちに家庭での料理の大事さや、「食べ物で人の心は養われる」という義母の考え方がだんだん分かるようになってきて、私も自然、食への深い興味が湧くようになりました。

義母の言葉で印象深いものがあります。「人間の礎は食べ物。相手のことを考えた、心のこもった食べ物が、一番のぜいたく。これはお金を出して食べられるものではない」。本当にそうだと思います。

私には嫁姑の苦労など一切ありませんでした。義母には女の子がありませんでしたので、とてもかわいがってくれて。私は年寄りっ子なので、年配の方と一緒にいるのも楽しかったですね。亡くなって33年ですが、私は、義母が残してくれたもの、靴から服から、それこそ下着まで着ています。サイズもちょうどいい。他の人の持ち物だという違和感が全くないんです。

留学先のパリで楽しみだった、義母から届く「ぬかみそ煮」

もっと多くを学びたい、とフランスの「ル・コルドン・ブルー」という料理学校に留学しました。そのころパリにいる日本人は絵描きさんが多かったんですが、遊びの誘惑も多い。でもその誘惑を私は「高い月謝を出してもらい、子どもまでおいて出て来てるわけだから、遊んでる暇はないのよ」とお断りしていた。自分では覚えていませんが、つまらないお返事をしていたものですね(笑)。でも本当に一生懸命勉強しました。日本では見ない鳥獣の調理が珍しかったんですが、そういうのもキャーキャー騒がないで、歯を食いしばって、皮をはぐんです。後から入ってきたシャンソン歌手の石井好子さんは、カモの羽をむしる作業ができず私に泣きついてくるんです。私は大丈夫、任せといて、って(笑)。

時折、定期便で、パリに義母からサバの「ぬかみそ煮」が送られてきました。江上の地元・福岡県小倉の名物料理です。サバを半分煮たところで、ぬか床を入れる。コクとツヤが出ておいしくなるんです。これが届くと、箒の柄でアパートの天井をつつく。ぬかみそ煮が届いたという合図で、そうすると上の日本人の住人が靴でどんどんと床を鳴らす。これが、じゃあ赤ワインを持っていくよ、という返事。

このぬかみそは今や100年もの。料理学院の財産で、毎日代わりばんこに皆がかき混ぜています。発酵学の小泉武夫先生も、この「ぬかみそ煮」が大好きで、私の顔を見ると「今日はぬかみそ煮はないの?」ってお聞きになる。岸朝子さんのパーティーは持ち寄りなんですが、私が持参するのはたいていこれ。皆さんにずい分楽しみにしていただいていて、嬉しかったですね。

料理教室も時代によって変化しています

料理教室は、今は男性だけのクラスも2つあるんです。男性が片意地張らずに料理をなさるのは、とってもいいことですね。生徒さんは、20代から70代まで年代はさまざま。女性はあちこち浮気性ですけど、男性は一旦始めたら30年とか長く通われますね。

お子さんにとっては、パパが作ったお料理ってだけでどんなに嬉しいか。そうしたことを、より多くの方に分かっていただければ、と思っています。

また、料理教室の活用法も時代によって変わっているようですね。新入社員の研修や、いわゆる“婚活”にも。料理にはある程度本人の性格が出るので、“この人は口だけで何も動かない人だ”とか、そういう部分もチェックされるようです。

生涯で一番嬉しかった瞬間

パリ留学のころですが、まだ小さい長女と離れた時期がありました。家族のサポートがあって決心したことですが、そんな事情もあって、私は長女には、ある種の少なからぬ思いがあった。その娘がある日、私の後を継いでお料理の仕事をしたいと言い出したんです。「あなたは本当にこの仕事をやりたいのか、それとも義務感から出た言葉なのか。もしも自分の心の底からやりたいのなら、私は全力であなたをサポートする。1週間時間をあげるからよく考えて」と答えました。1週間後、自分がやりたい、ときっぱり答えた娘は、今は学院の副校長として活躍してくれています。

その娘と、十数年前、南の島に旅をしたんです。窓を開けたら碧の海と青い空。それは美しかった。そしたら娘がわっと私に飛びついてきて「ママ、ありがとう」と。何がありがとうかは分からないし、いろんな意味が含まれているんだろうと思うけれど、あの瞬間は忘れられない。生涯で一番と言えるほど嬉しかった瞬間でした。

親子や夫婦という近い関係の中でも、相手の気持ちを思いながら、でも自分の気持ちもきちんと持って人生を歩むことが必要だなと、強く思います。

今まで以上に、人の役に立つことをしたい

そう言いながら、私は割に、ふにゃふにゃなんですね。言われることはできるだけそうしたいと思うし、去る者は追わず。くよくよは一切しないし、とっても楽天的。だから、公私ともにいろんな人とのお付き合いもうまくできたのかも。

高い目標は持たないんです。今まで自然体で、なるようになってきてるから、これからもその調子で、あまりギスギスしないでやっていきたい。

この年齢になってくると、「人さまのお役に立つことがしたい」という気持ちが一層強くなります。「できるだけのことはしてさしあげる」をモットーに。人さまのことを受け入れたいんですね。それは日々の自分の努力にかかっていると思います。甘えずに、自分でできることは積極的にやっていこうと思います。 

(東京・江上料理学院にて取材)

  • 実家にて。高校生のころ

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  • 義母・江上トミと。24〜25歳

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  • 両親、姉たちと家族写真。最前が本人

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  • 実家、香蘭社は皇族とも縁が深い。宮様をお迎えしての1枚

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  • 3年前。長女、長男と

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  • 江上 栄子さん

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