Ms Wendy

2011年6月掲載

とことん努力したらあとはあるがまま、なるがままに任せる

加賀美 幸子さん/アナウンサー(元NHK)

加賀美 幸子さん/アナウンサー(元NHK)
1940年生まれ。東京都出身。千葉市男女共同参画センター・名誉館長。1963年NHK入局。理事待遇となる。『NHKアーカイブス』『古典講読』など、ニュースから古典までさまざまな番組を担当。現在もアナウンサーとして幅広く活動。徳川夢声市民賞、ダイヤモンドレディー賞受賞。『こころを動かす言葉』『源氏絵物語~原文朗読つき』ほか著書も多い。日本文藝家協会会員、植草学園大学客員教授、日本朗読文化協会・朗読名誉会長 ほか
被災者の心を癒す言葉とは

東日本大震災があった3月11日、私はNHK仙台放送局にいて、本番の間際、あの激震を体験しました。その日、時間に余裕があったら少し足を延ばして海際まで散歩に出たかもしれず、私が今生きているのは紙一重の差でしかありません。そのため、津波にのみこまれた方たちへの思いに今も強くとらわれ、胸が痛く苦しくなります。

言葉は心と内容を乗せて伝えるもの。言葉には人の心を動かし、癒す力があると思っていますが、家族や友達や故郷(ふるさと)まで流されてしまった方たちの心の痛みを癒す言葉は見つかりません。

言葉そのものではなく、失った人、失ったことや物…、その無念さ悲しさを胸に、その気持ちでお話しすれば、言葉の心が伝わるような気がします。

小学校の授業が人生の出発点

私が「言葉」に興味を持ったのは、小学校5・6年生の担任の先生がきっかけでした。授業や宿題で詩を書かされたのです。心を澄まして自分や周りを見つめ、自然に自由に凝縮した言葉でつづる詩という表現方法に魅了されました。同時に、言葉を声に出して読む「朗読」の楽しさにも目覚めました。

でも、当時の同級生は、「詩のことなんか覚えていない」って。以前、テレビの番組でポプリ研究家の熊井明子さんにお会いしたことがあります。熊井さんがポプリの研究にのめり込んだのは『赤毛のアン』がきっかけだったそうです。私が『赤毛のアン』からキャッチしたのは「朗読」で、ポプリのことは全然覚えていない。

何をどうキャッチするかは人それぞれですね。言い換えれば、人生は何事も、何をどうキャッチするかで決まるのだと思います。

仕事を好き・嫌いで選んだことはない

NHKに入局したのは、昭和38年。報道から教育、芸能、音楽番組まですべて経験させられましたが、仕事を好き・嫌いで選んだことはありません。「こういう仕事がしたい」と、自分から言ったこともありません。「何を」ではなく、あくまで自分として「どう捉え、どう向き合うか」…ですから。

入局以来、仕事は順調でしたが、あるとき上司から、「あなたは、今どき流行らない」と言われ、はたから見れば不遇の時代もありました。でも、私には不遇という実感がなく、「流行り廃れのない生き方をしたい」と逆に自分に言い聞かせました。楽天思考なのです。

けれど、若く才能ある人を発見したときは、スポットライトの当たる晴れ舞台に押し出したくなります。NHK入局試験で久保純子さんを面接したときもそんな気持ちになりました。言葉そのものより、「言葉の心」が全身からあふれ出ている雰囲気を受けたのです。

久保さんは、かつて雑誌などのインタビューで、「あのとき加賀美さんがいなかったら、今の私はいない」と話していたと聞きました。私は今も遠くから彼女を応援しています。

あるがままでいたから今の私がある

平成12年にNHKを定年退職しましたが、70歳を超えた今も、仕事の内容は現役時代とほとんど変わりません。「あるがまま」にやってきたおかげでしょうか。

あるがままといっても、ただ流れに身を任せるという消極的な生き方ではありません。とことん努力したうえで、あるがまま、なるがままに任せるという生き方です。

高校時代、キャサリン・マンスフィールドの『風が吹く』という作品に魅せられ、大学の卒論でも彼女の文学に取り組みました。「あるがままに生きる」姿勢に共感したのです。以来、それを心のよりどころとし、私のキャッチフレーズにもなりました。

私は東京育ちですが、戦時中、母の実家がある群馬県渋川市折原(元渋川町)に疎開しました。折原の豊かな自然は、私を満たしてくれました。渋川で自然と一体となって過ごした体験も、あるがままに生きる自分を今も支えてくれていると感じます。

母から受け継いだ人生哲学

私の母はあまり多くを語らない人です。母が泣いたり怒ったりするのを見たこともありません。いつも淡々と自然です。「余計なことは言わない」が、母が自然に身に着けた、すべてにおいて波風を立てないための「人生哲学」なのかもしれません。子どものころを思い返しても、母は余計なことは言わず、私たちがたまに文句を言っても、「あらそう」と軽く受け流すだけでした。

医学の道に進んだ兄と弟にはさまれて育った母は、自分も好きな音楽学校で学びたいという夢を持っていたようです。しかし、昔のこと、両親はそれを許さず、高等女学校卒業後は花嫁学校に行かされたといいます。ほかにも多くの悔いやあきらめがあったはずですが、それらを胸の奥深くにしまい込み、母はいつも平然と堂々としていて、子どもたちを安心させてくれたものです。

大正デモクラシーの風の中で生まれ、激動の昭和を生き抜いてきた女性たちは皆、私の母のように「柔らかさ」と「確かさ」を併せ持っているのでしょうか。そして、私にも、そのDNAは受け継がれているのかもしれません。

言葉は息づかい

アナウンサーというと、発声練習や早口言葉をイメージする人が多いようですが、実は技術的なことはそれほど重要ではありません。声には言葉が伴い、言葉には内容と心が伴います。つまり、人となりや生き方が問われるわけです。

言葉は「息づかい」が大事です。生きているということは、息をしているということ。「生き」と「息」…字は違いますが、根本は同じだと思います。文字による文章でも、音声による話し方でも、息づかいにその人の在り方や生き方が現れるような気がするのです。

ラジオ番組の「古典講読」を長年担当するなかで、多くの古典を原文で朗読してきました。皆さん古典は難しいという先入観をお持ちのようですが、紙が貴重だった昔は口伝えでした。そのため、耳で聞いたほうが分かりやすいのです。

『源氏物語』も『枕草子』も、意味を知るために現代語訳は必要ですが、声に出して原文をそのまま読むと日本語の元々の響きとその心が、むしろやさしく、楽しく伝わり、千年の時の隔たりを超えてあの時代を生きていた人たちの息づかいがそのままイキイキと感じられ…、さらに引きつけられます。

主婦業でも全力投球

わが家では夫婦の関係も自然型です。いわゆる友達夫婦として男女の役割にとらわれない関係を築いてきました。そういう相手だから結婚したのですが(笑)。

夫は、昨年、70歳で勤め先の大学を定年退職し、在宅時間が増えましたが、私が仕事で留守のときは自分で料理を作り、洗濯や掃除などもいとわずやってくれます。

とはいえ、私は、主婦業に関しても「全力投球」をモットーとしてきました。忙しさを理由に子どもに愛情の出し惜しみをしたことはなかったし、家事も、完ぺきでなくても、点数は悪くとも、何事も自分でやったほうが落ち着くのです。

日常生活や仕事を始め、何でも、私は、身に降りかかってくる「大変なこと」に関して、大変と思わないようにしています。口にも出さない。言葉にしたとたんに本当に大変になってしまうからです。

ではどうするか。「大変」という言葉を「大丈夫」に変えるのです。一見大変な状況のときも、「大丈夫」と自らに語りかけます。言葉は力を持っています。言葉は魔術も含んでいます。言霊です。同じ状況でも、「大変」と「大丈夫」では、自分の気持ちに大きな違いが現れ、何でもなくなるから不思議です。

言葉はどんなにたくさん持っていても邪魔になりません。心を整理し、心を伝えるための言葉を若い人たちにもっともっと豊かに持ってほしいですね。

齢を重ねるのは楽しい

人の自慢話は聞いていてあまり愉快なものではありません。でもね、年齢自慢だけはしてもいいそうです。誰にも迷惑をかけませんから。講演などで、「70歳を過ぎました」と言うと、「えっ!」と驚いたり、拍手してくださったり。その反応が楽しくて、つい年齢自慢をしてしまいます。

私は、年齢を重ねることができたことをありがたいと思っています。世の中には病や貧困、事件・事故、戦争そのほかで命を落とし、年を取りたくても取れない人が多くいます。年を取るということは生きていること。やむなく命を落とした人たちは、どれほど年を取りたかったことでしょう。幸いなことに長く生きられ、年が取れれば、その分、自分のなかに刻まれ溜まっていくものも多く、ありがたく思います。

ところで、私は、吉永小百合さんも一時通っていた、旧高等女学校が前身の都立の受験校出身です。ところが私は文芸部で詩を作ったりしていたため、本格的に大学を選択する努力を怠りました。若気の至りです。

入学した某大学の英米文学科では卒論は必須ではありませんでした。その分、授業を多く取ればよかったのですが、生真面目な私は、必死で卒論に取り組みました。そういえば、この年、周りには卒論を提出した人はほとんどいなかったように思います。でもその苦しみは、うれしい重みになりました。卒論を出さない後悔をすることなく、すっきり元気にNHKの受験に向かいました。

長年、放送の世界で日々忙しく走り続け、仕事も家庭もと自転車操業のように暮らしてきました。仕事以外の勉強や楽しみも経験したいと思うこともありましたが、その時間は全くありませんでした。

「これからでは遅すぎる…、あきらめるしかないかもしれない」と思っていたのですが、ある雑誌の連載企画で対談させていただいたホリスティック医学(西洋医学・東洋医学をともに用いて人間全体を見る医学)の第一人者、帯津良一先生にそのことをお話したら、「何事も死んでからでも続けるつもりでやればいい」とすてきな言葉をいただきました。「だから、いつ始めてもいいのです。遅くはないのですよ」って。とてもうれしくなりました。「いつからでもできる。遅くはない」その言葉が心に染みとおりました。

仕事が命、仕事が趣味

千葉市女性センターができたとき、館長職を預かりました(2011年4月から「千葉市男女共同参画センター」に名称を変更)。戦後の男女平等教育の洗礼を受け、職場でも家庭でも男女同等をごく自然に体現してきた世代ですし、NHKの場合は、すべての人々すべての物事に対して、常に平等・等間隔での仕事をしていますので、千葉市としては、加賀美は、どういう場合であろうと、どちらか一方に加担することなく、ニュートラルな立場でまとめ役を担えるのではと考えられたのだと思います。

館長時代に土台を作り、後に続く人にとても良いバトンタッチができたと思っています。千葉が好きなので、今も名誉館長として、相変わらず応援団長のようにかかわっています。

雑誌のインタビューなどで、趣味や休日の過ごし方について聞かれることがしばしばあるのですが、皆さんがあきれるほど、仕事の日々です。休日が取れても、次の仕事の準備と、たまった家事に精を出します。

仕事も家事も一つ一つをとことんやって、終わったらホッと息をつく。私にはそれが最高のリフレッシュになり、前へ進むエネルギーになるのです。

(NHK放送センターにて取材)

  • 昭和17年、母、祖母と一緒に門の前で

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  • 高校時代のころ

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  • 新人時代、「日曜大学」で対談

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  • 「きょうの料理」長山節子ディレクターと

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  • 愛娘の初節句のひなまつり。家族3人で

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  • 加賀美 幸子さん

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