Ms Wendy

2010年11月掲載

舞台版『大奥』で悪役を好演『“自分のため”に楽しんで生きていきたい』

多岐川 裕美さん/女優

多岐川 裕美さん/女優
1951年東京都生まれ。学生時代にスカウトされ、1974年に映画デビュー。
翌年の『仁義の墓場』(深作欣二監督)では、主人公の妻を演じ、高い評価を得る。その後映画、NHK大河ドラマ『草燃える』、『峠の群像』、『山河燃ゆ』、『功名が辻』、『鬼平犯科帳』などテレビドラマに多数出演。
また『プリズンホテル』、『近代能楽集』など、舞台でも多彩な役を演じる。
6月に明治座(東京)、7月には博多座(福岡)で上演された舞台版『大奥』にて、実成院役を演じた。同作品の大阪公演は11月3日~28日、大阪松竹座。
長女はタレント・多岐川華子さん。
『大奥』で初めての“大悪(オオワル)役”

将軍の生母という肩書きを盾に、思うまま好き勝手に酒を飲んでは権力を振りかざし、女の戦いに火花を散らす…。

舞台版『大奥』で、徳川家第14代将軍・家茂の生母である実成院を演じています。東京、博多公演に続き、この11月から大阪公演が幕を開けました。

実成院は、浅野ゆう子さん演じる大奥総取締役・瀧山と対立し、息子を溺愛するがあまり、宮家出身の嫁・和宮を事あるごとに嫁いびりする役どころ。ここまで徹底した悪役を演じたのは、初めてですね。演出の林徹さんからは最初に「“大悪”でやってください」と頼まれ、「劇画みたいに、大げさな感覚でやろう」と思い、役づくりしました。自分の台本にも、冒頭に劇画の絶叫セリフみたいに“炸裂!!”って書き込んで。そうして悪ぶりを極めるべく演じたところ、知人から「こういう役、ハマっているよね」なんて言われてしまったの(笑)。

ここ2年くらいはこういった強烈な役も演じるようになりましたが、以前の私は可憐な役や陰のある役、キャリアウーマン役が多かったので、「この人、こんな悪役やるの?」とびっくりされた方も多いかもしれません。

やったことがない嫌われ役なので、演じるのは楽しい。けれど、客席の反応を見ていたら、やっぱり優しいヒロイン役のほうがいいなとも思いましたよ。今回の役は後半まで共感を得られないので。それに、実成院は喜怒哀楽が激しいので、81公演もやっていると表情ジワができちゃうんですよね。特に「人殺しー!」と絶叫するときのシワはなかなか取れなくて。

相当なイジワルで、わがままな実成院。とはいってもそれは息子を守ろうとする愛からきているので、つまりは“哀しい母”なんですね。好きなシーンは出陣する息子を見送るシーン。そして息子が亡くなった後、実成院が和宮と和解をするところです。実成院の心情が表れる感動のシーンで、お客さまもこのときばかりは実成院に感情移入してくれたと感じ、うれしく思いました。

陰謀、裏切り、嫉妬や愛憎。大奥って、女だけの世界。女ばかりの世界って、独特の怖さがありますよね。私は女子校出身ですが、ちょっと苦手な世界。やっぱり男性もいないと癒されない(笑)。

投げキッスはちょっと苦手

テレビの影響もあってか、『大奥』のお客さまは30代くらいの若い方が中心。カーテンコールも実ににぎやかです。普通カーテンコールって舞台の役どころのままあいさつすることが多いのだけど、この舞台ではあの陰湿な芝居はどこにいったの?ってくらいに、ガラッとハッピー一色になってね。豪華絢爛な衣装をまとった浅野さんたちが客席に投げキッスをし、お客さまもスタンディングの大熱狂の嵐。最初私は投げキッスには抵抗があってできなかったんだけど、浅野さんから舞台で最敬礼されて、せがまれて…諦めました(笑)。するとお客さまも大変お喜びになって。千秋楽ではなんと30分間も、カーテンコールが続いたんですよ。

もし『大奥』で違う役をやるとしたら、“大奥スリーアミーゴス”と呼ばれるストーリーテラーの奥女中トリオ役をやってみたいですね。肉布団着込んでお腹をバーン!と叩くような(笑)。実はこういうナチュラルな役ほど難しいのだけれど、日替わりで実成院と演じ分けられたら面白いかもしれませんね。

さまざまな役を演じる女優として、普段からの体力づくりは大切にしています。現在は週二回スポーツジムに通い、加圧トレーニング(腕や足の付け根に圧力をかけ、血液の流れを制限しながら行うトレーニング方法)に励んでいます。地方公演先にも、トレーニング用のベルトを持っていきました。

今回の最後となる大阪公演では、今まで以上にパワーアップした舞台をお見せしたいと思っています。

季節で変わった?母の門限

生まれは東京・荻窪で、育ったのは練馬。しっかり者の母、優しい父と兄、そしておじいちゃんとおばあちゃん。皆に囲まれ、のどかで温かく、ほのぼのと幸せに包まれて育ちました。

母は厳格な人。とても頼りがいのある心強い存在でした。祖母との確執もあってか、私が小学校6年生のときまではPTAの仕事に没頭し、中学校に入ったころから働き始めましたね。でも、母は祖母の介護から看取りまですべてやりとげました。本当にお姑さんには苦労したと思います。

また、しつけや教育にも熱心でした。門限も厳しく母に決められてね。高校のとき、門限は午後7時だったんですが、冬のあるとき、7時までに帰宅したら怒られた。「門限は7時でしょ」と反論すると、母いわく「それは夏。冬は5時!」って(笑)。

父はとにかく優しかったですね。日曜大工が大好きで、いつも何かを作っていました。私にもブックスタンドとか、いろんなものを作ってくれて。そうそう、庭に鉄棒まで作ってくれたんですよ。懸垂とかを私が練習できるようにって。

私は、小さいころから消極的で引っ込み思案な子どもで。だから、女優になりたいなんて少しも考えたことはなかった。兄の趣味がカメラだったので、被写体としてモデルになったことはあったけれど、その程度。女子校の同級生からは「あなたがこんな仕事するなんて、考えられない」といまだに言われます。

“酔っぱらい”のまま道を歩く

22歳で映画デビューし、翌年に深作欣二監督の『仁義の墓場(1975年)』という映画に出演。渡哲也さんが主演で、私は結核を患う妻を演じたんですが、劇中で彼は、吐血で血がついた私の胸を拭うんです。そして愛するがゆえ、お骨をボリボリかじるという素敵なシーンもありました。基本的に男の映画なんですが、女性の心情の機微もよく表現され大好きな作品でした。

当時は養成所を経た俳優が多い中、スカウトでデビューした私は、演技もほとんど分からない状態でボーッとしていて。そんな私に深作監督は撮影のテストの合間に、シーンとは全く関係のない話をささやくんです。演技のことで頭がいっぱいだった私を見かねて、緊張をほぐしてくれたのかもしれませんね。何がヒントになったのか、不思議とそのあとはOKが出るんです。私がこれまで出演した中で1番思い入れのある作品が、この『仁義の墓場』です。

女優になったばかりの20代のころは、ともかく不安でいっぱいでした。家に帰ると部屋に閉じこもって、テレビドラマの録画をかなりチェックしては反省ばかり。まじめで、すごく勉強家でしたね。

演じる役柄にも、イメージトレーニングしてかなり思い入れしていました。入れ込みすぎてか、撮影後にそれを引きずることも。NHK大河ドラマの『山河燃ゆ』で、アルコール依存症にかかる役を演じたときのことです。撮影が終わり、帰り道に運転して買い物に寄ったのね。停めて降りた途端、なぜか足はフラフラ。もちろん全然お酒を飲んでないのに。演じた役がまだ抜けてなくて、千鳥足で歩いていたんです(笑)。

子育てでは悩み多き母

娘が小学校時代から私、悩み多き母でしてね。娘が不登校になったときは「学校に行かせなきゃ、勉強が遅れちゃう!」と焦ったり。当時は「今が子育てで1番大変な時期なんだ」と思っていたけど、そのとき先輩ママから「先のほうがもっと大変になるよ」と言われて。その通り、お勉強の悩みの方が楽だった。年ごろの娘を持つ親としていろいろと心配しています。

隔世遺伝なのか、いまや娘(タレントの多岐川華子さん)は私よりしっかり者(笑)。娘から、私と同じ世界に入りたいと言われたときは、大反対しました。でも言い出したら聞かない子で、最後は押し切られてしまいましたけど。

娘には、演技などのアドバイスは一切しません。型にはまらない、彼女自身の個性を生かしてほしいと思っています。

振り返ると、私自身も母には心配をかけてきました。女性は子どもを生んで初めて母の苦労が分かるというけれど、今になって母の気持ちが分かるんですね。「ああ、母もこんな気持ちで心配してたんだな」ってことあるごとに思います。だから50歳を過ぎてから、なにかにつけて母に感謝するようになりました。感謝は少々遅過ぎたのかもしれないけれど。

人生前向きに。ハッピーに生きたい

女優という仕事は、性に合っていて大好き。オフの時間が1番好きという女優さんもいますが私は全く反対で、仕事が大好きです。家に一週間もいるとストレスがたまります。だから、今後も仕事はずっと続けていきたいですね。

舞台『大奥』では、こんなセリフがあるんです。大事な人を失い、生きる望みをなくして無力感に打ちひしがれる瀧山に向かって、安達祐実さん演じる和宮が「これからは自分のために生きてください」と諭す。今回、私もそのセリフを聞いて自分の人生を振り返ってみました。私にとって仕事は大好きなことですが、もちろん平坦な道のりだけではありませんでした。でも、今ようやくここにたどり着き、子育ても一段落したので、これからは“自分のため”に楽しいことをもっと見つけて生きていきたい、と思っています。年齢を重ねた女性がどう生きていくかは大きなテーマだけど、もし皆さんにアドバイスするとしたら、「子育てが終わったら、“自分のため”を考えて生きましょう」ということですね。

なんでも前向きに頑張りたいし、楽しいことを見つけてハッピーに暮らしていきたいです。目下やりたいことは、〝旅”。時間ができたら、あちこち旅行に出かけたいと思っています。

(東京都目黒区青葉台にて取材)

  • 6歳のころ。家族と(右下が多岐川さん)

    6歳のころ。家族と(右下が多岐川さん)

  • 11歳ごろ。後ろにあるのが、父の手作り鉄棒

    11歳ごろ。後ろにあるのが、父の手作り鉄棒

  • 7歳ごろ。近所のお友達と (中央が多岐川さん)

    7歳ごろ。近所のお友達と (中央が多岐川さん)

  • お気に入りの洋服を着て母と練馬にて

    お気に入りの洋服を着て母と練馬にて

  • 多岐川 裕美さん

(無断転載禁ず)

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