Ms Wendy

2010年10月掲載

いつまでも学び続けたい 面白いことを書き残したい

竹内 久美子さん/動物行動学研究家・エッセイスト

竹内 久美子さん/動物行動学研究家・エッセイスト
1956年愛知県生まれ。京都大学理学部卒。
同大学大学院修士、博士課程で日高敏隆研究室に在籍し、動物行動学を専攻。
代表作『そんなバカな!—遺伝子と神について』は、1991年に出版されるやベストセラーとなり、平成4年度の第8回講談社出版文化賞「科学出版賞」を受賞。近著に、『その愛は、損か、得か』(文芸春秋)、『女は男の指を見る』(新潮新書)などがある。
世の中は女が男を選ぶ構図になっているのです。

今春、数々の実験や最新データをもとに、色気、魅力、相性を動物行動学で読み解く『女は男の指を見る』という本を出版しました。「人差し指に対する薬指の相対的な長さは、男性ホルモンに関係している」との内容から、「私も薬指が人差し指より長い」と、たくさんの女性から声が寄せられました。薬指が長かった女性は、「私は人と比べて男性ホルモンが多いのかしら」と疑問に思われたのだと思います。けれど、実は日本人女性は、欧米人と比べると薬指の長い人が多い。ただ、それが男性ホルモンのレベルが高いことと結びつけられるのかどうかは分かりませんが。

では、なぜ薬指なのか。男の赤ちゃんは、お母さんのおなかにいるとき、自分の睾丸からテストステロンという男性ホルモンを出して、男としての体の原型をつくります。このテストステロンのレべルが高いと、薬指が人差し指よりも長くなる傾向があることが分かっています。テストステロンは、男としてのさまざまな体の特徴や、音楽、スポーツなどの才能、能力、精神面での集中力やねばり強さなどに影響を与えるのです。

実際に、日本でもスポーツマンやミュージシャンはすごくモテる。それは、スポーツができたり、音楽の才能があること自体が、「俺は強い男だ」という生殖能力のアピールで、質のいい精子を持っている証しだからです。女は強くて能力のある子どもを産みたいから、本能的にそれを感知して、男を選ぶのです。というのも、女は妊娠すると出産、授乳までに、1年以上の時間が必要です。短期間で機能が回復する男と違って、時間がかかる分、相手選びも慎重でシビア。世の中は女が男を選ぶ構図になっているのです。

草食男子が増えるから質のいい精子は望めない

ところが最近、セックスできなくてもいいという草食男子が増えています。同じく今春発刊、草食男子が増えたことを動物行動学の知見から考えた恋愛科学エッセイ『草食男子0.95の壁』にも書いていますが、今の男子はモテる子でも女子とセックスしようとしない。ゲームをやっていれば、現実の女子を相手にしなくても満足を得られるなんていう、ふざけた男子が多いのです。動物行動学的にいうと、彼らのおかげで、人類は動物本来の姿からかけ離れていく。このままでは日本の少子化は、ますます進む。これは、なんとかしなきゃいけません。

勉強嫌いだった子ども時代

「小さいころから勉強が好きだったんですか?」とよく聞かれるんですがとんでもない。どちらかというと、成績は良くなかった。子ども時代はひたすら遊んでいるかぼーっとしてました(笑)。 私は4人兄弟の末っ子。それも上は全員男なので、木登りをしてダダーッと走り回って、女らしいおままごとなんてしませんでした。

中学時代は地図がやたらに好きで、等高線を見ては、「ここはどんな場所なんだろう、なんでこんな町名なのだろう」と没頭しました。学校から帰っておやつを食べたら部屋にこもる。親は勉強していると思ってるんだけど、実はずっと地図を見てたんです。

うちの父は、研究者になりたかったという人で、勉強することに関しては好きなようにさせてくれ、本も欲しいだけ買ってくれました。それで興味が尽きず、勉強をする環境につながったんだと思います。

今は文章を書くことが仕事ですが、そのころは国語も嫌いで、特に小説のたぐいは一切読まなかった。国語の面白さに目覚めたのは結構遅くて高校3年のとき。現代国語では、いつも半分くらいしか点数がとれなかったから、「なぜ私の回答ではいけないの。答えを導き出す法則はどんなこと?」と自分なりに考えるうちに分かってきたんです。文章の構成が面白くなり、国語も得意になりました(笑)。

どんなことも、無理してやると続かない、自分で面白さを見つけないとダメなんです。

数学にはまった高校時代

高校時代、一緒にいたのは男子でした。数学好きの男子と集まっては、いかに変わった方法で問題を解くかを競いました。勉強というより、その競争が楽しかった。

そのころは、まだ生物に特別関心はなかったですね。ただ、たまたま見た「DNAの二重らせんモデル」が、すごくカッコよくて。大学にはいったら分子生物学をやろうと思い、第一志望は京都大学理学部に決めたんです。京大に決めたのも、カッコいいと思ったから。動物的な嗅覚というか、完全に感覚で判断してましたね。

日高先生との出会いと迷い、そして出版

京大理学部に入り、3回生からは生物系に。でも、いざ進んでみたら思っていたのとは全然違う。大学院で入った生物物理学の研究がまたつまらなかった。1年で嫌になってフラフラしていたときに、当時、動物行動学の研究をしていた日高敏隆先生のゼミを聴きに行ったんです。誰にでも門戸を開いてくれる先生の考え方も好きだったし、最終的には人間にも関わる動物行動学は本当に面白かった。すぐに夢中になりました。

そんなある日、日高先生に呼ばれ、「せっかく大学院に籍があるんだから、移籍を考えてみてはどうか」と言っていただいたんです。前例のないことだったんですが、そこは日高先生のご尽力で、移籍が実現。ありがたかったですね。好きな研究をしたいと思っていましたから。

日高先生のもと、カヤネズミの超音波の研究で、修士号をとりました。けど、その後の進路は迷ってました。当時、理学部の女子学生には、就職のオファーがこない。教師になる気はなかったし、学問を続けることにも疑問がわいてきて、ついには、自分がこれまでやってきた研究は、女としての人生にどう関わるんだろう、これまで自分は何をやってたんだろうって。

そんなとき、先生に動物のコミュニケーションに関する本を書いてほしいという依頼がきたんです。でも先生はお忙しいので、カヤネズミの研究をしている学生が暇そうに見えたんでしょう。彼女に書かせようと、私に白羽の矢が立った。学術本ではないので、一般の人でも分かるようにやさしく書いてほしいと依頼されました。それが、『ワニはいかにして愛を語り合うか』という本。最初は手探りだったし、自分の書いた文章がガラクタのように見える。でも、それを何度も直していくうちにだんだん形になっていって結実する。「文章を書くことってこんなに面白いんだ」と思った瞬間でした。ここに私の好きなものがあった!って。

誰にでも分かる動物行動学を伝えたい

動物行動学を学ぶうちに、気づいたことや考えたことを一般の人たちにも伝えていきたいと思うようになりました。それも、誰にでも分かるような言葉でつづることで、「なるほど、動物ってそうなのか」と本を読んだ人に分かってもらえるもの。そんな本を自分で書こうと思いました。でも、単独での著作となると、出版社がとりあってくれるかどうか分かりません。そこで、編集をやっている友人に晶文社を紹介してもらったんです。そのとき、書いた本が実質的なデビュー作『浮気人類進化論』です。浮気があるからこそ人類は進化した。人間が人間になりえたのは、浮気をしたからだという内容。1988年の当時は、浮気が学問のテーマになるなんて一般の人は誰も思っていない時代でした。だからセンセーショナルだったんでしょう。

パニック障害との闘い

一般向けの動物行動学の本がまだなかった時代だったから、そんな本を出したら、学界から攻撃されることは分かっていました。ですから、本を出す前から不安や葛藤を抱えていたんです。ただ、それでも書きたかった。ところが、実際に出版すると、本は話題になり取材が殺到。もともと神経質で、人が苦手なのに、毎日知らない人にあって取材を受けるから、心身はへとへと。寝られなくなって、食べられなくなって。自分の顔が世間に公表されたら、どうなるんだろうって。

それからです。自分の写真が載っている新聞を見たとき、大きな津波に襲われたような感覚になりました。体の中に入道雲がもくもくとわいてくる感じで呼吸ができなくなった。パニック障害でした。

その後しばらくは、取材が受けられなくなりました。10年くらいでしょうか。最初の1年は仕事もできなかった。書こうと思っても、一文字も浮かばない。学界からの批判など原因が取り除かれないから、なかなか治らない。書くという行為で世間に発信すると、何かが必ず返ってくるのです。精神科医に相談したら、仕事をやめたら治ると言われたんですが、それはできない、というよりそれでも書きたかったんですね。結局、患いながら、地をはうように仕事を続けました。3日に1日くらいは薄日の差す日があるので、なんとか1年半に1冊くらいの状態で出版しました。しんどくて、まるで重い石を載せられているみたいなんだけれど、それでも前進したかった。『そんなバカな!—遺伝子と神について』を発刊したのもこのころでした。仕事の依頼はいっぱい来たけれど、そんな状態だから受けられなかった。

でも、その後、マイペースで仕事をするようになって。歌舞伎を見に行ったり、散歩をしたり。自分の時間を大切にしました。エレキギターを1年ほど習った時期もありました。今やっておかないと後悔するって思ったから。そんなことをしているうちに、やっと普通にバスにも乗れるようになって、仕事も以前よりはスムーズにできるようになっていきました。ただ、出版の世界も厳しくなっていき、本を出せばいいというわけではなくなっていたので、週刊誌などに定期的に連載をして、本にするという今のかたちに方向修正していったんです。

学ぶこと書くことをマイペースで続けたい

敬愛する日高先生が昨年お亡くなりになりました。催されたお別れ会は立すいの余地もないくらい人が集まりました。私も先生から学問はもちろんですが、人として大切なことをたくさん教えていただきました。

先生の遺志を継ぐというだけではありませんが、今後も何があっても学問は続けたいと思います。それに、学ぶことをとりあげられたら、私は生きていけません。今はその先に仕事としての出版もあります。何を書けばいいか、何を研究すればいいかと常に考えていたい。

こんなおもしろい研究があるよ、こんなことを考えちゃったんだけれど、どう!というものを、たくさん書き残したいですね。今あたためているテーマですか?それは内緒です(笑)。

(京都市左京区の白沙村荘内レストラン ノアノアにて取材)

  • 2歳のとき。自宅にて

    2歳のとき。自宅にて

  • 小学6年生のとき。修学旅行にて(右から2人目が竹内さん)

    小学6年生のとき。修学旅行にて
    (右から2人目が竹内さん)

  • 中学2年生のとき。友人と (左が竹内さん)

    中学2年生のとき。友人と
    (左が竹内さん)

  • 32歳のとき。日高先生と研究室にて

    32歳のとき。日高先生と研究室にて

  • 竹内 久美子さん

(無断転載禁ず)

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