Ms Wendy

2007年10月掲載

自分を大切にできれば、周りの人も大切にできるんです

東 ちづるさん/女優

東 ちづるさん/女優
広島県因島市(現尾道市)生まれ。
会社勤めの後、芸能界へ。テレビ、映画、司会など、多方面で活躍するほか、執筆、着物デザインも手がけるなど多才。
1992年から、「骨髄バンク」「あしなが育英会」などのボランティア活動を始め、99年からドイツ平和村の支援活動も続けている。
著書に絵本「マリアンナとパルーシャ」(主婦と生活社)「<私>はなぜカウンセリングを受けたのか」(マガジンハウス)ほか多数。
10月26日からテレビ東京系「お江戸吉原事件帖」(毎金20:00~)主演。11月20~26日まで、沖縄国際通りの三越で『戦争とドイツ平和村の子どもたち~絵本「マリアンナとパルーシャ」チャリティ展』を開催。
「いい子」を無自覚に頑張っていた子ども時代

私が生まれた因島は、以前は造船業で栄え、外国人も多くとてもにぎやかな島でした。

この島で造船業に携わっていた父は、箱入り娘だった母と結婚。21才という若さで母親になった母は、2000グラムにも満たない未熟児だった私を、必死で育ててくれたようです。

おかげで、活発な少女に成長した私に、母はいろいろな習い事をさせてくれました。そろばんに書道、日本舞踊、ピアノ、英語教室など。学校や塾で賞状をもらうと母はとても喜んでくれた。私は母に誉められたくて、習い事も勉強も一生懸命頑張っていたんだと思います。

周りからは、「優等生でしっかり者のチイちゃん」と思われていました。でも本当はただ母の期待に答えて、「いい子」を無自覚に頑張っていただけ…。そのことに気が付くのは、ずっと後になってからのことですが。

母との葛藤、カウンセリングで「自分探し」

小学校のころから、何かを表現できるアーティストに憧れ、画家や漫画家、小説家になりたいと思っていました。高校では漫画研究会に入り部長を務めていましたが、アニメのキャラクターに恋をするような部員たちとは全然話が合いませんでした。漫画家って、ストーリーを創って、キャラクターを生み出し、セリフもすべて自分で考える。すごいなって思っていたんです。尊敬する手塚治虫さんをはじめ、そのころの漫画には哲学もあったし、学んだこともたくさんありました。漫画は今でも大好きです。

けれど、当時は漫画はあまり価値のないものと思われていたし、母や周りからの期待を感じて、いつの間にか教師を目指すようになっていたんです。小さな島では、教師になることが故郷に錦を飾ることでしたから。心の底では、夢を捨てられず葛藤していたはずなのに、自分自身と向き合うことから逃げていたのかもしれません。そのせいか、高校時代の記憶が自分の中ですっぽりと抜け落ちているんです。

そして、国立の教育大学を受験し、不合格に。そのとき、母から言われた言葉は「18年間の期待を裏切ったわねえ」。

その言葉にものすごいショックを受けると同時に、目が覚めました。私は母の期待通りに生きてきただけ?本当の私って何?今まで自分を支えていたものがガラガラと崩れていくのを感じたんです。

でも、結果的には受験に失敗して良かったんだと思います。もし、あのまま教師になっていたら、生徒の心も分からない嫌な教師になっていたでしょうね。

このころを境に遅まきながら自我に目覚め始めた私は心のバランスを崩し、表面では「元気な東さん」を演じながら、1人になると自己嫌悪に陥り秘かに悩み続けていたんです。そんな私が、AC(アダルトチルドレン)だったことを知ったのは、37才のときでした。

その後、母と2人でカウンセリングを受け、今まで母に言えなかったこともすべて打ち明けたんです。いい成績をとることや1番になること、それだけを評価するのではなく、私はただあるがままの「私」を認めてほしかった…と。

でも、母にとってはまさに晴天の霹靂。それまで良妻賢母として頑張っていたのに、ある日突然「あなたの育て方は間違っていた」と娘に言われたのですから。8ヵ月間のカウンセリングを経て、似たもの親子で負けず嫌いだった母も肩の力が抜け、私も母も自分の気持ちを素直に表現できるように変わっていました。今は、お互いに分かり合えないことも分かり合おうとする、本音の親子関係になれましたね。

最近やっと仕事が楽しめるようになりました

芸能界に入るきっかけは、たまたま遊びに行ったタレントオーディションに飛び入り参加したこと。

高校卒業後は大阪の短大に進み、大手のメーカーに就職したんですが、いくら頑張っても男性社員と同じようには認められず、だんだんやる気をなくし退職してアルバイトを始めたんです。ペンションでスキーやテニスを教えたり。オーディションに出合ったのもちょうどそのころ。運良く、レポーターの仕事をいただきました。  でも、最初はほんのアルバイトのつもりだったんですよ。現金払いで収入も良かったし(笑)。

何が何でもこの仕事をやりたいと思っていたわけでもなくて、せめて新幹線のグリーン車のチケットがもらえるまでとか、目先の目標を決めて、もう少し頑張ってみようと。そのうち、東京の番組でレギュラーになり、中央に行きたいと野望を抱いて上京したんです。

この仕事が本当に面白いと思えるようになったのは、ごく最近なんですよ。それまでは、今やめると迷惑がかかるとか、周りのことばかり考えていた。でも、カウンセリングを受けてから、仕事も楽しめるようになり、本当はこの仕事が好きなんだって、素直に思えるようになりましたね。

女優業も最初はスキルアップのつもりだったけど、今は演じることがとても楽しい。女優としての代表作を持ちたいという欲も出てきたし。ちょっと遅いですけど(笑)。

司会やリポーターなど、制作から関わる仕事も好きですね。いつか、ACのような深い心の問題を扱った番組もできたらいいなと思います。テレビではなかなか難しいでしょうけど、求めてる人はきっと多いと思いますから。

少年との出会いから始まったボランティア

骨髄バンク、あしなが育英会、ドイツ平和村など、ボランティアを始めてもう15年近くたちました。

初めは同じ活動をこんなに長く続けることになるとは思ってもいなかったんです。ボランティアって、最終的にはやめることが1つの目標ですから。私が活動しなくても、患者さんみんなに骨髄移植が可能になったり、平和になれば、ドイツ平和村も必要がなくなるわけだから。でもまだまだやらなくてはいけない。

最初に活動を始めたのは、あるテレビ番組がきっかけでした。慢性骨髄性白血病と闘っている17才の少年の告白を聞き、スタジオの司会者が「頑張ってほしいですね」と言ったその一言にとても違和感を覚えたんです。少年の気持ちも分からず、ただ「頑張れ」というエールで締めくくる。それは私が1番言いたくないコメントでした。

マスコミに身を置く1人としての責任を感じ、少年の家に思わず電話をしたんです。その少年が本当は何を言いたかったのか、そのメッセージを知りたい。この少年を救いたい。そう思ったことから、活動が広がっていきました。

ボランティアというと何か特別なことと思われがちですが、私にとってはごく自然なこと。例えば、海でおぼれそうになっている人を見たら、放っておけませんよね。そのとき何も行動しなかったら、性格的に後で自分を責めるだろうし、何かを起こす方が私にとっては楽だったんです。それに仕事以外の居場所ができるって、楽しいですよ。

戦後の反省から生まれたドイツ平和村

阪神大震災後、ボランティアに対する意識が変わって、ずい分やりやすくなった気がしますが、日本はまだまだだと思いますね。ドイツ平和村では、戦争で傷付いた子どもたちを治療していますが、すべてが募金とボランティアの手で運営されているんです。

さまざまな紛争国から集まった手や足を失った子どもたちと出会い、いろんなことを考えます。人はなぜ戦争をするんだろう、地雷や武器を作った人たちはこの子たちに何が言えるんだろうとか。

平和村で治療を受けた子どもたちは何より平和の大切さを知る。そして自国に帰り、戦争よりも平和を選ぶ大人に成長していく。時間はかかるけれど、そうやって少しずつ変えていくしかないなと思います。

ドイツでは、第二次世界大戦の反省が徹底していて、学校でもきちんと自国の歴史を教えていることに驚きました。1人1人が戦争や平和について真剣に考えているんです。その反省から、平和村の活動が生まれました。

以前、日本でも平和村ができないかと思い、1年間いろいろと活動をしてみたんですけど、結論は日本では無理だということ。ドイツでは、戦地から来た子どもたちを入国審査もなく、飛行機から直接病院に運ぶんです。そんなこと、日本では考えられないですよね。実際に平和村を作るには、きれい事ではすまされない。現実的に子どもたちを救うためにはまずお金が必要です。

だから、今日本にできることはお金を援助すること。ドイツのマンパワーと日本のマネー。それが1番いい形の協力だと思っています。そして、私の役目は日本の方々に平和村の活動を知っていただくこと。平和村をテーマにした絵本を描いたり、写真展をしたり、どうやったら募金を集められるか、スケジュールを縫って日々奔走しています。

自分を表現できる仕事も大切にしたい

この10月26日から始まる、金曜時代劇「お江戸吉原事件帖」で主役をすることになり、このところ毎週京都に通っています。萬田久子さんや横山めぐみさんら、女4人で悪を抹殺していくという、時代劇版の「チャーリーズ・エンジェル」かな(笑)。現代ドラマに比べて、時代劇は3倍ぐらい大変だけど、女性が活躍する時代劇はあまりなかったので期待しています。現場の真摯な雰囲気が画面から伝わって、視聴者の皆さんにも楽しんでいただけたらうれしいですね。

最近は、たまの休みも原稿を書いたり、三味線のお稽古をしたり、家事をする暇もないぐらい忙しい。幸い、家事はほとんど夫が担当してくれていますが(笑)。でも、そんな中でも、自分を表現できる仕事も大切にしていきたいですね。本を書いたり、着物をデザインしたり。着物も私なりのメッセージを込めてデザインしているんです。

私が今1番大切にしていることは、自分らしく生きるということ。家族のためとか、仕事のためとかじゃなくて、まず自分の心が喜ぶかどうか、それを最優先する。わがままになるということではなく、本当に自分を大切にすることができれば、自然に周りの人も大切になるんです。いつもいつも頑張らなくてもいい。あるがままに生きられたら、心も豊かになれますよね。

(東京都目黒区にて取材)

  • 5才。瀬戸内海を渡るフェリーにて

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  • 6才。父に連れられて妹と野原へ

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  • 東 ちづるさん
  • 事あるごとに家族そろって 着物を着ていた

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  • ドイツ平和村にて アフガニスタンの男の子たちと

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  • まだまだ甘えたい年ごろの ドイツ平和村の子どもたち

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  • チャリティ平和村展にて 自作絵本の読みきかせ

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  • 10月26日スタート「お江戸吉原事件帖」

    10月26日スタート「お江戸吉原事件帖」

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