Ms Wendy

2007年9月掲載

キッチンから幸せ発信!美味しい料理と家族の笑顔、それが最高の幸せ

平野 レミさん/料理愛好家・シャンソン歌手

平野 レミさん/料理愛好家・シャンソン歌手
東京生まれ。
フランス文学者の平野威馬雄氏の長女。
お茶の水文化学院在学中より、佐藤美子さんにシャンソンを学び、日航ミュージックサロンでデビュー。
現在は、シャンソン歌手、料理愛好家として元気印の講演会、エッセイ執筆、NHK「きょうの料理」などテレビ、ラジオで活躍。
また、エプロンやレミパンなどキッチングッズの開発も行う。夫はイラストレーターの和田誠氏。
著書に「平野レミのおかず天国」ほか多数。2006年11月、CD「私の旅」(全15曲)発表。
料理上手な母と、愛情豊かな父の思い出

私の肩書きは「料理研究家」ではなく、「料理愛好家」。料理は、笑いながら、楽しく作るものだと思うから。その原点は、料理上手だった母の味ですね。6年前に他界した母は、言葉使いも品が良くて物静かな人だった。私とは全然違うの(笑)。

私は子どものころはガキ大将で、男の子を引き連れ野原を駆け回って遊んでました。でも、お料理は小さいころから大好きで、自分で創作したでたらめの料理を作ったり、キッチンを汚したりするんだけど、母には1度も怒られたことはないんです。だから、子どもが料理好きになるには、どんどん手伝わせた方がいいと思う。少しぐらい包丁で手を切っても、それも学習。母は言葉より体験することが大切だと思っていたんでしょうね。

詩人であり、文学者だった父は、アメリカ人と日本人のハーフ。父は子どものころ、自分がいじめられた経験があるから、戦後は、「レミの会」という混血児の会を作って、かわいそうな子どもたちをみんな家に呼んで、面倒を見ていたんです。私が小さいころから、肌や髪の毛色が違う子どもたちがいっぱい家にいて、一緒にご飯を食べて。合宿所みたいだった。それでも母は、嫌だとは一言も言わないで、子どもたちに美味しい料理を作り続けていた。子どもたちの喜ぶ顔を見るのが最高の幸せだったんだと思います。

そのうち父の活動に作家の(故)パール・バックさんが共鳴してくれて、子どもたちをアメリカに留学させたり、自立させようと協力してくれました。本当は、国がやるべきことなのに、父は熱血漢で自費ででもやらずにいられなかったのね。父も母もお金のことなんか全然考えなくて、いつも優しさと愛情だけがあふれていた。そういう両親に育てられたことは、私は宝だと思う。本当に幸せだった。父も母ももうこの世にはいないけど、今でもいつも「お父さん、お母さん、大好きよー」って空に向かって、叫んでますね。

ラジオが結んでくれた夫との縁

父から、いつも言われていたのは、「好きなことを徹底的にやれ」ということ。私は勉強嫌いだったけど、「勉強しろ」なんて言われたことは1度もない。それなのに、なぜか進学校の上野高校に合格して。中学校の先生も「奇跡だ」って言ったぐらい(笑)。

でも、通い始めたら周りはみんな東大目指してひたすら勉強。とてもついていけないから、ある日、思い切って父に「学校辞めたくなっちゃった」と打ち明けたの。父は何も聞かずに「いいよ、辞めろ、辞めろ」と。

そして、御茶ノ水の文化学院を薦めてくれたんです。そのおかげで、好きなことを伸び伸びとやることができた。もし、あのとき、そのまま大学に進んでいたら、今ごろどうなっていたんだろうって思うけど、本当に父はスケールの大きな人だったなと思いますね。

文化学院のときに、歌も大好きだったからシャンソンを習い始め、日航ミュージックサロンに合格してプロデビューしました。その後、TBSラジオ『ミュージックキャラバン』に久米宏さんと出演し、その番組のリスナーだった夫と結婚することに…。

和田さん(イラストレーターの和田誠さん)が私のラジオの声を聞いて、「明るくて、家庭的そうだし、いいな」って思ったんだって。和田さんは絵を書くのが大好きで、「好きなことをやるのが1番いい」というポリシー。「あっ、父と同じだ」って思ったのね。それで、出会って1週間で結婚を決めました。

エッセイがきっかけで料理の道へ

結婚して、和田さんが最初に言った言葉が、「あと何千回、レミの料理を食べられるかな」って。

それを聞いて、「この人、食べることに命かけてる」と思った。だから、一生懸命お料理を作ったのね。うちはお客さまが多いから、パパッとできて美味しい料理を考えて、同じものが重ならないようにカレンダーに料理をメモしたり。そうしたら、レミさんの料理は美味しいって、何となく評判が広まって。

その後、八木正夫さんというグルメの人から、リレーエッセイで、料理について自分の次に書いてほしいと頼まれたんです。それまで文章なんて書いたことがないから、絶対嫌だって言ったんだけど、「いつも作ってる料理について書いてくれればいいから」と。そして、そのエッセイがきっかけになり、いろんな雑誌やテレビ局から注目されるようになったんです。

1番最初に「今日の料理」に出演したとき、私が1番好きな「牛トマ」を作ったのね。牛肉とトマトを炒めた料理なんだけど、私がトマトを手でグチャッとつぶしたら、もう大変。「あれは何だ」って抗議の電話がテレビ局に殺到して。とんでもない人を起用したって、ディレクターは思ったらしい。ところが、次の日の新聞に、「平野レミの料理はユニークで最高だ」という評論が載って、ディレクターもホッとしたというわけ。

料理に面白い名前をつけたのも、私が最初でしょうね。例えば、コロッケを揚げないで作った「ごっくんコロッケ」とか「台満餃子」。餃子の皮をゆでて、具だけを電子レンジでチン。それを食べるときに合体すれば、口の中でちゃんと餃子になる。だから、「怠慢」とかけて「台満餃子」(笑)。そんな風に考えれば、料理も楽しいでしょ。

私の料理はシェフの料理じゃなくて、シュフの料理。主婦が毎日簡単に作れる、それが受けたんでしょうね。よく電車に乗ってると、全然知らない人から、「レミさん、作ったわよ。美味しかった」って、十年来の友達みたいに話しかけられるんです。私も「ホント?」って。そんな気軽な感じがいいんじゃないかな。

レシピを考えるときもまず家族に食べてもらって「これ、うまいね」って言われたものしか公表しない、というのが前提なんです。また夫が食べ上手というか、言い方がうまいんですよ。「こんなまずいもの食えないよ」なんて言わないで、「うーん、今日のはちょっとコクがないかな」なんて。そうすると、次はもっと美味しくしようと考える。新しい料理を出したときも、真っ先に食べてくれるし。結局、和田さんにうまく乗せられちゃったのかもしれませんね。

好きなことを一生懸命やれば、必ず道は開ける

今は、テレビや雑誌、いろんな仕事をしてるけど、あくまで本業は主婦だと思ってます。だから、地方に出張しても、帰りに材料を買って、必ず夕ご飯を作る。手抜きしてるみたいに見えるけど、意外としっかり主婦の仕事してるのよね。何しろ和田さんは一食でも逃さないって感じで、朝早くても夜遅くても、私が作る料理を楽しみにしてくれてるから。でも、私が疲れてるなって分かると「今日、どっか食いに行く?」って、さりげなく気を遣ってくれる。私よりも私のことを分かってくれてるみたい。ありがたいよねえ。お茶碗も洗ってくれるし(笑)。

私は、今まで嫌なことは素通りして、ただ好きなことを一生懸命やってるだけで、ここまで来た気がします。私も和田さんもそうだけど、好きなことは苦労だと思わないのよね。前に見た夢なんだけど、夢の中で私が料理を作ってると、誰かが私を後押しして、どんどん料理の世界に導いてくれてるのを実感したんです。泉のようにレシピが湧いてきて、もう幸せで楽しくて。だから、好きなことを一生懸命やっていると、誰かが応援してくれるし、必ず道は開ける。そう思いますね。

でも、自分から行動を起こさなければ、何も起こらない。私も八木さんからエッセイを頼まれて、嫌々でも書いた。それがきっかけでこんな楽しい世界が広がったわけだから。人生、何がきっかけになるか分からないから、とりあえず何でも挑戦したほうがいいと思いますよ。

それから、夫婦でもそれぞれ自分の世界を持ったほうがいいんじゃないかな。私は結婚してしばらくしたころ、和田さんが仕事をしているときに、普段とまったく違う厳しい顔をしているのを見て、ふっと淋しくなったんです。私には入れない和田さんだけの世界を持っている。夫婦って何なんだろうって。だから、私も自分の世界を見つけようと思った。私の場合は、それが大好きな料理の世界だったんだけど、ボランティアでも何でもいいから、自分が好きなこと、自分だけの世界を持つことって、大切なことだと思います。

父との約束のCD

私のもう1つの肩書きは「シャンソン歌手」。実は昨年、「私の旅」というタイトルで、久しぶりにシャンソンのCDを出したんです。

ある日曜日、のんびり和田さんとお茶を飲んでいたの。子どもたちも自立したし、庭に来る野良猫を見ながら、「和田さん、もう子育てもすんじゃってのんびりね、うれしいね」って私が言ったら、「レミにはまだやることがあるよ」と。

結婚するとき、父から「レミは歌が大好きだから、歌だけは取らないでくださいね」と言われた言葉を、和田さんはずっと気にしていて、「シャンソンのCDを出そう」って。それで、和田さんのプロデュースで、「枯葉」とか「ラ・セーヌ」とか世界の名曲を集めて、訳詩も新曲の作詞も、全部やってくれたんです。しかも、阿川佐和子さん、清水ミチコさん、石川セリさんがバックコーラスで歌っているという、さりげなく豪華なCD。できあがって、1番最初に、外人墓地の父のお墓に報告に行きました。「お父さん、できたからね」って。

これでもうやることもやったし、後は楽しく人生を過ごしたい。でも、最近はちょっと政治が気になりますね。しっかり見てないと、とんでもない方向に行きそうで。もし、憲法9条が変えられて、戦争ができる国になったら大変なことになる。何より、平和が1番大切だから。

私は、いつも「キッチンから幸せ発信!」って言ってるの。キッチンで家族そろってみんなで手作りの料理を楽しく食べる。それが最高の幸せだし、幸せな家庭が増えれば街中が幸せになる。そんな街や国が増えれば、世界はきっと平和になる。そんなことを考えながら、美味しく楽しく、愛情込めて料理を作り続けたいですね。

(千代田区のレストラン「アラスカ」にて取材)

  • お母さんと子どものころの写真

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  • 平野 レミさん
  • お父さんと作家・パールバックさん

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  • シャンソンを歌っているところ

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  • 屋外での料理番組収録風景

    屋外での料理番組収録風景

(無断転載禁ず)

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