Ms Wendy

2007年5月掲載

歌一筋35年、2000曲。歌うことが私の役目だと思っています

石川 さゆりさん/歌手

石川 さゆりさん/歌手
1958年、熊本県熊本市生まれ。
73年、「かくれんぼ」でアイドル歌手としてデビュー。
77年に「津軽海峡・冬景色」が大ヒット。代表曲に「能登半島」「波止場しぐれ」「天城越え」「夫婦善哉」「風の盆恋歌」など。
NHK『紅白歌合戦』には29回出場し、トリも4回。
今春、シングル100曲目となる「狭霧(さぎり)の宿」を発表。
5月23日にオリジナルアルバム『さゆりⅢ』が発売。歌芝居を取り入れた35周年コンサート『さゆり物語』を全国各地で公演中。
祖母と唄った「船頭小唄」で優勝

子ども時代は本当に元気のいい、男の子みたいな女の子でした。熊本県熊本市(旧・飽託郡飽田村)の、JR熊本駅から車で15分くらいの田園風景が広がる村に生まれ育ちました。実家では目の前にバス停があって、バスの切符やタバコを売っていたんですね。ちょうどブラウン管ぐらいの大きさのタバコを売る窓口で、祖母が私を子守しながら歌を教えてくれて。「船頭小唄」とか「カチューシャの唄」とか、ちょうど祖母の青春時代の歌。お客さんの前で「歌ってごらん」と言われ、「船頭小唄」を歌ったり。ほんと、のどかな時代でしたね。保母をしていた母も歌好きで、童謡をよく教えてくれました。

歌手に憧れたのは小学校3年生のとき、地元で開催された島倉千代子さんの歌謡ショーを見てから。すごく感動したんです。昭和30~40年代っていうのは今みたいに明るくない時代で、灯りだって裸電球だったり。そんな時代に、歌謡ショーでは赤とかブルーとかグリーンのライトが飛び交い、紫色の振袖を着て現れた島倉さんを見て、「なんて素敵なんだろう!」と。自分の実生活にない空間を、子どもながらに感じたんですね。そして「ああ、歌手になりたいな」と思ったのが今に至る第一歩でした。

でも当時、芸能界はすぐ手の届くものではなくて、全くの別世界の存在。ましてや九州の熊本で「歌手になりたい!」なんて言ったら「何寝ぼけたこと言ってんの?」なんて言われる始末(笑)。歌手は憧れ、夢として胸に秘めていましたね。

5年生になったときに父の仕事で横浜へ転居。そこで歌のお稽古に通い始めました。でも家では塾に行くお金は出してくれるけれど、歌の稽古代までは出してくれない。そこで、牛乳配達のアルバイトを始めたんです。なぜ新聞配達じゃなかったかというと、牛乳配達ならレッスンのある日曜は休みだったから。そのへんは子どもなりに一生懸命考えたんですね。レッスン料は月5000円。バイト料が3000円だったので、配る本数を増やしてもらって5000円に値上げしてもらった。毎朝、5時に起きて配達していました。

「天城越え」の歌詞に腹をくくった

転機は中学3年生の夏。友人の代役で急きょ、こども歌謡選手権に出場することになったんです。突然だったので曲も用意していなくて。そこで選んだ曲が祖母との思い出の曲「船頭小唄」。その歌でオーディションも受かり、テレビに出てチャンピオン大会でグランドチャンピオンになりました。翌月にはテレビ局から、秋のドラマ「光る海」の出演を依頼され、半年間出演しました。そこまではとんとん拍子でしたね。

歌手としては翌年「かくれんぼ」でデビュー。森昌子、石川さゆり、山口百恵の、ホリプロ3人娘として売り出しました。ローティーン歌手の走りだったんです。でもほかの2人は順調に伸びたけれども私だけ出遅れてしまった。桜田淳子さんが入ると、私はいつのまにか3人娘から抜けていて…。

大きなヒット曲に恵まれないまま日が過ぎていきました。レコードは20~30万枚売れていたけれど、当時はその程度ではヒットとは見なされなかったんです。そのころは、オーディションに合格しないと歌番組にも出られない時代だったし、芸能界の厳しい競争の中でとても辛い時期でした。

ちょうどそのころ、二葉百合子さんの「岸壁の母」がブレイクし、浪曲…なんてカッコイイのだろうと、「浪曲を教えてください」とお願いに行ったんです。二葉先生からは浪曲の発声法や歌手としての心構えなど、いろいろなことを教えていただきました。

そしてデビューから5年たった77年。「津軽海峡・冬景色」が大ヒットしました。その年は高校卒業前で単位が足りず、「先生、絶対今年はヒット曲出して紅白に出るから、単位をください!」って頼み込んだのを覚えています。懐かしい青春?の思い出です。

新しい作品をいただいたときは、詞だけをまず読み込みます。一方でメロディーだけでイメージを作り、最終的に曲になりアレンジしたものでイメージを重ねて歌の世界を作り上げていきます。「天城越え」のときは、初めて歌詞を見たとき「なんじゃこれ!?」って思いましたね(笑)。テクニックとか、自分の経験値の中でクリアしようとしても太刀打ちできない歌の世界。それなら思い切り演じ切ってしまおうと、あのときは腹をくくりました。

性格的には、負けず嫌いではっきりしているのかもしれないですね。決めるまでは「どうしよう…」と人一倍悩む方なんですが、「そっか」と思った瞬間すぐに吹っ切れる。それは性格なのか、得意技なのか分からないけれど。1度決めたら、人に何と言われようと迷いなく突き進む。まあ、それで幾度失敗したことか分からないんですけどね(笑)。

手作りおやつ、旅…子育ては楽しんで

子育てしながらの歌手生活。1人娘も23才になりました。幼稚園時代は毎日自転車で送り迎えしていましたね。「仕事に行かないで」と言われたこともあった。娘にとっては、仕事にお母さんを取られているという気持ちだったんでしょうね。あるとき、「どうして歌を歌っているの?」と聞かれたんです。私は「1人1人、生まれたときに神様からお役目をもらっていて、お母さんは歌うことがお役目なのよ」と。その言葉を、子どもなりに理解してくれたようですが、娘にも自分の役目を一生懸命探してほしいと思いますね。

それでも、なるべく寂しい思いをさせないように、子どものお菓子も全部手作りしていたんですよ。人工的な添加物は与えたくないから、ポテトチップスもお芋からスライスして作って。でも今となっては関係ないですね。あんなに神経質にしなくてもよかったかなと。夜コンビニのお菓子を買ってきて「お母さん、一緒に食べよう」なんて言われると、「私のやってきたことは何だったの?」 なんて思いますよ(笑)。

子育てって振り返ってみると、大変だったときのことが1番楽しいんですね。1人の人間を育てるって、そうそうできることじゃないし、いろんなことに興味があったので、育児は楽しんでやっていました。自分の言ったことがどんどん刷り込まれていく楽しさ。赤ちゃんのときは母乳をあげると100g、200gって体重が確実に増えていくし、食べ物でウンチの色まで変わってしまう。そういったことがすごく面白かったですね。

子どもと散歩しながら、「道にお花が咲いたね」と話す。もし大人だけで暮らしていたら、話題にさえしないかもしれないけど、子どもと生活すると小さな季節の移ろいも感じることができる。子どもから得たことはたくさんあると思います。まあ、子育てにマニュアルはないし、それぞれでいいんだと思う。子は親を選べない。うちではそう言っているの(笑)。

毎年、娘とはテーマを決めて旅行に行っています。“夏休みにお祭りをどれだけ見られるか"というテーマでねぶた、竿灯、七夕祭りと東北のお祭りをずーっと見て歩いたり。モンゴル、ゴビ砂漠、オーストラリアも行きました。旅は私にとっても自分を見つめ直すいい機会になるし、娘も自然が大好きになりました。何しろ1人でアマゾンの村まで行きましたから。外国に行くと、私と娘は姉妹に見られるのね。私はうれしいんだけれど、娘の方では「この人は私の母です」と一生懸命訴えています(笑)。

新しい“石川さゆり”を見せたい

趣味はスキューバダイビングやスキー。よく意外だと言われますが、四輪駆動車に機材を積んで出かけます。スキューバダイビングは3mm厚の薄いウェットスーツで、楽しんでいますね。伊豆あたりで潜ると、沖縄の海にいるような熱帯魚が泳いでいる。いま温暖化の問題はいわれているけれど、実際に目の当たりにすると昔と比べてずいぶん水温が上がっているんだなあと実感します。

今年は、歌手デビューしてから35周年という区切りの年。今回あらためて調べてみたら、今までに出したアルバムは113枚、曲数にして1954曲もありました。「ずいぶん皆さんにお届けして聴いていただいてきたんだなあ」と感慨深かったですね。

3月の35周年パーティーの前夜、「もっと女を磨かなきゃ」って娘がお風呂で背中を流してくれたんですが、自分にとっては本当に新しいスタートですね。

皆さんにはこれから“新しい石川さゆり"をお見せしていきたい。3年前から新しい試みとして、コンサートの中で「歌芝居」を始めました。もともと日本の話芸には素晴らしいものがあって、作家の故・水上勉先生の勧めもあり、お話の歌い語りをやってみたいと思ったのがきっかけです。最初は近松門左衛門原作、大経師昔暦より「夢の浮橋」という歌を作り、浪曲や義太夫を取り入れて上演。昨年は落語の「芝浜」をモチーフに、歌と落語の語りをやりました。そして、今年は“さゆり物語"で講談に初挑戦。私が生まれてからデビューして、現在に至るまでを講談で語りながら、皆さんに応援していただいた数々の歌を歌っていきます。

大好きな青山劇場でのコンサート“石川さゆり音楽会"も5年ぶりに再開しようと計画中。お客さまからの手応えをじかに感じる生のライブが、私は1番好き。今年は、「ああ、こんな石川さゆりもあるんだな」と皆さんに発見してもらえたらうれしいですね。

歌一筋35年、2000曲近くの歌。歌い続けてきたその情熱はどこから来ているのかというと、それはやっぱり、歌を歌うことがすごく好きなんですね。新しい歌と出合うことが好きだし、作っていくことが好き。この先10年、20年、ずっと…いつまで続くか分かりませんが、これからも、元気に歌い続けていきたいと思います。

(渋谷区のレコード会社にて取材)

  • 2才ごろお祭りで 買ってもらった玩具を持って

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  • 小学5年生 盆踊りにて

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  • 中学3年生の夏休み コンクールにて

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  • 10年前プライベート旅行 モンゴルにて

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  • 中学入学式 学校で

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  •  昨年のコンサートツアーにて

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