イギリスは『心癒される場所』。豊かな心と暮らしがある国なんです
- 井形 慶子さん/作家・「ミスター・パートナー」編集長
- 1959年、長崎県生まれ。大学在学中から出版社でインテリア雑誌の編集にたずさわる。
その後世界60ヵ国に流通する外国人向け情報誌「Hir@gana Times」を創刊。
28才で独立、出版社を起こし、個人的な暮らしをテーマにした情報誌「ミスター・パートナー」を発刊。
出版社経営のかたわら、長年興味を持っていたイギリスについてのエッセイを執筆。
主な著書に「古くて豊かなイギリスの家 便利で貧しい日本の家」(新潮文庫)「あなたが私を好きだった頃」(ポプラ社)「イギリス式月収20万円の暮らし方」(講談社)ほか多数。
突撃インタビューで出版社に入社
28才で出版社を立ち上げ、「ミスター・パートナー」という月刊誌を創刊しました。当時、イギリスの専門雑誌は日本ではまだ珍しく、結婚や身近な生活情報を盛り込んだこの雑誌は、うれしいことに20年近くたった今も多くの方々に読んでいただいています。
私が編集の仕事に関わり始めたのは大学生のときですが、子どものころの夢は全く違うものでした。
生まれ育ったのは、長崎市のめがね橋のたもと。祖父が経営する会社に父も勤め、どちらかというと裕福な家庭でした。私は3人姉妹の長女でしたが、小さいころから変わった子どもでしたね。
親の仕事上のお付き合いで、ゴルフ場や桜見会にも一緒に行ったんですが、いつも私が先導して騒ぎ出し、怒られてばかり。それで父親から、「お前はみんなに嫌われている」と言われて。その言葉がコンプレックスになって、私はほかの子とは違うんだとずっと思っていたんです。
そんな私を守ってくれたのが母でした。母はとても反骨精神の旺盛な人で、保守的で型を重んずる家系の中で、子どもたちを自由に育てたいと苦労していたようです。母は今も、登校拒否児の会を作ったり、教育関係の活動をしています。
小さいころの日課は、朝6時に起きて、油絵を描いていた祖父と一緒に、スケッチブックを持って散歩に行くこと。長崎は風光明媚な場所が多く、写生をするのがとても楽しかったですね。そういう中で、自然に画家を志すようになったのですが、師事していた先生が変わり者で、こんな風になるのは嫌だなと思って (笑)。
それなら漫画家になろうと、少女漫画を描き始めたら、高校2年のときに講談社の新人賞をいただいたんです。それで、漫画家のデビューを目指し、上京したわけです。
ところが、大学2年のころ、出版社に行ったときに編集の仕事の方が面白そうだなと思い、大学を辞めて出版社に入ろうと思ったんです。でも、当時は大学中退で出版社に入るのは難しかったんですよ。そこで何を考えたかというと、パリに住む高田賢三さんの突撃インタビューをすること。といっても大学生でお金もなく、キャンプ場に宿泊する格安ツアーを見つけて、ヨーロッパ旅行に出かけたんです。パリで、高田さんのアトリエを見つけ、「雑誌を創刊する」とウソを言い、無理やり取材させてもらって。そして、帰国後、その企画を出版社に持ち込み、なんとか入社することができました。
シングルマザーから、会社設立へ
その後、結婚して出産し、25才で離婚。そのころは、フリーの編集者として仕事をしていたんですが、本当に大変でした。子どもをベビーシッターに預けて取材に出かけ、夜10時ごろお迎えに行く。それでも仕事がどんどん減っていき、とにかく収入を安定させることだけを考えていたんです。
そこで、次に考えたのは「赤ちゃんを連れて外国へ行く」という企画。その企画を出版社に出したら採用してくれることになり、私はまだ乳飲み子の娘を連れて、イギリスへと旅立つことに…。もうあのときは、本当に崖っぷちという感じでしたが、その旅をきっかけにイギリスとも深く関わるようになったのです。
そして、帰国後、自分の媒体を持ちたいと思い外国人向けの情報誌「ひらがなタイムズ」を創刊。この雑誌はタウン誌大賞を 2度も受賞し、今や世界60ヵ国に流通する情報誌に成長しました。
その後、「海外ライフ」という新聞も発刊し、さらに次の事業として、28才で会社を立ち上げることになったわけです。でも、会社の経営というのは思った以上に大仕事でした。資金繰りのため営業に走り回りながら、毎日もう辞めたいと思っていましたね。
実は会社を立ち上げるとき、勤めていた会社から「もし、うまくいかなかったら月25万の給料でいつでも雇います」という誓約書を書いてもらったんですよ。安定志向の性格ですから(笑)。
今は、会社のスタッフも30人に増え、システムもできてきたので、ずっと楽になりましたね。会社をうまくやっていくには、やはり気の合う人や意思疎通のしやすい人と一緒にやっていくことが大事だと思います。
イギリスより20年遅れている日本の社会
2000年に出版した「古くて豊かなイギリスの家 便利で貧しい日本の家」という本がベストセラーになり、作家としての道も本格的に開かれました。この本が生まれたのも面白いいきさつがあり、あるとき、この本のタイトルをフッと思いつき、知り合いの編集者に電話をしたら、「すぐに書いてくれ」と。
タイトルを聞いただけで、これは売れると思ったらしいんです。その後、この本が話題になり、嫌というほど取材攻めにあいました。日本とイギリスの比較文化論ですが、ちょうど、日本でも本当の豊かさや価値観を見直そうという時期だったんでしょうね。
私にとって、イギリスは「心癒される場所」。離婚したとき、仕事に疲れたとき、いつもフラッとイギリスに行き、エネルギーを充電させて帰ってくる。今までに70回以上は渡英してますね。
なぜ、そこまでイギリスに惹かれるのか、というと、やはり25才で娘を連れて行ったときの体験が大きいんです。そのころ日本では、離婚して子どもを抱えた女性は社会から認められず、私は孤独でつらい思いをしていました。でもイギリスに行ったとたん、周囲の人たちが、本当に温かく手を差し伸べてくれた。この国の人たちはなぜこんなにも優しいのか、この豊かな心の根源は何なんだろう、と考えたのがイギリスに惹かれたきっかけですね。
私の実感では、日本はイギリスに比べて20年は遅れていると思います。住宅問題1つとっても、イギリスでは、プライバシーを守るために、隣の家との距離30メートル空けなくてはいけないという法律が、日本の明治維新のころにすでに制定されているんですよ。町全体で景観を美しく守ろうという仕組みがきちんとできています。また、老後の生活も保障されているので、高齢者になってもみんなイキイキと暮らしています。ボランティアをしたり、学校で自分の技術を教えたり、いくつになっても仕事があるし、年齢にとらわれず最後の瞬間まで楽しんで生きる。それがイギリスでは当たり前なんですね。
でも、離婚率はヨーロッパで1番高い。夫婦の愛情がなくなったらすぐに離婚。その代わり、夫婦でもいつまでも男と女でいられるんです。60代、70代での再婚も多いし、まさにイギリスは再婚天国ですよ(笑)。
日本はイギリスに比べてまだまだ社会基盤が整備されていない気がします。それと、あまりにも自由で規律がない。最近のニートやフリーターの問題もそうですが、自由に好きに生きていいと言われると、何を選んだらいいのか分からなくなると思いますよ。
「行き当たりばったりでも夢はかなう」
その後、33才で再婚し、23才になる娘は今会社を手伝ってくれています。私自身、20代で子どもを育て、経営者としての責任という、大きな規制を負ったのは、ある意味では幸せなことだったのかもしれません。それがあったからこそ頑張れたし、どん底の日々を経験したからこそ、もうそこまで落ちたくはないと、必死だったんでしょうね。
それと、もう1つ私を支え続けてきたのは、「あなたには才能がある」という言葉でした。師事していた画家の先生や漫画を描いたときの担当者、ほかにも何人もの方から言われて、いつしか「私は絶対世の中から注目される人間になる」という確信に変わっていたのです。それが私のエネルギーになって、一生懸命頑張っているうちにいつの間にか助けてくれる人が現れて。だから、あまり先のことまで考えないで、「今日を生きる」ことが大切ですね。
よく私の本を読んだ方から相談の手紙をいただくんですけど、悩み好きな人が多いんじゃないかと思います。考えすぎて逆に悩みをクリエイトしてるような。そうじゃなくて、まず今日のことを考えて生きていると、道は必ずつながっていくと思います。
先日、高校生を対象にした講演を頼まれたんですが、そのテーマは「行き当たりばったりでも夢はかなう」(笑)。私自身の体験を写真を見せながら、ドキュメンタリー風に話したんですが、学生たちは目をらんらんと輝かせて聞いてくれました。
私の場合、直感だけを頼りに、まさに行き当たりばったりに生きてきた気がします。それでも不思議とうまくいくんですよ。会社の業績もずっと伸び続けていますし、社員からは「ビジョンが必要だ」と言われるんですけど、上場するとか大きな目標を掲げるのは、正直苦手なんですよ。その代わり、雑誌の「質」は大事にしますね。来年の春に向けて、こういう特集を組もうとか、イギリス好きな読者の方に少しでも喜んでもらえる企画を考えています。
自分の人生は自分で拓く
最近は、イギリスでも日本でもスピリチュアルな世界が1つのブームになっていますが、実は昨年、占いや霊能者をテーマにした本(「夜にそびえる不安の塔」)を出したんですよ。私自身、ひょんなことから霊能者たちと交流することになり、その体験から、占いに依存することの怖さもつづっています。インスピレーションや直感というのは、人間が本来持っている能力ですが、その能力を使うのはあくまで自分の意思でなくてはいけないと、あらためて思いました。人生を拓くのは、自分自身なのですから。
思えば、いつも人の何倍もの速さで駆け抜けてきた、馬車馬のような人生でした。これからは、会社の経営も少しずつバトンタッチしながら、もっと海外に出たいなと思います。そしてこれからも、実現可能な夢を見続けていきたいですね。
(東京都新宿区の事務所にて取材)
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