Ms Wendy

2004年7月掲載

21世紀、ファッションの概念は確実に変わります

大内 順子さん/ファッション・ジャーナリスト

大内 順子さん/ファッション・ジャーナリスト
上海生まれ。青山学院大学文学部英米文学科卒業。
大学在学中はモデルとして活躍する一方で、画家・舞台美術家である宮内裕氏と結婚。
卒業後は、雑誌、新聞、ラジオ、テレビなど、幅広い分野で、ジャーナリストとして活躍。
優れた語学力というだけでなく「自分で直接取材したものだけを伝える」というジャーナリストとしての真摯な姿勢は、トム・フォードをはじめ、多くのトップ・デザイナーたちの篤い信頼を集める。
著書に、自伝的エッセイ『生きること、着ること』(講談社)、『パリ・コレの最前列から』(婦人画報社)、『おしゃれの夢』(平凡出版)など多数。
また、近年は「大内順子」ブランドの着物、器、サングラス、ウイッグ他の制作も手掛ける。2001年、フランス共和国より「フランス芸術文化勲章 オフィシエ」を受勲ほか受賞歴も多数。
常に「今が1番忙しい!」

私は、かれこれ40年以上、パリコレクションの取材など、ファッションジャーナリストの仕事をしてきました。この間もふっと考えていたんですが、今年1 月~5月までのスケジュールを振り返ると、「ああ、私はよく命を長らえているなあ」と(笑)。お正月明けすぐにパリコレクションが始まって、その取材に行き、2月はミラノの取材、3月はまたパリ。終わると、取材したコレクションについて、テレビ『ファッション通信』(BSジャパン)の計6回のナレーションの原稿を書いて録音して。それ以外にも雑誌の仕事、ホームページの作成、ファッション関係のイベントの出席、取材…。でも、考えてみたら、なんだ昨年もこうだった、一昨年もそうだったなあと。大学時代にモデルのアルバイトを始めて、途中で結婚をし、卒業後に今の仕事を始めて、娘を育てて…。結局、この40年間、常に「今が1番忙しい!」という連続でやってきた感じです(笑)。

初めての一人旅、それが 今の仕事のきっかけに

実は、私がこの仕事をする最大のきっかけになったのは、大学卒業の翌年、1958年にした、初めてのヨーロッパ一人旅なんです。今は子どもでも外国に行くのが当たり前だけど、当時は、1歩外国に出るというのは、一般人にはほぼ不可能。信じられないでしょうけれど、パスポートも自由には取れない。行けるのは、スチュワーデスか役人かビジネスでドルを稼いでくる人たちだけ。けれど、私は幸運なことに、大学卒業の翌年、モデルのアルバイトをしていたときの知人からエジプト行きの話が回ってきたんですね。「エジプトで“コットンフェア”というイベントがある。そのイベントの中で開催されるショーをモデル3人だけでやって来られるなら、エジプトまでの往復と滞在費は出る。後は、自分のお金で行きたければヨーロッパへ自由に行くことは可能だ。パスポートは取れるから」と。もちろんやりました(笑)。モデルだけでなく、プロデュース、演出…、デザイナーにも全て自分たちでオーダーして。中原淳一さんにも随分作っていただいたし、山野愛子さんには島田のかつらまで貸していただいて。それらを担いで行き、音楽は、向こうの生バンドに口移しで「さくら、さくら」を教えての自作自演(笑)。

その後、私は一人で、ヨーロッパを旅したんですね。エジプトからローマに入って、フィレンツェ、ヴェニス、チューリッヒ、パリ、コペンハーゲン…。初めての旅だから、本当にゆっくり1ヶ所に2、3泊ずつ泊まって。ホテルにチェックインしたら、まずは地図を片手に英語の市内の観光バスに乗る。そうすると、女一人だから、同乗した世界中のイングリッシュ・スピーキングピープルが、親切にいろんなことを教えてくれるんですね。安くておいしいレストランだとか街の見所だとか。中でも、ヴェニスで出会った年配のアメリカ人男女4人のグループは、とても親切にしてくれて、結局ヴェニスにいる間ずっと一緒にいました。特に一人の男性はとても知識が豊富で、古い絵画から建築から全部説明してくれたんですね。あれは、本当に楽しかった…。と、その旅が本当に楽しかったから、帰っても、今度はあそこに行ってみたい、あれを見たいと思う。で、一生懸命節約して節約してお金を貯めて、また行って…。今から振り返ると、その時期の、ゆっくりいろんなものを見たことが後の取材にどんなに役に立ったかと思います。また、そもそもは、その旅の経験があったからこそ、当時はどの編集者も「そんなこと絶対に不可能ですよ」と口を揃えたシャネルやエルメスなどの取材も、「できないはずがない」と踏み込めたわけですから。

日本の婦人誌としては 初めてシャネルを取材

かつては、日本の婦人誌がパリやミラノに行って直接シャネルやエルメスに取材するなんて皆無だったんですね。だから、私が「東京や横浜の名店を取材するんだったら、パリの名店を取材したっていいじゃない。飛行機代も何も自分で持つからやりたい。きっと読者もうれしいはずだから」と言っても、「それはすばらしいね、でも向こうが受けてくれませんよ」って。まるで「虹の橋を渡って夢の国に行きましょう」という話をしているような応対でした(笑)。でも、1973年、『家庭画報』という雑誌の編集長が新しく変わり、その方が「大内さん、あれ、ほんとにできると思う?」と。私は「できないはずがないと思う」。「じゃあ、やってみよう。でも、危険な賭けだから、大内さん一人でやってくれる?その代わり、何にもできないで帰ってきても全然気にしないでいいから」と。その時点でも彼は、半分以上は不可能だと思っていらしたみたい(笑)。

しかし、私は結局、エルメスとシャネルとセリーヌと3社取材できたんです。シャネルには、“まるで私がオートクチュールを作っているように試着して仮縫いして”というシーンを撮りたいとお願いして、さらにココ・シャネルのお部屋もしっかり撮らせてもらいました。エルメスにも、社長のインタビューから工房、はては、かつての王たちのために作った乗馬服やブーツの色見本や皮見本、王たちのサインなどがとじられた古いオーダーブックまで見せてもらいました。そして、それを載せたら読者の方々の反応もとてもよかったので、結局、1ヵ月おきに1年半の連載で、パリだけでなくイタリーや北欧のショップまで取材しました。たぶん、グッチ、フェラガモなども、日本のマスコミとしては初めて取材したんじゃないかなと思います。

不可能を可能にする 根本はお節介の精神

そういう経験が下敷きにあって、次はテレビでも取材したいと思うようになったんですね。パリコレクションなどのショーを伝える場合、1枚の写真よりも10枚の写真がいい。モノクロよりもカラーがいい。カラー写真よりも映像がいいと思うようになって。だけど、今度もまた、「パリコレクションをテレビでやりませんか?」と言っても「そんなアサッテの話しないでください」と。そんな時代がずっと続いたんです(笑)。だったら、もう待てない、自分でやるしかないわと。それで、1976年、ソニーの盛田昭夫元会長の奥さまにご協力していただいて、ソニーのビデオ機材を無料でお借りして、現地のアメリカ人クルーを2人紹介いただき、彼らと私の3人だけで、パリとミラノのコレクションを取材したんです。当時はまだ取材が少ないころでしたから、「話を聞かせてください」とお願いすると、面白いものが山ほど撮れて。それをNHKに「もちろん無料でよいから放送してください」と持ち込んで。私も一緒になって編集して、結局、朝9時からの30分番組として放送できたんですね。もちろん、相当赤字が出ましたけれど、それが、やがて『ファッション通信』などテレビの仕事に繋がっていったんですね。

でも、そういう行動はね、勇気とかフロンティア精神というよりは、根本的には“お節介”なんですね。だから、自分が見て「わあ、なんて素敵なんだろう」と感激すると、誰かに伝えたくてしょうがなくなるんです。そうしたら、きっとうれしいだろうなって勝手に思っちゃうんです(笑)。その思いが、ジャーナリストとしての行動だけでなく、私が日々を生きる大きな元になっている気がします。

21世紀は送り手と受け手が同等になる時代

そして、そんな流れの中で、今、私が1番興味があるのは、もの作りなんですね。今まで私は人が作った良いものを伝える立場でしたが、これからは、こういうものがあったらうれしいな、便利だなと思ったものを作っていきたいんです。実は、今日私がつけているウイッグもその1つなんですよ。「暑かったり重かったりヤヤこしくなくて、手軽に楽しめてお洒落で、コレクションなんかでメチャメチャ忙しくて髪が洗えなくても見苦しくなくて済むような、そういうものがないかなあ、欲しいなあ」と言ったら、アートネイチャーさんが作ってくれて。それが商品化されて今、有り難いことに大好評なんですね。その他にも、お洒落で使いやすくてリーズナブルな着物、食器、メガネ…、おかげさまで、既にいろいろなものを作ってきました。でも、私の中には、まだまだ新しいもののイメージがいっぱいあるんですね(笑)。たとえば、どんなに歩いても疲れない、しかもスカートで履いても足が長く見えて、もちろんパンツに合わせても良くて、スニーカーじゃなくて大人の感覚で履ける。そういう靴って欲しいでしょう?だけどやっぱりみんなは「無理だ」と言う。でも、私は絶対できると思うんです。これまでもそうだったように、できると信じて楽しく一生懸命努力していれば、物事はいつか必ず実現できるはずだって…。

それに、これは私が'90年代からパリコレの現場でも刻々と感じてきたことですけれど、21世紀は「送り手と受け手が同じ立場に立つ時代」なんですね。私たち一般大衆は縫製工場を持ってない、洋服や物は作れないけれど、選ぶ力は持っている。一方、作り手も送り手側も、そういう選ぶ側に選んでもらわないと困る。すると、ますます選ぶ側の力が大きくなる…。だから、これからは、「流行に従ってないと私はダメかもしれない」なんて、とんでもない。自分のニーズに合った好きなものを自由に選ぶ。それは着るものだけではなくインテリアも住まいも…。それが21世紀という時代だし、ファッションです。私のもの作りも、やっぱり、そこが基本にあります。

というわけで、今の私の毎日は、大変といえば大変だけど、やりたいことをやっているから、幸せといえば全てが幸せです。あと、無条件に幸せなのは、やっぱり孫の成長かな(笑)。どんどん成長していくものって、うちのベランダの花や木もそうですけど、周りをとても幸せにする。幸せの波動をたくさん出してくれるから…。とはいえ、それに接している私自身の精神年齢は、なんだかさっぱり成長してないみたいなんですけれど(笑)。

(東京都港区南青山のオフィスにて取材)

  • グッチのデザイナーだったトム・フォードさんと

    グッチのデザイナーだったトム・フォードさんと

  • シャネル・フェンディのデザイナーカール・ラガーフェルドと

    シャネル・フェンディのデザイナーカール・ラガーフェルドと

  • photo Sheene Hay wood お孫さんの写真

    photo Sheene Hay wood
    お孫さんの写真

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