大切なのは、周りの価値観に合わせるのではなく、“自分らしく”生きること
- 海原 純子さん/医師・エッセイスト・歌手
- 女性のための心療内科「海原メンタルクリニック」所長。医学博士。エッセイスト、歌手。
84年、東京青山に日本初の女性のための健康管理クリニック「海原メディカルクリニック」を開設。
88年から、「海原メンタルクリニック」に変更し、女性の心の問題をテーマに、メディカルアロマテラピーを取り入れたカウンセリングを行うと共に、執筆、講演活動を行っている。
99年より、歌手活動を再開。
ラジオNIKKEI「海原純子のラジオ診療室」でパーソナリティーをつとめるほか、テレビ、ラジオでも活躍。
著書『12女神運命カウンセリング』他多数。
日本初の女性クリニックを開設
私が、青山に日本で初めての女性クリニックを開設したのは、ちょうど20年前のこと。女性の心と体をトータルに診療できる医療をめざしたいと思ったんですが、当時はものすごく大変でした。まだ女医の存在すら珍しい時代でしたから、最初は女性クリニックと言っても理解してもらえず、ずっと婦人科の医者だと思われていたんですよ。
でも、しだいに仕事や人間関係などのストレスを抱えた患者さんが殺到して、食事する時間もないほどの忙しさでした。そのころは東京慈恵会医大に勤務していたので、昼間は病院で働き、夕方5時から8時までは自分のクリニックで診療、という生活スタイルが12年ほど続いたんです。女性のために少しでもいい医療をと思い、看護婦や栄養士、臨床心理士など、専門のスタッフを増やしていくうちに、人件費が膨大になり、経営は火の車。だんだん借金だけが増えてきて、私は何のためにやっているのだろうって。
そう思い始めたころ、阪神大震災で夫の実家が被災し、クリニックを一時休診することになりました。その途端、自分の体が悲鳴を上げていることに気が付いたのです。顔面マヒで口が開かず、食べ物も噛めないし喋れない。体重は35kgまで落ち込みました。きっと、それまで体に無理をさせ、抑えこんでいたものが一気に噴出したんでしょうね。
その後、3年ほどはまったく仕事ができない状態でした。今まで築いてきたものも失い、体も心ももうボロボロ。でも、そのデッドラインの中で、本当にたくさんのことに気付かされ、それまでの生き方を180度、方向転換することができたんです。
「いい医者」「いい妻」の仮面の下で
考えてみると、私は子どものころからずっと「いい子」を演じていたような気がします。
私の父は横浜で耳鼻科医を営んでいましたが、疎開先に行く途中の広島で被爆して体が弱かったので、生活も苦しく、いつも私ががんばらなくてはという思いがあったのかもしれません。その後、小学校5年のときに、母親の希望で雙葉女子学園に編入。でも、周りは「お嬢様」ばかりの雰囲気になじめず、孤独感を感じる中で、早く自立したいという思いが強くなっていきました。
そして、医者になる道を選んだ私は、医大に通いながら、夜は新宿のクラブでジャズシンガーとしてアルバイトを始めました。そんなころ、ドラマの主題歌の歌手を探している、音楽ディレクターと出会い結婚しました。
結婚して歌を止め、医者としての仕事も精一杯こなし、家では「いい妻」を演じる。そんな生活がずっと続いていました。当時、医者の世界では、女性の評価がまだまだ低い時代で、男性の何倍も仕事をしなければ認められませんでした。忙しくて救急患者を断ると女の甘えだって言われる。だから、自分の体を壊すまでやるか、辞めるか、そのどちらかの選択肢しかなかったんです。でも、誰かが道を切り拓かなければ、今のような女性医療は育たなかったと思うから、仕方がなかったのかもしれませんね。
結局、「いい医者」「いい妻」を演じて、自分の感情を抑え、無理を重ねてきたツケが、体の悲鳴となって現れたんです。それに気付いたとき、もっと自分らしく生きようと心を決めました。
ホリスティック医学との出会い
そして、3年間の休業の後、98年から、「海原メンタルクリニック」を再開しました。今までのような総合診療ではなく心のケアを中心に、アロマテラピーを取り入れた個人カウンセリングなどを行っています。
私自身、西洋医学では治療不能な難病を患ったおかげ(笑)で、まず感情を開放することが何より大切だということが、よくわかったのです。原因がわからず治療法を探していたとき、たまたま、知人の紹介でアメリカのオステオパシーの第一人者、フルフォード博士にお会いし、私の病気は長年感情を抑え続けたことで、骨や脳脊髄液の循環が滞ってしまっていたことが原因だったことがわかりました。
その後、日本で整体治療を受けたり、フランスでアロマテラピーの講義を聴いたり。そういうさまざまな治療分野の方々にお会いし、それまでは西洋医学の申し子のようだった私にとっては、新鮮な刺激を感じました。
オステオパシーというのは、薬を使わず自然治癒力を生かした治療法ですが、欧米では、現代医学ではないオステオパシーもドクターの国家資格があり、抗生剤を使えない人たちなどが治療を受けています。日本では、まだまだ西洋医学しか認められていないという感じですから、そういう点では遅れていると思いますね。もちろん、西洋医学にも利点はありますが、自分に合った治療を選ぶことができれば一番いいですよね。
カウンセリングは、医者と患者の共同作業
今は、1日3~4人の患者さんのカウンセリングをしています。カウンセリングの中では、1人1人の悩みに寄り添い、自分でも気付いていない潜在意識の部分にも、目を向けられるようにサポートしながら話を聞いています。言葉で気持ちを表現しにくい場合は、色鉛筆などで絵を書いてもらったり。 基本的にカウンセリングでは、こうしなさいっていうアドバイスは一切しないんですよ。自分がどう生きたいのか、その目的地を決めるのは患者さん自身。自分が行きたい方向にどうやって行ったらいいのか、そのお手伝いをするのが、カウンセリングなんです。
心の問題は自分で気付かなければいけないし、自分で変わろうと努力することが大事。いわば、医者と患者の共同作業でしょ。私はその感覚がすごく好きなんです。最終的には、「先生のおかげです、ありがとうございました」と言われないような(笑)、カウンセリングが理想ですね。
本来は、病気は自分で治すもの。そのお手伝いをするのが医者なんです。アメリカなどでは、患者さんも自己責任の意識をしっかり持っています。自分の体や病気のこともすごく勉強しているんですよ。その点、日本の場合は全部医者にお任せ。医者が説明してくれないと言う患者さんも多いんですが、必要な知識を自分で勉強することも必要でしょう。だから、医者と患者、その間の溝をお互いに埋めあって、医療をよりよく変えていかなくちゃいけないと思います。
1日5分でも「自分と向き合う」時間を
最近は、女性も生き方の選択肢が増え、悩みも多様化しているような気がします。このごろよく、負け犬論争とかって言うでしょう?仕事をして自立していても、結婚しないと一人前じゃないと思い込む。でもそれは結局、女性はこうでなくちゃいけないと、自分で自分を縛っているだけだと思います。そこに気が付いたら、もっと気持ちが楽になると思いますよ。
大切なのは、周りの価値観に合わせるのではなく、自分らしく生きること。不思議なことに、自分らしく生きていると、体も変わってくるんですよ。このごろは、いろんなダイエット法が流行っているけど、それだけではやせないんです。人間って1人1人、その人に1番合った体形があると思うし、例えばモデルの人はモデルの体形、お相撲さんはそれに合った体形になる。要するに、その人がどんな意識を持ち、どんな生き方をしているのか、それが体に現れてくるんです。自分の体に不満足な人は、自分の生き方にも満足していないんじゃないかしら。
だから、1番いいのは、自分の心の声や体の声に正直に生きること。多くの人は、その声を無視して、こっちが得とか損とか考える。例えば、今何か食べたい物があるのに、冷蔵庫の残り物があると、これでいいやって我慢してしまう(笑)。そうじゃなくて、週に1回ぐらいは本当に食べたいものを食べたり、嫌だと思う仕事の中でも、少しずつ自分が本当にやりたいことを取り入れていったり。そういう中で、本当の自分らしさに出会っていくんじゃないかと思います。
それと、1日5分でもいいから、自分と向き合う時間を作ること。夫や子どものためではなく、自分だけの時間、自分自身を見つめる時間を持つことが大事ですね。その毎日の少しずつの積み重ねが、自分らしさにつながっていくんです。
東洋と西洋の融合
今私にとって、自分らしい時間は、「歌」ですね。病気をきっかけに、再び歌うようになって自分がどんなに歌が好きだったのか、よくわかったんです。好きな歌を歌って、本を書いて。昔よりもっと忙しくなったけど、今すごく幸せですね。
でも、日本の中では医者が歌を歌うのは、かなりマイナーなイメージらしいんです。特にジャズとかシャンソンとかは。講演会やテレビの番組なんかでも「プロフィールから歌手を抜いてもいいですか」って言われることもあるぐらい。それでも、私は歌も自分の一部だから、変な人って言われてもいいやって、開き直っています(笑)。
今まで、いろいろ新しいことにもチャレンジしてきたけど、私の役目は「西洋と東洋の融合」だと思っています。西洋医学と東洋医学の融合。例えば、大きな大学病院の中でガンの患者さんが、アロマテラピーやマッサージを受けられたら、精神的にももっと安らぐと思うんですよ。
私が医者をやって歌を歌っているのも、右脳と左脳、動と静、その融合じゃないかなと思います。医者って、知識や技術はもちろん必要ですが、1番大事なのは、「勘」なんですよ。定石通りにやっても治らない場合が多くて、この人はこの方法がいいとか、ある種の勘みたいなものがないと、医者には向かないと思います。最近の医療の現場では、そういう勘が育っていない気がして恐いですね。幸い私の場合は、勘だけで生きてますから(笑)。 だから、私みたいに何でもやってる医者がいると、そういうのもあっていいかなって、次の世代の人が楽になるんじゃないかしら(笑)。女性クリニックがもっと増えたら、私は別のことをやればいいし。次は何をしようかって、今から楽しみなんですよ(笑)。
(東京都港区高輪の「海原メンタルクリニック」にて取材)
次回ライブは、9月10日(金)JAZZ HOUSE「alfie」(東京六本木)、11月12日(金)「クラブeX」(品川プリンスホテル内)
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