Ms Wendy

2003年4月掲載

私、今リベンジしているのかもしれない

木野 花さん/女優・演出家

木野 花さん/女優・演出家
1948年、青森県出身。
弘前大学教育学部美術学科を卒業後、中学校の美術教師となるが、1年で退職。
上京して演劇の世界に入る。
74年に東京演劇アンサンブル養成所時代の仲間5人と、女性だけの劇団「青い鳥」を結成。
翌年に旗揚げ公演を行い、80年代の小劇場ブームの旗手的な存在になる。 86年、同劇団を退団。
現在は女優・演出家として映画やテレビドラマ、CF、舞台で幅広く活躍中。4 月から東京、福岡、大阪で劇団☆新感線「花の紅天狗」に出演。
青森の美術教師から役者に転身

生まれたのは仙台ですが、育ったのは青森で、私の持ち味はそっちの影響が強いですね。少女時代は本を読むのが大好きで、偉人伝を読む度に将来は科学者になろう、探検家になろうっていろんな職業、いろんな人になることに夢ふくらましているような子どもでした。その後弘前大学の教育学部美術科に進学。ここでアッというまに美術の才能の限界を自覚しまして、次は『二十四の瞳』でいこうと(笑)。中学の美術教師になったんです。

結果は1年で挫折。いま考えるとモラトリアムの真っ只中にいたんでしょうね。「このまま定年まで教師を続けるのか?」と考えたら、体のほうが拒否反応を起こしてしまったのです。ストレスによる低血圧、偏頭痛、胃炎に悩まされ、このままだとガンになってしまうのではと恐くなって。思い切って環境を変えようと決心し、「しばらく自分を遊ばせてみよう!」と教師を辞めて上京したんです。

当時はアングラ劇全盛時代で、上京後はいろいろな劇団を観ましたね。いま遊ぶなら演劇が1番面白そうだと思って、とりあえず劇団の養成所に入ったんです。だから私が役者になったのは、自分に才能があったわけじゃなくて、やってみたら面白くって、それまで気づかなかった自分のなかの未知なる部分を開拓する楽しさに目覚めちゃったってとこでしょうね。

芝居の原点は『村の演芸会』

74年には仲間5人と女性だけの劇団「青い鳥」を結成しました。演出も台本も他にやる人がいないから、仕方なく自分たちでやったわけですが、人間必要に迫られればできないこともやってしまうもんですね。うまくいかずに行きづまったときなんか、朝方まで稽古場に残って、ひたすら考える。そしてフラフラ状態になったころに、「これだ!」というインスピレーションみたいなものが閃いたこともあったのです。まさに「プロジェクトX」みたいですが、“必要は発明の母”というのは本当ですね。

舞台では自分のすべてが見られてしまうから、お客の前で演じる作業はすごく怖いことだと思いました。役者になってからの10年間は、羞恥心と自分をさらけ出すことの闘いだったと思います。

今、自分の芝居の原点は何かなと考えると、青森の田舎で観た演芸会のことを思い出します。当時は若者も村にたくさんいて、農閑期に演芸会が開催されていたんです。演じるのは普段農作業をしているおばさん、お兄さんたち。芝居あり、歌あり、踊りありの大演芸会なんだけど、みんなすごい芸達者なわけ。いつ練習していたんだと驚くくらい。演者も客も全員知り合いだから、客席から冷やかし声がかかると、「うるさいんだよ。」なんて舞台から言い返したり(笑)。生き生きとしたライブ感にあふれていました。子ども心に「今年は何やるんだろう?」と楽しみでしたね。

生活の区切り、息抜きの場として季節季節に演芸会があり、みんながそれを楽しみに仕事に励んでいる。あんなふうに生活に根ざした娯楽の場があるって、豊かだなと思いました。今考えるとあの村の演芸会が、私の芝居の原体験だと思っているんです。

若者はコミュニケーション下手

女優業の一方で、俳優を育成するドラマスクールも12年続けています。そこで若い子を教えながら年々気になっていることは、今の若者たちがコミュニケーション下手なこと。たとえば「ダメ出し」がうまく聞けない。怒るとおびえてしまうから、怒れない。「ここはこうだから、あなたはこうしないといけないのよ」って手取り足取り教えないと伝わらない。手間がかかります(笑)。  人と人との距離感を取るのが下手なんですね。子どもと大人のちがいって、人間関係の距離感が取れるかどうかだと思うんです。結局、今の大人自身がうまく距離感を取れないから、子どもにも教えられないんでしょうね。たとえばケンカの仕方とか。黙っていじめられるか、突然キレるか、加減がわからない。  最近は演劇を教えているというより、リハビリをしている感じです。みんなも“誰かと話したい”“自分を認めてほしい”から演劇を始めるんでしょうね。私もときどき演出家というより、教師になってるんです。今ごろになってリベンジしてるのかも。昔、挫折した教師の仕事に(笑)。人生、無駄なことはないんですね。

銃弾のなかでの命がけの芝居

一昨年「世界わが心の旅」(NHK-BS)の番組で、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の首都サラエボに行ってきました。30年も芝居をやっているとどうしても惰性の部分が出てくる。職人芸みたいにこなれてしまい、マンネリになるのが怖くなって。そこで「本当に今芝居は必要なんだろうか?」という根本的な疑問の答えを求めて、内戦後のサラエボに行ってきたんです。

ちょうどサラエボは復興したばかりでしたが、私の想像以上に役者たちは命がけで芝居に取り組んでいました。戦争中は、稽古場に向かうのも命がけ。稽古場への道にはスナイパーが銃口を向けて狙っているものだから、彼らがいなくなる昼飯どき目がけて走り抜ける。公演もバレると狙われるから、口コミで人々に伝わっていく。観にくるお客さんも命がけなんです。でも芝居を観にやってきた人々の行列は、パンを買う列よりも長かったそうです。

私はサラエボの役者たちに「こんな危険な思いまでして、なぜ戦争中に芝居をやり続けたのか?」と聞いてみました。彼らは「もし芝居もせず、地下室で爆撃の音におびえているだけだったら、気が狂っていただろう。芝居をやっていたからこそ正気を保てたんだ。苦しいときこそ続けることが大切だと思う。」と答えてくれたんです。

やめる機会は節々にある。でもそのときどきでどうその危険を乗り越えていけるか、やり続けるか。このサラエボでの体験は少し弱気になっていた私にとって鮮烈な経験でした。彼らの状況と比べると、自分は甘えているなと。

演劇とは普段は退屈しのぎであり、無駄のひとつかもしれない。だけど、それがなくなってしまったら潤いも何もなくなり、生活が貧しくなるばかり。村の演芸会しかりです。どんな時代にも必要な演劇があり、希望を与える力になれるかもしれない。そう信じて、一瞬一瞬を大切に、舞台に乗ろう。このサラエボの旅で、心新たに演劇に取り組む力が湧きました。

いろんな「花」を咲かせます!

50才過ぎて私、今、気分は新人なんですよ。やっと役者の自覚が出てきたっていうか、これから芸を学ぼうと思っているところ(笑)。4月から始まる公演『花の紅天狗』もその挑戦のひとつ。これは以前出演したときにいまいち納得できなくて、もう1度やらせてほしいと願った舞台。私にとってのリベンジなんです。  年を重ねるごとに、どんどん欲が出てくるんですよ。欲張り女優。イヤな奴かもしれない(笑)。みんな、どうやって落ち着いていくんでしょうね。今は1作1作ちがう役柄を通して、新しい自分に出会えることが楽しくてたまらないんです。

“木野 花”という芸名は、木に花を咲かせるという意味なんだけど、その名のとおり、これからも1本の幹から毎回ちがった花を咲かせてみたいですね。私、少女時代の夢を今かなえているのかもしれないです。偉人伝を読みながら憧れた、いろいろな人になる夢を。

(東京都千代田区レストラン・アラスカパレスサイド支店にて取材)

  • 「シンデレラ」(85年) (劇団『青い鳥』在籍当時

    「シンデレラ」(85年)
    (劇団『青い鳥』在籍当時

  • 劇団☆新感線「花の紅天狗」

    劇団☆新感線「花の紅天狗」

  • 内戦後のサラエボにて(2001年)

    内戦後のサラエボにて(2001年)

(無断転載禁ず)

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