Ms Wendy

2002年8月掲載

話し手と聞き手、その両者を取り持つ第3者の目。
常に3つの視点を持つ通訳時の習慣は、エッセイストにも受け継がれています

米原 万里さん/エッセイスト・日ロ同時通訳

米原 万里さん/エッセイスト・日ロ同時通訳
1950年、東京生まれ。
59~64年、チェコスロバキアに滞在。在プラハ・ソビエト学校で学ぶ。東京外国語大学ロシア語科卒、東京大学大学院露語露文学修士課程終了。
92年、テレビでの同時通訳で報道の速報性に寄与したとして、SJ賞、
95年「不実な美女か貞淑な醜女か」(新潮文庫)で読売文学賞、「魔女の一ダース」(新潮文庫)で講談社エッセイ賞、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。その他著書多数。9月には初の小説「オリガ・オリソヴナの反語法」を刊行予定。
遠いほど近くなる。遅いほど巧くなる。

東京で生まれ育った私が、父の仕事の関係でチェコスロバキアに住むことになったのが小学校3年のとき。プラハにあるソビエト学校に通学することになりました。授業はすべてロシア語。もちろん全く出来ない。知っていたのは人工衛星のスプートニクという単語ぐらい。先生の話すことが100パーセント分からない授業に出席し続けるのは地獄です。意地悪されても抗議も出来ない、皆が笑うときに笑えない。これほど寂しく切なく辛いことはありません。それでもしばらくすると、少しずつ分かるようになってくる。学校にはほぼ50カ国ぐらいの子ども達が通ってきていたのですが、ロシア語習得にかかる時間が国によって違うんです。ロシア語と親戚関係にあるスラブ系のポーランドとかチェコの子が2、3ヵ月、もう少し距離があるけれど同じヨーロッパ系のドイツとかフランスの子が4、5ヵ月、言語的に遠いアラブとか日本の子が1番時間がかかる。6、7ヵ月かな。でも面白いことに、発音やイントネーション、語の変化形や組み合わせにいたるまですべて完璧にロシア語を習得するのは、アラブ人や日本人なんです。反対に、簡単にマスターした子は、いつまでたってもロシア語から自国語なまりがとれなかった。

なぜか。人間の脳には「省エネ」機能、つまりサボリ装置があるからです。私たちがいくら「努力して覚えよう」と意識で思っていても、脳の方は「ラクして、似たものがあれば覚えないでそれで間に合わせよう」となるわけ。つまりロシア語と似た言語を使っている人は、早く覚えられる代わりにサボリ装置が働いてしまい、完璧には身に付かない。一方、ロシア語から遠い言語を使う日本やアラブの子は、根源的な基礎のところから習得するしかないので、時間はかかっても最後は完璧に身に付く。自分が苦手なものほど、時間はかかるけど最終的に非常に得意になるという現象は他の分野でも実はよくあることみたいですね。

○×テストにカルチャー・ショック

プラハでの5年間が過ぎ、中学2年の3学期に日本に帰国。地元の中学校に編入した私は、ほとんどのテストが○×式か選択式であるのに、ひどく面食らいました。例えば「次の文章の内、正しいものには○を、間違ったものには×を記せ」という設問。「刀狩りを実施したのは、源頼朝である。鎌倉幕府を開いたのは、源頼朝である。『源氏物語』の主人公は、源頼朝である」。冗談かと思いましたよ(笑)。プラハの学校だったら、「鎌倉幕府が成立した経済的背景について述べよ」「京都ではなく鎌倉に幕府を置いた理由を考察せよ」というかなり大雑把な設問に対して、限られた時間内に獲得した知識を総動員して論文提出か口頭試問で、ひとまとまりの考えを、他人に理解できる文章にして伝えなくてはならなかったから。また高校受験用文学史に出てくる本は同級生は皆読んでいるものと思い、焦って古典から現代まで原典を読破しましたが、そんなことしたのはクラスで私だけ。みんなは本を読まない代わり、書かれた年、著者については完璧に暗記していた。1つ1つの知識の断片はあくまでもお互いに連なり合う文脈を成しており、その中でこそ意味を持つもの。なのに日本の学校では、知識はバラバラに腑分けされて丸暗記するよう要求される。これは辛かった。ひたすら部品になり切れと迫られるようで、人格そのものが切り刻まれていく恐怖を感じました。心配になりましたよ、私、死ぬまで日本には適応できないんじゃないかと(笑)。

日本の子がテストの点数を周囲に隠したがるのにも驚きました。点数が悪いと人格すべてを否定されたように思ってるのかしら。テストの点なんか、自分のほんの一部でしかないはずなのに。それから、勉強したいことで学校を選ぶのでなく、偏差値で選ぶシステムも変。

みんな目的は「幸せになること」のはず。「いい学校入って、いい会社に行く」のはあくまで手段なのに、それが逆転し"手段"が極端に肥大化して"目的"になってしまっているのが、日本社会の問題なのではないか。それは今も続いているような気がします。

駄洒落も同時通訳できる?

大学でロシア語科に入ったのは、受験しやすかったから。でも入学式当日、教授に呼ばれて、「やりにくいから授業に出ないでくれ」と(笑)。学生運動盛んな時期でほとんどの授業が潰れることが多く、そんなときは本を読んでいました。日本での教育の5年間のブランクは何とかこの多読熟読で克服できたかな。卒業後は東大の大学院に進んでロシア文学を研究してました。でも卒業しても就職先が全くなくて。その頃、通訳術の師と仰ぐ、徳永晴美氏に出会いました。わが国におけるロシア語同時通訳の草分けである徳永さんの型破りに接して、通訳って面白いかもしれないと気がついて。それでも、他人の耳となり口となる職業、奴隷みたいで私には向かないな、と天職に出会うまでの仕事のつもりだった。でも、やってみたら、もう面白くて面白くて、あっという間に20年が経ってしまったという感じ。結局これが天職だったんですね。

自分の通訳によって、意志疎通が成立した瞬間はものすごくうれしいですよ。言語は異なる歴史・文化を背景にしてますから、ほとんど字句通りの訳は成り立たないんです。単純な例ですけど、「古池や蛙飛び込む水の音」の「蛙」、単数か複数か分からないとヨーロッパのどの言語にも訳せないでしょう。

同時通訳の現場ともなると、ほぼ発言者と同時に訳出していかなくてはならない。あるとき、「社会民主主義と民主社会主義の違いは、カレーライスかライスカレーか、あるいは糞か味噌かの違い」という日本人の発言があり、幸い私ではなく師匠の徳永さんの番だった。彼は、「クソ!ソ連にはカレーも味噌も無い!あるのは糞だけだ!」と愚痴りながらも、「カレーライスかライスカレーか」の部分は、「ハム&エッグかエッグ&ハムか」と訳し、「味噌」は「発酵性大豆ペースト」と意訳して見事伝えきってました。

徳永さんは、本来不可能なダジャレまで同時通訳できるんですよ。「そこに塀が建ったんだってね。へえ!」なんてダジャレを上手に通訳したときには感動しましたね(笑)。

一方で、通訳や翻訳には誤訳の問題もあります。お役所で誤訳が生じ易いのは、言葉を一語一句文字通りに訳してしまうから。責任を取りたくない意識がそうさせるのでしょう。文脈として見ると言葉の意図とは全く違ってしまう場合もある。言いたいことの核心をつかんで伝えること。その方が通訳として責任も生じるけれど、はるかに面白いんですね。まあ、人生も責任ある人生の方が辛いことも多いけれど面白いでしょう。

「常識」からズレてみるススメ

通訳時代から海外に出かけたときには、必ずその町の画廊に立ち寄るようにしています。画廊で絵を見ると、その国の人々の意外な世界観がわかって面白いんですよ。

エッセイでは、さまざまな常識を異なる視点から眺め、その感覚のズレを書くのが好きです。時々どうしてそんなユニークな視点を持てるのかと聞かれますが、それはきっと、職業柄、話し手と聞き手と、その両者を仲介する通訳者という3つの視点が常に物を見るときにつきまとっているからかも知れません。生真面目な目と茶目っ気と神の視点。みんなが疑わない常識をずらして見ることで、批判や笑い、ダジャレが生まれてくる。事実、スターリン時代のような緊張感ある体制の中でこそ鋭いジョークがたくさん生まれましたね。だからって、良いジョークのためにスターリン体制はごめんだけど(笑)。その点、いまの日本は対立を極端に避ける傾向が強い。本当は存在する対立構造が見えにくく、批判精神が足りなくなっていると感じます。

でも、こんな世の中だからこそ、違う価値観に身を置いて、常識をずらして見ることもいいんじゃないかしら。例えば自分を、自分とは全く異なる立場の第3 者に置き換えてみたらどうでしょうか。自分は「アメリカの空爆下にあるアフガニスタンの少年」とか「ベトナムからやって来た留学生」だと仮定して、なりきってみてください。いままでとは違う、新しいものが見えてくるかもしれませんよ。

  • ゴルバチョフ夫妻 来日時 浅草にて

    ゴルバチョフ夫妻 来日時 浅草にて

  • 日本記者クラブ同時通訳ブースで

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