1人1人が自立して生きられる、街づくりをめざしています
- マリ・クリスティ-ヌさん/異文化コミュニケーター
- アメリカ人の父と日本人の母を持つ。4才まで日本で暮らし、その後外国で生活。
帰国後、上智大学国際学部比較文化学科卒。
東京工業大学大学院修士課程終了(社会工学)。
1996年、ボランティア団体「アジアの女性と子どもネットワーク」AWCを設立。タイ山岳地方の子どもたちのための学校建設や、女性と子どもの人権保護と自立を支援している。
2000年、国連ハビタット(人間居住センター)親善大使。
「加藤シズエ賞」を受賞。『自分をいかす人見失う人』(海竜社)等、著書多数。
アジアの女性と子どもネットワーク http://www.awcnetwork.org
「アジアの女性と子どものネットワーク」というボランティア団体を設立
昨年、国連人間居住センター(ハビタット)の親善大使に任命されました。ハビタットは世界の人々が、豊かな生活環境で暮らせるための支援活動をおこなっていますが、私にとっては、まさにライフワークにぴったりな役目をいただき、うれしいですね。
8年前、東京工業大学の大学院で社会工学を学び、様々な形で、街づくりや都市計画に関わってきました。そして、自分なりに何か社会還元できればという思いから、96年に「アジアの女性と子どものネットワーク」というボランティア団体を設立。
この活動では、タイの子どもたちの教育支援を中心に、生活環境全体のインフラ整備をおこなってきました。例えば、下水や水の供給設備を作ったり、養鶏プロジェクトで、ナマズの池の上に鳥小屋を建て、鳥のフンでナマズを育てるというように、一つのエコシステムを作るお手伝いをしているわけです。
そんな活動をずっと続けてきたので、ハビタットでの仕事は、その集大成のようなものですね。 さらに、2005年に開催される愛知万博の広報プロデューサーにも任命され、肩書きだけを見ると、「スゴイですね」っていわれますが、自分の中では、子どものころからの体験がつにつながってきているんです。
海外生活から一転し タレントでデビュー
私は、元米国軍人だった父の仕事の関係で、4才のころから海外で生活をしていました。ドイツ、アメリカ、イラン、タイなど民族も宗教も多種多様な文化の中で生活しました。
タイやイランでは、外国人である私たちは豊かな生活をしているのに、そのすぐ隣で、子どもたちが物ごいをしている。子ども心にも、そういう社会の仕組みに疑問を感じました。そんな光景を見てきたことが、今の自分の考え方や価値観の、大きな基軸になっているんです。そして、日本に再び帰国したのが、17才の時。その後、上智大学に入学してまもなく、芸能界にスカウトされました。そのきっかけというのは…私は12才から声楽を習っていたので、日本でも勉強しようと思い、近所のレコード店の方に、声楽の先生を紹介してほしいと頼んだんです。そうしたら、たまたまその方が昔キングレコードで歌謡曲を担当していたことがあり、「よかったら、オーディションを受けてみませんか?」と誘われたんです。でも、もちろん家族は大反対。そこで、大学を卒業することを条件に母を説得し、アルバイトならと、許してもらいました。
元祖バイリンガル」から「異文化コミュニ ケーター」へ
最初は、歌手としてデビューし、レコードも3枚ほど出したんですが、そのうちに外国語を使う仕事の方がだんだん増えてきたんです。英語、フランス語、イタリア語、ペルシャ語など、当時は7ヵ国語を話すことができたので、「元祖バイリンガル」なんて、今でもよくいわれますね。このごろは、日本語も忘れることが多くなりましたが…(笑)。
その後、「オーケストラがやってきた」の司会など、文化に携わる仕事が増え、海外と日本の文化を比較してくださいという要望が増えてきたんです。そのうち単なる「タレント」ではない、新しい肩書きが必要になりいろいろと考えました。
「比較文化評論家」では、ちょっとピンとこないし。そこで、思いついたのが「異文化コミュニケーター」。最近は、いろいろなところで使われるようになりましたが、もともとの「元祖」は私なんです(笑)。あの時、商標登録をとっておけばよかった(笑)。異文化というのは、国と国だけでなく、ファッションや芸術などのカルチャー、若者やお年寄という年代別のカルチャーなど、すべてが含まれています。
私の中に存在する2つの異文化
私自身の中にも、アメリカ人の父と日本人の母、2つの異文化が混在しています。日本人は、変化をあまり望まない人が多いようですが、逆に、欧米人はいつも新しいものを開拓していこうという気持ちが強い。その両方の面を私は持っているんですよ。
だから、今の日本を見ていると、早く改革をして変わってくれればいいのにと、じれったくなってしまうんです。確かに、戦後作られてきた制度やルールは、必要があってできたものですが、時代に応じて変えていかなければ、かえって大きな打撃を受けることになります。
今、日本に必要なのは、本質を考えていく意欲と勇気だと思います。でも、日本人の場合、いざ変えるとなると一斉に同じ方向を向いてしまう(笑)。極端に走らず、バランスが大事ですよね。
家の価値は地域で生み出していくもの
マンションや住宅もライフスタイルの変化に応じて、買い替えることが大事だと思います。うちの父は、今75才ですが、定年後の20年間に、買い替えた家はもう5軒目。多分、狩猟民族の本能なんでしょうね(笑)。日本では、買い替えの時にも高い税金を払ったり、いろいろな面で流動しにくい仕組みになっています。街づくりの観点からすると、一番問題なのは、所有物に対する意識が共有ではなく、個人のものという意識が強いこと。
欧米では、一つのコミュニティの中では、家の値段や広さ、素材などに統一性があるんです。その地域の中では億ションの隣にバラック小屋は建てられない。欧米での財産価値は土地ではなく、その地域が醸しだす景観や環境など、地域全体で一つの価値を生み出していく。それが街づくりの基本ですし、価値はみんなで作っていくものなんです。日本では、そのあたりの規制があまりにも緩やかすぎて、逆に、家の価値が上がらないんじゃないでしょうか。
ハードとソフトが調和した社会が理想
今、私が目指している街づくりというのは一人一人が自立して生きられる社会ですね。例えば、お年寄りや体の不自由な方が街を歩く場合、一部の場所はバリアフリーになっていても、誰の助けも借りないで1人で歩くのは難しい。今の社会では、自立したくてもできないという、おかしな仕組みになっているんです。
今は、建物というハードだけが先行して、それを生かすソフトが追いついていない。ですから生活者のニーズに合わせて、ハードとソフトをいかに調和し融合させていくか。それを追求していくのが社会工学なんです。
コミュニケーションはぶつかるところから始まる
システムだけでなく、社会が調和していくためには、やはり人と人とがお互いに理解しあうことが大事ですね。
でも、日本人が考える理解は、本当の理解とはちがうような気がします。日本の場合は、意見がちがっても、「統一見解」を求め、できるだけ摩擦は避けようとしますが、本当のコミュニケーションはぶつかることから始まるんだと思います。
まず、ぶつかったところから、どうやって折り合いをつけていくか。欧米の場合は、ぶつかることによってお互いがより親しくなり、前よりもっと仲良くなれるんですよ。外国語で「阿吽の呼吸」なんていう言葉は訳せません。「東洋の神秘」なんてよく聞きますが、本当は実態がよくわからないだけなんじゃないでしょうか(笑)。
日本は単一民族といわれますが、同じ日本の中でも、実は文化が全くちがうんです。お雑煮の食べ方だって全然ちがいますし。だからこそ、言葉できちんと伝えあうことが大切なんだと思います。このごろ、よく使われる言葉で「キレル」とか、「プッツンする」。あまりよくない言葉かもしれないけど私にとっては、イメージしやすい言葉なんですよ。言葉と感情がぴったりで、実にわかりやすい(笑)。
これは、今までになかった日本語ですよね。そう考えると、若者が感情をそのまま表現する言葉を生みだしたわけですから、日本語も進化しているんですよ。コミュニケーションは、まず自分の気持ちを誠実に伝えることから始まります。これからのグローバル社会、コミュニケーションも進化してほしいですね。
(無断転載禁ず)