Ms Wendy

2001年11月掲載

スポーツは国境を越える

ヨーコ・ゼッターランドさん/スポーツ・コメンテーター

ヨーコ・ゼッターランドさん/スポーツ・コメンテーター
1969年サンフランシスコ生まれ。
早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業。
ポジション、セッター。
92年アメリカ代表としてバルセロナ五輪(銅メダル)。
96年アトランタ五輪(7位)出場。
97年からダイエーでプレー。
99年に現役を引退後。
スポーツコメンテーターとして「大相撲ダイジェスト」等多数テレビ出演。
団体競技の中でやっていける?

私がバレーボールをやろうと決めたのは小学校5年生の時。母(堀江方子)は昔日本代表に選ばれたこともありましたが、我が家ではバレーボールを特別扱いしていなかったので、特に薦められることもなかったんですね。だから、やりたいと心から思うようになるまでは、アイススケートや乗馬、テニスなどいろいろなスポーツを体験しました。

でも今になって思うことは、もしかしたら、母は私の性格を考えてあえて薦めなかったのかもしれません。私は1人っ子ですし、自分で努力したぶんだけ結果として現れないと気がすまないタイプ。個人競技なら、結果は全て自分の責任として割り切れますけど、バレーボールのような団体競技の場合は、自分だけがいいプレーをしたからといってチームの勝利に結びつくとは限りません。そんななかで私が果たしてやっていけるか、疑問だったのかもしれません。この辺は謎ですが(笑)。

バレーボールに目覚めた瞬間

じゃ、なぜ突然バレーボールに目覚めたかというと、母たち全日本のOGチームが趣味でやっている試合を見学に行った際、たまたま人数不足で、私がコートに駆り出されたんです。最初は渋々だったんですが、私がレシーブしたボールが、トス、スパイクと続いて得点になりました。これが自分でもビックリするほど嬉しかったんです。自分の手からチームメイトの手を渡って得点という一つの結果を得ることができる。もう“これだ!”と瞬間、思いました。バレーボール人生の原点です。

自分の存在価値を見出せたバレーボール

私はサンフランシスコ生まれで、父はアメリカ人です。アメリカではハーフだからといって差別されることはなく、友だちもたくさんいました。しかし6歳で日本に来てからは違いました。小学校では、なかなか友だちができず、時にはいじめられたり、寂しい思いをしていました。多感な頃に友だちに受け入れられない、またその理由も理解できない。“自分って一体何なんだろう”と悩むことも多々あったんですね。そんな時にバレーボールを通して自分の存在価値を、家庭以外の場所で初めて確認できたんです。「絶対に掴んではなさない」と子供心に思いましたもの。やると決めたら、目標は“世界一”でした。

エリートコースを離れ自分で選んだ道

中学で本格的に始めて、インターハイなどの国内大会や、アジアジュニア、世界ジュニアなどの世界大会にも出場しました。通常、実績を積み、将来を有望視されている選手は、大学はここ、企業はそこというふうに、だいたい決まった“エリートコース”を進みます。 でも私はいろいろな方からアドバイスを受けながら考えた末に、当時関東リーグで六部最下位だった早稲田大学に進学を決めたんです。でもこれはバレーボール界の中ではドロップアウトに映ったのか、「レベルの低いところに行けば、下手になる」などの非難や中傷を受けることもありましたけど、決まったルートを歩くことと、実力そのものとは別のような気がしたのです。

早稲田は年々、強くなり、卒業時には2部1位まで昇格しました。私は卒業後、アメリカ国籍でオリンピックに出場しようと決め、単身渡米してナショナルチームの入団テストを受けました。そして合格。道はオリンピックへ向っていきました。

貫いた信念が夢をかなえた

実力主義の中でプレーをする充実感を味わいながら、92年バルセロナオリンピック出場。控えのセッターとしてベンチ入りした私は、体調不良のセッターに替ってスタメンで出場することに。

優勝候補と言われながら銅メダルという結果に終わりましたけど、このことが次に向って専念できるエネルギーになりました。

壁にぶつかったこともありましたよ。ずっと控えの選手でしたから。でもベンチにさえ入れない選手がほかに大勢いて、戦力外と突然の解雇を言い渡されてロッカールームから去っていく人もいる。実力重視の世界で、自分には試合に出られるチャンスを与えられている。たとえ控えでも、オリンピックでメダル獲得が決まった瞬間に、自分がコートに立っている可能性だってあるかもしれない、とチームメイトに励まされて乗り越えられました。

自分の選んだことが間違っていないという信念で動くと、自分の進みたい方向に向って「流れ」が出来るのだと思います。そこから結果が生まれてくるんでしょうね。

自分なりのやり方で、選手と見る人の架け橋になりたい

現役を引退して3年目に入りました。ベースはスポーツに置きながら、様々なジャンルに挑戦させていただいています。テレビのコメンテーターや、スポーツ番組の解説、雑誌原稿の執筆など。メディアの世界に身を置くようになって、勉強することはたくさん増えましたが、毎日が楽しくて、あっという間に過ぎていきます。

スポーツ選手は、誰よりもその競技を知るエキスパートなんですね。私もバレーボールに関してそう自負しています。意見を述べる際、スポーツマンという共通点だけでは、恐れ多くて踏み込めない領域があります。コメントするときは、それを踏まえた上で自分が伝えられることは何だろうと、共通点を探しています。この状況だと選手は何を考えるんだろうとか、できるだけ選手に感覚を重ね合わせてみるようにします。

データを見ていても、ある時から数字が変わったことに気づいたら、何があったのかと考え、話を聞いてみます。するとご結婚とか、お子さんが誕生したという事実が背後にあったりするんです。選手も人間ですからね。データの数字は嘘をつかないので、よく見るといろいろなことに気づかされます。

国境を超えていけるスポーツを身近に

アメリカにいた頃と比べて思うのは、日本はまだスポーツ選手に対する評価が不充分のような気がします。アメリカではスポーツを一つの特殊技能として認めているし、社会の中での位置付けが高い。選手の多くも社会人として良いモデルケースになるよう社会的な貢献などをします。一概には言えないけれど、日本の場合は勉強が得意でない人がスポーツをやっているという感覚が強いように思うし、スポーツ自体が衰退しつつある気がします。

でもスポーツは政治でも超えられない国境を、ときに超えていける素晴らしいものです。そのスポーツの価値をもっと確立しながら、皆さんに身近に感じていただけたらいいなと思っています。放送メディアや活字などいろいろなツールを通して、あまり四角四面にならずに私流のやり方で。まだまだ手探り状態ですけど、楽しみながらやっていきたいですね。

(無断転載禁ず)

Ms Wendy

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