負債2000万、母の介護… 71歳でユーチューバーデビュー
- ロコリさん/ユーチューバー
- 1951年、福岡県生まれ。ブティック経営、百貨店勤務を経て、認知症の母の介護生活を終えると71歳でユーチューブチャンネルを開設。わずか4カ月で再生数100万回を超える人気ユーチューバーに。お金をかけずにおしゃれに着こなすプチプラコーデや気持ちよく暮らすおしゃれな暮らしを提案している。西日本新聞で毎月第2火曜にエッセイ『空を見上げて』を連載中。著書に『72歳、好きな服で心が弾む、ひとり暮らし』(KADOKAWA)がある。
71歳でユーチューバーデビュー
ロコリです。70代のユーチューバーです。
2022年の8月に71歳でユーチューブのチャンネルを開設しました。テーマはファッション。ユニクロやGU、しまむらといった比較的手に入りやすいお手頃価格のアイテムを使いながら高見えを演出するコーディネートを紹介しています。
きっかけは、ユーチューブを見ていたとき“おすすめ”に70代の方のユーチューブが出てきたこと。興味が出て60代70代のユーチューバーを調べてみたら結構たくさんいらっしゃるんですね。しかも意外に収益化している人が多い(笑)。でも、ファッションをやっている人はまだ少なくて、シニアユーチューバー市場は意外と穴場かな、と。当時、私の収入は年金5万円とアルバイト代だけで、もう少し副収入が欲しいなと思っていたところでしたから、チャンスだと思いました。元々デジタルが好きでパソコン講座に通った経験もあったので、これは自分がしないでどうする!と思い立ちました。
決めたら突進するように準備にかかりました。マナーや禁止事項などの基本的なことから動画制作、編集方法、運営のしくみなど、ユーチューブの初心者のためのハウツー動画を片っ端から見て、独学で習得しました。ノートいっぱいに書き込んで徹底的に研究し、開設までに半年かかりました。撮影はiPhoneで編集はiPadすべて一人でやっています。
72歳にして本を上梓(じょうし)
ユーチューブチャンネルを開設して一番びっくりしたのは、出版社のKADOKAWAから書籍化を打診するDMが来たこと。まずシニアを狙った詐欺だと思いましたよ(笑)。SNSに詳しい若い友人のアドバイスで、出版社のホームページの問い合わせ先に自分のアドレスを記入して在籍確認のメッセージを送ってみると、すぐに担当者からメールが来ました。本物の編集者だったのです!それがチャンネルを開設して1カ月ぐらいのことでした。
収益化の目安となるチャンネル登録者数1万人に達したら書籍化の準備に入ろう、と話していたらあれよあれよという間に3カ月で達成。4カ月目には再生回数が累計100万を超えました。そしてとんとん拍子に翌年の3月に出版という運びになったのです。72歳にして人生の扉が開いたようでした。
おしゃれで行動的な母の影響
私は北九州市の八幡地区に生まれました。思えば子どもの頃からファッションが好きで、自分なりのこだわりを持っていたようです。
小学生の頃、家族旅行に行くとき、母が姉妹おそろいのワンピースを縫ってくれました。でも、私はそのワンピースを着て行くのが嫌で、近所の商店街の洋服屋さんに飾ってあったかわいいショートパンツのセットを買ってほしい、と泣き続けたことを鮮明に覚えています。
母は、身長が高くてスタイルが良い人でした。おしゃれだったし、今思うとすごくセンスがよかった。たとえ安い値段でも安っぽくならない良いものを選んで着こなしていました。そういう母の影響もあって、私もおしゃれの目が養われたと思います。
母は71歳で猛勉強してカラオケ教室を開き、カラオケ大会を主催するなど、ものすごく行動的でパワフルな人でした。70歳からでも何にでも挑戦できる、という良いお手本になってくれたと思います。
35歳で2000万円の借金
高校を卒業するとすぐ三愛という婦人服専門の百貨店に就職しました。そこでファッションショーのスタイリングやモデルを経験し、スタイリストの仕事に興味を持ちました。当時創刊された雑誌『an・an』の「東京での一人暮らし」特集に憧れたこともあって心機一転上京。が、父が体調を崩したこともあり、2年ほどで八幡に帰ることに。
帰郷後、勤めた会社がファッションビルの立ち上げに関わり、私はブティックの出店・経営に携わることになりました。最初の頃は順調で2店舗を持つまでになりましたが、だんだん客足が遠のき、35歳のときにとうとう廃業。2000万円もの借金を抱えることに。もう目の前が真っ暗です。それからは百貨店の販売員をしながら、給料のほとんどを返済に充てる厳しい生活が続きました。
欲しいブランドの服はヤフオクなどで一つ一つ地道に買って。このときの、お金がなくてもその中で工夫しておしゃれを楽しむ日々が、プチプラコーデセンスを磨いたのだと思います。人生何が役に立つかわかりませんね(笑)。
69歳でマクドナルドの店員に
60代に差しかかり、コツコツ歯を食いしばって続けてきた借金の返済もやっと終わろうとした頃、認知症を発症した母の在宅介護が始まりました。そして10年にわたる介護を終えたのが69歳。ちょうど勤めていた百貨店も閉店となってポカンと穴が開いたみたいになって気が沈んでいました。
そんなある日、気持ちを奮い立たせようとウオーキングに出かけると、オープンしたての新しいマクドナルドがありました。中に入ると三方に大きな窓があり明るくて良い「気」が溢れていました。若いスタッフさんたちも気持ちが良くて、ふと見るとシニアスタッフ募集のチラシが。活気のある場所に身を置きたくてすぐに応募すると即採用!69歳からマクドナルドの店員になりました。若い人たちに囲まれて体も動かせて楽しかったですね。
ユーチューブの方が忙しくなってきて体力的にきつくなり、膝の痛みが出てきたので残念ながら今は辞めてしまったのですが。
こだわりを持ってゆっくりペースで
今はユーチューバーが職業です。チャンネル登録者数は現在5万4000人ぐらいで再生数は10万を超えることも。月に2回くらいのペースでゆっくり続けています。
動画制作はコーディネートが一番大変。置いてみて、よし、と思っても着てみたらバランスが悪くてやり直すこともあります。鏡を見たら良くても撮ってみたら何か違う、とか。そうするとまた撮り直し。20分の動画でも撮影に2~3日かかることも。そこは、自分らしいおしゃれやスタイルにこだわりを持ってやってますから、妥協はできません(笑)。また、古い服や同じコーデばかりだと飽きるから、新しい洋服も買わないといけない。たとえばUniqlo Uなどのコラボ商品が発売されたときのコーデは再生回数が多いんですよ。そんな戦略も必要。
「自分に似合うコーデ」が基本です。着方の工夫をしたり、「好き」を諦めず、気に入ったものに出合うまで根気強く粘ったりすることが大切ですね。ユニクロ、GU、しまむらなどの他に、最近よく利用しているのが古着屋チェーン店の「西海岸」。安くておしゃれで気に入っています。ちょっと絵に色を足すような感じで服をそろえています。
ファッションやコーデが決まったな、と思うときは幸せだし、作業が好きなので編集しているときも楽しい時間。百貨店に勤めていたときなど、「マネキンに適当に着せといて」と言われて一生懸命考えて着せるとパッと替えられてムカッとすることも多かったですね。でも、今は自分一人の世界でできるし、自分自身の表現ができる仕事をするのが夢だったから夢がかなって幸せです。
視聴者の方からのコメントも力になります。アメリカの視聴者の方から「言っていることを知りたいから字幕を付けてくれ」と言われて英語字幕を付けました。Google翻訳です(笑)。視聴者からそんな風に言ってもらえて、もう飛び上がるほどうれしかった。また、「勇気をもらえた」「年をとることに怖さがなくなった」という40代50代の若い方のコメントもうれしい。やってよかったなと思います。もう疲れたからと途中でやめられないですよね。この前体調を崩して2カ月ほどお休みしたら、KADOKAWAの担当さんからメールで「視聴者が待ってますよ!」とハッパをかけられました(笑)。
「私は大丈夫」と信じて前に進めば必ず道が開ける
少し前にあった国際詐欺組織事件の、ミャンマーで解放された男の人が「ここは自分の居場所じゃない。絶対にここから出て家に帰るんだって自分に言い聞かせてました」と言っているのを聞いて、「この人、私と一緒だ!」とうなずきました。
つらくてもうだめだと思って閉じこもってしまうこともあるけれど、「ここは自分の居場所じゃない」と自分を信じる力が大事だと思うんです。目の前のことに一生懸命取り組んで、「私は大丈夫」と信じて前に進めば必ず道が開けます。私も、「もうこういう人生なんだ」と諦めきっていたけれど、やっとこれだ!と思うことが見つかりました。人生、これからです。
(北九州市内にて取材)
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