Ms Wendy

2025年7月掲載

15歳で沖縄から単身上京、アイドルへ ミュージカルに転身、畑違いと批判され

知念 里奈さん/歌手・女優

知念 里奈さん/歌手・女優
1981年生まれ、沖縄県出身。沖縄アクターズスクールにてレッスンを受ける。96年に歌手としてデビュー。翌年、『第39回日本レコード大賞』最優秀新人賞を受賞。2003年、『ジキル&ハイド』でミュージカルデビュー。以降、『ミス・サイゴン』(04・08・12年にキム役/16・20年にエレン役)、『レ・ミゼラブル』(05年にコゼット役/07・09年にエポニーヌ役/11・13・15・19年にファンテーヌ役)、『ケイン&アベル』(25年)などの大作に出演。25年8月より、新作ミュージカル『ある男』に出演予定。シャツ:FURUMAU、アクセサリー:Jouete
タレント養成学校から11歳でスカウトされる

私は沖縄県那覇市、首里城の近くで生まれ育ちました。父は銀行員、母は専業主婦で、私は3姉妹の長女です。父がサーフィンをしていたので、週末は家族でよく海に遊びに行ったことを覚えています。性格的には引っ込み思案で、外で友達と遊ぶより、家の中で妹たちと人形遊びをするほうが好きな女の子でした。

 

そんな私が沖縄アクターズスクールに入ったのは、小学校5年生のときです。沖縄で映画の撮影が行われることになり、オーディションで子役を募集していたのがきっかけでした。学校の先生に「受けてみたら?」とすすめられ、オーディション会場であるアクターズスクールに出かけたところ、アクターズの校長先生に「うちに入ってみないか?」と声をかけられたのです。沖縄アクターズスクールはタレント養成学校兼芸能プロダクションで、MAX、SPEED、DA PUMPなどを輩出したことで一気に知名度が上がりました。

 

結局、映画のオーディションには落ちてしまったのですが、アクターズスクールでお世話になることになりました。実は、両親は大反対。でも、校長先生が3カ月かけて親を説得してくれ、最後は「学校の成績を落とさないと約束するなら」と、許してくれました。

15歳でデビュー 芸能界は沖縄ブームに

私がアクターズに通ったのはほんの3~4年ですが、今でもお付き合いのある仲間たちに出会い、今、振り返ると私にとって青春でした。生徒同士が自分の歌やダンスを披露し合ったり、上級生が下級生を指導したりする独自のメソッドもあり、厳しいけれど部活のような楽しい時期を過ごしました。イベントでミュージカルを上演することも多く、『ピーターパン』の主役をいただいたこともあります。

 

その後、同世代の仲間が次々にデビューしていきました。すぐに人気に火が付き、その勢いはブームとなり、みんながつくってくれた道を追いかけるようにして私も15歳でデビュー。翌年、日本レコード大賞の最優秀新人賞をいただきました。でも、若すぎたのか、当時のことはあまり覚えていません(笑)。

 

歌手デビューの少し前からドラマのお仕事で沖縄と東京を行ったり来たりするようになり、そうこうしているうちに「私もデビューするみたい…?」と、呆気にとられるほど展開のスピードが速かったのです。気づいたら、東京での一人暮らしが始まっていました。

一人ぼっちの心細さ 涙に明け暮れる日々

『THE夜もヒッパレ』という歌番組ではアクターズの仲間と一緒に歌うことも多くて、本当に楽しかった。私は一人で上京しましたが、同郷で気心の知れたメンバーと事務所も同じで、安心感がありました。それはとてもラッキーなことだったと思います。

 

ただ、まわりがグループなのに対して、私だけソロデビューだったので、たまにオフがあっても一人ぼっちで過ごさなくてはいけません。ご飯もどこに食べに行けばいいのか、最初の頃はよくわかりませんでした。

 

月に1回、母が沖縄から来てくれるのですが、会った瞬間から泣いている状態でした。母の帰る日が近づくと、また泣いて。今、自分にも子どもがいますが、15歳で親の手元から離すって、どんな気持ちだったんだろう?と思います。もし自分が親なら、手放すことはできなかったでしょう。

 

もちろん「大好きな歌をずっと続けられるんだ!」という喜びはありましたが、当時の私は、毎日のように沖縄の実家に電話をし、寂しさを紛らわせていました。

ミュージカルへの挑戦 冷ややかな視線のなかで

その後、私にとって大きな転機が訪れました。ミュージカルとの出合いです。いろいろなご縁が重なり、22歳のとき、『ジキル&ハイド』への出演が決まったのです。

 

しかし、ポップスしか歌ってこなかった私にとって、ミュージカルはまったくの畑違い。歌い方もお芝居も、求められているところまで到達できていないと感じました。お客さまからも「ここはあなたの来る場所じゃない」と言われているような冷ややかな視線が送られてきて、申し訳ない気持ちで演じていたのです。

 

そうは言っても、目の前の現実から逃げるわけにはいきません。だからこそ、少しでもよくなりたい一心で、人から「いい」と言われたことは全部やりました。「朝、本番前に走ると体がほぐれるよ」と聞けば走り、「公演中はお酒を飲まないほうがいい」と聞けば禁酒、「週2回マッサージに行った方がいい」と聞けばマッサージ…。すると、「昨日よりよかったよ」と言ってくださる方もいて、日を追うごとに客席の反応が変わっていったのです。それが励みになりました。

 

また、今日の反省を明日に生かそうと、少しずつ自分を変えていくことで、作品自体が向上していく感覚がありました。それは、ソロの歌手活動では得られなかった喜びで、「私のがんばりで、何かを変えられる」という思いが、やりがいにつながっていきました。

 

今となってはミュージカルのキャリアのほうが長く、もう20年以上、数々の作品に参加させていただいていますが、いつも大事にしているのは、“作品の1ピース”として共演者と調和をはかり、舞台を完成させること

 

そんな気持ちでカンパニーのみなさんと稽古を重ね、音楽、照明、衣装、すべてが重なって舞台芸術ができ上がるわけですが、そこにお客さまが加わることで、魔法がかかったような不思議な一体感が生まれることがあります。毎回“舞台の魔法”がかかること。それが私の願いです。

息子の一言が 再婚決断のきっかけに

舞台とともに歩んだこの20年間は、プライベートでも大きな変化がありました。26歳でシングルマザーとなり、長男が10歳のとき、今の夫(俳優の井上芳雄さん)と再婚し、次男を出産。ステップファミリーになりました

 

生まれて間もない1歳の長男と2人の生活になったときは、母や妹が協力してくれなければ、とても一人で子育てと仕事の両立はできなかったと思います。その頃は妹が東京の大学に通っていたので、一緒に住んでもらった時期もあります。

 

長男も「これが当たり前の生活だ」と素直に受け入れ、順応してくれました。唯一困ったのは、3歳になった頃、「うちにはお父さんはいないの?」と言い出したときです。私は努めて明るい声で、「みんなは決まったお父さんがいるけど、うちはこれから出会えるかもしれないよ。だから、この人いいなと思ったら教えてね」と。私たちにはきっとハッピーエンドが待っているんだと、息子だけでなく自分にも言い聞かせていたのかもしれません。

 

そのあとしばらくして、息子から「ママ、お父さん決めた?ボクは決めたよ!」と、夫の名前を告げられたときは、びっくりしました。私たちはすでに付き合い始めていて、いつかは一緒になりたい気持ちがありましたが、子どもの了解を得るには時間がかかると思っていたからです。それがまさか息子に背中を押してもらえるとは、思ってもみませんでした。

 

半ば息子に引っぱってもらう形で話が進み、再婚。本人はそれに対して責任を感じているのか、結婚当初、たまに夫婦ゲンカをして雰囲気が悪くなると、「ママ、ごめんね。ボクが選んだから…。もう嫌になってない?」と気にかけてくれました。

 

それでも中学生になると、反抗期もありました。あるとき、長男の部屋の壁紙を貼り替えようと思ったら、ポスターに隠されていた壁の穴を発見。ちょうど多感な時期に弟が生まれて、心に負担がかかっていたのでしょう。それでも暴言を吐くわけではなく、夫とも基本的にお互いをリスペクトする間柄で、今も仲良くやってくれています。

ステップファミリーが仲良く暮らす秘訣

長男は今、プロのバレエダンサーを目指してドイツに留学中です。この先、ヨーロッパのバレエ団に入るか、日本に戻ってくるかわかりませんが、将来、この道で生きていくと決めているようです。

 

一方、次男はまだ小学校に上がったばかり。今のところは歌、踊り、ドラムなどに関心があるようですが、やりたいことは何でもやらせてみて、本当に一途になれるものを見つけてほしいと願っています。

 

そんな家族4人、私なりの仲良く暮らす秘訣は、「根に持たない」「気にしない」「受け入れる」こと。たとえば、家族の誰かが約束を守らないこともありますが、いちいち気にして根に持っても仕方ありません。極力、忘れるようにしています。また、絶対にダメだと思ったことも、必ず一度は受け入れます。子どものお願い事なども、最初から「NO」と結論を言わず、まずは相手の話を正しく理解するためにもよく聞く。そうすることが、お互い気持ちよく、明るく過ごせるコツだと思っています。

 

私自身は、家族とドライブしている時間が一番好きです。全員休みがそろう日があれば車で温泉に出かけることがありますが、その車内で順番に好きな音楽をかけるんです。若い子どもたちが聴く音楽を知るいい機会になりますし、逆に、私たちが昔から聴いてきた名曲を子どもに教えてあげることもできる。その時間がとても楽しく、愛おしいのです。今度は長男のいるドイツにみんなで遊びに行って、新しい家族の思い出をつくりたいですね。

(都内にて取材)

         
  • 2歳9カ月のとき。七五三の記念写真

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  • 5歳ごろ。母と公園にて

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  • 14歳のとき。三姉妹で、スキー旅行(真ん中が本人)

    14歳のとき。三姉妹で、スキー旅行(真ん中が本人)

  • 2019年、ミュージカル『レ・ミゼラブル』の一場面。娘を思う母ファンテーヌを演じた 写真提供/東宝演劇部

    2019年、ミュージカル『レ・ミゼラブル』の一場面。娘を思う母ファンテーヌを演じた
    写真提供/東宝演劇部

  • 2025年3月16日に日本武道館で開催された「沖縄アクターズスクール完全復活祭」

    2025年3月16日に日本武道館で開催された「沖縄アクターズスクール完全復活祭」

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  • ミュージカル『ある男』の制作発表にて

    ミュージカル『ある男』の制作発表にて

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  • 知念 里奈さん

(無断転載禁ず)

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