歌は客席との壮絶な闘い。自分を崖っぷちに追い込むんです
- ケイコ・リーさん/ジャズ・ヴォーカリスト
- 愛知県生まれ。21才から独学でピアノを弾くようになり、ピアニストとしてジャズやシャンソンの伴奏を経験した後、シンガーへと転向。
1995年のデビュー作『イマジン』以来、12枚のアルバムをはじめ、DVDなど多くの作品をリリース。
存在感のあるヴォーカルとディープ・ヴォイスが評判を呼び、共演ミュージシャンから「楽器と対等に渡り合える歌手」と絶賛される。
2001年CMソング「ウィ・ウィル・ロック・ユー」が大ヒット。翌年2月に発表したベスト・アルバム『ヴォイセズ』は20万枚のヒット。
今年5月、スイングジャーナル誌の人気投票女性ヴォーカル部門で9年連続の第1位に輝く。
香港・台湾・韓国などアジア地域でも人気を博し、人気・実力 No.1ジャズ・ヴォーカリストとして国内外で人気を確立。
最新作はデビュー10周年記念ベスト盤『ヴォイセズ・アゲイン』(2枚組)。
20代半ばで初めて歌い、大評判に
赤ちゃんのころから、低いハスキーな声をしていました。泣き声まで、しわがれ声だったとか(笑)。この声は母方の祖母に似たようです。
愛知県で韓国料理店を営む両親のもと、4人姉妹の2番目として育ちました。お客さんが来ると膝に座り、お客さんが帰っちゃうと泣くような、人懐こい子で。両親は儒教の国の人。厳しい父、その父に従う母といった封建的な家庭でした。しつけも厳しく、海で泳ぎを教えるときも足のつかないところに置き去られ、「死にたくなかったらここまで来い」という感じ(笑)。でも家族同士の結びつきは強くて、今でも時間があれば集まっています。
音楽との出会いは4才か5才ごろ。母が買ってきたマンボのレコードにはまって、何度も盤をひっくり返しては聴き続けていましたね。
歌を聴くのは好きでしたが歌手になろうとは全く思っていませんでした。それどころか、このハスキーな声がコンプレックスで仕方なくて。21才のときから歌手の伴奏としてピアノを弾く仕事をしていましたが、歌のほうは全然自信がありませんでした。
きっかけは25才のアメリカ旅行のとき。アメリカ・サンフランシスコのフラリと入ったピアノバーで、「ピアノ弾いて」と頼まれた。そこで同時に歌ったところ、すごい反響が返ってきたんです。お客さんはアメリカ人ばっかりだったので、とても驚きましたね。そして帰国した27才のとき、地元名古屋のジャズクラブで「歌ってみたら」と勧められ、シンガーとして初めて舞台に立ちました。
初めて立ったステージ。歌ってみて、びっくりしました。自分の歌があまりに下手で。自分でできると思ったうちの2割ぐらいしか歌えていなかったんです。それまでヴォーカル教室の講師として5年間で100人ほどの生徒を教えていて、「発表会の本番では、自分の力の1割か2割しか出せないものだよ」と常々言っていた。自分自身がまさにそうなるとは思ってもいなくて(笑)。
でも、このままで終わるのは悔しい。次のステージをお店にお願いし、それまで必死で歌を練習しました。そして次こそ上手に歌えると思ったら、また別のイヤなところが出てきちゃった。そして練習してようやく改善したと思うと、また別のイヤな部分が膨らんでくる。次から次へと。その繰り返しで、今日まで来た感じです。
歌い始めてから2~3年でメジャー・デビューしたので、歌手としてのいわゆる下積み時代はありません。でも自分では、デビューしてから下積み時代を過ごしてきたと思っていますね。
本番前に声が出ない!ブランデーを一気飲み
デビューから2年ぐらいたったころ、ハプニングがありました。コンサートの当日の朝、起きたらなんと声が出ない!何をやっても、声が響かないんです。その年は年間200本くらいのステージがあり、ハードに過ごしていたのでその影響もあったのでしょう。
歌えない、どうしよう…。お客さんが期待して待ち構える本番直前の楽屋で、涙があふれてきました。そしてブランデーを大きなグラス1杯になみなみと注ぎ、一気に飲み干しました。「例え明日から声が出なくなってもいい。喉から血を流してでも、今日は歌うぞ!」と気合を入れたんです。すると、奇跡的に声が出た。酔いは全くありませんでした。声が出ない恐怖の方が先に立っていたから。
こうしてステージで歌っていたら、またハプニング。その日は台風で、今度はマイクの電源が落ちてしまったの。「地声で歌うのか…」と思いつつ、マイクなしで歌い切りました。もう、そのときの記憶は全然ない。でも、お客さんは声のことなど全く気付かなかったようです。こんな話するとなんだか私、トラクターみたいね(笑)。
歌も生き物。一緒に修羅場をくぐる
最新アルバム「ヴォイセズ・アゲイン」では、山口百恵さんが歌った「秋桜」をカバーして歌っています。名曲をカバーするときは、いったん私の中で曲のイメージを真っ白にして素材だけにする。料理に例えると、出来上がりの姿をリセットして、まず素の素材だけをぽんぽんと置いて、イメージを沸かせていく。原曲を崩さず、奇をてらわず。イメージが固まるまでは悩みますが、ピアノの前に座ると、いつしか指がピッと動く瞬間がある。そこから、歌い出してみます。「秋桜」はそうして最初に歌ったものが使われています。
新アルバムには来年公開される「スターフィッシュホテル」(ジョン・ウィリアムズ監督、佐藤浩市主演)の主題歌も入っています。これは初の作詞作曲に挑戦したもの。情景とともに静かに時が流れていくさまを表現したくて。出来上がったのはレコーディングの当日。当初は「これを機会に作詞を始めよう」と思っていましたが、大変だったのでやめました(笑)。
私の場合レコーディングは、大体最初のテイクで決まりますね。何回も録り直すと新鮮さが失われてしまう。テンションが下がらないうちに録ってしまいたいんです。
歌う上で新鮮さは大切。ライヴでもその場のお客さんの雰囲気を感じながら、即興で演奏していきます。
同じ曲を演奏し過ぎると飽きてしまうこともあります。そしたらしばらくその曲を演奏するのをやめてみる。そして1年間くらい、寝かしておくんです。すると熟成して、再演したとき意外と新鮮なものに生まれ変わっている。曲も私たちと同じ、生き物。一緒に修羅場をくぐっているんですね。
一方で、あえて同じステージで連日同じ曲をやることもあります。熱心なお客さんだと毎日通ってきますから、その前で目先を変えることなくフレッシュな気分で聴かせる。今度は、同じことをするという修羅場をくぐるわけ。そうして噛みしめて歌うから、最後は絞りカスすら出なくなる。確かにきついですよ。それでも、あえて自分を崖っぷちに追い込むんですね。自分のなかにサドとマゾの部分が混在しているみたいですが(笑)。
そこまでするのは、聴いているお客さんに芯から幸せになってもらいたいから。その気持ちは客席にも伝わりますね。客席から「そんなに幸せならもっと幸せにしたろか」と思いが跳ね返ってくる。その怖いくらいのパワーに負けそうになるけれど、そんなとき「私はケイコ・リーなんだ」と自分に言い聞かせて自らお尻を叩いて歌い続ける。そんな闘いの果て、最後に勝つのは必ず私の方(笑)。
スリムの秘訣は、思いっきり笑うこと
名古屋の自宅に帰れるのは、月に1週間ぐらい。ホテルの滞在が多いので、いかに快適に過ごすか工夫していますね。お風呂は半身浴が習慣。コンビニで水とビールとレディースコミックを買ってきて、ゆったりと浸かる。レディースコミックは、私にとって非現実の世界。「幼稚園の送り迎え」とか、「お騒がせババア」とか(笑)。自分とは縁がない世界だから、読んでいると現実を忘れられるんです。
ホッとする瞬間は旅から、名古屋に帰ってきたとき。仕事柄、普段は不規則な時間にエネルギーをなくさない程度の食事をチョコチョコとる生活なので、休みの日は夜6時ぐらいから好きなものを食べてゆっくりと過ごす。それが何よりの楽しみですね。
プロポーションは20年間一切変わらず。その秘訣をよく聞かれますが、それはおなかの底から笑うことかしらね。思いっきり歌って、笑って、自分の細胞を喜ばせてあげる。絶食は私には無理。食べないようにすることより、どんどん出すことを心掛けています。今“身体を解毒する"のが流行りですが、残り野菜を薄味で煮たものを食べて時々身体の掃除をすることなど昔から自然とやっていました。身体が必要性を知っていたんですね。
どうしてもストレスがたまったときは、「おしゃべり」で解消。自分の中で消化できないことは、人にバーッとしゃべりまくる。出した私はスッキリ。出された方はいい迷惑だろうけど(笑)。
歌い続けてそのまま死ぬのが理想
近年、北京や韓国などアジア方面でもライヴ活動をしています。向こうのお客さんのノリって、日本のお客さんのノリとは違うんですよ。ソロの途中でもどこでも、「いい!」と思ったらすぐ拍手や歓声が沸き起こる。反応が早すぎるのね。私は慣れているけれど、バンドのメンバーたちはその野性的な反応にひるんでしまって(笑)。これから静かなスッとした音を出そうとする直前に「ウワーッ!」っと来られたら、こちらも戦法を変えなきゃいけない。でも、それもおもしろい。今後はシンガポール、韓国でライヴをする予定です。
デビューしてちょうど、10周年。最初は歌だけに必死になっていたけれど、40才になって自分の至らなさに気付くと同時に、ものごとが幅広く見えてきた気がします。やっぱり周りの人たち、ファンの人たちのおかげでここまで来れたんだと心から思いますね。見えない影の力に気付いて、その存在は大きかったんだなあと。今、そういうことが見えてきただけでもラッキーと思う。これからが人生の出発。人生の出発、何才からでもいい。と、私、何でもいい風に考えるタチなの(笑)。
歌うことはこの先も続けるでしょうね。私の人生にとって歌は「ないと調子が悪いもの」。歌がないと自分は堕落してしまう。厳しい世界に身を置いているから、自制心を持って生きていられる。そこまで追い込まないとダメ人間になってしまうの。だから、「歌は戒(いまし)め」とまで思っています。
とはいっても、「来年はこうする!」とか目標を決めず、要所だけつかんだらあとは柳に風でのらりくらりと生きていきます。明日「やーめた」って、フラリといなくなるかもしれない。そんなわけにいかないけど(笑)。
そうして現役のまま歌い続けて、そのままバタッと楽屋で倒れて死んでしまう。それが究極の理想ですね。あ、ギャラの振り込みはしっかりチェックしてからね(笑)。
これからジャズを聴いてみようかという人は、肩肘張らずにライヴハウスに足を運んでみたらいいと思います。知っている曲、好きな楽器を選んでCDを聴いてみてもいい。人生、好きなものに出会う糸口は、どこにあるか分からないのだから。
(千代田区SME6番町オフィスにて取材)
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