『私はリング上の、一番大きな星をつかんだ!』と、今自信を持って言えますね
- 北斗 晶さん/元女子プロレスラー・タレント
- 1967年、埼玉県出身。
84年、全日本女子プロレスに入門し、翌年プロデビュー。「デンジャラス・クイーン」と呼ばれ人気を博す。
95年、プロレスラーの佐々木健介氏と結婚後、フリーになる。
出産後は、日本初のママレスラーに。02年現役引退後、夫のマネージャーとしてプロレス界に復帰。
現在、健介オフィスの代表取締役を務めるほか、タレントとしても活躍。
著書に「北斗晶の鬼嫁キッチン」(日東書院)「コラッ!健之介」(主婦と生活社)などがある。
リングを降りても、生きていくことは戦いですよ。
4年前に現役を引退して、今は会社のマネジメントとタレント業で、相変わらず忙しい毎日を送っています。子どもも2人になり、頑張らなければという責任感がより強くなった気がしますね。
現役時代は、自分のためだけに戦っていたけれど、家族が増え、会社の社員が増え、育てていく若手の選手が増え…と守るべき人の輪がどんどん広がっていった。その中で、働くのは自分の周りにいる多くの人たちのため、というふうに意識が広がってきた気がします。でも、リングを降りても、生きていくことは戦いですよ。
家族の反対を押し切って、プロレスラーの道へ
実家は埼玉の農家でした。父方の祖父母に曾祖父母、両親と姉妹3人、合計9人のにぎやかな大家族でしたね。家族そろってプロレスが大好きで、特に曾祖母は大のプロレスファン。でも、私はプロレスはあまり好きじゃなかったし、興味もなかったんです。
子どものころの夢は、お花屋さんか、お嫁さんになること。平凡でも幸せならいいと思っていたんですよ。
そんな私がプロのレスラーを目指すようになったのは、友達にすすめられて、というより洗脳されたようなもの(笑)。
ある日、プロレスが大好きな友達に連れられ、プロレスの道場に行ったら、選手の人から「いい体してるね。プロレスラーになったら」と。それ以来、その友達から「プロレスラーになりなよ」と毎日言われ続けて。だんだん私もその気になり「やってみたい」と思うようになったんです。
ちょうど高校生で、進路を真剣に考えていた時期でもあり、プロレスラーのオーディションを受けようと決めたのです。
当時は女子プロレスが大人気で、オーディションは300倍を超える競争率でした。受かるためには、高校をやめてトレーニングをするしかない。まさに、人生最大の大博打ですよね。
でも、家族は大反対。例えオーディションに受かってもプロになれるかどうか分からないし、その上、命をかけた危険な仕事ですから。それでも、私は家族の反対を押し切って、オーディションを受けました。
デビュー後、大ケガから奇跡の復活
実際に入ってみた女子プロの世界は、本当に厳しかったですね。練習の厳しさと先輩からのイジメ。あまりにもつらくて、毎日が必死で、たった20年前のことなのに、そのころのことはほとんど覚えていないんですよ。
そして、デビューして2年目、首の骨を折る大ケガをしてしまったんです。試合中、「アッ」と思った瞬間意識がなくなり、次に目覚めたのは病院のベッドの上。その間、死の淵をさまよっていたそうです。
その後、復活したのは奇跡と言われましたが、退院後は必死で練習しましたよ。寝る間も惜しくて、夜目が覚めたらすぐに練習。あんなに1つのことに集中したのは、人生最初で最後かもしれない。何としてでも、もう1度リングに立ちたい、その思いだけでしたね。
現役中、もうやめてしまおうと思ったことも何度もありました。でも、ずっと続けてこられたのは、最初に「絶対プロレスラーになる」と決めた、信念の強さだったと思います。
「記憶に残るレスラー」になりたい!
プロレスには、例えば相撲の世界の横綱のようにゴールはありません。その代わり、1度ダメになっても頑張れば返り咲きできる世界です。とにかく戦い続けるしかない。
でも、私は決してベルトにこだわっていたわけではないんですよ。例え、試合で勝ったとしても、もし観客の目が負けた方に集まったとしたら、それは私の負けなんです。だから、私はベルトよりもっと大きなゴールを目指し続けてきた気がします。
中堅の選手になり、進むべき方向を迷っていたあるとき、元・全日本女子プロレスの会長から、こう言われたんです。
「リングの上にはね、たくさん星が落ちている。その中に1つだけ、ものすごく大きな星がある。それをつかめるのはたった1人だ。だから、その星をつかみなさい」と。
今、「私は、その星をつかめた!」と自信を持って言えますね。私はトップのベルトを巻いたわけでもないし、歴史に残るプロレスラーではなかったかもしれない。でも、多くのファンの記憶の中には、絶対に「北斗晶」が残っていると思います。結局、私が最終的に目指したのは、「記憶に残るレスラー」だったのかもしれない。
もちろん、大先輩のレスラーの中には、マッハ文朱さんやビューティ・ペアのように、ものすごく人気のある選手もいました。でも、本当に真のプロレスラーとして、その大きな星をつかめたのは、おそらく私と長与千種さんだけだと思います。本当は、私だけだと言いたいところですが(笑)。
成功のコツは「笑うこと」?
そして、95年に同じプロレスラーの佐々木健介さんと結婚。それまで全日本女子プロレスでは恋愛はご法度でしたから、結婚とレスラー、それを両立させたのは私が初めてでした。後輩に夢を与えてあげたいという気持ちもありましたね。でも、プロレスラーとして中途半端な人が、結婚して続けるというのは大反対なんです。
私は、結婚して子どもを産んで、誰よりも忙しいけど、誰よりも幸せだと思いますよ。後輩たちも、あんな風になりたいって思ってくれているんじゃないかな。
私はいつもみんなに言ってるんですけど、ほかの人からうらやましがられるような人になりなさいと。うらやましいと思われるのは、その人が成功して、輝いている証拠なんだから。
よく、成功したコツは?なんて聞かれるけど、私自身は、まだまだ私は成功したとは思っていません。欲が深いですから(笑)。会社だって、毎月の支払いは大丈夫かって感じなんですよ。それでも、毎日笑わない日はないですね。
この間、1日のサイクルを考えてみたら、笑ってる時間が1番多い。1日中、笑ってるか、文句を言ってるか、そのどちらか(笑)。昔から、家族みんなそんな感じだから、ノー天気なのは子どものころからの性格なんでしょうね。
実は今、夫の健介が目にケガをして、しばらく試合に出られない状況なので、普通に考えれば、どん底の状態ですよね。
でも、私はどうにかなるさ、としか思わない。どんなに大変でも、いつも「大丈夫、たいしたことないよ」って言ってるから、夫もいつの間にか、「大丈夫なんだ」って思ってる。夫婦そろって、いい加減なのかな(笑)。
「健介ファミリー」の家族円満の秘訣
夫は、私にとっては親友ですね。1番私のことを分かってくれる大親友。よく言うことを聞いてくれるし(笑)。結婚するときに、健介は「何度生まれ変わっても一緒になろう」って言ってくれたんですよ。きっと今は、もう嫌だと思ってるだろうけど。でも、何度生まれ変わっても、私の方から見つけてやるゾと思ってる(笑)。
最近は、結婚してもすぐに別れる夫婦が多いけど、やっぱり普段の生活が反映してるんだと思いますよ。夫が妻の行動にいちいちうるさいとか、反対に妻が遊んでばかりいるとか、お互いに相手への思いやりがなかったら、離婚されてもしょうがない。私の場合、いつも言いたいことを言うのは私の方だけど、健介が本当に困ったときには、助けてあげたいと思う。逆に私が困ったときには、健介が助けてくれるだろうし。それが本当の夫婦だと思いますよ。
今、子どもは7才と3才。特に子育ての方針はないんですが、悪いことをしたら拳骨は当たり前。でも、物では絶対叩かない。それは決めてますね。だって、物だと自分の手は痛くないでしょう?
自分の手で拳骨すれば、「お前も痛いけど、ママだって痛いんだよ」って言ってあげられる。もし、子どもの痛みが親自身にも伝わらなければ、それはしつけにはならないと思うんです。
小さな子どもの心に傷が残らないように、ケアすることも必要ですね。
私が子どもに怒った後は、夫に「パパ、行ってなぐさめてあげて」と目で合図してます。だいたい私が怒る方が多いんですけど、たまに夫が怒るときは、私が子どもをなぐさめる。そうしないと夫ばかりいい人になっちゃうから(笑)。
私にとっては、子どもも親友なんですよ。夫も子どもも友達で、みんなで一緒に遊んでるって感じですね。
この間も、紙粘土で作ったウンチのおもちゃを2つもらってきたので、早速、子どもにいたずらしようと。子どもが寝たら枕元に置いて、起きたときにどんな反応をするんだろうねって、夫婦で楽しんでる。普通は、子どもが親にいたずらするけど、うちは親が子どもにいたずらして喜んでるんですよ。毎日そうやって、笑えることを探して、楽しんでます。まあ、それが夫婦円満の秘訣でしょうか。
一歩一歩夢を実現
今まで、夫と2人いろんな夢を描いてきました。
1番最初の夢は、家を建てること。東京に家を買って、子どもができたら自然の中で育てたいと思って、実家のそばに家を移して。それから、若いプロレスラーを育てられる場所を作りたいと。それも、今年実現しました。とんでもない大借金ですけど(笑)。そのローンが終わったら、今度は次の夢を見ようよって。そんな感じで、一歩一歩当面の目標を決めながらやってきたって感じですね。
このまま、走れるところまで走ったら、あとは夫と2人、縁側に座ってたくあんでも食べながら、昔話をしたい。「じいさん、昔はカッコ良かったね」なんて、日向ぼっこしながら、のんびりと…。そんな人生がいいですよね。
まだ、子どもたちもプロレスをやるかどうかは分からないけど、どうせやるなら、父親を引退させるような、すごいプロレスラーになってほしい。あと10年もたったら、家族タッグもあり得るかもしれないし。もし、そうなったら…。考えただけでも、恐ろしいなあ(笑)。
(埼玉県吉川市の事務所にて取材)
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