前向きに楽しんで生きないと損なんです。マンション管理組合役員の仕事を通じて知った人間模様
- 名取 裕子さん/女優
- 1957年神奈川県生まれ。
青山学院大学在学中、「カネボウ・サラダガールコンテスト」で準グランプリに選ばれ芸能界へ。翌年TBSテレビ小説「おゆき」のヒロインでデビューし、以後主演女優として活躍する。
NHKドラマ「けものみち」、映画「序の舞」「吉原炎上」など数々の話題作に出演。
「異人たちとの夏」「マークスの山」で、日本アカデミー賞助演女優賞。
土曜ワイド劇場「法医学教室の事件ファイル」シリーズでも活躍。
華やかな容姿と確かな演技で舞台女優としても注目を浴びる。5月5日~23日に大阪松竹座にて舞台「妻への詫び状 作詞家 星野哲郎物語」に出演。作詞家・星野哲郎の妻、朱實を演じる。
亡き母に教えられた感謝の心
勝ち気で、ヤンチャ。子どものころは、2つ年上の兄を真似た刈り上げスタイルで、山や川で泥んこになってわんぱくし放題の日々を送りました。近所では男の子だと思われていて、中学になって制服のスカート姿になったときはとても驚かれましたね。
とにかく負けず嫌いな子で、兄のやることをなんでも真似。掛け算、九九…。なんでも兄より早く覚えたかった。ハーモニカが兄のようにうまく吹けないのが悔しくて、幼稚園を休んで1日部屋にこもって練習したのを覚えています。
生まれたのは神奈川・横須賀の、13人の大家族の家。昭和の一般的な、家父長制の家庭でしたね。食事のときは上座に男性が並び、私は柱にくくりつけられていた(笑)。そうでもしないと興味のあるところにすぐ飛んで行っちゃう子だったので。
母の思い出は白い割烹着姿。まめで料理上手な人でした。その母は私が14才のときに他界。それからしばらく父と兄の分を含めた家事、食事を担当しました。母が早く亡くなったことで、精神的には早く大人になれたと思います。だって今まで母が用意してくれていたご飯は、それからは自分で作らないといけない。使ったお茶碗も、誰も片付けてくれない。洗わなければ学校から帰ってもそのままで置かれている。洗濯物だって洗濯機に入ったままで、自分がやらなければ誰も洗ってくれない。そういったことが早く身に染みて、学べたんでしょうね。
母は厳しい人ではなく、しつけというものは特にされなかったけれど、1つ教えられたとしたら“あいさつをする”こと。人に何かをしていただいて感謝の思いが生まれたときに、「ありがとう」「うれしかった」「おいしかった」と言葉で相手に伝えることを教えられました。だから今でも何かをいただいたら必ず先方にお礼の気持ちを伝えるし、携帯メールや絵はがき、絵手紙もしょっちゅう書いていますよ。
結局子育てで大事なことは、どう他人と接するかを教えていくことではないかしら。私はこれまで多くの人たちに応援され、支えられてきました。人さまにかわいがっていただけるようなお付き合いの仕方を教えてくれた母に、今では感謝していますね。
大学生で女優デビュー 友人に応援されて
大学は青山学院大学国文科に入学。入部したサークルは広告研究会でした。コピーライターになりたかったからだけど、コンパも多くて楽しそうだったので(笑)。
デビューのきっかけは大学1年のときにあった夏のコンテスト。サークルで馴染みの広告マンから頼まれて、三浦友和さんの相手役を募集する『カネボウ・サラダガールコンテスト』に人数合わせで応募したところ、なんと準優勝。2年生のころにはテレビに出ていましたね。
友人には大いに助けられました。学科には高校からの同級生が8人いたんですが、彼らはレポートの面倒を見てくれたり、授業のノートをまとめてくれたり、試験で出るところを教えてくれたり。あるときは講義で友人の代返がバレてしまい、先生のお宅で補習を受ける羽目になったことも(笑)。
そのときの友人たちは、今でも私を応援してくれています。毎年観光バスを仕立てて、必ず舞台を観にきてくれる。子どもが大きくなった友人たちは「これからは第二の人生。一緒に遊ぼう」と言ってくれて。友達って本当にありがたいですね。
3ヵ月の猛練習で三味線をマスター
なりたいと思っていたわけではないのに、広がっていった女優の道。「序の舞」「吉原炎上」…。印象に残っている出演作はたくさんあります。
特に女優として大きな転機となった作品は、松本清張原作・和田勉演出の「けものみち」(82年)。市井で暮らす普通の人たちが、ひとつ歯車が違ったときに陥る罠。そして犯罪にはまっていく心理が鋭く、面白く描かれていました。山崎努さん、西村晃さん、伊東四朗さん、すべての人たちの鬼気迫るエネルギーがぶつかった、本当にすごい作品。今でも見るたびに作り手の熱い思いが伝わってきますね。演出の和田さんはヒロインに愛情を注ぎ込み、情熱を持ってドラマ作りをされていた。あれだけ情熱を込めたドラマ作りは、今ではなくなってしまった気がします。でもそんな作り手の情熱こそが、傑作を生み出すのだと私は思いますね。
ここ3年ほどは役柄で三味線を弾かなければならないことがあって、三味線に初挑戦しました。三味線って見た目よりずっと難しい。腱鞘炎で手があがらなくなるほど猛練習しましたね。かくて、10年かかるところを2~3ヵ月でマスターしてしまった。そこらへんは子ども時代からの負けず嫌い、勝ち気さが出たのかもしれません。
でも、そういう挑戦って本当は楽しいんですよ。だってゼロだったことが、ゼロじゃなくなっていくんだもの。三味線が弾けるようになったら、お座敷で芸者さんと一緒に弾かせてもらうような大人の遊びができるようになる。じゃあ今度は踊れるようにもなりたいと日舞のお稽古も始めたり。三味線で座ってばかりじゃ足が太くなるからって、あげくはアルゼンチンタンゴまで始めちゃったり(笑)。お稽古のスタートは40代、50代からでも遅くないんです。
昔は必死に走り続けたけれど、これからはそうして楽しむ場を作りながら仕事をしていきたいと思っていますね。
2時間ドラマより面白い?!
人生の転機は38才のときの、父の死。それまでお金のことなど父にすべて任せていたので、それらが一気に自分ひとりにドン!と降りかかってきました。今いくらお金があるとか、税金はどう払っているかとか何も知らなかったので、やり方が分からなくて戸惑ってしまって。そして義母の老人性アルツハイマー発症、さらに座長を務める舞台「吉原炎上」の公演も重なって、疲労はピークに。呼吸ができない、汗が吹き出るといった不調に苦しむ日々が続きました。
そんなとき飼っていたミニチュア・ダックスフントに子犬が生まれたんです。犬のお産は病院でやってくれるものだと思っていたら、「あなたがやるんですよ」と言われて。世話をしないと死んじゃうから、落ち込んでいる暇がなくなった。子犬の世話に駆けずり回っているうちに体調不良は消えてなくなりましたね。
今は愛犬2匹とマンション暮らし。最初マンションには管理組合もなかったので、自分たちで立ち上げました。役員もやりましたよ。全部で7軒しかないので、すぐ順番回ってきちゃうの(笑)。総会だってちゃんと出ています。
メンテナンス、修繕計画…。関わっていくうちに、いろいろとマンションの大変さも知りました。私が管理組合の理事長をしていたときには、マンションの強度に影響する工事をしそうになった住民の方のところに「やめてくださーい!」と乗り込んだことも。父母用だったリゾートマンションでは、犬OKのマンションだったのに苦情を言う人がいて、話し合いをしたり。住民の方たちのトラブル、人間模様なども見ているうちに、これは「テレビの2時間ドラマより面白い!」と(笑)。普通に生きていくのって大変なんだ、いろんな智恵もいるんだと管理組合の仕事を通じて知りましたね。
観客に生きるエネルギーをあげたい
この5月に大阪松竹座で上演される舞台「妻への詫び状」は、昭和の歌謡史に残る名曲を産み出した作詞家・星野哲郎が妻と歩んだ激動の半生を、懐かしのヒット曲に乗せてつづる作品。私は星野哲郎の妻・朱實(あけみ)を演じます。
熱烈な恋愛で結ばれた星野哲郎さんと朱實さん。星野さんは原稿用紙に「朱實、朱實」と書いたラブレターを送っていたとか。朱實さんはショートカットで洋服がよく似合うモダンガールだった。自らも詩を書き、活動的でパキパキしていて、例えると向田邦子さんのような方。
夫の芽が出るのを支え、彼が成功してからもきちんと支えていった、妻であり母であり、マネージャー、プロデューサーでもあった朱實さん。舞台では彼女の大きさ、優しさ、強さを表現したい。お客さんにはご自分の青春、パートナーとの生活を重ね合わせながら楽しんで観ていただきたいですね。
そして観た人が、『観て良かった』『あの人も頑張っているから、私も頑張ろう』などと感じてくれたらうれしい。見ている人たちに、生きていくエネルギーを提供する。芸能って、つまりはそういう仕事じゃないかと思います。
女優はとても良い仕事だし、一方でつらい仕事でもある。これからは楽しみながら、自分が経験したこと、感じたことをその都度の役柄で表現していきたいです。
“生き方のポリシー”なんて、全然ないですよ。でも、他人のせいにするのは好きじゃない。すべては自分で選んでやっていること。人のせいにするとそれは足かせになる。自分で選んでやって、それで失敗したら次にしなければいいことじゃないですか。私の場合は「ま、だいたいでいいか」ってな感じですけど (笑)。
これまで、苦労を乗り越えてきた、という感覚もないですね。いろいろと思い悩んでも、時は過ぎていってしまう。だから人生、前向きに楽しまなければ損じゃないですか。
仕事でも何でもどこかに楽しみを見つけて、やっていく。たとえ、マンション管理組合の役員の仕事でもね(笑)。「ほう、こんなこともあるんだ」なんて楽しみながら、生きていきたいですね。
(銀座東武ホテルにて取材)
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