Ms Wendy

2007年8月掲載

歌は心をつなぎ、生きる力を与える 誰もが『愛されている』と伝えたい

佐藤 しのぶさん/声楽家

佐藤 しのぶさん/声楽家
東京都生まれ。
若くして「椿姫」の主役に抜擢され、鮮烈なデビューを飾る。抜きんでた歌唱、迫真の演技、華麗な舞台姿は人々に圧倒的な感銘を与える。
NHK「紅白歌合戦」には1987年から4回出演。
1998年にウィーン国立歌劇場にて「蝶々夫人」で主役デビューなど、海外でも活躍。
自身の企画による母の日コンサートを毎年5月に開催。
最新著書は「出逢いのハーモニー~歌声は心をつなぐ~」(東京書籍)。
リサイタルは9月15日紀尾井ホールなど。クリスマスコンサートは12月10日ザ・シンフォニーホール、12月12日東京オペラシティ。
佐藤しのぶアートガーデン
http://www.satoshinobu-ag.co.jp/
「きれいな声だね」にびっくり

今の私からは信じられないと思いますが、子どものころは病弱で、内向的なおとなしい子どもでした。母も体が弱く、お医者さまから「子どもを授かるのは無理かもしれない」と言われていたので、思いがけない私の誕生を両親はとても喜んだそうです。ごく一般的なサラリーマンの家庭でしたが、両親の愛情をいっぱい注いでもらい育ちました。

音楽との出合いは幼稚園時代。園に置いてあったオルガンから1日中離れない私を見て、先生が「何か楽器を習わせたらどうですか」と親に話してくださり、ピアノを習うことになりました。

待望のピアノが家に来た日を、今でも覚えています。とても厳粛な瞬間でした。父は私を正座させて、「ピアノはおもちゃじゃないから、一生大事にすること。ちゃんと練習するんだよ」と。人間同士、初めての大切な約束をしました。以来、長い髪にリボンをつけ、ピアニスト気取りで夢中になって弾いていました。

音楽好きな両親のもと、大好きなクラシック音楽に囲まれる毎日。読書も好きな私のために、父は「この子が欲しがる本をすべて渡してください。後でお支払いしますから」と近所の本屋さんに頼んでくれて。そのころはそれが当たり前と思っていたのですが、今考えると相当珍しいことですよね。

幼いころから“西洋趣味”が強く、読むのも聴くのも西洋のものばかり。お姫様や王子様が出てくると、ドキドキと心が躍ったものです。

中学1年生になり、人一倍感受性が強かった私は、「大好きなクラシック音楽三昧の生活がしたい」と思うようになりました。当時は、父の転勤で大阪に住んでいたので、大阪音大付属高校を受験しようと決心しました。

ところが、ピアノの先生は猛反対。「もう遅すぎます。音大付属の受験なんて無理」だと。聞けば、普通は4才くらいから英才教育を始めるのに、私は受験まであと2年半。常識では絶対無理な話なのです。でもなぜか、ショックとか焦燥感はまるでなくて、どれくらい練習すれば追いつけるかを計算しました。人より100曲遅れているとしたら、1日10時間くらい弾けば間に合うかな、なんて。そのうち、私の熱意に根負けしたのか、ピアノや作曲の先生にも教えていただけることに。高校生と同じクラスで読めない漢字に苦闘しつつ、朝早くから先生のお宅に押しかけて猛勉強しました。

そのころ、教えていただいた声楽の先生から、「君はきれいな声してるね。僕と一緒に勉強しよう」と言われ、人前で歌ったこともなかった私はびっくり。この出会いによって、ピアノ科から声楽科に進路を変えました。

かくて猛勉強が実り、無事に合格。その後上京し、国立音楽大学でもう1度声楽を基礎から学んだものの、卒業後は中学の音楽教師になるつもりでした。

そんな私に訪れた運命の転機は、大学卒業の春。恩師から「オペラ歌手になる道は必ず開けるから」と言われ、文化庁のオペラ歌手育成機関を勧められたのです。そして「絶対に受からない」と思っていたオペラ研修所になんと最年少で合格。でも、周りはすでにプロとして活躍している人ばかり。授業についていくのがやっとでしたが、それでもオペラを学べることがうれしくて、朝は誰よりも早く研修所に行き、掃除をする。思い込んだらもうまっしぐらでしたね。でも、その努力の成果か、2年後は首席で卒業することができました。

文化の違いに驚いた留学時代

研修所を卒業後、オペラのデビューは「椿姫」のヴィオレッタ役。初めてのオペラの舞台にして、なんと主役に抜擢されたのです。これは失敗したら私1人だけのことではすまされない、大変なこと。当時は若くて無知だったからできたのかもしれません。

舞台に立つのは、若いころより、今の方が怖いですね。役柄に入ってしまうとフッと自分から抜け出せますが、役柄に入るまでの過程が断末魔の苦しみ(笑)。前は、舞台も年齢を重ねて経験を積むほど怖くなくなると思っていたのね。でも違う。例えば、山を遠くから眺めると「美しいな。行きたいな」と思うでしょう。でも山が近付きその全貌が見えてくるにしたがって「こんなに大きく急傾斜だったのか…!」と怖くなってくる。でも引き返すわけにはいかないのです。

オペラ研修所を卒業後、オペラの本場・イタリアに留学。当時はインターネットもなく、外国もすごく遠い時代でしたから、文化の違いに驚きの連続でした。

声楽のレッスンでは先生は私を見るなり、「こんなやせっぽちじゃ歌い手になれない!もっと太ってから出直しなさい」と。そこで、フルコース料理やパスタを必死で食べても効果なし。困ってたどりついたのがアイスクリーム。毎日アイスを4個食べることをノルマにしたら、見事増量に大成功。帰国したとき母が「私の娘じゃない!」と言うほどになれました(笑)。

でも、街中にオペラがあふれたイタリアでの体験はとても素晴らしかったですね。

娘の誕生から始めた「母の日コンサート」

歌手として走り続けていた91年、妊娠といううれしい知らせが。そのときすでに3年分のスケジュールが埋まっていたので、臨月間近まで舞台に立ち、CDも録音しました。娘が誕生し、初めて対面したときに思わず出た言葉は「ああ、あなたでしたか」。自分の娘ではあっても、天から授かった人類の宝。厳粛で、言い尽くせないほどの感動でした。

87年に「紅白歌合戦」出場後、一躍“有名人"になってしまい、歌手としてどう歩むべきか悩んでいた私にとって、娘の誕生は大きな転機になりました。彼女が存在してくれたことで新しい世界が広がり、とても感謝しています。

出産を機に、思い立って始めたのが「母の日コンサート」。テーマは、“母子愛と命の継承"。娘を産み育てたのと同様、私自身も母が一生懸命育ててくれた。その愛は、たとえ時代が変わっても変わらないことを伝えたいと思いました。毎年5月に開催するコンサートは今年で13回目になり、今では親子3代、4代でいらっしゃるお客さまもいます。年配の男性がお母さまの手を引かれて来場する光景も。そんな姿を見ると本当に感動しますね。これだけ長く続いているコンサートは世界でもあまりないので、これからも続けたいと思っています。

「1人1人が自分は愛されている」ことを伝えたい

さらに娘の誕生から、命についても深く考えるようになりました。97年、「子どもたちに生きる希望を与えてほしい」という1通の手紙がきっかけで、ベラルーシへ。チェルノブイリ原発事故で被爆した子どもたちのいるサナトリウムを訪ね、ささやかなコンサートをしました。

また一昨年にはバングラデシュの、ストリートチルドレンのための施設を訪れ、子どもたちと交流。その最終日、私は子どもたちを1人1人膝に乗せ、子守唄を歌いました。貧困や虐待などさまざまな理由で、両親と離れ、1人路上で生きる子どもたち。子守唄で自分のお母さんを思い出したのか、子どもたちの目から涙がこぼれ、いつしか全員が泣いていました。

それはとても温かい涙でした。私は、そんな子どもたちが自分の娘のように愛おしくて、あなたたちも本当は親から愛されているんだよ、ということを伝えたい、そう思ったのです。

世の中には誰かに愛されていることを感じたいのに、その望みもかなえられない子どもたちがいます。誰かに愛されるということは水を飲む、ご飯を食べるのと同じくらい、人にとって大切なこと。そして、それは大人になっても何才になっても変わらないことなのだと思います。日本はこんなに豊かなのに、子どもたちにいろいろな事件が起きているのはその愛が足りていないからではないかしら。これは大きな問題と心配しています。

魂と魂が触れ合えるライブの歌声

ベラルーシやバングラデシュの子どもたちと触れ合った体験から、歌には素晴らしいエネルギーがあり、生きる力を与えることを確信しました。

魂と魂が触れ合える瞬間。DVDや録音ではなく、生きている生の声だからこそ、伝えられるものがあるのです。だから、私はマイクも使わず、自分のこの生の声で歌い続けたい。生の声は絵画のようなほかの芸術と違い、後に残らないもの。それでも私はライブで歌うことにこだわりたいし、小さな空間でもいいから自分の声を届けたい。私の使命はそこにある。そのために私は生まれてきたのだと、そのとき確信しましたね。

そして、世界の子どもたちを訪れた、この素晴らしい体験を1人でも多くの人に知ってほしいと思い、「出逢いのハーモニー~歌声は心をつなぐ~」という本にまとめ、今年の5月に出版しました。

海外の権威ある劇場に出演したことをよく讃えていただくのですが、私は「この歌劇場で歌いたい」「こんなキャリアを積みたい」「賞賛されてお金持ちになりたい」といったことを目標にしたことは1度もありません。私の目標は、今までもこれからも、アーティストとして、人間として成長し続けていくこと、それだけなのです。

今私には、すごく大きな夢があります。世界中の人が歌で幸せになれたらいいなと思って、秘かに心に温めている企画があります。戦争を好きな人なんかいないし、お金や物質がすべてではない。人を愛すること、それが1番大切。そのことを歌に込めて伝えたいなと。いつ実現するかも分からないけど、でもいいの。何かを作っていく過程が大好きだし、何よりわが家の家訓は「成功するまであきらめない」ですから(笑)。

(パン パシフィック 横浜ベイホテル東急にて取材)

  • 小学校2年生のとき、ピアノの発表会にて

    小学校2年生のとき、ピアノの発表会にて

  • リサイタルより

    リサイタルより

  • 佐藤 しのぶさん
  • ウィーン国立歌劇場 『蝶々夫人』

    ウィーン国立歌劇場
    『蝶々夫人』

  • 『フィガロの結婚』伯爵婦人 (1991年)

    『フィガロの結婚』伯爵婦人
    (1991年)

(無断転載禁ず)

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