芝居の中だけでもハッピーエンドにしたい。世の中、笑えないことが多すぎるから
- 柴田 理恵さん/女優
- 1959年富山県生まれ。
明治大学文学部卒業後、劇団東京ヴォードヴィルショーを経て、 84年WAHAHA本舗創立。
フジテレビ「笑っていいとも」、テレビ東京「ペット大集合!ポチたま」ほか、ドラマ、映画、舞台など幅広く活躍中。
「女探偵・伴内多羅子シリーズ」の3作目「歌う探偵 悩む容疑者」は、11月7~11日の東京公演を皮切りに、15日富山、17~18日大阪、23日群馬、12月1日静岡にて公演。
http://wahahahompo.co.jp
WAHAHAが原点
劇団仲間と「WAHAHA本舗」を旗揚げしてから、もう25年目。こんなに長く続くなんて思わなかったですね。
とにかく芝居と「お笑い」が大好きで、ここまでやってきたから、自分がテレビに出るようになるなんて、全く思ってなかったんですよ。芝居ができるだけで、どんな苦労も楽しかった。テレビ世代の今の若い人たちとはちょっと感覚が違うかもしれないですね。このごろよく若い人が劇団に入れてほしいって来るんだけど、「何をやりたいの?」と聞くと、「テレビのクイズ番組に出たい。適当に答えて景品がもらえるから」って。すぐに追い出しますよ(笑)。
最近は、テレビの仕事も増えましたけど、私にとってはあくまでWAHAHAが原点。芝居がなければ、ほかの仕事もする意味がないと思うから、これからもずっと芝居を続けていくでしょうね。
山本リンダのモノマネから芝居の道へ
生まれたのは、「越中おわら節」で知られる富山県八尾町。母の実家が旅館なので、9月の忙しい時期には母と一緒に手伝いに行きました。といっても、昔は今のように観光客も多くはなかったですけど。
父は鉄道会社に勤めるサラリーマンで、母は小学校の教員でした。母は教育熱心で、すごく怖かったですね。悪いことをすると、顔をパチーンと叩かれて外に放り出されたり。生徒にも子どもにも同じように厳しかった。
でも、豪放磊落というか面白いエピソードもいっぱいあるんですよ。例えば、生徒たちを引率してサルを見に行ったときに、眼鏡をサルに取られてしまい、それを取り返そうとしてサル山に登って大格闘した話とか。そのころの眼鏡は貴重品だったから、母は必死だったと思うけど、子どもたちもきっとびっくりしたと思います。
幼稚園のころの私は、覚えたばかりのお遊戯をわざわざ病院の先生に見せに行ったり、選挙カーの後ろをずっとついて演説をして歩いたり、おしゃべりでちょっとおしゃまな子どもだったようです。
でも、中学生ぐらいになると人前で目立つことはしなくなり、いつも学級委員に選ばれるような真面目な生徒でした。そんな私が変身したのは、中学2年生のとき。
学校の恒例行事の1つに1泊の立山登山があったんですが、夜になるとみんな修学旅行気分で大騒ぎになって。当時はちょうど、新御三家とか歌謡曲全盛時代だったから、モノマネ歌合戦が始まって、私が山本リンダのモノマネをしたら、友達がワーッと笑ってすごくウケたんですよ。
それから、本当に学生生活が一変したんです。友達もいっぱい増えたし、毎日が楽しくてしょうがない。そこからですね、だんだん芝居に目覚め始めたのは。
私には「お笑い」の世界が合ってる
その後、八尾高校の演劇部に入部。うちの高校は県大会でいつも優勝するぐらい、伝統のある演劇部で、稽古も厳しかったんです。でも、私は部活だけでは飽き足らず、いろんな芝居を見に行きました。2月に1回、「労演」という労働組合が主催する新劇があって、市内まで1人で見に行ったんです。もちろん、学校には内緒で。でも終電で遅く帰っても、両親は何も言いませんでした。もともと親も芝居が好きだったんでしょうね。私は覚えていないけど、小さいころからよく芝居を見に連れて行ってくれたらしいから。
当時はビデオもない時代だし、テレビでも芝居中継はほとんどなかった。ただ1つNHKの番組で、唐十郎さんの紅テントや早稲田小劇場とかアングラ演劇の舞台を放送していて、それを見たとき、「なんて東京はすごいんだろう」って思ったんですよ。それで、東京に行きたいって思ったんです。
でも、ただ芝居をやりたいと言っても親は絶対許してくれないし、いきなり劇団に飛び込む勇気もない。それなら、東京の大学に入るしかないだろうと。それで理数系は一切勉強しないで、赤点とって。親にはこういう成績だから、東京の私立で文科系じゃないと受験は無理ですって。そうすれば、親も諦めるじゃない? 教師になるからってウソまでついて。私って、やるときは徹底してるんだよね(笑)。
そして明治大学の文学部演劇科に入部。大学時代ももっぱら部活で芝居の稽古をしてました。そのうち4年生になり、就職する気にもなれなくて。だいたい、自分がOLで働いている姿なんて想像もできなかった。
やっぱり自分には芝居しかないって思ったんです。それで、自分に合った劇団を探しているうちに、東京ヴォードヴィルショーのお笑いの世界がいいなと思って、頼み込んで入れてもらいました。
若いメンバーで「WAHAHA本舗」を旗揚げ
劇団に入っても、若手は掃除とか下働きでなかなか芝居に出させてもらえない。それでも、芝居ができるだけでうれしかった。でも、4年ぐらいたったころ、だんだん自分がやりたい芝居と違うなって思い始めたんです。同期には久本雅美さんもいたし、先輩たちが作った芝居を年に2回やるだけじゃあ、つまらない。若くてエネルギーもあり余ってるから、もっともっと芝居をしたいし、暴れたいと。
でも、ゼロから劇団を立ち上げてきた佐藤B作さんや先輩たちから、「俺たちの劇団は違うよ」って言われたら、何も言えない。考えれば、それは当然ですよね。私たちは劇団が10年たって軌道に乗ったころにのほほんと入ってきただけだから。
でも、どうせバイトしながら好きなことをやってるなら、本当に自分が好きなことをしないと意味がない。それなら、自分たちで劇団を作っちゃえ、と。それで仲間と一緒に劇団をやめて、「WAHAHA本舗」を立ち上げたわけです。
東京ヴォードヴィルショーで座付き作家をしていた喰始さんを筆頭に、メンバーは24、5才。みんな若かったなあ。そのときのメンバーとの出会いは、本当に運命的だったと思いますね。
芝居も道具もみんなの手作り
WAHAHAを立ち上げたとき、みんなで決めたことがあるんです。普通、劇団は作家・演出家がトップにいて、その下に幹部の俳優、中堅、若手とピラミッド型の組織になっているんですよ。作家は自分の書いた脚本通りに芝居をさせようとする。でも、自分たちはそれが嫌だったから、WAHAHAでは全員横並びにしようと。喰さんが1番年上だから、親せきのお兄さんで、私たちはお兄さんを慕って田舎から出てきた青年たち。その間柄がいいねって。
だから、喰さんも命令通りに動かすんじゃなくて、その人に合った助言をしてくれるんです。例えば、ある人には芝居の勉強よりももっと遊びなさいとか、ある人には水泳とか楽器とか、それぞれの専門分野を決めて勉強させる。1人1人違った個性を引き出して、それをコラボレーションする。そのあたりはうまいですね。1人1人が得意分野を持つことで、お互いに対する尊敬も生まれてくるんですよ。
毎回、芝居の内容もみんなで考えています。喰さんが「今度は宇宙をテーマにします」って言うと、翌日までにみんなで面白いことを考えてくる。それを組み合わせて、ストーリーを組み立てていくわけです。
もちろん舞台で使う道具もすべて手作り。昔は粗大ゴミの日は、必ずゴミ捨て場に行って使えそうなものを拾ってきたし、お店から段ボールをもらって、それを剥いだりもんだりして道具を作る。経験からいうと、楽器屋さんの段ボールが材質も厚みも1番丈夫にできてるようです。まあ、段ボールの良し悪しが分かるからって、役者としてどうなのかって思うけど(笑)。
最近は道具も衣装も若手の人たちが全部作ってくれるので助かりますね。今は総勢39人の大所帯になり、劇団のやり繰りも大変。芝居はどの劇団もそうだと思うけど、儲けなんて全然ないんですよ。でも、若い人たちと一緒にいることで、私も元気をもらってる気がします。
先輩としての演技指導? 私はあまりしないですね。だって、演技は教えられてできるものじゃないし、1人1人個性も違う。アドバイスするとしたら、「私はこうするけど、あなたはどうするの?」と。私たちの時代は演技は盗むものだって言われたんです。できなくてしかられて、やり直してもまたしかられて。悔しくてもそういう経験を繰り返しているうちに、だんだん強くなって、覚えていくもの。だから、いつまでも覚えられないようじゃダメなのよ。
「笑い」で元気を与えたい!
今、11月7日から始まった舞台、「女探偵・伴内多羅子」シリーズ3作目で、多羅子を演じています。これは多羅尾伴内の女版で、いろいろな人にふんして事件を解決していく。しかもその専門は「自殺の引き止め」。
家族や先生からの依頼で、自殺したがっている人を、あの手この手で思い止まらせるというストーリー。歌を歌ったり、下ネタに走ったりもするんだけど、WAHAHAの芝居にしては珍しく、ちゃんとしたテーマがあるんです(笑)。
なぜ、このテーマを選んだかというと、知り合いとか後輩とか、自分の身の回りで自殺する人が最近多いんですよ。
この芝居を見て、自殺を止められるかどうかは分からないけど、笑っているうちに元気が出たり、何か生きるヒントを思いついたりしてくれたら、こんなうれしいことはないですね。
それと、来年もう1つ復活したいと思っている芝居は、20代後半からずっと続けていた「ラブ・ストーリーシリーズ」。
以前は2人芝居だったけど、今度は私と男性3人でさまざまな恋の話を演じてみたい。恋といってもリアルな恋。現実はドラマのように美男美女が結ばれるわけじゃないし、嫁姑のトラブルや仕事のこととか、いろんな問題がある。でも、最後はハッピーエンドな大人のラブストーリー。こういう悲惨なことが多い世の中だからこそ、人を愛すること、信じることが今1番大事なんだと思います。
WAHAHAの芝居はあくまで娯楽だけど、せめて芝居の中だけでもハッピーエンドにしたい。だって、笑えないことが多すぎるから。芝居の後のアンケートで、「気持ちがスカッとした」とか「久しぶりに笑いました」って書いてあると、ああ、やってる意味があるんだなって思う。WAHAHAの仲間たちと好きな芝居ができて、お客さんに笑って楽しんでもらえたら、それだけで人生幸せだなあと思いますね。
(品川区の第一ホテル東京シーフォートにて取材)
(無断転載禁ず)