子宮頸がんを患ったことが人生のターニングポイントに
- 三原 じゅん子さん/参議院議員
- 1964年東京都生まれ。東京宝映テレビ・劇団フジに入団し、芸能活動を始める。
79年『3年B組金八先生』で人気を博し、その後、歌手、レーシングドライバーとしても活動の幅を広げた。
08年子宮頸がんを患った経験から、医療や介護問題への関心を強め、がん撲滅などの啓発活動を行い、自ら介護施設の経営に乗り出す。
今春、第22回参議院議員通常選挙に自民党から出馬し当選。女優業を引退した。
子宮頸がんの予防、がん患者への福祉および不妊治療への対策に強く力を入れており、子宮頸がんワクチン接種の無料化、不妊治療への保険適用、がん患者への公的支援の充実などの医療制度改革を主張。
無口で笑わない私を心配した母
2010年4月、第22回参議院議員通常選挙に自民党から出馬し、当選を果たしました。党からのスカウトでなく、自らの希望で出馬したのですが、選挙中は「タレント候補」「人寄せパンダ」と言われ、本当に辛かったですね。でも、実際に議員になって「女優としての経験も、政治の世界でマイナスになることではない」と思えるようになりました。
芸能界でのお仕事は、7歳のときに入った劇団がきっかけです。東京都板橋区で生まれ育ち、父と母、3つ違いの兄と私の4人家族なのですが、両親が共働きだったので保育園に通っていました。当時の私は、みんなと一緒に騒ぐのが苦手で、大人をジーッと観察する、どこか冷めた雰囲気の子どもだったそうです。ある日、母が保育園へ私を迎えに行くと、先生が「三原さん、大変よ!今日、順子ちゃんが笑ったの!」と。さすがに母も「それほど人見知りをするなんて」と思ったらしく、人前に出る機会が増えれば、少しは性格が変わるんじゃないかと劇団入りを考えたようです。
劇団では年に数回ほど自主公演があったのですが、主役のチャンスを頂くなどするうちに「舞台ってみんなで作っていくものなんだ!」と感じ始めました。私が遅刻をすると、みんながお稽古ができなくて待っていることを知り、少しずつですが責任感や使命感、協調性が生まれてきたのではないかなと思います。小学生の高学年ごろからは、漠然とですが「きっとこの道で生きていくのだろう」と考えていました。
金八先生に出演して
15歳のとき、TBSのドラマ『3年B組金八先生』の第1シリーズに出演しました。あの番組がなければ、今の私もないとも思いますし、私の人生に深く影響した作品です。
それまでの学園ドラマは先生が二枚目でスポーツマン、生徒もかわいらしかったり、優等生だったりが当たり前でしたが、『3年B組金八先生』はそれまでとはまったく違う作り方をしていました。生徒役も、近所にいるような本当に普通の子どもたちばかり。普通の学校が、テレビの中にそのままあるような、新しい試みだったと思います。
私が演じていた山田麗子は不良(つっぱり)役だったのですが、プロデューサーから「学園ドラマで不良役をやってもらえませんか?」と打診され、あの役を頂きました。学園ドラマに不良が出てくるなんてあり得ない時代。不安でしたが、逆に「誰もやっていないことをできるのはおもしろそう」という気持ちもありました。当時は、自分の役柄とイメージがこんなにも定着してしまうとは思ってもいなかったので、ドラマの間だけと楽しんで演じていたんですよ。それがもう抜け出せないくらい定着しちゃって(笑)。
子宮頸がんになって気づいたこと
『3年B組金八先生』の出演後は、芸能界のお仕事に加え、ハードロックのバンドを組んだり、国際B級ライセンスを取得し、レーシングドライバーとしても活動していました。2008年、バンドメンバーから「一緒に受けよう」と勧められ、子宮頸がんと子宮体がんの検査を受けたところ、子宮頸がんが見つかりました。実は16年前に卵巣のう腫で片方の卵巣を摘出し、その後に2度の流産を経験しています。もうひとつの卵巣を摘出してしまうと、代理出産という選択肢すらなくなり、子どもを持つ夢をあきらめなくてはなりません。いろいろと悩んだ上で子宮の全摘出のみを行い、手術は成功しましたが、ベッドの上で再発や転移への不安、いままでのこと、将来のことなどをたくさん考えました。
私の父は15年前に脳梗塞で倒れ、母がずっと介護をしています。介護で手一杯なのにも関わらず、母は私の入院に付き添い、看病してくれました。なのに、リハビリで体が思うように動かず、イライラをぶつけてしまうことも。「来てくれてありがとう」「疲れているのにごめんね」と思っているのに、うまく母に伝えられない。そんなジレンマを感じたとき、ふと父の顔が浮かんだのです。父もきっとそうなんだ、感謝を表現できないために、深く傷ついていたのかなぁと。そして、『介護する側』『される側』両方の気持ちが少しでも分かった私なら、人とはまた違うことができるのではと考えたのです。
介護施設をオープン
退院後、心の支えになったのが、同じ病気の人たちとの出会いです。それまでは、自分だけが辛く、不幸だと考えがちでしたが、がんサバイバーとしてがんばっている人たちを見ていると「クヨクヨと悩んでいる場合じゃない!」と、感じるようになりました。仲間とともに子宮頸がん検診の必要性や、予防ワクチンの重要性を訴える活動を始め、同時に介護する側、される側が安心できる施設をつくろうと動き出したのです。
施設の開業は物件探しや職員の雇用、書類作りなどを同時に行い、準備がすべて整ってから、ようやく事業認定許可の申請を行うことができます。とても大変でしたが、2010年3月に高齢者向けの通所介護施設をオープンさせました。
小さな一軒家をリフォームし、ちょうど娘さんやお孫さんぐらいのスタッフが常にそばにいて、いろいろと声をかけたり、一緒に笑ったり…。利用者さんが笑顔でいるのを見ていると、私が理想としていた「第二のわが家」という雰囲気を、少しでも感じていただけているのかなぁとうれしくなります。それと同時に介護の現場が抱える、さまざまな問題も見えてきました。
介護施設の立ち上げにあたり、現場で働く人たちの声を聞こうと、全国70カ所以上の施設をまわったのですが、特別養護老人ホームや老人保健施設、小さなデイサービスでも、施設の大小に関わらず、同じような悩みや不満や矛盾を感じていることを知りました。
国政を目指す決意
また、がんサバイバーになって、がん患者に対する支援が行き届いていないことを知りました。2007年4月1日にがん対策基本法が施行されたのですが、自らがんを告白し、法案の早期成立を訴えた山本孝史議員がお亡くなりになった後、どなたも手をつけていない状態です。年々、がん患者が増えているにも関わらず、がんの予防や治療、患者への心のケアなどがとても遅れています。
私はよく「待っていられない」という言葉を使うのですが、がん患者に対して「もう少し待って」「あと3年待って」というのは無理な話。今日、再発するかもしれない、転移するかもしれないとおびえながら暮らしているのです。弱い者を守らない、守れない日本では明るい未来がないような気がして。女優を続けている場合ではないのかなと考えました。大病をされた方は分かると思うのですが、死への恐怖に直面した後、自分がこれからどう生きるべきかを考えるものなんですね。私の場合、そこで出た答えが国政を目指す決心でした。がん対策や老人福祉の拡充を、政治の場からアプローチして変えていく。これが、自分にとっていちばん自然な答えなのだろうと思えたのです。
がん患者の就労支援
選挙の前から訴え続けていた子宮頸がんワクチンの公費助成に向け、ようやく政府が動き出しました。でも、がん患者の就労支援など、多くの課題が残されています。今や2人に1人ががん患者になると言われるほど、がんの罹患率が増加していますが、医療の進歩によって、がん患者であっても治療を受けながら仕事を続ける方、がんを克服して復職した方も増えています。でも、実際にはがん罹患後に43パーセントの方が仕事を辞めざるを得ないという、厳しい現実があります。死への恐怖や孤独感だけでなく、仕事や経済的な負担の心配もしなければならないのは、とても辛いこと。治療や入院をしながら、仕事を続けていけるような、また経営者の方にとっても安心して働いてもらえるような環境づくりが必要だと思っています。
がんという病気は悪い部分を取ってしまえば終わりというものではなく、後遺症に悩まされたり、たくさんの薬を飲んだり、定期的に検査を行うなど、さまざまな辛さが続きます。私の場合、女性特有の病気なのでホルモンバランスが崩れ、強い更年期障害がずっと続いているのと同じ状態。まさに「日々、闘っている」という状況です。
愛犬との時間が休息
議員になってからはとても忙しい毎日で、寝る時間も食事を味わう余裕もまったくありません。何かあればすぐに対策を行わなければいけないので、テレビは24時間つけっぱなし。平日は毎日、3つから4つの部会があり、土日祝日は選挙の応援や講演などで全国を飛びまわっています。ありがたいことに、いろいろなところからお声がかかるので、応援をする方の政策や経歴などを、すべて頭に叩き込んでいったり、たくさんの書類に目を通したり、毎日が勉強で夢の中にも数字が出てくるほど。選挙に出馬した際に「二足のわらじを履けるほど、国会議員の仕事を甘くは考えていない。当選したら女優を引退する」と言いましたが、本当にその通り。女優業との両立なんて、絶対に無理ですね。
唯一、気がかりなのは愛犬のこと。女の子のパピヨンを2匹飼っていて、お留守番ばかりでさみしい思いをさせちゃっているんですね。あまりに留守が多いと彼女たちもストレスを感じてしまうので、ときどき母が来て、遊んでくれたりしています。犬たちと一緒に過ごす時間は、本当の自分に戻れるような気がします。
(東京都千代田区参議院議員会館にて取材)
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