デビューした2歳からずっと私の肩書きは女優ではなく、『喜劇女優』
- 中村 メイコさん/喜劇女優
- 1934年生まれ。東京都出身。作家、故中村正常氏の長女として生まれる。2歳のときに『江戸っ子、健ちゃん』にてデビュー。その後数多くの作品に出演し、天才子役として注目される。1957年に作曲家、神津善行氏と結婚し1男2女をもうけ、「神津ファミリー」として親しまれる。昭和を代表する数々のスターとも親交があり、日本の芸能、放送史を知るうえで貴重な存在である。主な受賞に放送作家協会賞、NHK放送文化賞、松尾芸能賞演劇優秀賞がある。
笑って読める遺言状を書きたかった
昨年の10月に“遺言状がわり”といえる本を出版しました。
そのきっかけとなったのは、以前に出した『夫とふたりきり!』という本。サブタイトルが、“これはもう恐怖です”。こんなに手がかかる夫を一人残す羽目になったら大変。遅ればせながら今、夫を教育しています、という内容でした。文庫になったこの本を、なんと高校生が買っていたそう。「うちの親父に読ませよう」「私はお母さんに買っていこう」って。
そんなシーンを目にした出版社の方が、そろそろまた中村メイコさんの本を出したい、と言ってくださったの。でも、私が今本を出すならもう遺言状しかない。どうせなら笑いながら読める遺言状を、と書いたものが、この『人生の終いじたく』です。
大親友のひばりさんが、病室で大笑い
この“遺言状”、狙い通りに(笑)読んでいただいた方々には、面白い、大笑いした、と言っていただけています。そもそも、私は楽天家な上に、おかしなことを考えるのも大好き。
つい最近、25年遅れの五十肩になっちゃったんです。そんなときも、こう考えてみたの。「木にぶら下がるナマケモノが五十肩だったら辛いわね、私ナマケモノじゃなくて良かった」って。そういう風に考えると楽しいでしょ。
美空ひばりさんも私の言葉で大笑いしていました。私とひばりさん、お互い、幼いころに芸能界入りし、互いの気持ちもよく分かりあえた。とても大切な友人でした。だから、親友の私にだけは、たまに病室のベッドで「辛い」と愚痴をこぼすこともあったんです。
そんなとき、私が彼女に言うのはこんな言葉。「あなたより不幸な人はたくさんいるわよ、たとえば猫背の犬だって肩身が狭いだろうし、水虫のムカデなんかそりゃ辛いわよ」って。それを聞いたひばりさんは、病室でげらげら笑ってくれる。
私にもたまには憂鬱なときがあって、そんなおかしなことを時折考えて、ストックしておくんですよ。
老いを感じた瞬間、しめしめ、と思いました
物心ついたときには既に役者だったわけですから、何といっても適応力は誇れます。カーテンを閉めて暗い室内を作られたら、夜だと思って体が反応しちゃう。
そんな風に時差がない私が、昨年トルコ旅行から帰国後、疲れが取れないと感じたんです。もしかして、これが老化というものか。普通はこう思ったらショックを受けるでしょ。でも私は、しめしめ、きわめて順調な老化現象だ。体が死に支度をはじめているぞ、とむしろ歓迎したほど。だって、いつまでも若かったらヘンでしょ、魔女じゃあるまいしね(笑)。
それで、老化に気づいたあくる日から、「その日」に備えていろんなものを整理し始めました。根が楽観的な上に、切り替えも早いんです。
父からは、メイコに涙は似合わないと言われ続けていました
私のデビューは2歳半。ユーモア作家として当時売れっ子だった父・中村正常と一緒に写った1枚の写真が雑誌に掲載されました。これが、漫画の主人公役を探していたプロデューサーの目にとまり、出演の申し込みがきたのです。
「喜劇ならお貸しします」と承諾した父は、その作品が大ヒットし、次々に仕事の申し込みが舞い込む中、母に2本の釘をさしました。
「出たいかどうかをまずメイコに聞け。メイコが嫌がっているのに出演させるようなステージママにはなるな」。そして、「子どもに金を稼がせるものじゃない。お金はいただくな」。
子馬鹿かもしれませんが、人間の育て方、芸能人の育て方として、父のこの2本の釘はなかなかのものだったなあと思います。父は幼い私を抱きながら「君に涙は似合いませんぞ」とずっと言い続けていました。後で、どうしてあんなことを言ったの?って聞いたら、言葉を濁しながら、美人なら、泣き顔もさまになるんだけどなあ…ですって。
でも、自分はけして美人ではない。この自覚は早めについてよかった。だからなるべく、泣かない、愚痴をこぼさない、しかめ面しない、これを自分に課してきました。課したからには、意識が自然にそちらに向くのか、無理なくできちゃうんです。
幼いころから毎日母のお手伝い。厳しく躾けられました
父を尊敬し、支え続けた母は、これまたユニークな考え方の女性でした。
だけど、こと娘を良妻に育てるその教育姿勢はとても厳しかったんです。仕事では3歳からちやほやされてきましたが、家に帰ると毎日家事のお手伝いをさせられて。
だから、23歳で結婚したその日から、家事に関しては何一つ困らなかった。夫も、妻たるものはこれくらいやって当たり前という時代に生まれた人でしたし。
こんな話を聞くと頑張り屋と思われるんですが、そうではないんです。自分がへたばっちゃうほどには何事も頑張らない。へたばって機嫌が悪くなりながら頑張るのは周りも楽しくないでしょ? 例えば、部屋が散らかっていると嫌だなと思いますよね。片づけたら気持ちいい、その気持ちよさを感じたいからやっているだけ。
結婚したからには、仕事よりも家庭が優先でした
私は、家庭に入ったらほんとに普通の主婦です。家庭がちゃんとしていないと嫌でしたから、仕事よりも家庭優先、そう決めてやってきました。
誰よりも早く起きて自分の声で家族を起こし、自分で作った朝食を食べさせ、子どもにはお弁当を持たせ、皆を送り出してから仕事に。そして、子どもたちが帰宅する前に仕事を終えて、おかえりと迎え、家族で夕食のテーブルを囲み、家のあれこれをやって。それから、対談の仕事やリハーサルに向かっていました。夫が、毎日家庭で夕食を取る人だったから、夕食も毎日作っていましたし、後年、具合の悪くなった同居のお姑さんのお世話も経験しました。
でも、これだけ家の中にいて、あれこれやれたのは、子育てがとっても楽しかったのも、大きな要因だったのかもしれません。
私自身は一人っ子だったし、仕事柄、大人の中で過ごすことが多かったから、幼い子どもといるのが楽しくて。育てる、というよりも、語り合ってきた、という感じです。
長女のカンナが小さいときに、こんなことを言ったんです。「ママ、カンナに太鼓を買ってちょうだい。太鼓は人に叩かれるばかりだから、カンナの太鼓だけは叩かずお部屋に飾っておきたいの」。こんな長女の言葉はすべて書き留めておき、後に本も出しました。
私が仕事でホームドラマに出ないのは、演じるのが照れくさいからっていうのもありますね。だってそんなの、自分が毎日家でやってることですもの。
温室女優が、三木のり平さんに鍛えられて、泣きながら舞台稽古を
結婚、出産で少々疎遠になっていた舞台の世界。
30代後半のいわゆる女優として脂がのるころ、三木のり平さんの舞台を観て大きな衝撃を受けました。舞台って、スゴイ!
長女の「ママの演じる姿を客席から見てみたい」という言葉にも後押しされ、本格的な舞台復帰を決意しました。
私はおだてられて育った温室女優でしたが、のり平さんはそんな私に下手くそだの不器用だの容赦ない言葉を浴びせ、それは厳しい演出。悔し涙を流しながら、のり平さんの女房役で数々の舞台を重ねていくうちに、すっかりはまってしまいました。
これがきっかけで、女房役の面白さに目覚めたんです。森繁久彌さんや小沢昭一さん、どんな暴れ玉がきても、女房役として受けてやる。そんな気持ちでした。
のり平さんが亡くなられたときに感じた悲しさは身がよじれるほど。男の人に死なれてあんなに泣いたのは生まれて初めてでした。
次は、夫の、そして妻の「終い方」を考えたい
夫婦の付き合い方に関しては、私なりの意見があります。人生の終い方という本を書き終え、これからは、夫の終い方、妻の終い方を考えたいの。
長年連れ添ってきた夫婦なのに、夫はなぜこれをやってくれないのか、そう思うから腹も立ちます。ですが一度、夫という枠を外すと、いろんなチャームポイントが見えてくると思うんです。夫婦という関係性にがんじがらめにならず、今まで見ていた場所をちょっと変えて、眺めてみる。老夫婦はいっときの間、そういうふうに生きてみたら、と思います。
私は恐がりだから、そんなチェンジも神津さんの顔色見ながら少しずつね(笑)。
昔、たまの外食のときがお母さん一番楽しそうねと言われたの。それくらい家のことをやっていて、休む暇もなかった。でもそれは夫の気遣いかな、と。たまにリラックスタイムを作ると頑張ってる中村メイコのペースを崩しちゃうんじゃないか、という気遣い。
半世紀いっしょにいると、そういうことだったのかなとも思えるようになりましたね。
喜劇は、「究極」を知らないと演じられない
芸能界に70年以上と長い年月おりますが、仕事に対して、やり尽くしたという意識は、あまりないですね。その原因は、家庭優先でやってきた自分の仕事への姿勢にもあるのだけど、もう一つ。この国は、いい喜劇をつくらないとも言えると思うんです。海外だと、いい喜劇のシナリオがあり、いい演出家がいて、その年齢なりの、魅力的なお芝居ができる。そうした環境に比べると、日本では喜劇の地位はどうも低いようにも感じますね。喜劇の醍醐味って、舞台いっぱいのお客さんが、とっても楽しそうにげらげらと大笑いしてくださるところにあります。その瞬間、やった!と思う。この快感は忘れられません。
持論ですが、悲劇は簡単ですが、喜劇は腕が必要。
私の肩書きは幼いころから“喜劇女優”です。娘は喜劇しか出さないと宣言した父が言うには、物心がつかないころから「お母ちゃん行かないで」ってやってると自分が不幸な子だと思っちゃうからと。
私もね、お涙ちょうだいものは、大嫌い。エノケンさんという喜劇王がその昔におっしゃったんです。
喜劇っていうのは究極を知らないとできない。例えば、お腹減っちゃって、もう一歩も歩けないよ、という状態を真剣に演じる。観る側は、そこにほんとうのおかしさを感じる、って。
喜劇役者は、理性がぶっ飛ぶくらいの状態を経験しないといけない、そんなことを教えていただきました。
利口ぶらない、素直に三枚目になれる、そんな人が増えてほしい
今の女性へメッセージを伝えるとしたら、「利口ぶらない女性になってちょうだい」ということ。自分を三枚目にできる女性はステキだと思います。「あれっ、やっちゃいました~」みたいな女の子はかわいいですよね。
人が一生懸命に話してるのに「なるほど」っていう言葉を安易に使う、あれもちょっとどうかしら、と思います。安易な相づちは打たないで、それ私分からないです、って言ったほうが素直ですよね。
素直に三枚目になれる、世の中にそんなコメディエンヌが増えればいいと思います。喜劇的要素の多い人間のほうが幸せだと思いますよ、男も女も。
(東京都目黒区の事務所にて取材)
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