立場が変わってもやることは一つ。夢に向かって諦めないことです
- 花田 景子 さん/貴乃花親方夫人
- 宮崎県生まれ。上智大学外国語学部・フランス語学科卒業。元フジテレビアナウンサー。2004年2月に創設された「貴乃花部屋」のおかみを務める。2008年に「相撲健康体操」指導者資格取得。「ジュニアベジタブル&フルーツマイスター」資格取得。2012年10月「一般社団法人日本漢字習熟度検定協会」名誉会長就任。2011年5月より自らが主宰する「シコアサロン」をスタート。「シコア」とは、四股(しこ)と核(コア)の造語。貴乃花親方が提唱する、自分の中に「核」を持ち、「軸」のぶれない生き方のこと。
宮崎の外にはいろんな色のお星様があるんだ!
子どものころの私は「夢見る夢子」。目をキラキラさせながら、いつも「こうなりたい」「こうなったらいいのに」と思い描き、頭の中にあることを全て話さないと気が済まない、おしゃべりが大好きな女の子でした。
小さいころから海外に行くのが夢で、小学校1年生の作文に、バレエを習ってもいないのに「大きくなったらトゥシューズを履いて世界中で踊りたい」と書いたりして(笑)。
さらにさかのぼって幼稚園のとき、母と大阪万博に行ったんですね。宮崎から汽車に揺られて大阪まで来て、都会のネオンを見たことのない私はびっくり仰天。だって、いろんな色のお星様がいっぱいあるんですもの(笑)。そこへ持ってきて、海外のパビリオンに入ると、肌の色も、目の色も、話す言葉も違う人たちがたくさんいて、ものすごいカルチャーショックを受けました。「宮崎の外ってすごい!でも、日本の外はもっとすごい!」。それが海外に憧れる原点になったと思います。
ちょうどそのころ、テレビでも海外の文化や歴史、風俗を伝える番組が増えてきて、もう夢中になって見ていましたね。
特に好きだったのは、「兼高かおる世界の旅」「おはよう720」「なるほど!ザ・ワールド」。海外に行く=テレビの中でお仕事をすることだと思い込み、「将来はアナウンサーになりたい」と、小学校五年生になるころには漠然と思っていました。
日本から届いたクリスマスプレゼント
アナウンサーになるためには英語力が必要だと、一念発起して留学したのは高校2年生のときです。ニューヨーク州、といってもニューヨークシティから車で2時間ぐらいの田舎町で、町の人にとって、私は「初めての日本人」でした。
日本人が私しかいないので、当然ですが日本語をしゃべる相手がいません。今なら携帯もつながりますし、スカイプでやりとりすることもできますが、当時はそんなものはありません。でも、この環境なら1年後には絶対に英語もペラペラになっているはずだ!と、異国の地でたった一人、英語と格闘していましたね。
その代わり、毎日、学校のこと、ホームステイ先の家族のこと、ママの料理がおいしくて10キロも太ってしまったこと(!)などを手紙に書いて日本に送っていました。
クリスマスが近づいたある日、家から小包が届きました。入っていたのは、日本食や冬服の他に、妹からカセットテープのプレゼント。テレビの前にラジカセを置いて、「ザ・ベストテン」の放送(日本のヒット曲)を録音してくれたんですね。
それで、楽しく聞き始めたんですが、途中でカサカサ音がして、「しっ!」という声が聞こえるんですよ。少しすると、父が小声で「りんごちょうだい」と言っていて、また「しっ!」ていう声が聞こえる。音楽を聞いていたはずの私は、いつの間にかテープから聞こえる家族だんらんの音を必死に探していました。
そのとき、私は一人で頑張ってきたけど、実はこんなにも家族が恋しかったんだって、ポロポロ泣いて。家族のありがたさをあらためて感じた忘れられない思い出です。
初めての挫折
大学受験に関しては、高校の先生のご協力なしにはとても合格できませんでした。私の夢を応援してくれ、手取り足取り教えてくれた先生方には感謝しかありません。
ところが、入学してすぐに大きな挫折が待っていました。地元の宮崎ではアナウンサーになりたい人は私一人でしたが、東京の大学にはマスコミ志望者がたくさんいたんです。会話のスピードも、ノリも、面白さも、宮崎でのんびり育った私にはないものばかり。
その上、言葉のイントネーションがおかしいと指摘されて、自分はアナウンサーにふさわしくない。完全に無理だと諦めることにしたんです。
では、どうして私がアナウンサーになれたかというと、アルバイト先の先輩がくれた一言です。
「ずっと夢だったんでしょう?だったら、受けてみれば?選ぶのはあなたじゃなく向こう。自分の判断で就職試験にトライしないなんて、夢に対して失礼じゃない?」
この言葉で、ともかく記念受験だけはしてみようと。それで、まさか受かるとは思わず、フジテレビ一社を受けたら、その「まさか」が本当になったわけです(笑)。
その経験があって、「夢って口に出した方がいいわよ!」ってお話ししています。口に出すことで、夢が大きくなって一歩前に進むんですね。すると、そこに手を差し伸べてくれる人や情報が集まってきて、どんどん背中を押してくれる状況が生まれてくる。
それに、夢が少しずつ大きくなってくると、自分自身も「夢のままで終わらせたくない、この夢を育てたい」と思うようになるものです。そういう気持ちになったら、今の自分に足りないもの、逆に必要ないものも分かってくる。やるべき答えはおのずと出てくるんです。
アナウンサー室の「チーママ」と呼ばれて
同期には今も各方面で活躍する有賀さつきさん、八木亜希子さんがいます。でも、彼女たちに比べて私はデビューが遅く、新人のころはアナウンサー室にいて、先輩アナウンサーのみなさんにコーヒーを出すことも「自分の仕事」だと思っていました。
たかがコーヒーですが、この人はブラック、この人はお砂糖だけ、この人はコーヒーよりお茶といった具合で、それぞれの好みを一覧表にして給湯室に貼り、「お疲れ様です!」と言いながら、笑顔でお出しするんです。それでついたあだなが「チーママ」(笑)。
そのうちに自分もニュース番組を担当するようになると、今度は緊張感でつぶれそうになりました。スタジオに最初に持って入る原稿はせいぜい2つ。あとは本番中に手元に来るんですが、タイミングが本当にギリギリで、しかも記者の殴り書きのメモを初見で間違えずに読まなければいけない。ある種、戦場のような現場だったんです。
今でこそなくなりましたが、結婚して5~6年は、よく現場の夢を見ていました。「次の原稿が来ていません!」とか、朝起きたら生放送が始まっている夢とか(笑)。自分でも気付かなかったけれど、相当プレッシャーだったんでしょうね。
失敗もよくしました。でも、後悔をいつまでも抱えていては精神が持ちません。寝るときには「済んだことは忘れよう!」と毎日を過ごしていました。だからこんなケセラセラな性格になっちゃったのかしら?親方に「おかみの能天気さがうらやましい」と言われることもあります(笑)。
自分との闘いを極めていくのが相撲界
お相撲の世界は、アナウンサーとは真逆の環境ですね。こちらは失敗しても、「それもオイシかったよ」と言われれば、落ち込んでも「また明日頑張ろう」で済みますが、お相撲は、ほんのわずかな気の緩みで勝敗が決まって、番付が変わるでしょう。非常にストイックですし、自分との闘いを極められた人だけが勝ち残っていける世界は、自分に甘い私にとっては衝撃的でした。
現役時代の親方の姿勢に心を打たれたエピソードはたくさんありますが、起きている時間は全て「相撲」のために使っていたと思います。
例えば、立つ、座るという動きがありますよね。これが現役のころ、すごくゆっくりだったんです。「体が大きいからゆっくりなのかな?」くらいに思っていたら、わざとゆっくり動くことで、自分の体に負荷をかけていたそうです。
また、雪駄をきっちりそろえて脱いでいたのも、土俵の砂を足の指でしっかりつかむ動きを確かめるため。日常の動作も全て無駄にしていなかったんですね。
親方が言うには、「そういうシンプルなことの積み重ねが大事だ」と。それを毎日積み重ねることが精神力を鍛え、窮地に立たされたときの最後の自信になるんですって。「それが自分との闘いの成果なんだ」と、親方の口から初めて聞いたときは、涙が出ましたね。
21回目の優勝戦で見た横綱の気迫
とても印象に残っているのは、14場所ぶりに21回目の優勝を果たした武蔵丸関との優勝決定戦です。武蔵丸関といえば、角界を席巻した大型外国人力士の一人。200キロを超す巨体で前のめりに仕切られると、相手の体の大きさに、奥の景色がまったく見えなくなるそうです。そんな力士とぶつかり合うと考えるだけで、普通なら震え上がってしまいそうですよね。
優勝決定戦までの待ち時間、普段なら付き人が汗を拭き、床山さんが髪を整える間に心を落ち着かせます。でも、そのときの横綱は、鉄砲柱に直行し、黙々と突っ張りを続けていました。
勝利者インタビューで横綱が言ったのは、「強くなりたい一心で頑張っていた自分を思い出そうとして、鉄砲柱に向かっていました」。横綱とはどれだけ孤独な立場なのかが分かったと同時に、そうやって戦い抜いてきた人にしか言えない言葉に胸を打たれました。
サポート役でも「夢は諦めない」
おかみになって早10年。私の夢は、自分の夢を叶えることから、横綱の相撲人生を花開かせることに、今は貴乃花部屋の子どもたちを力士として花開かせることに変わってきましたが、サポート役という立場に変わっても「夢を諦めない」気持ちは同じです。
私は、一人一人に愛情を注いであげること、見ていてあげることしかできませんが、そこに安心感を持って成長する子がたくさんいるのも事実です。立場が人をつくると言いますが、どんな立場であっても、やることは何一つ変わらないんだなあと思います。
美しさと若さを保つ3つの「元気の素」
私の元気の素は3つあります。1つは、やりたいことを自分から次々考えること。「おかみさん、また忙しくしてますね」と言われるんですが、今の相撲界の良さを伝えることも私がここにいる1つの役割ではないかと思っているんです。だから、講演会に呼んでいただければ喜んで伺いますし、女性向けのサロンなども積極的に開いています。
もう1つは香り。親方もアロマが好きで、家の中にディフューザーをいくつか置き、香りを楽しんでいます。定番はラベンダーとユーカリ、ティーツリーの3種類です。
あとは晩酌(笑)。最近はワインをよくいただきますね。自分へのご褒美の時間も大切。それで「明日も笑顔で頑張ろう!」と思えるんです。
(貴乃花部屋事務所にて取材)
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