国民祭典で「君が代」独唱 緊張しました
- 森谷 真理さん/オペラ歌手
- 1978年栃木県生まれ。武蔵野音楽大学大学院及びニューヨーク・マネス音楽院修了。2006年、レヴァイン指揮ニューヨーク・メトロポリタン・オペラ『魔笛』夜の女王役で大成功を収める。オーストリア・リンツ州立劇場の専属歌手として活躍。その後、帰国。国内でも絶賛されている。19年、「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」にて国歌独唱を務め、大きな注目を集めた。4月にはフランス歌曲のリサイタル、7月には東京二期会オペラ公演『ルル』で主役、ルルを演じる。二期会会員。
ピアノは5歳から
私は栃木県小山市に生まれ、両親と弟、父方の祖父母の6人家族で育ちました。父は会社員、母はプロの声楽家で地元のコンサートで歌ったり大学の幼児教育科で教えたりしていました。
家でお弟子さんにも教えていたので、私も物心がついたころからよくその場に呼ばれていました。音楽家としての基礎は、母から教わったことになります。
ピアノを始めたのは5歳から。小さいころは1人でいるのが好きで、本ばかり読んでいる子どもでした。本好きの父が、週末になると毎週のように図書館に連れて行ってくれて、大量に借りた本をジャンル問わずなんでも読みました。
母は声楽家
母はプロの厳しさを知っているだけに、私が小さいころは「女の子は後々お嫁に行くだろうから…」というつもりだったと思います。
母は娘がプロになれるかどうか、確信が持てなかったようです。音楽家はプロになっても経済的に独り立ちできないことが多いけれど、そのうち結婚してパートナーと助け合いながら…という希望は持っていたのではないかと思います。残念ながら、その予想は外れてしまいましたが(笑)。でも、その母は今、いちばん熱心な私の「おっかけ」であり、私の活動を支えてくれる大切な存在です。
音楽は、聴いて楽しいだけでなく、演奏が楽しいということもあると思います。もし、お子さんに音楽をさせてみたいと思われるのでしたら、敷居が高いからやらない、というのはもったいないなと思います。実際にやってみないことには分かりません。まずは怖がらずに、先生たちにコンタクトを取ってみてほしいですね。
考古学者に憧れた中学時代
中学校では科学部に入り、自分たちでテーマを決めて実験や観察をいろいろやりました。
高校に入るころはテレビ番組『世界ふしぎ発見!』なども大好きで、考古学者に憧れました。もし、歌手になっていなかったら、大好きな世界史を勉強していたと思います。また、当時獣医さんを主人公にした漫画がはやっていて、「私も将来は獣医さんを目指そうかな」と、漠然と思ったり。
今思えば、反抗期だったのでしょう。母の言う通りに、音大の付属高校に進むという選択肢はゼロでした。それで、高校受験にかこつけて一度ピアノをやめて、高校の理系コースへ進学。
高校では演劇部に入りました。友達との素敵な出会いもあり、楽しい部活でした。女子高だったので、私が演じたのはほとんど男役ばかりでしたが(笑)。
中学・高校時代の友人たちはオペラやコンサートに来てくれたり、今でもとても大切な存在です。
転機は高校1年生 音大受験へまっしぐら
こうして音楽と距離を置いていた私でしたが、高校に入ると母が、「もう一度ピアノをやってみる?」と聞いてきました。私も、もともと音楽が嫌いでピアノをやめたわけではないので、レッスン再開に同意。母の師匠にあたる方の娘さんに教わることになりました。その先生は、何でも話せる優しいお姉さんのような存在で、ピアノを習いつつ、私の悩みをいつも聞いてくださいました。すると、私の中で音楽に対してモヤモヤしていたものが、すっきりしたのでしょう。ピアノがとても好きになり、練習も苦にならなくなりました。先生が、音楽に対する姿勢を好転させてくれたのです。
その後、高校では進級を前に最終的な進路を決めるときがやってきました。そこで私は音大を受験することを決め、理系から文系に進路変更をしました。
「音大に行くなら声楽科」と決めていましたから、迷いはありませんでした。向いているとか向いていないかとかそういうことは一切考えず、ひたすらうまくなることだけを考えてレッスンに打ち込みました。
キャンパスライフゼロの大学時代
準備期間は短かったのですが、武蔵野音楽大学へ現役で合格。大学の1・2年は、実家から入間キャンパス(埼玉県入間市)まで電車で片道3時間かけて通いました。3年生からは都内のキャンパスに移りましたが、それでも2時間。大学生時代は通学だけでいっぱいいっぱい。遊ぶ時間はまったくありませんでした。
大学院で本格的にオペラに取り組み、博士課程修了後に渡米。ニューヨークにあるマネス音楽院に進みました。アメリカの教育で私が好きなところは、「学校を卒業した時点で、プロとして舞台に立てるレベルにまで仕上げる」という指導方針です。もちろん歌がうまくなるというのは大前提で、当たり前のことです。そのうえで、声、性格、見た目、レパートリーなどすべてを含めて、「何が自分の強みか」「歌手としての商品価値はどこにあるのか」を、徹底的に叩き込まれました。マネスでの修行期間と、プロデビュー後の活動を含め、アメリカには8年間住みました。
留学先をアメリカにしたのは、「母の知人がいるアメリカ以外の海外はダメ」と、お許しが出なかったからです。でも、素晴らしい先生との出会いにも恵まれ、結果として大正解でした。
ヨーロッパでの活躍
その後、2010年からオーストリア・リンツ州立劇場の専属歌手になりました。当時の私はドイツ語が苦手で、「そろそろ腰を据えて勉強しなきゃ」と感じていたところでした。するとタイミングよく、オーディションをすすめられ合格。オーストリアを拠点として9年間活動した後に帰国、今は東京に住んでいます。
昨年からは洗足学園音楽大学で声楽を教えています。学生さんを教えるのは楽しいですよ。みんなキラキラしていてかわいいです。キャンパスライフ・ゼロだった自分の大学時代とは、ずいぶん違うなと感じます(笑)。
体調管理で気をつけているのは、水をたくさん飲むことと睡眠をしっかりとること。また、一つ一つの仕事を楽しむことも心がけています。楽しみながらやれていると、睡眠時間が多少足りなくて疲れていても、もちろん「疲れたな」とは思うのですが、疲れの質が違います。
「国民祭典」で『君が代』を独唱
昨年11月9日、「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」で『君が代』を独唱させていただきました。お話をいただいたとき、「これ以上ない名誉なことだ」と思いつつ、全体像が見えない不安もありました。
ソプラノが『君が代』を歌う場合、原調より少しキーを上げて歌うのが普通です。でも、今回は「原調で」とのご依頼でした。ソプラノとしては難しい挑戦です。実際に周囲の方々に聴いていただいてアドバイスをいただきながら、試行錯誤を繰り返しました。
国民祭典当日の緊張感は、いつもとはまったく違ったものでした。いつも緊張はしますが、あんなに緊張することは、なかなかないと思います。「『君が代』をしっかり歌って帰ってくるのが私の役目。その役割をきちんと果たさなければ」という思いだけでした。本人は口から心臓が出そうなくらい緊張していたのですが、周囲からは「そんなに緊張しているようには見えなかった」と言われました(笑)。
その後、バラエティー番組にお声をかけていただいたり、その番組で私のことを知って4月のリサイタルのチケットを買ってくださった方がいたり、思わぬ広がりもあります。この経験は、私にとって「人生の一大事」になりました。
舞台で「やれることをやり尽くしたい」
今後は4月19日に豊橋(愛知県)、25日に東京でフランス歌曲のリサイタルを開きます。こちらは色鮮やかな曲調のものを集め、曲を知らなくても楽しめるプログラムです。
その後、7月10日からは東京二期会オペラ『ルル』で、主役のルルを演じます。「ルルの美貌に魅せられた男たちは、次々と破滅へと堕ちていく!」という、濃いキャラクター(笑)。ずっと演じてみたいと思っていましたし、周囲からも、「ぜひやってみるべき役」と言われてもいました。オペラは、破滅型の女性をヒロインにしたものが多いのです。もちろん私自身はこういう女性ではないですが、曲がすごく自分に合っている作品。今から、本番がとても楽しみです。
リサイタルの曲目もオペラ『ルル』も、日本ではあまり上演されることのないものですが、クラシックが初めての方にも楽しんでいただけると思います。また、趣がまったく違う2つの舞台を通して、「私」という歌手の中に相通ずる何かを感じていただけたらうれしいです。
今後、挑戦してみたい役は、たくさんあります。モーツァルト『イドメネオ』のエレットラ役、ドニゼッティの『女王三部作』、マスネの『マノン』…(止まらない)。
まずは、舞台やコンサートでやれることをやり尽くしたいと思っています。
(東京都渋谷区にある公益財団法人東京二期会にて取材)
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