「好き」から始めなくたって、頑張れる!それが人間のすごいところ
- 有森 裕子さん/元マラソン選手
- 1966年岡山県生まれ。就実高校、日本体育大学を経て(株)リクルート入社、マラソン競技バルセロナオリンピックで銀、アトランタオリンピックで銅メダル獲得。引退後2002年4月アスリートのマネジメント会社「ライツ」(現 株式会社RIGHTS.)設立、取締役就任。認定NPO法人ハート・オブ・ゴールド代表理事、スペシャルオリンピックス日本 理事長、厚生労働省いきいき健康大使他。2010年IOC女性スポーツ賞受賞。 【オフィシャルブログ】有森裕子のanimo!日記 http://animo.aspota.jp/
中学校の運動会で初めてつかんだ自信
子どものころは、兄がいたので外で動き回るのも好きでしたが、人形遊びをしたり、おままごとをしたり、家の外と内、両方の遊びをして育ったと思います。家は時間に厳しかったので、外で遊び回って家に帰らなくて怒られるとか、そういうことで親に心配をかけたことはなかったですね。やんちゃになれるほど勇気がなかったのかもしれません。
小学生高学年から中学生くらいになって、他人と比べられることが多くなってくると、他人と自分を勝手に比べて考えてしまうようなところもありました。決して暗くはなかったけれど、それほど脳天気に明るい、という子どもでもなかったですね。
家では、特に母が厳しかったですね。怒られることも多かったですよ。洗濯物をたたんだり、台所の手伝いをするといった「お手伝い」は、わが家では当たり前。誰かの手がいっぱいだったら言われなくても手伝う、というのが基本的なルールでした。
陸上競技に出合ったのは中学校の運動会でした。でも、それは「走ることが好き」だったからじゃないんです。中学校ではバスケットボールをやっていたんですが、自分が活躍できなければ、たとえチームが勝ったとしても自信にはならない。チャンスは、いつも自分よりもできる人、うまい人が取っていってしまい、私にはなかなかチャンスが巡ってきませんでした。
それで私はチャンスを求めて「空き」がある分野を探しました。誰も選択しない、嫌がられる分野になら「空き」はあると。それが運動会の800メートル走だったんです。好きとか嫌いとかは関係ありませんでした。でも、その運動会で結果が出せたことで、私は初めて自信を持つことができたんです。
ところが友達から「たまたま速い人が出なかったから勝てたくせに」と言われ、その悔しさも力になって、結局3年間続けて結果を出し、その後も陸上を続けることになったわけです。一概には言えませんが「チームの勝利は自分の勝利」と思えるようになるのは、ある程度人間ができてからのこと。小学生や中学生では、とてもそんなふうに思えない。少なくとも私はそうでした(笑)。
時代と環境にも恵まれ「走る」を仕事に
大学4年生までは教員になるつもりでいたのですが、教育実習中に出場した大会で自己ベストから2番目に良い記録が出ました。「ほとんど練習をしていなくてこのタイムが出るのなら、環境が整えばもっと上へ行けるかもしれない。教員採用試験は先でも受けられるから、今しかできない陸上をやろう」と実業団チームを探しました。
タイムは大したことはなかったので、歴史があるところは難しい。だったら新しいところがいいだろう、ということで探し、そこで出合えたのがリクルートでした。
当時はリクルート事件(1988年、未公開株が賄賂として譲渡された贈収賄事件)の影響で、行く人も少なく、会社側も採用したがっているらしい、ということを聞いて、イチかバチか「とにかく走れる環境がほしい」という思いで、自分から飛び込んでいきました。
入社後は、朝、練習をして、午後も練習。会社に行くのは月曜日だけでした。小出監督との出会いも含め、会社には競技のための環境が全て整っていました。
また、当時のマラソン界は何人かの有力な先輩が引退して、ちょうど世代交代の時期。「自分たちが新しい時代を作る」という雰囲気があり、日本人選手の名前も世界の大会で挙がるようになってきたころで、全体的に上り調子の時代だったというのも幸運でした。
もともと私にとって「走ること」は、生きていくための「道」を組み立てていくための手段であって、目的ではありませんでした。
アスリートはまず「走ることが好き」が入り口になっている方が多いと思うんですけれど、走ることは私にとってまさに「ライスワーク(rice work:生きるための仕事)」。ただ単純に「好きなことは?」と聞かれたら、ものづくりやアートのほうが走ることよりずっと好きです。世界にひとつしかないものの価値を見たり、作ったり、そういったものに触れるのが大好きです。
その意味で言えば、スポーツもまさに、たったひとつだけのアートですね。アスリートは二度と同じパフォーマンスはできない。だからこそ、一瞬にして人を惹きつけることができるんですね。マラソンはその最たるものかもしれません。気候条件、コース、参加人数…。試合によってこれほど条件が変わる競技も少ないでしょうね。
それがスポーツの魅力であり、すごいところ。スポーツって、究極のアートと言えるかもしれませんね。
「好き」じゃなくても人間は頑張れる
頑張ることは好きですよ。一生懸命頑張れるものがあることとか、必死になれることは、とっても好きです。
「好きで走り始めたのではない」と言うと、よく「夢が壊れる」と言われます。「好きで始めたんじゃないのに、そんなにできてすごい!」とは、誰も言ってくれないんですよねえ(笑)。
「好きこそものの上手なれ」と言いますから、入り口の感情も大事だとは思いますが、「入り口ありき」というのは、少し違うと思います。「上手になるには好きじゃなきゃダメ」と言う人もたくさんいます。それは、そのほうが分かりやすいし、まとまりやすいキレイな話になるからじゃないでしょうか。
だけど、キレイじゃないことがあるから人間なのだし、その中でも生きていけるのが人間。選択肢さえ与えられない環境で、必死に、がむしゃらになって、やるべきことをやっている人はたくさんいる。過酷な条件の中でも人間は変化できる。その能力を私は信じていますし、それが人間のすごさだと思うんですよね。
特に子どもたちに対しては、大人の固定観念で簡単にまとめた分かりやすい話だけでなくて、もっと「人間ってスゴイんだよ!頑張れるんだよ!」っていう言い方や表現を増やしてほしいと思います。
「今、こうなっている人はもともとこうだった」「こうなるためには、こうじゃなきゃダメ」と、入り口とゴールを簡単に結びつけてしまうから、子どもたちは「自分は本当にこれが好きなんだろうか」「才能があるんだろうか」と、余計なプレッシャーを感じて悩んでしまうんですよ。
入り口がどうであれ、結果を変えた人はいくらでもいます。
「好きか嫌いか」なんていう話をするから「好きなことが見つかりません」となっちゃう。好きじゃないとエネルギーが出ないんだったら、それを探すだけで大変ですよ。そんなの聞かなくていいんですよ。好きだの嫌いだのと言ったり、好きなこと探しに余計なエネルギーを使ったりする前に、やらなきゃいけないことって、山ほどあるんですから!(笑)。
目の前で起きていることに対して、それが好きか嫌いかより「どうやっていくか?」という「過程」に光を当てて、一緒に考えてあげる大人が、もっと増えてほしいなと思いますね。
人間、「分からないよね。でも、分からないから、どうにでもなるよね」「じゃあ、どうしようか?」の繰り返し。「分からないこと」を起爆剤に、分からないことに対して希望をもって向かっていくから楽しいんだし、大事なことだと思います。
NPOやボランティア活動を通じて思うこと
私は現在、スペシャルオリンピックス日本(SO:知的障害者に競技会を提供する国際スポーツ組織)3代目理事長としての活動もしています。
知的障害をもっている彼らと、パラリンピアンも含めたアスリートとの一番の違いは何だと思いますか?それは、本人の意思とはまったく関係なく、スポーツにおける機会、チャンスを与えられてこなかったということです。「知的障害をもっているから、彼らは何もできないであろう」という周囲の固定観念によるものです。
でも、もしその状況を自分たちに置き換えてみたらどうでしょう。
「あなた方は何もできないのだから、学校にも行かれない、みんなとも遊べない、運動もできない、何にも触れられない…」。そういう可能性の否定は、どんな人にとっても不幸なことです。
体というのは障害の有無に関わらず、他人と比べたら、皆違います。不幸というのは障害の有無ではなく、機会がないということです。その機会を提供することが、SOの存在意義だと思っています。人間形成とかそういうことは(SOが)することではなく、提供した機会をどう使うかは彼ら次第です。今年は4年に1度、オリンピックの前年に開かれるスペシャルオリンピックス世界大会の予選会が11月に福岡でありますので忙しくなりますね。
また、カンボジアでのチャリティマラソンにゲストとして参加したご縁で立ち上げた、人材育成・教育支援のNPOハート・オブ・ゴールドの活動も、もう18年になります。
少しずつ人が育ち、継続してきて良かったなと思います。モノを山ほど持っていくよりも、人が一人育つことのほうが、時間はかかりますが、変化を起こすには大切なことだと思います。
2020年の東京オリンピックに関しては、福島県の「しゃくなげ大使」という役割をいただいています。東北にもオリンピックに行きたいという子どもたちがたくさんいますので、何らかの形で、そういうプログラムに関わっていけたらいいなと思っています。
(東京都港区の事務所内にて取材)
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