人生に成功するコツはありません。自分が好きな事を努力するだけ。
あとで後悔したくないから
- 池田 理代子さん/劇画家・声楽家
- 1947年大阪生まれ。
東京教育大学(現・筑波大学)在学中に描きはじめた『ベルサイユのばら』が、1500万部以上を売り上げ、少女漫画の枠を越える話題作に。その後、多くの劇画作品を発表。
『オルフェウスの窓』では日本漫画家協会優秀賞受賞。
1995年、47才のときに東京音楽大学声楽科に入学。
現在は劇画家・作家として活躍する傍ら、講演、テレビ番組、トークショウなどのほか、ソプラノ歌手として活躍。
2004年2月25日には、東京芸術劇場大ホールにおいてみずからプロデュース・演出を手がけたナレーション・オペラ『フィガロの結婚』で伯爵夫人を歌った。8月28日には、サントリー・ホールでの小林研一郎・日本フィルの 『第九』でソプラノソロを勤める。また、『渋谷アーツサロン』をプロデュースし、アマチュアのための声楽教室やフラダンス教室などを展開中。夫は日本銀行考査局長を務めた賀来景英氏(現大和総研副理事長)。
ホームページアドレスwww.ikeda-riyoko-pro.com
生活の糧に描いた『ベルばら』が大ヒット
大学生時代に描いた、『ベルサイユのばら』が世に出てから、早いものでもう30年以上たちました。最近は、劇画家というより、声楽家としての私を知っているという方の方が多いんじゃないかしら。
こんなことをいうと、読者の方に叱られてしまうかもしれませんが、実は劇画は食べていくための生活の糧。もともとは学者になろうと思って、東京教育大学(現・筑波大学)の文学部哲学科に入ったんです。
でも、「女性に学問はいらない」と言っていた父親から、学費を出すのは1年間だけと言われていたので、自活するためには、仕事をしなければならなかったんですね。いろいろなアルバイトをする中で、たまたま劇画が認められたということなんです。もし、小説が認められていたら小説家になっていたかもしれない。今でも文章を書くことが好きですから。
最初は、自分で描いた漫画を出版社に売り込みに行ったんですが、もうこてんぱんに言われましたね。とてもとても雑誌に載せるレベルじゃないって。しばらくは貸本屋向けの漫画を出している出版社(当時はあったんです)で修行をして…。そうしたら、2、3年後に出版社からスカウトにきたんです。
もともと、マリー・アントワネットの生涯に興味があって、いつか描きたいと思っていたんですね。ところが編集者は、「そんなもの、女の子にはウケるわけがない」って。当たらなかったらすぐに打ち切るという条件で、連載を始めたんですが、でも私は「絶対にヒットさせてみせる!」と思っていました。
順序が逆かもしれませんが、『ベルばら』の連載が始まってから、本格的に絵の勉強も始めたんです。このままではいけないと思って、美大の学生さんに来ていただいて石膏デッサンから油絵から、きちんとやりましたよ。連載の途中で絵が変わったことに、気が付いた方もいらっしゃったんじゃないでしょうか。
あのころは、食事する時間もないぐらい大変でしたね。結局、ずっと大学に戻りたいと思いながら7年で中退することになりました。
45才で音楽家の道を目指し、音大へ
2年間の『ベルばら』の連載が終わったのが26才のとき。それから、自分である程度納得できる作品が描けたかなと思ったのは『オルフェウスの窓』なんです。自分にとってのライフワークみたいなものができたかなと。それで、「よし、これで残りはおまけの人生だ」と思えてきて、これからは本当に自分がやりたかったことをやろう、そう思ったんです。
で、何をやろうかと考えたとき、そこにあったのが音楽だった。もともと音楽は大好きで、小学校に上がる前からお琴やピアノを習い、合唱もやり、高校時代はトランペットを吹いていました。中学生のころ、真剣に音大に行こうと思ったこともあったんですよ。それがどう間違ったのか(笑)、劇画の道に迷い込んでしまって。でも、劇画家としてのキャリアを捨てるのも惜しいし…と5年間考えあぐねた挙げ句、やっぱりプロとして本格的に音楽を勉強しよう、そう思って音大を受験する決心をしたんです。45才のときでした。
47才で東京音大に合格、同級生は10代!
とは言っても、受験勉強は厳しかったですね。今までの人生で、1番がんばったんじゃないかしら。東京音大は私大では最難関ですし、社会人入試の枠もなく 10代の学生といっしょに試験を受けるわけですから。音の聞き取りなど、耳を使う試験は難しくて多分合格ギリギリだったと思います。ただ、大学でやっていた分、ドイツ語の試験はできました。96点も取って、学校始まって以来だったそうですよ(笑)。
声楽を選んだのは、子どものころから歌が好きだったから。それと、遅くから始めても間に合うと言われたからです。 3年生のとき、恩師の東先生から、「よくがんばったわね。すぐにやめると思っていたのよ」と言われてビックリ。周りからは、ただのきまぐれと思われていたのかって。仕事を抱えながらの学生生活ですから、確かに体力的には大変でした。でも、ずいぶん若い人に励まされましたね。10代の同級生から、「あなた『ベルばら』書いた人なんですってね」なんて言われて。ちょうど、その子たちのお母さんが『ベルばら』世代で、サインを頼まれたこともしばしばでした。
そうしてなんとか無事に卒業して、おかげさまで舞台にも立つことができるようになりました。もちろん、まだまだ音楽で食べていけるまでにはなっていませんよ。舞台のたびに赤字を出している。プロダクションの社長からは「音楽をやめてくれたら給料を上げます」って、ずっと言われているんです。目標は「紅白」出場かな(笑)。
それでも、好きなことを仕事としてやらせていただいているわけですから、幸せですよね。
本当に好きなことなら努力は惜しまない
今は、劇画のお仕事はお休みして、歌がメインですね。舞台の前にはものすごく練習をします。普段から体も鍛えて、声も鍛えなくてはいけないし、生活はどうしても歌が中心にならざるを得ない。歌って体力がいるんです。1つの舞台で3kgは減るんですよ。でも舞台は大人数で、一緒に作り上げていくことができる。劇画とは違った楽しみがありますね。
以前、日本舞踊を習っていたとき、歌舞伎の俳優さんから、「舞台で絶対にアガらないコツ」を教えていただきました。それは、「これ以上できないほど努力すること」。これって、何でも同じなんだと思います。
オペラの稽古にしても本当に厳しいんですよ。たった1つのフレーズでも、「違う!もう1回」って何回もやり直しをさせられる。その間、他の人たちはじっと待っていてくれるわけです。そんなとき、私は向いてなかったのかなと思う。でも、できるまで何度も練習するしかないんです。だから私は飛び抜けた才能はないけれど、誰よりも努力する自信はありますね。
こんな風に言うと、ものすごい努力家のようですが、基本的には怠け者かな(笑)。もともと、劇画も、外に出なくていい仕事をしたいと思って始めたぐらいだから、本当は、家でゴロゴロしているのが、何よりも至福(笑)。でも、やりたいことのためなら、どんな努力でも惜しまない。
夢にもタイミングがあるんです
よく、講演会などに行くと、「私もいろいろとやりたいことがあるんですけど、いま一歩が踏み出せない」なんていう方がいらっしゃいます。そういう方には、「一歩踏み出せないような夢ならたいした夢じゃないからやらなくても大丈夫よ。本当に死んでもやりたいと思ったら、どんなことをしてでも、まず踏み出すはずだから」って申し上げています。ちょっと冷たい言い方かもしれないけれど、本当にそう思います。
それから、「成功するコツは?」なんて聞かれることもありますが、そんなものはない!ただひたすら、好きなことを一生懸命やるだけ。私は本当に音楽をやりたかったんですよ。だから、成功するかしないかなんて考えないで、好きなことを、自分が満足するまでやるしかない。
ただ、好きだから何でもできるってことはないんですよ。私はクラシックバレエもやりたかったんですけど、これは年齢的に無理でした。やっぱり、夢にもタイミングがあるんです。あと10年早く音大に入っていればよかったな、なんて思いますよ。声楽家にとっては体が楽器ですからね。
夢を実現することが、最高の幸せ
8年前、音大に入学した年に3度目の結婚をしました。彼とは趣味も全然違って、クラシックやオペラにはまったく興味のなかった人。でも、逆にスキーに行ったり新しいことを経験させてもらっています。実は、私、ルイ16世が好みのタイプだったんですよ。不器用だけど、妻のマリー・アントワネットだけを愛し続けた…。主人ももしかしたら、ルイ16世に似ているかもしれませんね(笑)。
結婚といえば、この2月、『フィガロの結婚』の伯爵夫人を演じさせていただきました。このオペラは、モーツァルトの作品の中でも最高傑作のひとつ。それを、ナレーション・オペラという新しいスタイルで再構成したんです。自分でナレーション台本を書いて舞台のプロデュースもして。ずっとやりたいと思っていた仕事なので、うれしかったですね。ナレーションの台本を書いているときは、歌の稽古よりも生き生きします。私は、やっぱり物書きなんだなと思いますね。
それから今年は、マリー・アントワネットが作曲した歌曲ばかりを集めたCDも吹き込む予定なんです。マリー・アントワネットの曲は、優しく美しいメロディで、とても素敵ですよ。
これからも、まだまだやりたいことがたくさんありますね。3年前から「アーツサロン」という声楽やフラダンス、フローラルアーツの教室を始めました。いろいろな人が集まって、おしゃべりしたり、純粋に楽しい。人間って、歌うのはみんな好きでしょう?声を出すのは、精神衛生的にも、とてもいいんですよ。将来的には音楽療法の勉強もしたいと思っています。
たった一度の人生ですから、いくつになっても、夢を実現することが最高の幸せですね。
(東京都渋谷区 池田理代子さんのご自宅にて)
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