私の教室で人生変わっても、責任取りません(笑)
- 秋川 リサさん/女優
- 東京都生まれ。
15才でテイジン専属モデルとしてデビュー以来、テレビ・ラジオの司会やコメンテーターとして活躍。
また女優として舞台・ドラマ・映画など数々の話題作に取り組み、シリアスな役からコミカルな役まで幅広く好演。
さらに独自の感性で著書・連載・エッセイを発表、全国各地の講演会で活躍中。
一方、趣味で始めたビーズ刺繍に魅せられ、2001年より毎日新聞カルチャーシティー・パルコ渋谷校をはじめ、大阪・名古屋などで講師を務める。
2002年「秋川リサのビーズワーク」(日本ヴォーグ社)を出版した。
2003年第13回ホビー大賞特別賞を受賞。(衣裳提供YUKI TORII INTERNATIONAL)
入院中、ビーズ刺繍の虜に
ビーズ刺繍をカルチャーセンターで教えるようになって3年目を迎えました。始めたのは9年前。当時私の娘が7才で、「将来ウエディングドレスをビーズ刺繍で作ってあげたい」と決意し、習い始めたんです。本人の意志も関係なしで(笑)。
その後、骨折で6ヵ月間入院することになり、鬱々とした気分で落ち込んで過ごしていたとき、知人に綺麗なビーズ刺繍をいっぱい持ってきてもらったんです。手だけは動かせたので、看護師さんに笑われながらも病室いっぱいにキラキラした素材を広げてビーズ刺繍に専念しました。このとき「このまま女優ができなくなっても、ビーズ刺繍の教室を開けばやっていけるんじゃないかしら」と閃いた(笑)。こうして人の勧めもあったりして、本当にカルチャーセンターでビーズ刺繍の教室を開くことになったんです。人生何が転機になるか、わかりませんね。
初開講したときは、生徒さんが集まるかどうかドキドキでした。友人のキャシーからは「定員割れしたら私がサクラを呼んであげるから!」と言われて(笑)。でも蓋を開けてみたら、なんと100人以上の受講の応募があって、驚きましたね。
ビーズ刺繍の魅力は、ゴージャスで華やかなところ。一般に女性ってキラキラしたものが好きでしょう。衣裳だけでなく、アクセサリーやインテリア、クッションやコースターまで作れます。すべて女性の物限定で、「男にプレゼントするために作る」というクラさがないのがいいところなの(笑)。
「人生観が変わった!」生徒も
教室というとお手本があって、みんなが同じ物を作る印象があるでしょう。でも私の教室では、「隣の席の人とは違うものを作ってください」と言っています。だって教室にいる40人なら40人、みんなが同じ物を作っていたら気持ち悪いじゃない。几帳面な人、アバウトで大ざっぱな人。それぞれの個性を出せばいいんだから。
でも「自由にやって」と言うと、「私センスないから」とか「どうやったら人と違う物が作れるかわからない」と、みんな戸惑ってしまう。特に何十年もの間、専業主婦一筋でやってきた女性は、そういった個性を問われる場がこれまで少なかったわけですね。「○○さんの奥さん」「○○ちゃんのママ」と呼ばれ、フルネームで呼ばれる機会も少なくなって、普段は常識的に周りと違わないように言動に気を使う毎日。自分自身で考える時間を失ってしまっている状態、主婦って大変なんですよね。そんな彼女たちに「好きに作っていいわよ」と言っても、初めはなかなかうまく表現が出来ないんですよ。
私の仕事はそんな彼女たちの感性を、目覚めさせるところから始めます。「キリンは黄色とは限らない。ピンク色のキリンがいたっていい。ハートのブチ柄の猫がいたっていいじゃない」と。私の教室のモットーは「見せびらかす」「ほめ合う」「最後は私の作品が1番!と思う」こと。こうしてフルネームで発表の場を与えてあげると、皆さんガラッと顔つきが変わってきます。
たとえば7年前にご主人を亡くし、「生まれてこのかた針や糸を持ったことなかった」という女性。ビーズ刺繍を始めて3年たった今では、家中がビーズ刺繍だらけ。ご主人の遺影のフレームまでビーズで飾っちゃった。「なんでこんなに楽しいことに早く気付かなかったのかしら!」とおっしゃっています。また90 才のおばあちゃんの生徒さんは「人生観が変わった!」とイキイキされた(笑)。強い女性に生まれ変わって、離婚して人生の再出発をはかった方までいらっしゃいます。だから今では「私の教室に来て人生変わっちゃっても、それはうちのせいじゃないですからね」と一応前置きしてるんです(笑)。
人生の方向転換はいくらでも
私自身もビーズ刺繍に出合う前は、年を重ねていくことが恐怖でした。自分が商品という世界だから、将来アンティークになるか、ただのポンコツになるか予測もつかない。生身の人間だし、明日怪我したら商売ができなくなってしまう。アルバイトニュースをときどき読んでは「45才過ぎると仕事ないなあ」なんて思ったりしてましたよ。でもビーズ刺繍に出合って、ものを創り出す喜びを知ったとき、「人生、方向転換はいくらでもできるんだ」と気付きました。女優という肩書きにこだわることもないし、人間何かを始めるには遅いということはない。45才以上でも転職だってできるんです。こうして、ものを産み出すことを知って以来、年を重ねるのは恐くなくなり、老後の生活だって淋しくないかもと思えるようになりました。
いつか娘のウエディングドレスを作るけれど、いまは将来着るかもしれない私自身のウエディングドレスも作ろうかなと考えています。
子どもにはコビを売らない
現在アメリカ留学中の17才の息子、そして16才の娘がいます。娘(麻里也さん)が芸能界に入ったときは母親としては反対だったし、同業者としては複雑でしたね。私はお金に苦労してきた親を見てきて、金銭的なことで止むを得ず15才からこの世界で仕事を始めた。そのなかで得たものもあったし、その反面失ったものもありました。だから子どもだけはいい意味で学生時代をいい友だちとノビノビ過ごして、思春期の思い出を作ってほしいと願ってきました。「ママみたいな思いはさせたくない」と。それなのに、娘に「芸能界に入りたい」と言い出されて、びっくり。思わず「この世界を甘く見てるんじゃないの」と思いましたよ。でも娘の強情な性格も知っているし、メリット・デメリットは最終的には自分自身で経験させるしかない。「珍しい経験ができるかもしれないけれど、失うものもあるかもしれない。でもあなた自身の人生なんだから」と見守っています。
シングルマザーとなって2人の子を育ててきた私の教育方針は「子どもにはコビを売らない」こと。学校の先生の悪口を言うのも許しません。だって、教えていただく立場としての敬意をはらえないのはダメだから。友だちもたくさん遊びにきますが、挨拶できない子は怒りますよ。よく「12才ごろからの思春期の子の気持ちがわからない」という人がいますが、自分自身が12才のときに考えていたことを思い出してみて下さい。頭のなかは、異性のことで興味津々だったでしょ?(笑)。みんなそれを忘れちゃって、自分の子は違うと思っているから、子育てが難しくなるんですよ。
失敗・挫折で人間は成長する
もし子どもたちが将来人生で失敗し、挫折したとしても、「転ばぬ先の杖」は差し出さないつもり。人間、挫折や失敗を通して成長することが多いんです。きっとその挫折が、彼らの人生で役立つときが来る。だから「そんな杖があるなら、これからはママによこしてちょうだい」と子どもたちには言っています(笑)。
老後の夢は「半農半漁」の生活。1年の半分をアメリカにいる息子、そして娘のところで過ごし、あとは自分のところで暮らしてみようかなと思い描いています。まあ、それができるかどうかは子どもたちのところに来る女房や亭主次第だけど。
将来子どもには迷惑をかける気はありません。互いに自立しつつ、でもせっかく家族になったんだから「お互い一緒に暮らせてよかったなあ」と思える関係でありたいですね。
目下の夢は、来年にある息子の学校の卒業パーティーに、パートナーを同伴して出席すること。いまから相手見付けるんじゃ…もう間に合わないかなぁ(笑)。
(東京都 新宿区の喫茶店にて)
ビーズ刺繍教室の連絡先
■東京
□毎日新聞カルチャーシティー
・パルコ渋谷校 03-3477-8969
・パルコひばりが丘校 0424-25-5252
□銀座松坂屋
・カトレアレディーススクール 03-3572-6187
□上野松坂屋
・カルチャースクール 03-3832-1911
大阪
・毎日文化センター大阪 06-6346-8700
・大阪よみうり文化センター 06-6361-3325
愛知
・NHK名古屋文化センター 052-952-7330
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