39才でフリーダイビング W杯の銀メダルを獲得
- 高樹 沙耶さん/女優
- 1963年静岡県生まれ。
雑誌のモデルなどを経て、 1983年に映画「沙耶のいる透視図」でデビュ-。
現在、ハワイ在住。ハワイ島のコナ地区の家は庭を入れると、約8000坪もあるそう。女優や、ドキュメンタリーなど幅広く仕事をこなしながら、ハワイと日本を行き来している。
昨年は、フリーダイビングのW杯で、日本新の水深53mの記録を樹立し銀メダル獲得。また家の敷地に、ゲスト向けの棟を建てることも計画中。
自分が絶対にやると決めること。それがスポーツにおいても、人生においても、最も大事なことだと思います
フリーダイビングは、とても不思議なスポーツなんですよ。エアータンクを背負わずに、フィン(足のひれ)だけをつけて、息の続く限り海に深く深く潜るのですが、スキューバとちがって、海に対し「入らせていただきます」という気持ちになる。そもそもフリーダイビングは無駄な動きはいっさいしません。筋肉が余分にあると酸素の消費量が増えるので、必要以上に筋肉はつけないし、呼吸も静かに行う。ストレッチで体を柔らかくし、どんどん柔軟で静かに動くようになると、自分が自然に対し謙虚になっていくのがわかります。
何よりもすばらしいのは、潜っていくうちに体全体が地球や海と一体になっていく喜びに満たされることです。深い海の中に1人ぼっちで入っていくので、一見孤独なイメージがありますが、とんでもない。自分がどんどん無になっていき、地球や宇宙と一体化していることを細胞の1つ1つで感じることができる。この気持ちよさは、なににも勝ると思います。
物質文明の生活よりも、自然と共存する生活がしたくなった
フリーダイビングを本格的に始めたのは、W杯(ワールドカップ・注)のちょうど1年前、ハワイに本格的に移住した38才のときです。私は30才を過ぎたころから、物質文明というか、都会での生活に非常に疑問を感じていました。それからアボリジニなど自然と共生する人々に出会うたび、自分の中で目覚めるものがあり、徐々に自然と共存しながら暮らすのが、自分にとって1番幸せなのではないか、という想いが強くなってきたんです。 思い切ってそういう生活に切り替えようと思えたのは、36才のとき。この年に離婚をしたのですが、それをきっかけに、全てのことから解き放たれました。
もう東京にも住みたくないし、いわゆるザ・芸能界に常に身をおきたくないし、結婚もしてみたけど、私がしたかった結婚はちがったな…と、全てのことがクリアになったんです。それまではこうした方が幸せとか、外からの情報に耳を傾けすぎる部分があったのですが、それより自分がどうしたら幸せになれるか?と自分の内なる声に耳を傾けることにしました。
この年にオーストラリアでドルフィンスイムに巡り会い魅せられていたときに、仕事でハワイ島を訪れるチャンスがあり、「あ、ここだ」って思ったのね。ハワイ島は、スピリチュアルな世界を信じる人たちの間では、5本の指に入るスピリチュアルスポットなんですが、私自身とてもいい自然の気を感じました。それに、イルカもたくさんいるので、ここでドルフィンスイムを教えて生活していこう、と家も購入して準備してたんです。
ところが、あまりにイルカと泳ぐことがブームになったために、アメリカではイルカとクジラを商売にすると罰金または逮捕になる、という規制ができてしまった。そうなった以上、もう大々的にハワイで看板掲げてドルフィンスイムを商売にするわけにはいかないので非常に悩みました。
どうしたらいいかを考えるうちに、イルカを追って泳ぐのではなく、自分がイルカのようになろうと思い、フリーダイビングに切り替えようと。そしてどうせなら中途半端にやるのではなく、W杯に出場して、記録を狙ってみようと、コーチであり、現在のプライベートのパートナーでもある菅原さんと決めたんです。
みんなにその道の「プロ」として、見てもらうために、W杯にチャレンジ
なぜ、そこまでやろうと思ったか? それはみんなが思っている「女優、高樹沙耶」のカラを破りたかったからです。それまでイルカセラピーをやろうとしたときも、自然と共存するすばらしさを若い世代に教えたいと思ったときも、どうしても私が女優であることがマイナスに働いてしまったんです。自分では海でのトレーニングも相当つんでいるし、かなり前から自然の中で過ごす生活に切り替えているのに、みんなが見ている私は、いつまでも女優の「高樹沙耶」なわけです。 今の若い人って、自分が経験していなくても、非常に評論家的なところがありますよね。だからネットなどで辛辣なことを言われたこともありましたけれど、考えてみれば、私だって何か習おうとしたら、やっぱりその世界で実績のある人から学びたい、と思うのは当然のこと。それに腐ったり怒ったりしても何の解決にもならない。私が真剣に海の仕事をやっていこうと思っていて、そのために体を鍛えていることを、どうしたらわかってもらえるか?を考えたら大会に出て証明するしかないと思ったんです。
そのため昨年は仕事はセーブして、ほとんど1年中フリーダイビングに集中してましたね。コーチの菅原さんが作ってくれたプログラムに従って毎日ヨガやジョギング、プールや海でのトレーニングに励んでました。
いくら海との一体感がすばらしいとはいえ、深い海に自分の呼吸だけで潜るわけですから、全く恐くないといったら嘘になります。でも恐いと思ったら水の中に入っていけないので、その前にヨガでメンタルトレーニングをやるのですが、私はこの恐怖の克服というのは、結局は練習して経験を積むことしかないと思っています。いくら入る前にメンタルトレーニングをして「今日は大丈夫」と思おうとしても、経験がないとやっぱり恐い。
何度も何度も潜る地道な練習の積み重ねが、結局自分の自信になる。また30m潜れば次は35mの壁。 35mが突破できれば40mの壁がある。その壁を突破できるだけのトレーニングを積み重ねていたからこそ、日本大会で日本最高の45m、W杯で53mと大幅に記録の更新もできたと思います。
フリーダイビングのトレーニングで学んだことは、人生そのもの
フリーダイビングを通して学んだことは、人生に通じるものがたくさんあります。たとえば、トレーニングで最も大事だったと確信しているのが、潜る前に「今日は40m潜るぞ」ってきっちり自分で決めていくことです。
絶対に行くと決めていても、できないときがあるんですから「行ってみようかな」では、絶対にできません。これは普段の生活でもそうだと思うんですけど、物事って「やろう!」と思わないと絶対にできないものです。
「私にはできないわ」と言っている人には、できるわけがない。最初に自分で気持ちをどう決めるか?ということの大事さを改めて実感しました。
また先ほど、記録を作っていく結果は、毎日の地道な努力の積み重ねという話をしましたが、これは人間の生き方そのものだと思うんですね。
年をとることは、誰にでも訪れることですが、みんな同じ衰え方をするか?というとそうじゃない。毎日こつこつ努力して、きちんと生きている人は、いくつになっても輝いてますよ。逆に愚痴ばっかりいって、自分では何も努力していない人は、ふけこむのが早い。
20代のころはみんな何もしないでも若くてキラキラしているのは、あたりまえですけど、それ以降は、こつこつ努力しているかどうかが、如実に現れてしまうのです。
私がフリーダイビングをやり出したのは、38才ですから、40代はまだがんばれると思うんですけど急に50才でがんばろうと思っても、そうはいかないと思うんですね。こつこつ努力することが大事だということは、私も40才を前に、ようやくわかるようになりました。
これからは、フリーダイビングを通して、いろいろなことを伝えたい
今振り返ると、あの1年は体力的には厳しかったですけど、非常に楽しく、迷いもなかった時間でしたね。38才で新しいことをやることへの不安はありませんでしたが、新しいことを築こうとすれば、いろいろなことがあるわけで、へこんだり寂しくなったり、1日のうちにはいろんな時間が訪れたのは事実です。
でも夢を抱いて、目標に向かって一直線に歩いているときって、余計なものは拾わないもの。あれもこれもいいな、ほしいと思ってよそ見していると、変なものも拾ってしまうんでしょうけど(笑)。
またコーチの菅原さんとの間にも、W杯に向けて2人でがんばって、結果を出したという経験を共有したことで、より一層の絆が生まれました。それ以前にも一緒に海に潜っていたので、彼の海に対してのプロフェッショナルぶりへの信頼はありましたが、さらにそれが強まり、今はプライベートのパートナーとしても、おつきあいしています。。
いわば、最初から命を預けているわけで、恋人同士としては特殊な始まりですよね(笑)。私も彼もバツ1なので、はっきりいって結婚するとか、つきあうとか、もうどうでもいいことなんです。
1人でいるのがさびしいから一緒にいる、というのでもないし、夢と目標が一緒で、隣にいてとても心地いい関係。まぁ、いわば自立している大人の2人なので(笑)、今後のことは流れに任せようと思っています。
今後は、実績も積んだことですし、フリーダイビングを日本とハワイ、両方で教えていきたいですね。日本では春ごろから講座を予定していますが、ダイビングを通して、海のすばらしさ、人間が生きていることのすばらしさなどまで伝えられたら、自分でも大したもんだなぁと(笑)思っています。
(銀座源吉兆庵にて取材)
(注)フリーダイビングのワールドカップは2年に1度開催される。2000年はフランス、2002年はハワイで開催された。このハワイ大会で、高樹沙耶を含む日本女子チームはアメリカに次ぐ2位となった。
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