落語家と住職の二刀流、夫はクリスチャン 自分らしく生きていく
- 露の団姫さん/落語家・天台宗道心寺住職
- 1986年生まれ、静岡県出身。子ども演劇がきっかけで芝居に興味を持ち劇団に入団。舞台をはじめ、NHK『中学生日記』にもレギュラー出演。2005年、高校卒業と同時に露の団四郎に入門。3年間の修業を経てプロの落語家となる。11年、天台宗で出家。比叡山延暦寺で修行。21年、兵庫県尼崎市に天台宗道心寺を開山。縁日寄席やお悩み相談を行うなど、落語家と尼僧の二刀流として、高座の他にもテレビ、ラジオで活躍中。著書は『プロの尼さん』『お寺を建てる!』など多数。
死への恐怖心から宗教に興味をもつ
私は3人姉妹の末っ子として生まれました。物心ついた頃からとにかく怖がりで心配性。1人で寝たりお風呂に入ったりするのが怖くて、「なんでそんなに怖がりなんだ」と両親もあきれるほど。小学生になれば治ると思っていましたが、中学生になっても変わらず大人になった今でもホテルに1人で泊まるのが怖いし、飛行機に乗るのも苦手です。
宗教に興味をもったのは死への恐怖心から。3歳のときに祖父が亡くなり、親も自分もいつ死ぬかわからないと思うと、将来どんなに楽しい人生でも死の恐怖がつきまといます。お寺や聖書について知れば解決するかもしれないと考えたのです。イスラム教のコーランやキリスト教の聖書を学び、一番ひかれたのが仏教でした。
お釈迦様が山の上で説法をしている場面から始まるお経を読んだとき、「これは私のためのお経だ。自分もそこで話を聞いている1人だ」と感じました。母方の実家が日蓮宗の一派、法華宗だったこともあり、「法華経は素晴らしいお経なんだよ」と祖母から聞かされていた影響かもしれません。
劇団から落語家へ 母を見て二刀流を決意
小学生のときに出演した子ども演劇がきっかけでお芝居の道へ進みました。劇団ひまわりに入団して舞台に立ったり、NHK『中学生日記』に3年間レギュラー出演したり。そんなある日、舞台でセリフを忘れてしまった人がいて、公演後にみんなで大げんか。責任のなすりつけ合いになったんです。
「お芝居は失敗したら周りに迷惑がかかる。生涯の仕事にするにはストレスが溜まりそう」と考え、落語家を目指すように。親が落語好きで小さい頃から親しみがあったことや、落語は全部1人で演じるので自己責任で済むという理由からです。でも、落語家になった今「ウケへんかったらお客さんのせいや」なんて言ったりしますけどね(笑)。
高校1年で落語家になると決めましたが、僧侶になって感銘を受けたお釈迦様の教えを広めたい気持ちも諦めきれません。落語家になりたい、でも尼さんにもなりたい、どちらか一つだけなんて選べないと悩んでいるとき、浮かんだのが働く母の姿です。母は行政書士をしながらカウンセラーの仕事もしていましたので、「仕事は一つじゃなくてもいいんだ」と気づき、まずは落語家になり、次に尼さんになることを決めました。
18歳で弟子入り 3年間の住み込み修業
落語家になるには師匠が必要です。露の五郎兵衛一門を選んだのは、初代露の五郎兵衛がお坊さんで、説法にオチをつけて面白おかしく話したことが落語の起源だと知ったから。落語家と尼さんを目指す私にぴったりだと思いましたね。
当時は名古屋に住んでいましたので、休日は大須演芸場へ通い寄席の手伝いをしながら、露の団四郎師匠が来るとわかれば玄関で待ち伏せです。「付き人をさせてください」「荷物持ちます」と何度も弟子入りを志願しました。師匠は困った様子でしたが、熱意が伝わったのか、「高校を卒業したら入門を許可する」と認めていただきました。
高校卒業後の3月、18歳で露の団四郎に入門し、8月に名古屋の大須演芸場で師匠の舞台の前座を務めることに。初舞台は心臓が飛び出そうなほど緊張したことを今でも鮮明に覚えています。
その少し前に師匠から、「大師匠の家で住み込みの弟子をしないか」というお話をいただき、二代目露の五郎兵衛の自宅で、3年間の住み込み修業が始まりました。朝は4時起き、夜寝るのは零時過ぎで、土日もお盆も正月休みも一切ありません。つらいこともありましたが、落語家としてのみならず、生き方についても多くのことを学ばせていただきました。
25歳で出家 ウィッグで高座に
3年間の内弟子修業を終え、落語家として独立したのが21歳。次は僧侶になることを認めていただくための師僧探しです。師僧となる僧侶を見つけるには、5年から10年かかると言われています。
父親はマナーアップ講師、母親は行政書士・カウンセラーと、お寺とは縁のない家庭で育ちましたので、落語の仕事が休みの日は、天台宗の総本山・比叡山延暦寺へと通いました。天台宗の僧侶だった瀬戸内寂聴師が出家した際、マスコミが比叡山に押し寄せたそうで、「芸能関係の仕事をしている人にはあまり来てほしくない」と言われたことも。それでも諦めず「どうしてもお坊さんになりたいんです」と、自分で作った仏教落語を見てもらい、3~4年ほど通い続けて25歳のときにようやく出家が認められました。出家に伴い剃髪しましたが、比叡山行院という修行道場での修行が終わるまで「出家しました」とは言えません。剃髪姿を見られるわけにはいきませんので、修行道場に入るまではウィッグをつけて高座に上がっていました。意外とお客さんにはバレませんでしたね(笑)。
修行の第1段階である比叡山行院での修行は60日間。最初こそ修行者同士で気を遣いますが、毎日の睡眠時間が3、4時間と短く、精神的にも肉体的にも追い詰められ余裕がなくなっていきます。比叡山の修行を終えたら、さぞかし素晴らしい人間になれるだろうと思っていましたが、実際には何も変わらないことが衝撃でした。それどころか、自分はこんなに嫌な人間だったのかと思い知ったのです。でもそのおかげで、「仏教の教えを信じて正しく生きよう、その心がけこそ大切」だと。それを教えてもらうための修行だったようにも思います。
尼の尼さんになる! 寺の建立はまるで出産
僧侶になったら1人でも多くの方のお悩みを聞いて、その苦しみを取り除ければと考えていました。結婚を機に暮らしはじめた兵庫県尼崎市の住み心地がよく、いつかこの町にお寺を建て、お悩み相談の場をつくりたいと思うようになったのです。2019年、条件に合う場所が見つかり、お寺の建立がいよいよ現実のものに。駅から徒歩圏内の利便性、モダンなコンクリート造り、本堂を構えるのに十分な間取りとまさに理想の物件です。持ち主の娘さんがクリスチャンで、夫と同じ教会に通っていたことにもご縁を感じました。
ところが、ローンを組んだ3カ月後にコロナ禍に。一時は落語の仕事がすべてキャンセルになり、資金集めや工事遅延など苦労もありましたが、2021年7月に無事「天台宗道心寺」開山となりました。振り返ると、お寺建立までの一連の流れは出産に似ていると感じます。いい物件が見つかったのに「大丈夫かな。ちゃんと出来るかな」とマタニティブルー状態になったりして。息子を産んだときも感動やうれしさよりも、とりあえず責任を果たした安心感のほうが強くて、お寺が完成したときも同じ。ようやく、尼崎市の尼さん、略して「尼の尼さん」になれました(笑)。
縁日寄席やお悩み相談を実施 心の拠り所になれば
私が住職を務める道心寺では、法話や落語の会を定期的に開催しています。道心寺のご本尊様である明星観音は虚空蔵菩薩様の化身ともいわれており、そのご縁日の13日に合わせ、毎月3日、13日、23日に縁日寄席を行っています。
お悩み相談を始めたのは自身の経験から。実は高校生のとき、自死を考えるほどつらい出来事があったのですが、当時は共感してくれる大人がいませんでした。悩み苦しむ人にとって、道心寺が心の拠り所になればと思います。相談内容は、夫婦関係、パワハラ、性被害と幅広く、発達障害のお悩みで来られる方も。実は私の夫も発達障害があるので、当事者の気持ちや周りの家族のストレスも理解できます。怒りや悲しみも否定せず、共感することを一番に心がけ、少しでも明るい気持ちになっていただくことを願っています。
落語家と僧侶の二刀流と聞くと、片手間だとか中途半端だとか言う人もいますが、むしろ相乗効果があると感じます。落語を聞いて仏教に興味をもってくださる方や、その逆も。仏教と落語をつなぐ役割ができるのは2つの仕事を選んだおかげです。また、お寺の建立によって参拝者に立ち会う機会も増えました。ご本尊様に手を合わせて祈る姿はとても尊いものですし、それを間近で見られるのも役得ですね。
師匠の教えを受け継ぎますます精進したい
落語家として芸歴20周年を迎えますが、名人になるにはまだまだ若手。師匠の芸を受け継ぎますます精進したいと思います。落語界では「弟子を3人育てたら師匠へ恩返しできる」と言われていますので、機会があれば弟子を育てたいですね。尼さんとしては、お悩み相談や縁日寄席をこれからも続けていくこと。ありがたいことに高座や講演など、全国各地からご依頼をいただくことも増えました。これからも落語家と尼さんの二刀流で自分らしく生きていきます。
(兵庫県尼崎市内にて取材)
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