『エヴァンゲリオン』碇シンジ役26年 14歳の少年の心を持ち続けられる秘訣
- 緒方 恵美さん/声優・歌手
- 1965年生まれ、東京都出身。1992年、アニメ『幽☆遊☆白書』蔵馬役で声優デビュー。社会現象となった『エヴァンゲリオン』シリーズ碇シンジ役のほか、『美少女戦士セーラームーン』天王はるか/セーラーウラヌス役、『劇場版 呪術廻戦0』乙骨憂太役など、数多くの作品に出演し人気を博す。歌手としてもライブ活動を精力的に行う。2023年2月、自身が参加したアニメのカバーアルバム『アニメグ。30th』をリリース。著書に『再生(仮)』(角川書店)がある。2019年より無料の私塾を開くなど後進の指導にも当たっている。
音楽一家に育ち、耳を育ててもらった
私は音楽一家に育ちました。父はもともと東宝のオーケストラでトロンボーンを吹きながら、指揮やミュージカルの音楽監督などさまざまな音楽関係の仕事をしていたそうです。母は声楽をやっていたのですが、私が小さい頃はピアノの先生もしていて、ごくたまにNHKやCMでコーラスの仕事をしていました。
その後、父は心臓を悪くしてしまい、演奏家をあきらめて実家の会社を継ぐことに。会社の1階は喫茶店で、母がママを務めることになりました。しかし、もとが音楽屋なので、家の中ではいつもクラシックが鳴り響いていました。
幼い頃から遊びで和音や楽器の音当てクイズをしたり、家にたくさんの楽器があったので、実際に鳴らして音を覚えたり。あの頃、両親に耳を育ててもらった経験は、今の声の仕事をする上でとても大きかったと思います。
ミュージカル俳優から声優業へ転身
高校1年のとき、芸能事務所の養成所に応募しました。小学校の劇で、勉強以外で初めてほめられたことを思い出したのがきっかけです。すぐにテレビの2時間ドラマのチョイ役や舞台に出演することになりました。
しかし、しばらくして学校に見つかり、はかない芸能活動は終わりました。在学中は芸能活動禁止という校則があったのです。けれども、高校生の自分にとっては「学校のせいで辞めさせられた」と感じて、その反骨精神から火がつき、学校で演劇サークルを立ち上げて3年生まで芝居をつくり続けました。
その後、入った大学を中退し、ミュージカル俳優として活動を始めましたが、腰を痛めて動きの激しいステージに立つことを断念。同じ頃、「少年役や青年役を演じると華がある、あなたの声は声優に向いているんじゃないか?」と言われ、この道を意識するように。そして、大手声優プロダクションの養成所を経て、ついに声優デビューを果たすことになったのです。
初オーディションで男子高校生役に合格!
初めてのオーディションは、アニメ『幽☆遊☆白書』の人気キャラ・蔵馬役でした。募集要項には「宝塚の男役のような華のある声質で、高校生に聞こえる人なら男女どちらでもいい」とありました。
それを見た私が思い出したのは、かつて宝塚劇場で劇場案内のアルバイトをしていた頃、ロビーで聞いていた男役の方の「みなさま、ようこそ宝塚へ!」という独特な話し方です。その感覚でオーディションを受け、あとでマネージャーに怒られて、私も「落ちた…」と思いました。
ところが、オーディション自体ではなく、「緒方恵美です。よろしくお願いします」と名乗ったときの地声が「まさに探していた声だ!」ということで、合格をいただけたのです。
アフリカ民族並みの長い声帯の持ち主だった
しかし、問題はそこからです。それまでのアニメで、少年役を女性の声優が担うことはありましたが、声変わり後の高校生役を女性が務めるのはこの作品がほぼ初めて。主要キャストは私以外全員男性ということもあり、本物の男性の低い声と一緒になると、私の声だけが浮いて聞こえてしまうというのです。
「バランスが取れないので、何とかしてほしい」と言われて、「いきなり大変な現場に来てしまった…」と思いました。
声帯の専門家に調べていただくと、私の声帯は、実はアフリカ系民族と同じぐらいの長さを持っていることがわかりました。高い音域は訓練すればある程度出るようになるけれど、低い音域はもともとの声帯の長さがないと広がらないそうです。「体幹をつくる筋力を男性並みに鍛えれば、もっと低い声が伸びるかもしれない」と言われ、死に物狂いでジムに通いました。
筋トレの成果でようやく腰の据わった低い声が出るようになり、いつ頃からか、「緒方さんは珍しく低い音域に倍音がある」と言っていただくように。この声があったからこそ、声優としてやってこられたのだと思います。
もう1つ、私が幸運だったのは、音響監督に恵まれたことです。当時、別のアニメにも出演していたのですが、2作品とも“ハートの芝居”を大事にする音響監督で、「(キャラクターがしゃべる)口パクとずれたっていい。心にウソのない芝居をしなさい」と、何度も何度も教えてくださいました。口パクに合わせるテクニックより、生きた芝居を望んでくださったことが、声優の基盤になりました。
喜怒哀楽を全身であらわさないと声で表現はできない
では、ウソのない芝居とはどのようなものでしょう。声優で誤解されやすいのは、「口だけでやっている」と思われること。
たとえば実生活で怒りが爆発したとき、人は全身の筋肉が緊張したり震えたりして、ぐったりしてしまう。声の世界もそれは同じ。アニメはさらに愛や勇気が詰まったストーリーが多く、私の場合は闘うアニメが多いこともあり、全身で叫んだり、全身で泣いたりと、常にトップギア。終わってぐったりするくらいでなければ本物のお芝居ではない。
アフレコを1本撮ると体の消耗が激しく、毎日とにかく必死でした。
『エヴァンゲリオン』碇シンジ役との出会い
私の30年を超える声優キャリアにおいて外せない役といえば、やはり『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公・碇シンジだと思います。『エヴァ』は、それまでのアニメの常識を覆す「ナチュラルな芝居」で展開した初めての作品で、以降、“ナチュラル”が主流となっていくアニメ業界の転換点ともなりました。
それ以前のアニメのアフレコといえば、“くっきり・はっきり・声を張る”のが当たり前でした。ところが、庵野秀明監督は、「この子は内気な少年だから、もっとボソボソしゃべって。何を言っているかわからなくていい。もっとボソボソで」とおっしゃる。その言葉に驚くと同時に、「こんなにナチュラルでいいんだ!」と、肩の力が抜けていく自分に気づきました。
その『エヴァ』が社会現象として語られるくらい大きな作品になり、26年という長いお付き合いになるなんて、始めは想像していませんでした。しかし、この作品に出合い、14歳の碇シンジと出会ったことで緒方恵美という声優を多くの方に知っていただき、私の転機にもなりました。
共感してもらうには自分を捨てるしかない
取材などでよく「14歳の少年の心を25年以上持ち続けられる秘訣(ひけつ)は何ですか?」と聞かれます。答えは「捨てる」こと。自分が積み重ねてきた経験を14歳の内向的な少年のレベルまでビリビリはがして捨てていくのです。
しかし、それは言葉で言うほど簡単なことではありませんでした。人はオギャーと生まれたとき、自分の感情にふたをしている人は誰もいません。それが年を重ね、経験値が上がるにつれて、世間でうまく生きていくための演技を身に付けていく。大人の私たちは、もはや「人前でやっちゃいけない」「言っちゃいけない」常識や固定観念に覆われてガチガチの状態です。そんな大人のよろいをかぶったままで、視聴者の共感を得られるはずはありません。
一方、14歳といえば、無防備な部分があるのに、社会も透けて見えてくる多感な時期です。まわりの大人の汚さに触れて拒絶したり、何も言わずに閉じこもったりしてしまうこともあるでしょう。私は器用ではないので、不要な経験をそぎ落とすことで自分の時間をそんな少年期まで戻さないと、本当の意味でリアルな芝居はできないと思ってやってきました。でも、1度むき出しの状態にしてしまえば、あとはシンジとしてそこにいて、「演じる」ことをせずともただ心で反応するだけでいいのです。
今は無料で私塾も開いていますが、生徒にはいつも、「役として、本当の気持ちをもってそこにいることがわれわれの仕事」と伝えています。
自分で歌いたいことを自分の言葉と音で綴(つづ)る
今の自分にたどりつくまでは、もちろん順風満帆なだけではありません。デビューの年は事務所スタッフからのセクハラ、パワハラも受けましたし、最初の結婚が終わって人生が白紙状態に。いきなり人気作品を射止めた裏では、フィジカルだけでなくメンタルも相当鍛えられました。
2000年頃は、声優を引退するつもりで当時所属していた事務所をやめ、「休業宣言」という形で自分から仕事を手放してしまいました。ところが、実家が不良債権化していたことがわかり、借金を返すために半年後には業界に復帰。強いストレスのため心臓の病気も発症し、「どん底」も味わいました。
そんな私を支えてくれ、救ってくれたのは音楽です。デビュー当時からアルバムは出していましたが、あくまでファンが喜ぶ「声優っぽいポップス」が中心でした。でも本当は、自分の本心を言葉で綴ったロックをストレートに歌いたかった。そこに自分自身、葛藤を抱えていました。
それがあるとき、ランティス(レコード会社)の社長の協力で、30代半ばになってずっとやりたかったバンド活動を開始することができたのです。ライブとアルバムリリースを中心に、日本だけでなく、今は海外にも音楽を届けています。
プライベートも大事です。今の家族との時間、友達との時間、1人で過ごす時間を大切にすることで、また声優・緒方恵美に戻れると感じています。
(都内にて取材)
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