Ms Wendy

2021年12月掲載

女優にマラソン、陶芸、リフォーム… 何でも極めたくなる

丘 みつ子さん /女優、陶芸家

丘 みつ子さん /女優、陶芸家
1948年生まれ、東京都出身。高校卒業後、モデルの仕事をしていたとき日活にスカウトされ入社。68年、映画『ある少女の告白 禁断の果実』で主演デビュー。以降、テレビドラマを中心に映画、舞台で活躍する。主な出演作に映画『キッズ・リターン』『BU・SU』、テレビドラマ『やすらぎの刻~道』など。現在、『真犯人フラグ』『スナック キズツキ』に出演中。長年陶芸をたしなみ、陶芸家としても活躍。ほかにも書道、茶道、洋裁など多趣味で知られる。
洋裁、料理好きは大好きな母の影響

幼い頃から母親が大好き。幼稚園には行かず、小学校に上がるまで母にべったりで、家事や洋裁、いろいろなことを教わり、深い愛情を受けて育ちました。母は専業主婦でしたが、洋裁がとても上手。おしゃれな人で生地の選び方もうまく、よくご近所に頼まれてオーバーやスーツを縫っていました。公務員の父もおしゃれにはうるさく、両親そろって「モガ・モボ(モダンガール・モダンボーイ)」でした。

兄2人を入れて家族は5人。母は料理も得意で、食べ盛りの子どもたちをいかに健康に育てるか、毎日食事を工夫していました。

今の私が洋裁や料理が好きなのは、完全に母の影響です。明るくて、やさしくて、何でもできた母。亡くなってずいぶん経ちますが、ああいう女性になりたいと今もあとを追いかけています。

日活映画主演女優からテレビドラマの主役へ

高校卒業後、三浦海岸で行われた「ミス人魚コンテスト」への応募をきっかけにCMモデルになりました。

その後、自分が映画女優になるとは思っていませんでしたが、あるとき日活映画にモデル役が必要になり、私と数人が何シーンか出演することに。そこでスカウトされ、ポンッと日活に入社したのです。その映画に出なければ私はモデルで終わっていた…。そう考えると、人の運命ってわからないものだなと思います。

運がいいことに、デビュー作品でいきなり主役。でも、新人ですから礼儀、あいさつは特に気を付け、諸先輩方に迷惑をかけないよう、誰よりも早く出社して稽古に励みました。石原裕次郎さん、小林旭さん、渡哲也さんをはじめ、スター俳優がひしめいていた時代です。

ところが、4年後に日活がピンク路線に変わり、五社協定(大手映画会社5社による専属監督・俳優に関する協定)も崩れて俳優は全員契約解除。ここでも運がよかったのは、「さあ、これからどうしよう」と、初めて受けたオーディションで『オランダおいね』のおいね役(主役)を射止めたこと。テレビドラマに軸足を移し、新しいスタートを切りました。

人に会いたくない!ストレスでガリガリに

しかし、半年間放送されるドラマの主役は想像以上に過酷でした。分厚い台本を覚えるだけで精いっぱいなのに、役者さんも入れ代わり立ち代わり大勢の方が出演され、とても気を使います。

22歳で若かったこともあり、ドラマの終盤になるとすっかり人間嫌いに。食事ものどを通らず、10キロ近く体重が落ちてしまったのです。

最後まで何とか持ちこたえたものの、終わった瞬間、「この業界にはもういたくない」「解放されたい」と思いました。それでも結局、女優をやめなかったのは、私が演じることで喜んでくれる人がいたからです。

誰も認めてくれず、ほめてくれなかったら無理にがんばる必要はありません。でも、両親、友達、事務所、ファンのみなさんが喜んでくれ、「またやって!」と応援してくれた。そういう後押しがあったから、前に進んでいけたのだと思います。

実際、「もう無理だ」と思っても、一度高いハードルを乗り越えると、人って案外自信がつくものです。20代半ばからどんどん仕事を引き受けるようになり、30歳になる頃には、2時間ドラマが年間12本もオンエアされるようになりました。当時は「2時間ドラマの女王」なんて呼ばれることもありましたね。

体づくりが高じてトライアスロンに挑戦

そうなると今度は、「仕事をこなしていくだけの人間になりたくない」と思うようになりました。体力づくりを兼ねて始めたのがマラソンです。やってみたら楽しくて、スポーツにずいぶん時間を費やしました。

女優業もそうですが、一度やると決めたらのめり込む性格も手伝って、青梅マラソン、ハワイのホノルルマラソンを走り、そのあと”鉄人レース“と呼ばれるトライアスロン(水泳・自転車・マラソンを連続して行う耐久競技)にも挑戦。1度目は自転車でタイムオーバーになりましたが、2度目の挑戦で完走できました。撮影所まで自転車やマラソンで行って身体を鍛えながら、栄養面も見直し、8年間かけてトレーニングした成果です。

凝り性というか、何事も自分でやり切らないと納得できない性分なんですね。特別大きなことでなくても、1回の食事でも「今日はこういう料理が食べたい」と思ったら手を抜かず、冷蔵庫にある材料で精いっぱいのものをつくらないと気が済まない。家の中に足りないものがあれば、すぐに買うのではなく、時間がかかっても自分でこしらえたり、繕ったりする。ちなみに、今日着ているワンピースも手づくり。同じ柄のスカーフ4枚を縫い合わせたものです。

そんな積み重ねが経験になり、私らしい生き方につながったのかなと思います。

英国のドラマに出演 明日の台本がない!?

チャレンジ精神は人一倍あるほうですが、やってみた結果、大変な思いをしたこともあります。

2年半前、イギリスBBCのドラマに出演が決まったときのこと。スタッフからは「6話と7話は、丘さんの出演はありません」と聞いていたので、それ以外の台詞(せりふ)を頭に入れ、2話分の台本は持たずに渡英しました。ところが、それがスタッフの勘違いだったのです。

5話まで撮影が進み、明日はオフだと思っていたら、翌日のスケジュールを渡され、びっくりしました。それがまたドラマの鍵となる重要なシーンだったのです。台詞こそ日本語でしたが、「この量を明日の朝までに覚えるの!?」と、一瞬、頭が真っ白に。

でも、泣いても騒いでも私がやらなければこの仕事は終わりません。自分の目で確認しなかった私も悪いのです。気持ちを切り替えて台本に没頭し、ほぼ徹夜で撮影に臨んだところ、NGを出すことはありませんでした。

そんなふうに思えるようになったのは、実は主人のおかげです。40代で小型機のライセンスを取ったとき、現役パイロットだった主人に同乗してもらい、飛行訓練をしました。途中で機器の操作に迷い、助けを求めた私に、主人はこう言ったのです。「一回飛び立ったら必ず帰ってこないといけない。それはあなたの責任だよ」「何でもいい、やってみろ」と。そこで生きる覚悟のようなものが生まれたのかもしれません。

陶芸を極めたくて箱根に移住

やると決めたらとことんやる主義は、趣味にも共通しています。書道は小学校3年生から、お茶は18歳、陶芸は31歳から始めて今も続いています。篆刻(てんこく)は11年やって目が悪くなり、細かい作業ができなくなってやめましたが、能の謡(うたい)は今年で9年目です。

陶芸はお隣に住んでいた陶芸好きのご隠居さんに誘われたのがきっかけです。10年後、どうしても薪窯をやりたくて、主人とともに目黒から箱根に移り住み、自分たちで穴窯を建てました。おかげさまで百貨店などから声をかけていただき、作陶展も開いています。今は灯り取りの作品に凝っていて、動物シリーズをつくっています。動物といっても、犬、ワニ、カメレオン、トリケラトプス、ゴジラまでいろいろ!特に恐竜が好きで、図書館で借りた図鑑を見ながら手を動かしているとウキウキします(笑)。

箱根では約900坪の広い土地を生かして野菜を育てたり、養蜂をやったり。冬は薪割りもして、ほぼ自給自足の生活をしていました。

小田原の家を夫婦で1年半かけリフォーム

現在は、終(つい)の棲家(すみか)と定めた小田原の家に住んでいます。築84年の蔵付きの古民家です。

これも不思議な出合いで、箱根の家は冬が寒いし病院も遠い。いろいろな意味で不便なところが多く、身体が動かなくなる前に移り住もうと、60代後半で、東京に近く新幹線の停まる小田原で家を探していたところ、偶然見つけたのです。「この家いいな」と思って空き家を見ていたら、家の持ち主がたまたま通りかかり、中を見せていただいて、「ここだ!」と。即決でした。

家の奥に蔵があり、ここを陶芸作品のギャラリー兼お茶室にしようと、主人と私、それから工務店をやっている友人に手伝ってもらい、箱根から実に600日通ってリフォームを行いました。箱根の家(ログハウス)も自分たちで建てたので大工仕事には心得があります。箱根から古材を運んできては造作をして、住みやすい空間に変えていきました。

床の張り替えから障子の張り替え、シロアリ駆除まで、業者を頼まず全部自分たちでやったんですよ。途中、燭台が足の甲に落ちて思わぬケガもしましたが、最終的に思い通りのわが家が実現しました。現在もありがたいことに女優業が忙しく、時間はあまりありませんが、今後も少しずつ手を入れていくつもりです。

また、73歳の今もたくさんの趣味や好きなものに囲まれ、日々を豊かに過ごせることに幸せを感じています。みなさんがもしもこれから何か打ち込めるものを見つけようとされているなら、深く考えずにとりあえずやってみたらいいと思います。自分に素直になってやっていけばいくほど力がわいてきて、どんどん元気になれるはずです。私も応援しています!

(都内の事務所にて取材)

  • 3歳のころ。母と二人の兄と

    3歳のころ。母と2人の兄と

  • 19歳、家族で江ノ島へ行ったとき

    19歳、家族で江ノ島へ行ったとき

  • 34歳のとき。小型機に乗って

    34歳のとき。小型機に乗って

  • 58歳、箱根の自宅(当時)で作品に囲まれて

    58歳、箱根の自宅(当時)で作品に囲まれて

  • 70歳、カメレオンの制作風景

    70歳、カメレオンの制作風景

  • 丘 みつ子さん

(無断転載禁ず)

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