Ms Wendy

2025年9月掲載

南極観測隊初の女性隊長 「マリンスノー」の回収、33年目の再挑戦

原田 尚美さん/海洋学者

原田 尚美さん/海洋学者
1967年生まれ、北海道出身。弘前大学理学部卒業後、名古屋大学大学院理学研究科博士課程修了。博士(理学)。海洋研究開発機構 地球環境部門長などを経て、2022年より、東京大学大気海洋研究所国際・地域連携研究センター教授に。専門は海洋学。1991年、名古屋大学大学院在学中に第33次南極地域観測隊に参加。2018年の第60次隊で副隊長兼夏隊長を務める。2024年12月より、初の女性隊長として第66次隊を率い南極へ出発。約4カ月間の任務を終え、今年4月に帰国。
人生で三度、南極観測隊に参加した唯一の女性

2024年12月、私自身三度目の南極地域観測隊に隊長として参加。約4カ月の調査活動を終え、今年4月に帰国しました。

 

初めての南極は、名古屋大学大学院の博士後期課程1年目でした(1991年、第33次南極地域観測隊)。南極観測は、地球環境の未来を予測する上で重要な国家事業です。このときは国家公務員でなければ隊に参加できない規定があったため、大学院は休学し、文部技官の身分で参加しました。史上2人目、唯一の女性隊員ということで注目され、不本意ながら記者会見まで開いたことを覚えています。

 

その27年後、再び南極へ(2018年、第60次南極地域観測隊)。ここでは全体の副隊長兼夏隊長を務めました。そして6年後の2024年、女性初の隊長として起用され、三度、南極の地を踏むことになるのですが、なぜ私がこれほど南極に魅了されるのか…。過去を振り返りながら、お話ししたいと思います。

研究者を志したのは大学4年生のとき

私は北海道苫小牧出身です。自分の記憶では、幼い頃の私は部屋で本を読んでいるのが好きなインドア派。しかし、母に聞くと、物心がつく前は雪遊びが大好きで、雪が積もると自分でヤッケを着て帽子をかぶり、手袋をはめて、外に行きたがる子どもだったそうです。

 

高校まで理系は嫌いでした。それでも大学で何を学ぶか迷っていたので、念のため理系に進んでもいいようにと理数系の授業を多く選択しました。理系の面白さに目覚めたのは高2のとき。とはいえ、理系の職業で思い描けたのは理科の先生ぐらいで、当時は研究者なんて思いつきませんでした。

 

それが高3になり、教育実習の先生に「大学には地球の海洋、気象、天文を研究する地球科学という分野がある」と教わり、興味を引かれて弘前大学の地球科学科を受験することにしたのです。同時に“理科の先生”になってもいいように、教職課程も履修して。私はどうやら昔から「保険はかけておきたい」性格のようです(笑)。

私を南極に行かせてください!

南極地域観測隊に興味を持ったのは、大学4年のときです。卒論の指導教官が南極調査の経験のある方で、常日頃から南極の面白さ、素晴らしさを伺ううちに、憧れを抱くようになりました。その先生に送り出されるように進んだのが、南極観測隊員を何人も輩出している名古屋大学大学院の水圏科学研究所です。そのなかでも半田暢彦教授が率いる海洋学の研究室を選択。海底に降り積もる堆積物を採取して、何万年も前の時代をたどり、過去の海洋環境を復元するというテーマで研究を始めました

 

博士後期課程では、1年目から研究航海の連続でした。一度出航すれば1カ月、2カ月は海の上。半分船乗りのような生活でした。そんなある日、半田研究室に「誰か南極観測隊に参加できないか?」との連絡が入ったのです。健康の理由で行けなくなった隊員の代役を探しているとのこと。それが私の人生を変える大きな転機になりました。私以外に名乗り出る学生はおらず、第33次の観測隊長も女性の参加を認めてくれたおかげで、ついに憧れの南極行きが決まったのです。

 

第33次南極地域観測隊(1991年)の女性隊員は私一人。昭和基地には女性専用の風呂・トイレもありません。しかし、その不便さは織り込み済みでした。なぜなら、大学の研究船でも女性は少なく施設も男女共同という状況は変わらなかったからです。

 

また、33年前の観測隊は今と違い年齢層が若く、隊員の平均年齢は25、26歳。男性隊員も私を特別視せず、同世代の仲間として接してくれたのはありがたかったです

南極は音のない世界 “無音”に感動

初めて南極を訪れ、一番驚いたのは音がないことでした。自然の景色は聞いていた通りすばらしいものでしたが、それ以上に、“無音”に感動した覚えがあります。生活の場には必ず人工音があり、山の上でも風の音、鳥や虫の声など何かしら音があるのに、南極では風が止むと本当に何の音もしない。これは自分自身の発見でもありました。

 

その一方で、南極では各々が予定しているミッションを半分達成できれば上出来という過酷な自然環境を伴います。たとえばブリザード(激しい吹雪)が来ると、何日も野外の作業はできず、想定していた計画が進まなくなるのです。

 

南極観測隊は夏隊と越冬隊の二つのパーティに分かれているのですが、特に私が参加した夏隊は11月の末から3月末までと決まっており、短い期間のなかで、できる作業を少しでも進めたいという思いから、天気がよければ休日も返上し、疲れ果てて倒れるまで働く人が多かったですね。

 

私のミッションの一つは、セジメントトラップというバケツのようなものの下にボトルがついた装置を南極の海に設置し、そこに落ちてくる粒子(雪が降る様子に似ていることから、通称マリンスノーと呼ばれる)をボトルの中に採取することでした。ところが、観測期間が終わり、セジメントトラップを回収するはずが、海中で流されてしまったのか見つかりません。この時点でミッションは失敗。無念の思いで帰国しました。

無意識の偏見を外し隊員と信頼関係を築く

二度目の南極行きは、それから27年後。第60次隊で全体の副隊長兼夏隊長を任命されました。私に声がかかったのは、そろそろ女性の副隊長、隊長を望む空気があったせいかもしれません。当時は文部科学省所管の海洋研究開発機構(JAMSTEC)でセンター長を務めていたこともあり、その立場を生かしながら、マネージャーとして観測隊員を支える役割での参加でした。

 

リーダーに就任してまず着手したのは、アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)に関する勉強です。リーダーは男性という固定観念の下、女性初の夏隊長として、みんなに受け入れてもらえるだろうかという懸念があったからです。

 

また、前年度の先輩隊(越冬隊)との摩擦を避けたいという気持ちがありました。越冬隊は1年間同じ顔ぶれだけで過ごしてきたので結束が固く、後からくる夏隊と無意識に壁をつくり、よそ者扱いしてしまうメンタリティになることを、私は経験上知っていたのです。

 

友好的ではない言葉を浴びせられれば、傷つく人もいます。しかし、後輩隊のわれわれがアンコンシャス・バイアスの存在を知っていれば、環境がそう言わせているのだとやり過ごすこともできる。そのことを私自身が学び、隊員たちに伝えることや日々のコミュニケーションで信頼関係を築いていきました。

 

その後数カ月間、同じ釜の飯を食べ、厳しい夏の仕事を一緒にやると、家族のような濃い人間関係ができ上がります。帰国当日はみな涙を流しながら別れを惜しみました。「じゃあまた、元気で」「帰ってきたら宴会やろう」と言いながら大人同士が抱き合って、号泣です。この光景も忘れられない思い出の一つです。

三度目の南極観測 私にとって南極とは

それから6年後、三度目の南極となる第66次隊では初の女性隊長に就任。そこにもう一つ、大きな目標を持っていきました。それは、33年前の宿題(1回目に失敗したマリンスノーの採取)です。次に南極行きのチャンスがあればぜひチャレンジしたいと、6年間、入念に準備を進めてきたのです。

 

まず研究者として身軽になるために、JAMSTECから東大に転職。国から研究費をいただいてセジメントトラップを購入するなど、一歩ずつ南極に近づく努力をしてきたので、満を持しての南極派遣となりました。設置した装置の回収は来年出発する第67次観測隊の別動隊である「海鷹丸」(東京海洋大学)の研究航海で実施予定で、今度こそ回収の成功を祈るばかりです。

 

この33年で変化も感じました。女性の隊員は全体の3割近くまで増え、33年たって女性の活躍が南極にも広がったことをうれしく思っています。

 

あらためて、なぜ南極に魅了されるのかと聞かれたら、研究が計画通りに進まない、もっとも難易度の高い場所だからだと思います。だからこそ、また行かなくてはと思わされる。今春、南極から日本に戻ったばかりですが、「また、もう1回」と思う自分がいて、本当にきりがないですね(笑)。

地球環境のために 私たちができること

最後に読者のみなさまへ。北極では温暖化が進み、30年前は「2050年ぐらいに夏の北極の海氷がなくなる」と言われていましたが、現実は予測を上回るスピードで温暖化が進行しています。昭和基地がある東南極では、まだ温暖化の兆候があらわれていないものの、東南極で融解が進むトッテン氷河の氷がすべて溶けてしまうと、世界の海水準は平均4m上がるという試算があります。東京エリアをはじめ、世界の大都市はだいたい沿岸で海抜0m。だからこそ、都会に住んでいる私たち自身の問題であると認識していただき、二酸化炭素をできるだけ出さない活動をお願いしたいのです

 

みなさんがやれることは大きく二つあります。それは、「節電」と「食品ロスをなくす」こと。不要な電気を切る。スーパーに行ったら手前の食材から取る。一人一人の力が合わされば、それだけでも大きな力になります。

 

大都市が海に沈む現実はすぐには来ないかもしれません。ですが、自分の子孫が暮らせない世の中をつくってはいけないのです。そこをもう一度考えていただけると、環境を研究する私としてはとてもうれしく思います。

(千葉県柏市にて取材)

         
  • 3歳のとき。家の前にできた雪山

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  • 9歳のころ。家族旅行で北海道壮瞥町の昭和新山へ

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  • 第33次観測隊に参加したとき

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  • 2024年8月頃。北アルプスの笠ヶ岳下山後に、上高地で河童橋から涸沢岳を撮影。夫と百名山制覇を目指し現在95座を登頂した

    2024年8月頃。北アルプスの笠ヶ岳下山後に、上高地で河童橋から涸沢岳を撮影。夫と百名山制覇を目指し現在95座を登頂した

  • 第66次観測隊。観測終了後のプランクトンネットを洗浄している様子

    第66次観測隊。観測終了後のプランクトンネットを洗浄している様子

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  • 第66次観測隊。南極からのインスタグラム中継

    第66次観測隊。南極からのインスタグラム中継

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  • 原田 尚美さん

(無断転載禁ず)

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