夜のスナックでレコードを手売り 3度の改名を経て『戻り川』でヒット

- 伍代 夏子さん/歌手
- 1961年、東京都生まれ。82年に歌手デビュー。三度の改名を経て87年、伍代夏子として『戻り川』を発売。88年、「全日本有線放送大賞」と「日本有線大賞」の最優秀新人賞を同時受賞。90年には『忍ぶ雨』の大ヒットでNHK紅白歌合戦に初出場を果たし、以降、通算22回の出場を誇る。文化・国際交流や社会福祉活動にも貢献、2015年、その功績が認められ外務大臣表彰を受賞。12月18日(金)俺のフレンチ グランメゾン大手町にて「BIRTHDAY DINNER LIVE2026」を開催予定。
歌が好き。でも、人前に出るのは苦手
私は東京・渋谷で育ちました。実家は魚屋です。父は曲がったことが嫌いで、弱い者の味方をする人でした。私も「長いものに巻かれるのは嫌」なタイプで、強がりで見栄っ張りなところも父親譲りなのかなと思います。
一方の母は、魚屋の仕事に家事にと、とにかく忙しい人でした。あるとき、母が「うちは日当たりが悪くて洗濯物が乾かない」と言っていたのを聞いて、子ども心に「いつかお母さんに、洗濯物がよく乾く家を建ててあげたい」と思ったことを覚えています。
そんな両親のもとで育った私は小さい頃から歌が好きで、どんな曲も1度耳にしたら覚えてしまうぐらいでした。小学生の頃には、「大きくなったら歌手になる」と思っていました。なりたいというより、「なるはず」だと信じ込んでいたのです。
しかし、意外に思われるかもしれませんが、実は人前に出るのは大の苦手。教室で発言したり、前に出て話したりするのも苦手意識があり、緊張する場面では借りてきた猫のようになってしまいます。それなのに、なぜかクラス委員などに選ばれるのです。自分では仕切りたいなんてまったく思っていないのに、持ち前の江戸っ子気質が周囲にそう思わせていたのかもしれません。
演歌歌手になれば家が建てられる?
ところが、小学校高学年になると現実も見えてきます。当時はオーディション番組の全盛期で、ピンク・レディーのようなスターが次々に出てきた時代です。
大勢の人に見られながら歌い、その歌を評価されるなんて、人前に出ることが苦手な私にはとてもできない。「この性格では歌手は無理だろうな」と思うようになりました。
それでも、「歌手になれるなら演歌歌手に」という気持ちはありました。演歌歌手はヒットを出せば長く活躍できるという子どもなりのイメージも重なり、「演歌歌手になって、親に家を建ててあげたい」という夢もいつかかなうのではないか?と思えたのです。
高校1年生の春、そのチャンスがやってきました。渋谷パルコの前を友達と歩いているとき、モデルのスカウトマンを見つけ、その人の前を何度も行き来するうちに名刺を渡されたのです。それをきっかけに芸能界へ入ることになりました。
下積みの始まり 歌える場所を求めて
私が入ったのはモデル紹介事務所で、最初は展示会のコンパニオンなど、歌とは関係ない仕事ばかりでした。でも、「本当は歌手になりたい」と伝えると、歌のレッスンを受けさせてもらえるように。ただ、レコード会社から声はかかるものの、新人会議にかけてもらっては落とされる。その繰り返しでした。
ようやくデビューできたのは20歳の頃。「星ひろみ」という名前で、『恋の家なき子』というムード歌謡曲でした。
しかし、順風満帆ではありませんでした。夜のスナックを何軒も回る「夜キャン」でレコードを手売りするのですが、一晩で何軒回っても、売れる枚数はわずか。さらに、デビューから4カ月ほどで所属していた事務所がなくなり、歌手として宙ぶらりんに。
行き場をなくした私に、レコード会社が電話番やお茶くみ、PRの手伝いなどの仕事をくれました。OLのような生活をしながら、歌手を支えるために周囲がどんな仕事をしているのかを知った経験は、のちの自分にとって大きな財産となりました。
4度目の再デビュー “伍代夏子”で初ヒット
ただ、1度のデビューでは終わりませんでした。「星ひろみ」から「加川有希」へ。23歳のとき、元プロ野球選手のデュエット相手として再デビューすることになったのです。その後、本名「中川輝美」でもレコードを出しました。
それでも状況は簡単には変わりません。所属していたレコード会社との契約を終え、CBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンターテインメント)へ移籍。25歳で、今の「伍代夏子」としての歌手人生が始まりました。
そして、伍代夏子のデビュー曲『戻り川』が35万枚を超えるヒットに。日本有線大賞、全日本有線放送大賞の最優秀新人賞をいただきました。演歌の分野では初の快挙だったそうです。ですが、これも一夜にして訪れたのではありません。作品を出してから足かけ2年。NHKの歌番組への出演を機に、レコード売上がグングン伸びていったのです。暑い日も、寒い日も、全国のレコード店を回って歌う地道なキャンペーンの積み重ねが、少しずつ結果につながっていったのだと思います。
ちなみに、最初にお話した「人前が苦手」ですが、ある経験をきっかけに克服することができました。地方のイベント会場に「親戚」を名乗る方々が突然現れて驚いたのですが、言われてみれば母親にそっくり(笑)。その瞬間、緊張が解けて気持ちよく歌えたんです。今でも緊張はしますが、それ以来、会場にいる皆さんは親戚だと思ってステージに立つようになりました。
歌への向き合い方 「言葉の表情」を届ける
歌についての考え方が大きく変わったのは、作曲家・市川昭介先生のレッスンでした。
それまでは、一生懸命、がんばって歌うことが大切だと思っていました。しかし、先生から、「がんばって歌った歌はつまらない」と教えられたのです。「声を張ることだけが歌ではない。あえて抑えて歌うことで、聴く人が耳を傾けてくれる」。そこから歌い方が変わりました。
今、私が最も大事にしているのは、「言葉の表情」です。ただ歌詞を正確に発音するのでなく、その言葉を歌っただけで、聴いている人に「うれしい」「悲しい」といった感情が伝わるかどうか。この曲の中にいる主人公はどんな女性なのか。その人だったら、どんな気持ちでこの言葉を口にするのかまで考えて歌います。
もちろん最初から「こう歌う」と決めてしまうわけではありません。レコーディングでは、声の表情を変えながら何度も歌い、最終的にその曲に合う声色を探していく。そうやって1曲をつくり込んでいく時間が、私は一番好きです。
29歳で紅白初出場 歌い終わって出た涙
デビューから3年後に出した『忍ぶ雨』が私にとって最大のヒット曲になり、その年の紅白歌合戦への初出場も果たしました。それまでの2曲(『戻り川』『水なし川』)は切なさ、つらさが前面に出ていたのに対して、『忍ぶ雨』は切なさの中にも明日への希望が残る明るめの曲調です。本心を言えば、もう1曲、川シリーズを続けたかった。でも、周囲の「ファンはそろそろ、なっちゃんの明るい歌を聴きたいはずだよ」の声に押されてレコード化が決まり、結果的にそれが大きな転機になりました。
「夢にまで見た紅白、本番では泣いてしまうだろう」と思っていましたが、泣かずに歌い切りました。あとからVTRを見ると自分でも驚くぐらい堂々と歌っていたんです。実際は、頭の中が真っ白で、そのときの記憶がないほど舞い上がっていたんですけどね(笑)。でも、マイクを返した瞬間に我に返り、どっと涙があふれました。
初出場が決まると地元も大騒ぎです。商店街に垂れ幕が出るほど、地域の皆さんが一緒に喜んでくれました。そのとき、やっと親孝行ができたなと思いました。両親にも家をプレゼントすることができました。
歌をきっかけに人の元気を引き出したい
レコードデビューしてから45周年という節目を迎え、お客さまと近い距離で歌う機会も大切にしています。ここ数年は12月にバースデー・ディナー・ライブも行っています。コンサートほど大きくなく、ディナーショーとも違う。毎回テーマを決めて、持ち歌以外の歌も披露するなど、ファンの皆さんと一緒に楽しめるファンミーティングに近い時間です。
長く歌ってきて強く感じるのは、音楽には人を元気にする力があるということです。以前、野外イベントの途中に雨が降り出したことがありました。「皆さんテントに入ってください!」と言ったのですが、雨に濡れながらそのまま聴いてくださる方もいる。だったら私も濡れて歌おうと、ステージを降りました。そして、握手をしながら歌っていると、テントの下にいた方たちが次々に戻ってきたんです。中にはついていた杖を置き、駆け寄って来られる方もいました。
人には元気になるきっかけが必要なんですよね。私の歌が、誰かの「もう少しがんばろう」という気持ちにつながったら、こんなにうれしいことはありません。
自分がやらないといけない予定をつくる
「毎日を前向きに過ごそう」と心がけるだけでは、なかなか続きません。私自身、「がんばらなくちゃ」と自分を奮い立たせようとしても、限界を感じてしまうことがあります。
でも、「自分がやらなければ、誰も代わりにはできない」ことがあれば、話は別です。たとえば、私は犬を飼っていますが、前の日どんなに遅くまで仕事をしていても、毎日決まった時間に起きて、ご飯を用意します。私が守らなければいけない存在がいる。そんな状況をつくると、不思議と力がわいてくるのです。
同じように、お友達と約束をしたり、趣味のサークルに入ったりして、「自分が行かなければ」「自分がやらなければ、仲間に迷惑をかけてしまう」という予定をつくってしまうのもいいと思います。
ボランティア活動など、「誰かのために動く」というのも一つの方法です。自分のためだけだとがんばれないことでも、誰かのためならもう一歩踏み出せることがあります。
私も、歌を聴いてくださる方との出会いを楽しみにしながら、これからも一日一日を大切に。そして、新しい気持ちで過ごしていきたいと思っています。
(ソニー・ミュージックにて取材)
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