Ms Wendy

2025年11月掲載

18歳でピアノの道を断念し声楽へ 「世界でも珍しい声」と言われ

田中 彩子さん/コロラトゥーラ・ソプラノ歌手

田中 彩子さん/コロラトゥーラ・ソプラノ歌手
1984年生まれ、京都府出身。声楽を始めた18歳でウィーンに留学。4年後の22歳のとき、スイスベルン州立歌劇場にて『フィガロの結婚』のソリスト・デビューを飾る。同劇場日本人初、かつ最年少での歌劇場デビューで話題を集め、6カ月のロングラン公演を代役なしでやり遂げる。2014年に日本デビュー。ウィーンを拠点としながら、日本でも春と秋にツアーを行うなど活動の幅を広げている。社会貢献活動も積極的に行う。2019年Newsweek誌「世界が尊敬する日本人100」に選ばれる。
風に吹かれながら木の上で読書

私の生まれ故郷は京都府舞鶴市です。ここで18歳まで過ごし、声楽を勉強するためウィーンに渡りました。

 

ただ、それまで声楽とは無縁でした。3歳からピアノを習っていましたが、人前で歌った記憶もありません。むしろ人前に出るのは苦手で、子どもの頃はよく一人で山に行き、木に登って風に吹かれながら本を読んでいました

 

家のなかでお友達と人形遊びをするより、自然と戯れるほうが好きな子どもだったと思います。

 

あとは父に拳法を習いました。父が少林寺拳法の師範で、道場を開いていたこともあり、見よう見まねで行っていたレベルですが、これも幼少期のいい思い出です。私には2人の兄がいて、私がすぐにやめてしまったのに対して、兄たちは稽古を続けて有段者に。それがちょっとうらやましくて、自分も何かやりたいと中学の3年間、剣道部に入ったこともあります

 

漠然と、将来はピアノで食べていけたらいいなと考えていました。

世界的にも珍しい声 見いだされ声楽の道へ

しかし、18歳でピアノの道はあきらめました。私はもともと手が小さく、オクターブにギリギリ指が届くくらい。弾きたいのに弾けない曲が増えてきたとき、自分の限界を感じ、このまま無理をして音大に進んでもプロになるのは難しいだろうと、気持ちに区切りをつけました。

 

最初はピアノ以外の楽器、ヴァイオリン、フルートなども考えましたが、高い楽器を買ってもらっても、結局、自分に向いていなければ親に申し訳ない。だったら元手がかからず、すぐに始められる歌がいいかもしれないと、試しに声楽の先生にみていただいたところ、「世界的にも珍しい声だ」ということが発覚

 

それが“ハイ・コロラトゥーラ”といって、ソプラノの中でもさらに高い音域で声を自在に転がせる技術だったのですが、歌の知識もない当時の私には、何が普通で、何が珍しいのかもわかりません。それでも、「先生が珍しいと言ってくれるなら、勝算があるのかもしれない。だったら始めてみよう」と思ったのが、声楽との出合いでした。

ウィーン留学で試された心

ピアノで壁に突き当たったことがきっかけで、思わぬ道が開けたものの、最初はあまり練習もしていかない不真面目な生徒でした。

 

でもあるとき、研修旅行で先生や門下生と一緒にウィーンに降り立ったとき、自分がいままで触れてきた作曲家たちの音楽がうわーっとよみがえってきて、衝撃を覚えました。そして、「本気で歌手になりたいのなら今すぐウィーンにいらっしゃい」という現地の先生の一言によって、ウィーン留学を決意。兄2人も18歳で海外留学を経験したせいか、両親も快く送り出してくれ、高校を卒業して3カ月後、私はついにウィーンへと旅立ったのです。

最初はドイツ語もわからず、ウィーンでの暮らしに慣れるのにもひと苦労でした。街にコンビニはなく、スーパーは土日休み。そんな生活の違いから、「自分が主張しないと、存在しないものとして扱われる」といった人と人との関わり方まで、もともと内向的だった私にとって、試練の時期だったと思います。

 

レッスンで人と会うときは、ヨーロピアンのダイナミックな動きや自信満々な感情表現を一生懸命まねしてみるものの、家に帰ると1週間ぐらい誰とも口をききたくないほど疲れて、閉じこもってしまう。高い声はいくらでも出るのに、自分のアイデンティティに自信が持てない日々が続きました。

『フィガロの結婚』でヨーロッパデビュー

その4年後、初めて受けたスイスでのコンクールでスカウトされ、オペラ『フィガロの結婚』でデビューしました。

 

このコンクールはセミファイナルまで行けば旅費や滞在費がすべて戻ってくるのが魅力で、まだ若かった私は、賞を意識するというより、「セミファイナルまで残って、ただでスイスに行くぞ!」ぐらいの気持ちでした。

 

ところが、コンクール後に審査員をされていた方から突然、電話がかかってきて、「半年後に企画しているオペラに出演してみませんか?」と。思いがけないオファーにびっくりしました。しかも、そのときまで私はオペラを見たこともなかったんです。それでもこれは大きなチャンスだとわかり、とにかく「出ます」とお返事し、リハーサルが始まるまでの数カ月間、必死に勉強して役に臨みました。

 

なんの固定観念もなく、初めて経験したオペラは、本当に美しい総合芸術でした。そして、出演する歌手たちの、演技の合間に「これ終わったら、何食べる?」といった肩肘張らない自然なたたずまいにホッとしたことを覚えています。と同時に、「なぜこんな私に役がきたんだろう」と考えました。

 

そのとき、一つの大きな気づきがありました。それは、私の中にある日本人的な控えめさ、謙虚さは決してマイナスではなかったということ。歌舞伎や能、日本舞踊にも通じる“静の美”を追求すれば、世界でも唯一無二のオリジナルスタイルを確立できるかもしれないと感じたのです

日本でのリサイタル かつてない緊張

その後は、周囲の助言もあって自分の声を生かせるコンサートアリアの勉強を始め、オーケストラとの共演が増えていきました。比較的早い段階からソロ活動に力を入れ、いまはウィーンを中心に、ロンドン、パリ、ブエノスアイレスなどでリサイタルを開いています

 

日本デビューのきっかけは、ある日本人アーティストから「自分のアルバムに参加してほしい」とオファーをいただいたことです。そこからご縁がつながり、いまのレコード会社でデビューが決まりました。

 

日本での初めてのリサイタルは、これまでにないほど緊張しました。18歳までは京都しか知らず、そこからいきなりウィーンに渡って10年以上、今度はヨーロッパしか知らなかった私が、言葉こそ通じるものの、知っているようで知らない日本で本当に通用するのか不安でならなかったからです。

 

しかし、その心配は杞憂に終わりました。温かな拍手と声援に包まれて公演は無事成功。いまは毎年春と秋に全国ツアーを組み、日本のみなさんにコロラトゥーラの歌声をお届けしています。

企画立ち上げからかかわったオペラ

ウィーンでの生活が18年を超え、日本より長くなってきたとき、あらためて自分らしさとは何かを見つめ直しました。そして、ウィーンで過ごした時間に、自分の生まれ持った国、環境といったものを加えて、両方のよさを併せ持った、私にしかできない作品をつくりたいと企画を始めました

 

それが、モノオペラ(小さいオペラ)『ガラシャ』です。題材は戦国武将・明智光秀の娘、細川ガラシャ。ヨーロッパにも古くから伝わるガラシャの生き方や精神性を、音楽を通して映し出し、日本の美を世界に伝える芸術作品を目指しました。

 

この作品ではさらに、登場人物が極めて少なく、1時間ほどのコンパクトな演目にこだわりました。それは、たとえ劇場のような整った施設がない場所や国でも、帳(とばり)1枚を吊るすだけで別世界が始まる…。そんな魅力的な舞台芸術を届けたかったからです。

 

世界初演はコロナ禍にあった2020年、世界文化遺産の京都上賀茂神社橋殿で行いました。この先は日本国内のみならず、ヨーロッパ、中南米など世界中での公演を予定しています。

音楽を通じて誰かの力になりたい

現在は“SDGs×芸術”を理念に活動する法人、JapanMEPの代表理事を務めるほか、広島県の学校法人AICJ鷗州学園・理事長にも就任。音楽にとどまらない活動をするにあたっては、一つの忘れられない体験があります。

 

それは、ウィーンの教会でコンサートを行った日のことです。教会では演奏後、思い思いの金額を寄付する習慣があり、私が着替えを終えて楽屋から出ると、母娘が待っていて、2ユーロ(約270円)を手渡してくれました。そして、こう言ったのです。

 

「いま、私たちの手元にはこれしかありません。このお金でパンを買おうと思っていましたが、あなたの歌声があまりにすばらしかったので、寄付させてください」。

 

彼女たちは国を追われてウィーンにやってきた難民でした。なのに食欲を満たせるパンではなく、心に残った音楽のためにお金を差し出したのです。その瞬間、あらためて音楽の持つ力の大きさを知ったように感じました。そして、好きな音楽で仕事を続けさせてもらっている代わりに、可能な限り人の力になりたいと思ったのです。

 

これをきっかけに、音楽でできる社会貢献を探していくなかで、学校法人からもお声をかけていただき、理事長をお引き受けすることにしました。学校の生徒たちにいつも伝えているのは、「芸術に触れることの大切さ」です。

 

芸術は人の心を揺さぶるだけでなく、誰かに共感する心も育てます。その心こそが、相手の立場を思いやれる人間の源になります。芸術への感動を通じて、そんな心の目覚めを多くの子どもたちが体験してくれたらうれしく思いますし、私自身、人の記憶に残る音楽をこれからも届けていきたいと思っています。

(都内にて取材)

         
  • 2022年、名古屋にてモノオペラ『ガラシャ』上演。帳1枚を吊るすだけで魅力的な舞台芸術となる

    2022年、名古屋にてモノオペラ『ガラシャ』上演。帳1枚を吊るすだけで魅力的な舞台芸術となる

  • 幼稚園の頃、ピアノ発表会にて。ピアノは3歳から習っていた

    幼稚園の頃、ピアノ発表会にて。ピアノは3歳から習っていた

  • 中学の3年間は剣道部に所属

    中学の3年間は剣道部に所属

  • 22歳のときに、オペラ『フィガロの結婚』でソリストデビュー。スイスベルン州立歌劇場にて

    22歳のときに、オペラ『フィガロの結婚』でソリストデビュー。スイスベルン州立歌劇場にて

  • 2014年、ウィーン・コンツェルトハウスにて、ウィーナー・アカデミック・オーケストラと共演。指揮はクリスティアン・ビルンバウム

    2014年、ウィーン・コンツェルトハウスにて、ウィーナー・アカデミック・オーケストラと共演。指揮はクリスティアン・ビルンバウム

  • 2024年、学校訪問。子どもたちと歌で交流

    2024年、学校訪問。子どもたちと歌で交流

  •          
  • 田中 彩子さん

(無断転載禁ず)

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