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細川流盆石 家元/勝野 功子さん

細川流盆石 家元/勝野 功子さん
「石と白砂で描く伝統芸術 細川流盆石『宮嶋』」
Profile

勝野 功子/細川流盆石 家元
お問い合わせ先
一般財団法人 細川流盆石

ホームページ
http://www.bonseki.gr.jp



盆石とは

図:葛飾北斎「稚遊挙三番続之内 石」(国立アムステルダム美術館蔵)

図:葛飾北斎
「稚遊挙三番続之内 石」
(国立アムステルダム
美術館蔵)

 皆さまは、「盆石」というものをご存じでしょうか。黒塗りの盆の中に、自然の石を置いて、島と見立てた石の周りに白い砂をまき、ほうき(刷毛のようなもの)で島に打ち寄せた波を描いたりして、盆の中に大自然を作り楽しむ趣味です。

 横60センチくらいの盆の中に、大海、入江、川、波、山、畠、草原などの自然や自然現象などを白砂で表現します。昔は、床の間に飾りましたが、今はテーブルやチェストの上に飾って楽しまれています。部屋の中に、自分だけの自然風景を持ちこんで、気分の安らぎを得ることもできます。

 その上、盆石は、砂で製作しますので、気に入らなければ、子供の砂遊びのように、壊してすぐに作り直すこともできるのです。

 盆石の歴史は古く、今の盆石に近い形になったのは、足利義政の時代といわれています。足利義政は、銀閣寺に石庭すなわち「禅の庭」を作りました。その際に庭師である相阿弥・善阿弥に、盆の中に石を組み合わせ、砂をまき、石庭のミニチュアを作らせていたと古書に書かれています。

 また義政は、わび茶も楽しみ、形の良い石を愛玩し収集していたという記録もあります。盆石は、江戸初期ぐらいまで石を中心とした茶道の床飾りとして伝承されてきました。

 江戸後期になると、武士だけの趣味ではなく、富裕な商人や、茶道と共に女子の趣味・たしなみとして、盆石が流行しはじめました。

白鳥の羽で海岸線を作る

白鳥の羽で海岸線を作る (写真1)

板で砂をすくい、線状に砂を落とし、遠くの波を表現

板で砂をすくい、線状に砂を落とし、
遠くの波を表現 (写真2)

ほうきで波を描く

ほうきで波を描く (写真3)

上:細川流盆石「宮嶋」完成品

上:細川流盆石「宮嶋」完成品 (写真4)

 また葛飾北斎も、盆石を楽しむ女性を版画に残しています(図)。

 この時代に発刊された盆石の版図の主なものだけでも列記しますと、次のようなものがあります。
・寛政7年(1795) 『盆山石記』「柏木紹甫」
・寛政10年(1798) 『盆山百景図』「順石軒瑤江」
・文化2年(1805)『勝地百盆上下』「小山磐海」
・文化10年(1813) 『日野御流盆景』「竹林軒月湖」
 この時代に多くの盆石の版図が出版されていたことがわかります。

 特に『盆山石記』の中には、有名な名勝地として「宮嶋」が取り上げられ、盆石に作った図が描かれています。

細川流盆石の「宮嶋」の作り方

 細川流盆石の「宮嶋」の作り方を説明しながら、盆石とはどのようなものかをご紹介します。

 盆は、黒の漆塗りのものを使っています。

 石は、佐治川産の主石、小石共に7石です。石は山を表しています。

 白砂は、1センチ5ミリ位の粒から粉状の砂まで、粒子の違う9種類の白砂を使います。

 1センチ5ミリの粒からゴマ粒状までの砂を石の周りにまきます。これは、山の麓の樹木、人家などを表しています。1ミリ位の砂を匙でまいて、白鳥の羽根で、海岸線を作っていきます(写真1)。

 遠景の波は板ですくって、線状に砂を落とし、遠くの波を表現します(写真2)。

 粉状の砂を、海と鳥居の部分にふるって、ほうきで波を描きます(写真3)。鳥居、拝殿などの小物を置くと出来上がりです。

 最近は、粉状の砂だけは、盆上に糊で止盆できますが、普段は、止盆しないので、自分で納得いくまで、消しては描き、描いては消して、描くことができます。

 昔からある伝統的な波の形をなぞった方が、品良く出来上がります。

 「宮嶋」の景を例にしてみましたが、季節、朝日、夕陽などの変化が、砂の濃淡で、表現でき、さまざまな風景を楽しむことができ、そこに盆石の面白さがあります。



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