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334号 注目の人 作家下重 暁子さん

年齢を重ねることはその人らしく個性的になること
下重 暁子/作家
Profile

下重 暁子/作家
1959年、早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。女性トップアナウンサーとして活躍後、民放キャスターを経たあと、文筆活動に入る。ジャンルはエッセイ、評論、ノンフィクションなど。公益財団法人JKA(旧・日本自転車振興会)会長等を歴任。現在、日本ペンクラブ副会長、日本旅行作家協会会長。『若者よ、猛省しなさい』(集英社新書)、『この一句 108人の俳人たち』(だいわ文庫)、『鋼の女 最後の瞽女・小林ハル』(集英社文庫)など著書多数。



ベストセラーの経緯と反響

 『家族という病』(2015年3月・幻冬舎新書)は、本が出たとたんに爆発的に売れました。私は何部売れたとかそういうことをあまり気にしないので「60万部」と言われてもピンとこないのですが、どうやら大変なことらしいですね。

 この本は、私の「家族論」です。軍人だった父は戦争についてどう思っていたのか、本当は何をよりどころにあの時代を生きたのか。母はやりたいこともやらず、なぜ娘の私に異常とも思える愛情を注ぎ続けたのか。父としょっちゅう大ゲンカをして家を出た兄は、妹である私のことをどう思っていたのか…。そういうことは一切聞いたことがありません。一番知っていると思っているのに、一番知らないのが家族同士なのです。

 すでに父も母も兄も亡くなっていますから、それを知る方法はもうありません。それで「手紙」という形で家族に向けて書いた文章を、ある雑誌に連載しました。それを執筆依頼に来た幻冬舎の編集者に見せたら、「面白いです。家族論でいきましょう」ということになって。書き下ろしを加えて1カ月くらいで一気に書き上げました。

 この本は、私が初めて裸になって書いた本です。自分の家のことなんて、本当は人に知られたくないですよ。でも覚悟を決めて、恥ずかしいことも洗いざらい書いたら爆発的に売れた。読者はちゃんと分かっているのですね。出版後、「今までは家族を肩にしょって本当にしんどかった。でもこの本を読んで肩の荷が下りた」という方が一番多かったですね。「家族のことでつらい思いをしているのは自分だけじゃないんだと分かって、ほっとした」と涙を流す方もいました。

 私にはこれまでに100冊くらい著書があって、何冊かベストセラーになった物もありますが、どれも徐々に売れていったものです。今回のようなヒットは私にとって初めての経験でした。時代にもフィットしたのでしょうけれど、今までずっと書いてきたことへのご褒美だと思っています。

疎開と敗戦

4〜5歳のころ。下段右から2番目が下重暁子さん

4〜5歳のころ。下段右から2番目が下重暁子さん

 うちは父が軍人で、もともと家は東京にありました。大阪の八尾(やお)に大正飛行場という陸軍の飛行場があり、終戦の少し前は飛行場の責任者だった父と家族は将校官舎で暮らしていました。

 そのうち大阪も空襲が激しくなり、母と兄と私は大阪から奈良県の信貴山(しぎさん)の頂上にある旅館に縁故疎開、敗戦はそこで迎えました。私が小学校3年の年でした。

 当時私は結核にかかっていました。そんなに重症というわけでもなく、微熱があるくらいで本人は痛くもかゆくもなかったのですが、感染症なのでその2年間はほとんど学校に行っていません。できるだけ栄養をとって安静にして、朝昼晩3度と午後3時、1日4回熱を測ることが仕事でした。

 父は絵描き志望で軍人にはまったく向かない人でした。名画集や小説をたくさん持っていたので、学校に行けない私は父の部屋に行っては本を毎日1冊ずつ持ってきて読んでいました。芥川龍之介や太宰治、夏目漱石など、もちろん大人の本ですから難しい漢字もありますし、内容も分かりません。でも退屈だから、本のページをめくって眺めていたのです。

 戦争が終わって大阪の小学校に戻ったとき、「2年間学校に行っていなかったから、遅れるのかな」と思いましたが、みんな集団疎開で全然勉強をしていなかったから、まったく困りませんでした。

 敗戦を迎えた後、学校の先生や周りの大人たちは戦争中と正反対のことを平気で言うようになりました。それが不思議で腹が立って、大人は信用できないと悟りました。あの時代、感受性の強い子はみんなそう思ったでしょう。大人も社会もすべてが信用できない。「私は大きくなったら自分一人で食べていくんだ」とその時に決め、高校入学とともに家を出て寄留生活を始めました。独立心は小さいころからものすごく強かったですね。

大学時代に決めた「生きる道」

NHKアナウンサー時代 ニュース番組放送スタジオにて

NHKアナウンサー時代 ニュース番組放送スタジオにて

 私はもともと物書き志望でした。その後アナウンサーとかキャスターとして知られるようになりましたが、私は最初から物書きになるつもりだったのです。それでまず活字の世界で職を探しました。新聞、雑誌、大手出版社…。すべて男しか募集はありませんでした。そういう時代です。大学を出た女など採用してくれるところは1つもありません。

 ちょうどそのころテレビやラジオで民放が始まり、女のアナウンサーが一斉に必要になったのです。それで「活字がダメなら喋りでも言葉に関わる仕事なら」と思って片っ端から採用試験を受けました。当時就職しようと思う女に選択肢はなく、皆がそこに殺到しましたから、NHKも数千倍の倍率でした。そんな中で「なぜあの人が?」と思った人もいたと思います。他人には分からなかったでしょうけれど、私は自分がなぜ合格したのか分かっていました。私は普段はあまり喋りませんが、ものすごく度胸がいいのです。そのころから壇上とかカメラの前とか、そういう公の場所で話すことは何でもなかった。人前で上がったこともほとんどないので、面接官はすぐにそこを見抜いたのでしょう。

努力が環境を開く

民放キャスター時代

民放キャスター時代

 アナウンサーは結局9年やりました。NHKで『夢のハーモニー』というラジオ番組をやっていたとき、文章を時々書いていたのを見ていたディレクターが、「自分で放送原稿を書いてみる?」と持ちかけてくれました。それで、自作の詩や物語に音楽をつけて放送したのです。そうしたら「あれは誰が書いているのですか」「面白い」とリスナーの方からたくさん反響をいただいて。私は一介の職員でしたから名前は言えなかったのですが、そのうち出版社の方が「面白いから本にしましょう」と声をかけてくださったのです。もともと書くことが希望ですから、喜んでお受けしました。これが私の物書きとしての第一歩です(『もうひとりのあなたに』(大和書房 銀河選書 1967年)、改題して『悲しいときに野菜を食べる』(大和書房 1980年))。

 入社した時から「アナウンサーは10年以内で辞めよう」と決めていました。それ以上長く続けたら私は「活字で生きていく」という道を諦めてしまうかもしれない。でも、ご飯を食べるための仕事だからといって、出し惜しみをしたことは一切ありません。そこでできることは全部やりました。ちょうど9年終わったところで民放から声がかかり、フリーのキャスターとして収入を確保しつつ、少しずつ文章の仕事も増えていきました。

結婚の決め手は

 結婚は私が36歳、つれあいが33歳の時です。飲み友達でした。当時私の家の近くに住んでいて、遊びに行くと台所に立ってとんとんとんと上手に何か刻んでいました。若いころの私は「生活」というものが嫌いで、生活をバカにしていたところがありました。付き合う男の人とも芸術や文学の話ばかり。「生活というのはすべての土台だぞ」と思わせてくれたのはつれあいだけでした。

 最近は大学教授を退官したので、朝昼晩3食すべて作っています。自分がお酒を飲むのにちょうどいいものしか作らないけれど、材料を凝って作るのでとってもおいしいですよ。

今がモノ書きとしてのスタート

 大学の時から数えると50年以上、長いあいだ他の仕事をしながらモノを書いてきました。巡り巡って回り道をしながら、やっと、80歳の今がモノ書きとしてのスタートです。あといくつまで生きるか分からないけれど、もう書く以外、他の仕事はやりません。これから書いていきたいテーマはありますが、企業秘密なので言えません(笑)。出版社の方からいろいろな企画が次々入ってきていて、5年先まで埋まっているほどです。

言論の自由を守るため

 私は現在、日本ペンクラブの副会長をやっています。これは大事な仕事で、言論の自由に関するシンポジウムなどをしょっちゅうやっています。

 私たちモノ書きが言論の自由を守らなければ、好きなものが書けなくなりますからね。戦前、作家たちは一斉に取り締まられましたが、そんな時代がすぐ目の前に来ていることを、今、ひしひしと感じています。本当に難しい時代です。だから、今のうちにそうならないよう少しでも努力しなきゃいけないのです。

今がいちばん自由!

2016年10月 講演会「家族という病」について考える(主催:男女共同参画センター横浜北)

2016年10月 講演会「家族という病」について考える(主催:男女共同参画センター横浜北)

著書サイン販売会

著書サイン販売会

 私、「仕事は楽しく・趣味は真剣に」っていう主義なのです。仕事はしんどいから、楽しくしないとやらなくなっちゃうでしょう? 趣味は、趣味だと思うといい加減になるから真剣に、仕事のようにやります。そうしたほうが面白いし、楽しいですから。音楽や「藍木綿の筒描き」の収集など、たくさんありすぎて大変なんですけどね(笑)。

下重 暁子さん

 今、私は何にも束縛されることがなく、本当に自由だと思います。本当の自由とは何かというと、経済的自立と精神的自立の上に成り立っています。私は今、その両方を持っていますが、最初から持っていたわけではありません。長い時間をかけて、獲得してきたのです。

 私、年齢を重ねることは嫌でもなんでもないの。歳をとることは一番その人らしく個性的になること。棺(ひつぎ)を覆うときが「一番あの人らしかったね」って言ってもらえるように、この先も生きていくつもりです。
(港区の国際文化会館にて取材)


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