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322号 注目の人 女優 小林 綾子さん

私の人生の幅を大きく広げてくれた作品『おしん』は一生の宝物です
松原 智恵子/女優
Profile

小林 綾子/女優
1972年東京都出身。立命館大学文学部英米文学科卒業。5歳よりテレビドラマやCMを中心にタレント活動を始める。83年、NHK朝の連続テレビ小説『おしん』で主人公の少女時代を好演して人気を博す。その後も、ドラマ・映画・舞台の他、現在は旅番組や、情報バラエティーでも活躍中。主な出演作に、ドラマ『いのち』(大河ドラマ)『七人の敵がいる』『剣客商売』『渡る世間は鬼ばかり』、映画『ホタル』『海難1890』、舞台『おしん』『かたき同志』などがある。4月14日(木)〜23日(土)三越劇場にて舞台『花嫁』に出演予定。



バレリーナ姿に憧れ5歳のとき児童劇団へ

連続テレビ小説『おしん』1983〜1984年放送写真提供 NHK

連続テレビ小説『おしん』1983〜1984年放送
写真提供 NHK

 私がこの世界に入ったのは5歳のときです。当時放送していた『がんばれ!!ロボコン』に出てくるロビンちゃんがチュチュを着て踊る姿に憧れて、3歳から近所でモダンバレエ教室に通っていました。クラシックバレエでないと憧れのトゥシューズがはけないと分かり、他の教室を探していたとき、母が見つけてきてくれたのが“東映児童演劇研修所”です。母から「ここならバレエだけでなく、歌やお芝居の勉強もできるみたいよ」と言われ、習い事の一つとして門をくぐりました。

 実は募集要項に「成績優秀な者はテレビや映画に出演できる」と書いてあったそうですが、母は「まさかうちの子に限ってそんなことはないだろう」とのん気に構えていたようです。

 ところが、劇団に入って3カ月ぐらいでポスターのお仕事をいただくようになって、テレビ出演もとんとん拍子で決まりました。テレビの最初のお仕事は『仮面ライダー』でした。初めての現場のことは、今でもよく覚えています。ショッカーという悪党にさらわれる女の子の役で、「キャー、助けて!」と言うセリフだけだったのに、撮影現場の富士急ハイランドで一日中待ったあげく、雨で撮影は中止。別の日に撮ることになり、撮影って大変だな、と子ども心に思ったのを覚えています。そのあとも、『Gメン75』や『特捜最前線』で、犯人の娘役など、ちょっとした役をもらっていました。

6週間分の台本を丸ごと覚え撮影に

2歳のころ

2歳のころ

 児童劇団に所属していると、いろんなところからオーディションの話がきました。どんな作品か、どんな役かはほぼ知らされず、マネジャーさんに会場まで連れていかれて、台本の抜粋を読まされて…という感じでした。オーディションの数だけはたくさん受けていましたが、役をいただけることはほとんどなくて、『おしん』のときも「きっと今回も難しいだろう」と思っていました。

 ところが、1カ月後に連絡がきて、2次審査に進むことになり、3次審査も受かって、4次審査では扮装(ふんそう)した状態でカメラテストを受けることに。最終の5次審査では「親御さんと来てください」と言われて、誰もいない部屋に通され、どうやら自分に決まったようだと分かったときは本当にうれしかったですね。

 そこで、初めて朝ドラの主人公の子ども時代を演じることが分かりました。驚いたのは両親で、特に母は、「うちの子がそんな大役を引き受けて、皆さんに迷惑をかけないためにはどうしたらいいだろう」と頭を悩ませていたそうです。

 それもそのはず。私が出演する期間は6週間だったのですが、1冊2センチはありそうな分厚い台本が6冊と、山形県の方言テープをボン!と渡され、「お芝居は責任を持って指導しますから大丈夫。ただ、セリフだけはきちんと覚えてきてください」と言われてしまったからです。それを真面目に受けとめて、撮影に入るまでの約1カ月間は、母と二人三脚でセリフ漬けの毎日でした。

 台本のセリフを山形弁に書き換えるところから始まり、イントネーションを書き込み、私がおしんのセリフを言い、相手役を全部母がやって…という練習を学校に行く前と帰ったあと続けました。寸暇を惜しんで、朝から晩まで6冊をコンスタントに読み込んでいき、撮影前には相手のセリフも含めて丸暗記の状態でした。

 ただ、それがよかったのか悪かったのか、お母さん役の泉ピン子さんが珍しくセリフに詰まったとき、「お母ちゃん、次はこうだよ」とつい言ってしまいました。それがピン子さんのプライドを傷つけてしまったらしく、今となっては笑い話ですが、そのときは「綾子に教えられた」と大騒ぎになり、大変失礼なことをしてしまいました。

国民的ドラマに出演し世界と交流できた

 世の中が「おしんブーム」になったことで、私も多くの人に知られるようになりました。どこへ行っても「おしんだ!」と、すぐにワーッと人が集まってしまって、電車に乗るのも大変な時期がありました。

 でも、私たち家族の生活はまったく変わりませんでした。よく「おしんがその後の人生で重荷になったことは?」と聞かれますが、普通に学校へ行き、クラブ活動をし、塾にも行って、いたって自然体で過ごしていましたから、プレッシャーに感じたことはそれほどありませんでしたね。

 もちろん、ドラマから30年たっても、私には「あの『おしん』の…」といった形容詞がついて回ります。でも、女優としての代表作がほしいと思っても、もらえることが少ないのがこの世界。「おしん」という役をやらせてもらったことは自分の財産だと思っています。「おしん」があってこそ今の自分があるので、「おしん」のイメージから脱皮したいとか、そんな強い思いもあまりないんです。

 それどころか、世界80以上の国と地域で『おしん』が放送されたことで、10カ国近くからイベントなどに招待され、熱烈な歓迎を受けました。現地の方々とお話ししたり、一緒に歌ったり、踊ったり、あたたかい交流をたくさんさせていただくことができました。その貴重な体験も、ドラマで「おしん」を演じなければできなかったことです。

 また、日本といえばホンダやヤマハのイメージしかない東南アジアの人々が「日本もほんの数十年前まで貧しい国だったんだ。自分たちもがんばれば日本のようになれると思ったら、すごく希望が持てた」と話してくださって、あのドラマが世界に与えた影響の大きさを肌で感じました。

就活期に気付いた自分の本当の気持ち

高校2年、放課後の教室

高校2年、放課後の教室

 中学、高校時代も女優業は続けていましたが、学業を優先し、夏休みや春休み、土日を利用しながらお仕事をさせてもらっていました。親戚に教師が多くて「将来は小学校の先生になりたい」時期もあり、大学には行きたいと思っていたからです。中学、高校時代はまわりの友人と同じように、大学受験に向けて勉強していました。

 大学では英米文学を専攻。英米文学を選んだのは、小学6年生のとき、中国の青年団3000人の日中青年友好交流に参加し、大人たちが英語で会話していたのを見て「英語ってなんてすばらしいんだろう」と興味を持ったのがきっかけです。それから英語が好きになり、もしやりたいことが見つかればそちらの方向に進むのもいいかな?と思っていました。

 ただ、卒業後も女優としての仕事は決まっていました。私たちのころは就職氷河期で、企業回りで苦労している友人からは「綾子は好きなことができていいね」と言われました。その言葉を聞いて、「私は恵まれている」と感じましたし、表現することがやはり好きだと、あらためて気付きました。それなら女優としてのベースをゼロにしてしまうなんてもったいない。今まで培ってきた経験を生かして仕事をしていくのが私にとって一番いいことだと思えました。

女優としての転機は20歳の初舞台

24歳のころ、モンゴルにて文化交流会

24歳のころ、モンゴルにて文化交流会

 この仕事の最大の魅力は、なんと言っても見てくださった方が喜んでくださること。「元気になったわ」「明日からまたがんばれそうな気がする」「ありがとう」と人を励ますことができる仕事はそれほど多くはないですよね。そう言っていただくと女優冥利(みょうり)に尽きますし、どんなに大変な芝居だったとしてもすべて報われます。

 そんな今を支えてくれているのは、20歳で出演した初めての舞台『流水橋』での経験です。それまでは「天才子役」と言われたりして、慢心していたわけではありませんが、テレビに関してはある程度表現できていると自分では思っていました。ところが舞台では、テレビで培ったことがまったく通用しなくて、大きな挫折を味わいました。

 その私を救ってくださったのが育ての母親役の山岡久乃さん。見るに見かねたのでしょう。手取り足取り、お芝居のイロハを教えてくださいました。あまりのできなさに、舞台が始まってからも居残り稽古。毎日舞台が終わると、「台本持って楽屋にいらっしゃい」と言われて、「このセリフはここで切らない、一息で言う」「ここでブレス」と、息つぎの仕方まで教えてくださいました。

 そうした中、自分の中でずっとネックになっていたシーンがあって、ある日「もういいかな」って、少し肩の力を抜いて演技したことがあったんです。すると、間が良かったのか、いつも受けないところで客席がドッとわいて。山岡さんがおっしゃっていたのはこれなんだ!と分かりました。その場面が終わり、いったん楽屋に戻ろうとしたら、山岡さんが待っていてくださって、「できたじゃない!!」と抱きしめてくださいました。『流水橋』は、私にとって今でも忘れられない舞台です。

 あれから20年以上。次の舞台となる、向田邦子さん原作の『花嫁』では、高橋惠子さんの娘役をやらせていただきます。私は4人兄妹の次女役で、三女が、実は舞台の『おしん』で子役をやった諸星すみれちゃんなんです。不思議な縁を感じつつ、共演を楽しみにしています。

自然とふれあいエネルギーチャージ

4月から出演する舞台『花嫁』

4月から出演する舞台『花嫁』

 「おしん」のイメージが強いせいか、おとなしくて、家で読書や編み物をしていそうってよく言われます(笑)。でも、実はアウトドア派。小さいころからおてんばで活発な女の子で、木登りが得意だったり、走るのも速かったり。中学では3年間、軟式テニスをやっていて、高校では器械体操部に入っていました。とにかく体を動かすことが好きで、28歳から始めた社交ダンスは今も続けています。

 大人になってからは日舞と茶道も。舞台をやるにあたって、“所作”が必要になると、大学卒業と同時に始めました。今は茶道がとても好きで、数年前には表千家の講師のお免状もいただくことができました。

 小さなころからずっと続けているのは登山。でも、登山は趣味というより、母が山好きな人で、家が電車一本で秩父に行けるところだったので、物心がついたときから休みはいつも母に連れられ、姉と一緒に登っていた記憶があります。あとから聞くと、どうやら赤ちゃんのころから母のおぶい紐で背負われて山に登っていたみたい(笑)。山頂に着くと、誰も教えていないのに、「やっほー!」と叫んでいたそうです。

小林 綾子さん

 最近は旅番組で登ることのほうが多いかも?でも、自然のエネルギーをチャージすることって、たまには必要だと思います。あのすがすがしい空気が私は大好き。土の香り、葉っぱのにおい、水の冷たさに触れるたび、人間も自然の一部だということを実感しています。

 お仕事に関しては、「女優だからこれはやらない」という垣根を取り払って、自分の新しい側面が見えるようなことをどんどんしてみたい。そして、これからもお客さまに喜んでいただける仕事を大事にしていきたいと思います。
(東京都内にて取材)



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