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254号 注目の人 女優/鳳 蘭さん

「舞台こそ、わが人生。すべてのストレスから解放される場所なんです」
鳳 蘭/女優
Profile

鳳 蘭/女優
1946年神戸市生まれ。中華同文学校卒業後、宝塚音楽学校に入り、64年『花のふるさと物語』で宝塚歌劇団の初舞台を踏む。
70年星組の男役トップスターに就任し、”ツレちゃん”の愛称で絶大な人気を誇る。79年に惜しまれながら退団後、ミュージカルを中心に数多くの舞台作品に出演。
日本ミュージカル界を代表するエンターテイナー。ココ・シャネルの人生を描いたブロードウエー・ミュージカル『COCO』、『雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた』の演技により、第51回毎日芸術賞、読売演劇大賞最優秀女優賞などを受賞。2008年より「鳳蘭レビューアカデミー」で、後進を指導中。


“確信犯的な演技”シャネルで受賞


11歳 妹と一緒に。左が鳳蘭さん

 ファッションブランド「シャネル」の創業者、ココ・シャネル。彼女の波乱の生涯を描いたミュージカル『COCO』の再上演が年末に決定しました。昨年に続いての上演で、かつてキャサリン・ヘプバーン主演でブロードウエーで上演された作品です。

 世界のトップに躍り出るために、多くの一流の男性と関わりあったシャネル。頭の回転が速く、勘が鋭いところなど自分と共通する部分はあるけれど、あそこまで計算高く、鬼にはなれない。彼女を演じていて、いろいろ考えさせられましたね。

 役作りには相当な努力を要しました。とにかく早口でセリフが多い。お酒は一滴も飲まず、外出からはまっすぐ帰宅して台本を読み、ストイックに取り組みました。この舞台で体重が4キロも減った。こんなことは初めてよ。

 それが報われたのか、今年になって、この作品の演技で毎日芸術賞など多くの賞を頂きました。私の演技評は、“確信犯的な演技”。これは“演技派女優”以上のほめ言葉だから、うれしかったですね。新たな自信につながりました。

 私は宝塚歌劇団で大好きな男役ができて、あれが人生のピークだと思っていたの。あとはたんたんといくつもりだったのに、もう一度人生のピークが来た感じ(笑)。45年間、これしかないとひたすら舞台をやり続けてきたことで、今回賞を頂けたのかなと思っています。

「犬のあとにつくな。虎のあとにつけ」


1歳 母に抱かれて


4歳 好きな洋服で

 実家は神戸市。外国人居住区であるジェームズ山で生まれました。中国・上海出身の両親がかの地に移り住んで、外国人相手に洋服屋を開業していたんです。

 私が生まれる直前、わが家が台風で流されてね。貸してもらった外国人宅の馬小屋で私は生まれたの。キリストみたいでしょ(笑)。宝塚時代は「キリスト蘭」って呼ばれていました。  ジェームズ山からは瀬戸内海が一望できて、いつも母は「何があってもこの広い海のような心を持ちなさい」と教えてくれましたね。

 近所には岩船不動という小さなお不動様があって、母と妹と私でお世話をしていました。このお不動様にお願い事をすると不思議と何でもかなうんですよ。宝塚にいたとき、当時の悩み事を夜中の一時に相談に行ったことがあります。するとなんと、暗闇の中でお不動様の数珠がピカーッと光り出したの!一同もう、ビックリ。そんな不思議なこともありましたね。

 父はガンコ一徹な人でした。外食は年に1度で、それもクリスマスに神戸の街で豚まんを食べるだけ。その反動か、いまじゃ外食は大好きです(笑)。

 言うことも普通と違っていた。父たるもの、子に対しては「人間は金じゃない。愛だ」とか教えるじゃない。でもうちの父は、「犬のあとにつくな。虎のあとにつけ」。つまり犬が食べたあとだと食べ残しは骨しかないけれど、虎が食べたあとだったら獲物の食べ残しはたくさんある。だから虎のあとを歩けと。すごいでしょ、中国の知恵って。だから父の教え通り、なるべく虎のあとにつくようにしています(笑)。

宝塚で恩人の先生と出会って


宝塚音楽学校時代

 少女時代、自分のエキゾチックな外人顔が大嫌いで。いつも顔を隠す髪型で控えめにしていましたね。高校進学を考えていたとき、親友が宝塚音楽学校を受験。「宝塚?何それ?私も」とつられて受けたのがきっかけです。

 試験中、何も芸事ができない私は教官先生に「だって、これから教えてくれるんでしょう?」と言ったらしく、いまでもそれは語り草(笑)。きっとパニックだったんでしょうね。教官先生には「変わってる子やから拾っとこか」くらいに思われたのかも。

 入学後も大変でね。バレエ、ピアノ、日本舞踊と達者な同級生の中、ピアノの“ド”の位置も分からず、生まれて初めて着物を着る私。すべて成績はビリ。「ここに入ったのは大間違いやった」とすぐ後悔しましたね。ただし、みんなでゼロから習い始めたバトンやタップダンスの成績は一番でした。

 初めは努力もしなかったの。レッスンにはしょっちゅう遅刻。「国鉄(JR)が遅れました~」って(笑)。「5年ぐらいやったら、父の決めた人と結婚して主婦になろう」程度の考えでした。スターになれるわけはないと思い込んでいたから。

 そんな私の転機は恩人の先生方に出会ったこと。振付家の朱里みさを先生のレッスンでは、大勢の後ろの方で踊っていた私を、先生が「前に出てらっしゃい」と突然呼んだんです。先生は私を踊らせたあと、みんなに一言「みんな!こういうふうにやるんだよ」と。私は驚いた半面、「頑張ろう!」と奮起しました。

 また歌手の深緑夏代先生も恩人の一人。朗々とシャンソンを歌う私に、先生はあきれて「男女が別れる歌なのよ」と歌の心情を説明。今度は嗚咽しながら歌うと、聴いていた先生は、「シャンソンを真剣にやりなさい」とすすめてくださいました。

 群衆の中から「あの子が次の宝塚を背負うよ」と見出してくださったのは、劇作家の菊田一夫先生。私はチャンスにも恵まれていたのですが、いまがあるのは恩ある先生方との出会いのおかげですね。

 先生方に頂いた言葉が後押しとなって、宝塚歌劇団の初舞台を踏んでからは、それこそTシャツの汗がしぼれるくらいに練習しました。

トップスターになる条件とは?


1977年 『風と共に去りぬ』

 星組のトップに晴れて就任後、『ベルサイユのばら』が大ヒット。空前のブームとなり、“タカラヅカ”の名も全国的に知れ渡りました。

 そんな中、私の出待ち(終演後にスターを劇場出口で待つファン)の方は比較的少なく、最初は人気がないのかと思っていました。けれど実は私のファンは皆さんご家庭のある年齢層の人が多かったから、舞台後はすぐ家に帰っていたのだとか(笑)。当時のファンの人たちとは、いまでは家族同然のおつきあいをしています。

 宝塚時代の最も印象に残った舞台は、やはり『風と共に去りぬ』。私は完全にレット・バトラーになり、スカーレット役の遥くららさんの身体を折れんばかりに抱きしめた。子どもを失ったシーンでは、怒りと哀しみを爆発させたあと、客席を一顧だにせず舞台を去りました。普通なら男役としてお客さんの心をつかむ表情を残したりするのだけれど、私は完全に役の気持ちになりきって、そのまま去っていったのね。けれどそれが良かったらしく、いまも宝塚の伝説の舞台として語り継がれているようです。

 トップスターになれる条件は何か。運や実力を筆頭にあげる人もいますが、私は「1にオーラ、2に運、3に実力」だと思います。実力は好き嫌いの世界。ある人が「実力がある」と認めても、別な人は「ない」と評価は異なり一定ではない。一方で歌や演技は下手でも、舞台でなぜか気になって感動してしまうという人もいる。あれが“オーラ”0。スターには何より、このオーラが大切だと思っています。

人目忍んで娘の舞台に通う


現在趣味のゴルフ

 私には娘が二人。もう甘くて甘くて、めっちゃ過保護な母親なのよ(笑)。目の中に入れても痛くないくらい。

 まだ小さかったころは、夜遅くまで舞台をやりながら早起きして子どもたちのお弁当を作ったわね。でも体を壊してしまって。そこで子どもたちに「ごめん、ママ仕事で疲れてるから朝は寝かせて」と頼んで休ませてもらいました。すると体調も良くなった。仕事と結婚、仕事と子育ての両立といいますが、私にはできなかったですね。

 娘たちにも本当は宝塚の道に進んでほしかったのだけれど、夢かなわず。けれどそんな私の寂しい気持ちを察してか、次女(荘田由紀)が同じ芸能界の道を志してくれたんです。

 文学座の座員である次女はこの春、舞台『女の一生』で主演として全14公演に出演。目立つ母なもんで、子どもに迷惑を掛けたらいけないと思いつつ、こっそり観に行ったの。目立たないように開演5分前まで近くの喫茶店に待機して、直前にササーッと劇場に入る。そんなことをしながら、8公演に足を運んでいたわ。

 娘にはたくさん舞台を踏んでいく中で、地道に地道に力を付けて、ゆるやかに坂を上がっていってほしい。母として、そう願っていますね。

人間万事塞翁が馬


 「世界に通用するエンターテイナーを育てたい」そんな宝塚時代からの夢をかなえるため、一昨年「鳳蘭レビューアカデミー」を東京・恵比寿に開校しました。大切なオーラ、“華”も身に付けてもらいます。“華”はどうしたら付くかって? それは企業秘密(笑)。

 プロ育成とともに、一般の方向けのコースも。私が指導するクラスもあります。女性の健康作りには何といっても“運動”が1番。始める年齢は関係ない。骨粗しょう症対策にもなるし、いまからでも皆さんダンスをやったらいいですよ。

 座右の銘は「人間万事塞翁が馬」。あのつらくて大変なときがあったからいまがあるんだと、何でも良く考えるのが私の流儀です。血液型がA型なせいか、物事をネガティブに考えてしまいがちでね。そんな自分だからこそ、努力して良く考えようとしているわけ。明るく明るく、がポリシーです。

 宝塚の舞台を初めて踏んでから、今年で四六年目。私にとって、“人生は舞台”なんです。

 「鳳蘭」って人間はストレスがいっぱいなの。周りを幸せにしたくって、「三波春子」って言われるくらいサービス精神が旺盛。だからとってもしんどくて、疲れるわけ。でも舞台に上がると自分以外の役になれる。すると自分のストレスがすべてなくなり、解放されるんです。本物のシャネルにストレスはあっただろうけれど、私には分からない。よって、演じている私にはストレスがない。

 だから私、舞台に立ってるときだけが幸せ。舞台こそ人生。これからも舞台に上がり続けたい。こっちがお金出したっていいくらいだと思ってるわ(笑)。

(東京都港区・ANAインターコンチネンタルホテル東京「ザ・ステーキハウス」にて取材)



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