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247号 注目の人 女優/戸田 恵子さん

「大事なのは、瞬間に役になりきる集中力。
スムーズにギアチェンジできるように、いつも心掛けています」
戸田 恵子/女優
Profile

戸田 恵子/女優
愛知県出身。
NHK名古屋放送児童劇団を経て、1974年「あゆ朱美」の芸名で歌手デビュー。
77年、野沢那智主宰の劇団「薔薇座」に入団し、89年の退団まで看板女優として活躍。以後、声優、映画、テレビドラマなど幅広く活躍。
舞台「なにわバタフライN.V」は、2010年2月7~28日東京・シアタートラム、3月20~31日大阪・サンケイホールブリーゼほか、全国で公演。


舞台の仕事が基本、テレビや映画は応用編


2歳のころ

 声優、舞台、テレビ、映画とさまざまな仕事をさせていただいていますが、何が1番?と聞かれたら、基本はやはり舞台ですね。すべてのベースがそこにある。

 舞台は、何カ月か稽古している間に、自然に役になじんでいきますが、テレビドラマでは、今日会ったばかりの相手と夫婦になったり、恋人になったり。いわば即興劇のようなもの。実力テストみたいに、逆に実力が問われるので、映像の世界は難しいなと思います。

 舞台なら毎日同じセリフを練習できるし、明日はこうやってみようとか、稽古期間中にいろんな演技を試すこともできる。その分安心なんですね。映像では演技のときに全身の一部しか映らないけれど、常に全身を見られている舞台では、お客さまの目がカメラ。だから、全部の筋肉が鍛えられるんです。舞台の上でいろんなパターンの演技を蓄えて、それをさまざまな仕事に応用する。そういう場をたくさんいただいているので、私にとって今が理想的ですね。

一人芝居「なにわバタフライ」に 再チャレンジ


浪速の喜劇女優ミヤコ蝶々をモチーフに女の一代記を一人芝居で演じる
「なにわバタフライN.V」

 そんな私の舞台人生の中で、心身ともに過酷という意味でナンバーワンとも言えるのが、2004年に演じた「なにわバタフライ」。ミヤコ蝶々さんの人生をモチーフに、三谷幸喜さんが脚本化した一人芝居なんです。

 その舞台を、来年の春ニューバージョンとして再演することになりました。再演といっても、6年もたつと私にとってはまた1からのスタート。その上、まだ台本もできていないので、ニューバージョンと言われても、どこが新しいのか、私にもよく分かっていないんですが(笑)。

 もとはといえば、三谷さんから「何か新しいことをやりたいですね」というお話をいただき、最初は二人芝居の設定だったんです。ところが、フタを開けたら、「一人芝居はどうですか」と。それを伺って、はじめはご辞退モードでした。正直、一人芝居というとシリアスなものが多いイメージで、私には向いていないと思っていたし、そもそも一人芝居は芝居なんだろうか?とも。でも、初めての一人芝居を書きたいという三谷さんは、「一人芝居は普通モノローグが多いのですが、僕が書こうと思っているのは、ダイアローグ仕立てのコメディーです。だから、僕の舟に乗ってもらえませんか」と。三谷さんに背中を押されて、まったく自信がないまま、「死なばもろともですよ」とお受けしたんです(笑)。

 いざ稽古が始まってみると、思った以上に大変でした。何しろ役者は私一人だけ、セリフの量も膨大で、道具の位置変えも着替えもすべて一人でこなさなければいけない。稽古も三谷さんと二人だけなので、集中できるのは3時間ぐらい。稽古が終わったらもうヘトヘト。それをまた翌日復習、予習の繰り返し。台本も全部できているわけではないので、どこが終わりなのかも分からない。もう間に合わないんじゃないかと不安になりつつ、とにかく覚えなきゃと。こんなに追われたのは人生初めてでしたね。

 なんとかギリギリ初日の何日か前にやっとできあがったときには、もういっぱいいっぱいの状態で、少し押されたらセリフがあふれそうなぐらい。まだ、ゆるぎないものになっていない状態で、幕を開けることに…。

 舞台の本番中、シーンとした中で2時間半、一人でしゃべっているので、お客さまがガサゴソ音を立てるだけで、神経がとぎれてしまう。咳払い一つにも神経を張りましたね。架空の相手のセリフを頭の中で考えて、それに反応してセリフを言う。それをずっと続けているのは、気が狂いそうになるぐらい、苦しかった。腰痛にも悩まされ、あんなに不安で怖い戦いをしたのは初めてでした。どれだけ、自分を信じる力、大丈夫だと思いこむ勇気が必要か、と痛感しました。同時に今までどれだけ人に頼っていたかもよく分かりました。

 舞台が終わってすぐのころは、もう2度とやるもんかという気持ちでした。でも、もし、最初に芝居の全容が見えていたら、もう少しなんとかなったんじゃないか、もう1度トライしたい、という負けん気が心の底にくすぶっていたんです。

 だから、今回の再演は私にとっては、前回のリベンジ。なにわのコメディエンヌとして、芸人としても一人の女性としても、情熱的に生きた蝶々さんの人生を、「楽しく、悲しく、せつなく」演じられたらいいなと思います。私が三谷さんの作品が大好きなのは、楽しくて面白くて、何かキュンとくるものがある。ユーモアの中にペーソスがあって、明日も頑張ろうっていう勇気ももらえる。蝶々さんのことを知らない若い世代の人にも、ぜひ見てほしいですね。

歌手デビューから 一転、芝居の世界へ


NHK「中学生日記」の一コマ


歌手デビューのころ

 もともと子どものころは歌が大好きで、女優になろうなんて、思ったこともなかったんです。名古屋の実家は、砂糖の卸問屋。親が商売で忙しい家庭環境の中で、自立心も養われ、好奇心旺盛な私は、ピアノにお茶、お花、詩吟と毎日のように習い事に通っていました。

 小学校のころ、「ちびっこのど自慢」に出場し、チャンピオンになったことも。それを機に、母から勧められて「NHK名古屋放送児童劇団」のオーディションを受けることになったんです。なぜか難関を抜けて合格し、入団してすぐに「中学生日記」にレギュラー出演。その後中学3年のときに「歌手になりませんか」とスカウトされて、高校1年の夏、単身上京。そのときは「私も山口百恵のようになれる」と本気で思っていたんですね。

 ところが、歌手デビューしたもののさっぱり売れず、仕事はリポーターやバラエティー番組ばかり。周りはどんどん売れていく中、一人悶々と悩んだ末、20歳を前に芸能界を辞めようと決心したんです。

 そんなとき、演出家で声優でもある野沢那智さんに声を掛けられ、劇団「薔薇座」に入団。それまでの歌の世界とは一転、ホントに地味な世界だけど、何もかもが新鮮で、芝居の世界にどんどんのめりこんでいきました。でも、とにかく厳しかったですね。稽古中、灰皿が飛んでくるのは日常茶飯事。誉められたことは 1度もなく、叩かれて叩かれて育てられ、夜も寝ないで稽古して。だから、劇団を退団して外に出たとき、意外にも誉められてびっくりしました。

 今でもよく頑張ったなと思いますが、12年も続けられたのは、それだけ舞台に魅力があったから。ミュージカルや時代劇、芝居バカと言われるほど、舞台に熱中していた。私にとっては、あの12年間がすべての土台になっていますね。ただ、色っぽい芝居はよそで勉強してこいとよく言われました(笑)。

39歳で、連続テレビドラマデビュー

 声優の仕事も、最初は劇団の仕事だけでは生活できず、アルバイトとして始めたんです。当時は声優専門の学校もあまりなく、何も知らないまま始めたものの、何十回もNGを出して先輩たちに迷惑を掛けたり、挫折の連続でした。アンパンマンの声のお仕事をいただいたときは、「なぜ私に?」という感じがしました。自分の顔を食べさせてしまうような心優しいヒーローが、私に務まるだろうかと。今は最高のアニメと出会え、こんなに長く続けてこられて、本当に幸せだなと思いますね。

 私をテレビドラマの世界へと誘ってくれた、三谷さんとの出会いも舞台がご縁。私がまだ劇団にいたころから、舞台を見にきてくださって、お花を贈ってくださったりしていたんです。その三谷さんから、私にとって初めての連続ドラマ「総理と呼ばないで」への出演依頼をいただいたのは39歳のとき。

 でも、実はこのお話、1度ご辞退しているんです。今思えばおこがましいけれど、新しい世界にチャレンジするのが怖くて。サバサバしているように見えて、結構くよくよと悩むタイプなんですよ。それでも、三谷さんにも根気よく説得され、周りの人たちからもハッパを掛けられ、じゃあ、1度だけ楽しい思い出に、と決心しました。

 そうしたら、知らない間に、テレビ、映画とどんどん世界が広がって。もともと人と関わるのが大好きなので、とても楽しいですね。三谷さんはああ見えて私にはとても厳しくて、「全然できてませんね」とはっきりダメ出しをしたり、無理難題もおっしゃる。でも、できないって言うのは悔しいから、ブツブツ言いながらもやってみる。そうやって、今まで自分では考えもしなかった新たな発想に気付かせてくれるんです。三谷さんには、本当に感謝しています。

私の仕事はデパート、 各フロアを充実させたい


 考えると、いつも転機の節目、節目で出会いがあり、新しい世界へと導かれた気がします。歌手時代や劇団で学んだこと、声優、舞台の仕事、今までやってきたことのすべてが、今生きているんです。何かを捨てる必要もなく、好きなことをやってこられた。それはとてもラッキーなことだと思います。

 いろいろな仕事をする中で、私がいつも大事にしているのは、集中力ですね。瞬間にその役になりきることに命を懸ける。それは、アンパンマンやトーマスの吹き替えをしているときも同じですが、現場に行って、アンパンマンの顔を見たらそこにすべての気持ちを投入する。テレビドラマや映画、それぞれの現場に入ったときにスムーズにギアチェンジができるように、そのためには、いつもニュートラルな状態でいなくちゃいけないと思っているんです。でも、人間だから、たまにあるんですよ。ちょっとしたことでうまくいかなくなる。ギアをトップに入れなきゃいけないのに、セカンドまでしか入らないとか。だから、日常のつまらないことで悩まない努力をしないとね。

 例えると、私の仕事は大きなデパートのようなもの。声優のフロア、舞台のフロア、映画やテレビドラマのフロア、それぞれの階を、エレベーターでスムーズに行き来できるように常に努力する。品ぞろえも良くして、棚卸しもして。老舗のお店に負けないぐらい、各フロアを充実させたいっていう気持ちがいつもあるんです。

 2年前、50歳を機に歌手として再デビューもしました。単なる記念ではなく、本気で活動を始めたいと。もう1度やり直してみると、最初に歌手デビューしたころとはまた違う思いを感じますね。あのころはたった一人で歌っている感じだったけど、今は歌の仕事も一人じゃないんだって思う。さらに今年は、ディナーショーや講演など新しいことも始めたので、来年はさらに歌の世界ももっと掘り下げていけたらと思っています。

 でも、さしあたっては来春の舞台、三谷さんが今度はどんな新たなハードルを用意してくれるのか、楽しみでもあり怖くもあり、まるで受験生のようですね(笑)。

(東京都渋谷区NHKにて取材)



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