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本音のエッセイ

308号 霊山歴史館副館長 木村 幸比古さん

吉田松陰をめぐる人びと

霊山歴史館副館長 木村 幸比古さん

霊山歴史館副館長 木村 幸比古さん

木村 幸比古/霊山歴史館副館長

1948年京都生まれ。國學院大學卒業。近世思想史、幕末史。91年、維新史の研究と博物館活動で文部大臣表彰。NHK大河ドラマ「徳川慶喜」「新選組!」「龍馬伝」「花燃ゆ」企画展示委員。著書「京都・幕末維新をゆく」(淡交社)「新選組全史」(講談社メチェ)「吉田松陰の実学」「龍馬暗殺の謎」(PHP新書)ほか多数。

 幕末の志士のなかで、先生と敬称をつけたくなるのは、吉田松陰と西郷隆盛だと思います。

 萩へ行けば誰でも松陰先生といい、高杉晋作や久坂玄瑞は呼び捨て。鹿児島へ行けば城山の西郷隆盛に対して、幼稚園児が帽子をとってあいさつしているのを見て驚きました。

 松陰は、いわば日本を代表する教育者というイメージが強いです。私生活は風呂が大嫌いで大福餅が大好きでした。

 元治元年(1864)禁門の変で長州は大敗し、松陰の妹・文(美和)の夫久坂もこの戦いで自刃しています。

 この年の9月、京都で「長州おはぎ」が売られました。長州萩とおはぎをかけて、萩藩主毛利の家紋「一文字三星」から三角形に3個並べ箸を添え、萩36万石にかけて36文で売られたそうです。客が負けてくれと値切ると、一戦(一銭)も負けられんと言い返しました。長州は京都で幕府軍に敗れ、京都町衆にも負けたとなれば、再起はないとみたのでしょう。最近、長州おはぎが京都の和菓子屋から150年ぶりに復活、経済効果の一役になるかは大河ドラマ次第です。

 松陰の松下村塾で教えを受けた伊藤博文、山縣有朋の2人の総理大臣と、高杉晋作、久坂玄瑞らは時代の寵児(ちょうじ)になりましたが、彼らは宴席が大好きでした。

 新選組の近藤勇は愛妾(あいしょう)お孝との間に一女お勇が生まれました。顔立ちが近藤にうり二つで、祗園から舞妓に出ましたがさっぱり。下関で芸者になり、伊藤がこれはおもしろいと宴席にお勇を呼びました。同席した井上馨、西郷従道は笑いこけたといいます。松陰は宴席について無駄だと日記に書き、江戸遊学中は料亭に一切足を踏み入れませんでした。

 下関ではフグのことをフクと呼びます。「フクは食いたし命は惜しし」とフグ中毒で毎年人が亡くなっていました。集団で中毒になるので、豊臣秀吉がフク食禁止令なるものまで出したほどでした。しかし、山縣が同志とフク鍋を食べたときのこと、山縣は酒ばかり飲んで鍋に箸を入れませんでした。皆が食べて安全と見るやにこやかに鍋をつついたといいますから、禁止の中でも密に食べていたということでしょう。

 フク食禁止令を解いたのが今太閤と自称していた伊藤博文でした。明治21年(1888)、日清講和条約締結のため下関の春帆楼で宴席を開いたときのこと、海がしけで魚がとれず、女将が叱られる覚悟でフク料理を出しました。あまりの美味に伊藤は山口県だけの名物にしようと地域限定の解禁としました。フク料理といえば下関となったわけです。

 松陰は29歳の人生のなかで1500冊の本を読破し、先人と時空を超えて語りあえると塾生に読書を奨励しました。

 松陰は漢詩や和歌を好んで詠みましたが、都々逸は詠みませんでした。高杉、久坂、桂小五郎は都々逸の3名人とよばれました。祗園の魚品で、高杉はなじみの芸妓小里加をよびつくった艶っぽいものがあります。

―よあけの鐘ゴーンとなる頃三日月の櫛が落 ちてる四畳半―

 久坂は島原桔梗屋の芸妓辰路と恋仲となり、恋文を送っています。禁門の変の戦い前に会いに行きましたが、かないませんでした。桂は三本木の幾松と相思相愛となり、維新後は正妻に迎えました。

 大河ドラマ「花燃ゆ」では、松陰役を伊勢谷友介さん、松陰の妹・文(美和)役を井上真央さんが演じます。松下村塾を学園風に盛り上げ、文は料理の腕前を発揮します。松陰の教育、文の家族愛をお楽しみください。

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