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276号 南極料理人 西村 淳さん

背中に向かって

南極料理人 西村 淳

エッセイスト・きき酒師 葉石 かおりさん

西村 淳/南極料理人 

1952年、北海道留萌市生まれ。海上保安庁在任中に第30次、第38次南極観測隊に参加。巡視船<みうら>の教官として海猿のタマゴたちを教えた後、食を通してさまざまなコミュニケーションを図る「オーロラキッチン」を設立。2009年8月、著書『面白南極料理人』が映画化され、主人公・西村役に堺雅人を迎え全国で公開。

 マンションの14階に住んでいると、エレベーターから1日は始まる。

 向かい合った部屋で1台を共有しているから、28世帯がお世話になっていることになる。

 最上階なので奥に詰めることになるが、それぞれのお出掛け風景を背中から見るのが面白い。

「今日だね、いよいよ」
「多分絶対別れる。せっかく仲良くなったのに…。もう駄目だ(涙声)」。新学期が始まり、クラス替えがあるであろう(予想)、小学生とお母さんの会話である。

 大好きな女の子と別クラスになってしまう予感で、落ち込んでいる彼の小さな背中に、哀愁感が漂っていた。

 たまに出会うお向かいの女性は、ちょっとしたアドバイスをしてくれる。

「上の階は地震が来ると、小さくてもものすごく揺れるからびっくりしないでね。あっ生ゴミは8時半ピタリに来るけれど、不燃ゴミは10時ごろになるから覚えておくと便利よ。お仕事決まれば良いですねえ」

 完全に自分は無職で、妻の収入に頼ってフラフラ生きている駄目オヤジに思われているらしい。弁明してもしょうがないので、「はあそうですねえ」などと、変な相づちをうってしまうのが若干情けない。

 ある日のことである。

 扉が開くと、ピンクの色彩で視覚が満たされた。一瞬何が起こったかとパニックになりかけたが、よく見るとピンク色のドレスを着たおばあちゃん(そんな年齢です)が入ってきた。いつもは地味な色合いの服を着ているのだが、いきなりピンク色である。ご乱心あそばした、または意識が異世界に飛んでしまったと思い、なるべく視線を合わせないようにしつつ、意識を宙に泳がせた。

「フォークダンスのサークルなのよ。楽しくてね。今度ご一緒に行きませんか?」
「行きません!」

 ありがたいお誘いではあるが、なぜかわが言語中枢はきっぱりと拒否反応を示した。

 今朝はでかいゴミの袋を2つ抱えたお父さんが乗ってきた。ビニール袋越しに、発泡酒と缶コーヒーの空き缶がやたら目立っていた。

「結構毎日きつくてね。飲まないとやってられませんワ。リフォームしたので頑張らないとね。あっ!僕はこんなに飲まないんですよ。女房が僕より強くてね、毎晩BEERを、本当は発泡酒ですけれど5缶飲むんです。ぼくはね、毎朝缶コーヒーを飲まないと目が覚めないのですワ。それじゃ失礼します」

 朝から若干の疲れをにじませつつ降りていった。

 背中に向かって「頑張って」と小さな声でエールを送った。

 ゴミステーション越しに見上げた北海道の初春の空は、風は冷たいながらも青く深く澄み渡り、体内にさわやかな息吹をなげかけてくれた。

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