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本音のエッセイ

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202号 小説家・僧侶 玄侑 宗久さん

「本音をうるかす」

小説家・僧侶 玄侑 宗久

小説家・僧侶 玄侑 宗久さん

玄侑 宗久/小説家・僧侶

1956年、福島県生まれ。安積高校卒業後、慶應義塾大学中国文学科卒。さまざまな仕事を経験した後、京都、天龍寺専門道場に入門。現在は臨済宗妙心寺派、福聚寺副住職。福島県警通訳(英語・中国語)など。小説やエッセイなどの執筆活動を続けており、2001年『中陰の花』(文春文庫)で第125回芥川賞を受賞。『水の舳先』『アミターバ 無量光明』(新潮社)、『禅的生活』(ちくま新書)など著書多数。

 いつも本音で書いているつもりなのだが、「ぜひ本音のエッセイを」と頼まれてしまった。困った。

 どうも日本には「本音と建て前」という言葉があまりにも浸透しているせいか、普通に話してもほかに本音があるように思われる。しかし実際には、「本音と建て前」というより、むしろ「心変わり」であるケースが多いのではないか。

 例えば、ある種の新興宗教に誘われ、壺を買うとする。そのときは本気でその功徳を信じ、大枚はたいて買ったはずなのに、あとになると訴えたりする。そして裁判に勝つため、買った当時の「本音」を裏切るような言説を並べるのである。

 またほんの些細なことでも、そのときはそう思ったのに今はそう思えない、ということは多い。これは心変わりであって、今の気分だけが本音なのではない。またいつか、変わるに違いないのである。

 国会での答弁など、「建て前ばかり並べて」と腹が立つかもしれない。しかしそれも、「きちんと解るようには言いたくない」という本音の表現にすぎない。人は口でどんなことを言われようと、たぶん本音はちゃんと感じとれる生き物なのだ。

 しかし「その件についてはしばらくうるかしましょう」と言われたときの驚きは今でも憶い出す。「うるかす」というのはたぶん方言なのだが、本来は何かを水などに浸しておくことを意味する。この場合はつまり判断を急がず、疑問点などをそのまま放置することだ。一瞬、国会議員の「前向きに善処します」みたいに、空疎な言葉にも聞こえたのだが、さにあらず。今は言葉にしないほうが賢明だという積極的な判断なのだ。仏教の「判断停止」にも通じる。

 そうしてしばらくうるかしておくと、なるほどあのとき言葉にしなくて良かったと思うことが多い。つまり本音だと自分で思っていても、そんなものは信用できないということだ。

 人は自分で本音だと思い込んだことに振り回される。周囲も「あのときああ言ったでしょ」などと責める。それならいっそ、自分の本音は死ぬ前の言葉だけと、決めてしまったらどうだろう。

 思えば人は「行く河の流れ」に人生をうるかし続けているようなものだ。


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